後編
「……すごいわ、ミュウ。これ、本当にもう『お茶会の余興』なんてレベルじゃないわよ」
親友のリゼット……今はマレシェ女伯爵としての爵位継承も内定し、キリッとした表情を見せるリーゼが、私のデスクに積み上がった書類の山を見て溜息をついた。
そこには、王宮行事局からの公印が押された「建国記念祭・メインステージプロデュース依頼」という、とんでもない書状が鎮座している。
「当然よ。ディミトリ様のピアノと、リーゼの幻影魔法。そこに前世……じゃなくて、私の『演出理論』が加われば、もはやこれは国家予算を動かすレベルのエンターテインメントだわ」
私は羽ペンを走らせながら、不敵に微笑んだ。
先日の「野外ライブ」以降、私たちの事業は爆発的に拡大した。
ディミトリを主役とした「魔法音楽劇」は、ただの音楽鑑賞ではなく、観客が物語の中に入り込むような没入型体験。
これが、刺激に飢えていた王都の貴族たちを完全に虜にしたのだ。
「ディミトリ様、調子はどう?」
「……はい、ミュリエル様。兄様が……リアン兄様が、最高のホールを用意してくれました。……僕、もう怖くありません。僕の音で、みんなを幸せにしたいんです」
客間のピアノに向かうディミトリは、以前の「路地裏の少年」の面影など微塵もない。
背筋を伸ばし、自信に満ちた表情。
その傍らには、何だかんだと理由をつけては彼を指導(という名のブラコン全開のサポート)しに来るヴァレリアン……リアンの姿があった。
「ミュリエル嬢。王宮との交渉は私が引き受けよう。君は、その……あまり無理をして倒れないようにしてくれ。君に何かあったら、私はこの国を滅ぼしかねない」
「リアン様、大袈裟ですわ。……でも、ありがとうございます」
さらりと恐ろしいことを言うリアンだが、その瞳は本気で私を心配し、そして熱烈に愛している。
最近の彼は、もはや「隠す気ゼロ」の溺愛モードだ。
私の手を取る回数が増え、耳元で囁かれる甘い言葉は、前世の乙女ゲームの攻略対象でもここまで言わないだろうというレベルに達している。
「……ねえ、ミュウ。あっちの兄弟もそうだけど、私たち、もう逃げられないわね」
リーゼが苦笑いしながら、ディミトリから譜面を受け取っている。
二人の間にも、仕事仲間以上の「甘い空気」が漂い始めていた。
一方その頃。
王都の喧騒から少し離れた、場末の酒場。
そこには、かつての「期待の若手貴族」の面影を失ったロンバート・モンフォールの姿があった。
「……クソッ、何が『王国の宝石』だ。何が『稀代のプロデューサー』だ! あいつは、元はといえば僕の婚約者だったんだぞ!」
ロンバートは安酒を煽り、泥酔した状態で管を巻いていた。
彼が「婚約解消」という冷酷な現実に直面してから、事態は悪化の一途を辿っていた。
まず、エインズ侯爵家からの資金援助が完全にストップした。
モンフォール伯爵は、息子の不手際に激怒し、彼への送金を大幅に削減。
さらに、社交界でのロンバートの評判は地に落ちていた。
『あのモンフォール伯爵子息、エインズ伯爵令嬢を無視し続けた挙句、彼女が才能を開花させたら手のひらを返して縋り付いたんですって』
『まあ、無様な。ルミナーク侯爵家の嫡男に一喝されて逃げ帰ったそうよ』
そんな噂が広まれば、誰も彼に近寄ろうとはしない。
交流のあった令嬢たちも、今の彼には「没落の臭い」がすることに気づき、一人、また一人と離れていった。
「父上も母上も、あんな女を庇って……。僕が『売られた』苦しみを誰もわかってくれない……!」
彼はまだ、自分こそが被害者だという幻想の中にいた。
だが、現実は残酷だ。
酒場の隅では、彼が返せなくなった借金の取り立て屋たちが、冷たい目で彼を監視している。
「おい、モンフォール。……そろそろ、その爵位も危ないんじゃないか?」
同席していた「悪い友人」たちからも見放され、ロンバートは震える手で空のグラスを握りしめた。
彼の知らないところで、モンフォール伯爵はすでに「次代の家督は別の親族に譲る」という決断を下そうとしていたのだ。
「——ふぅ。自業自得、ね」
ある日、兄のアルフレッドからロンバートの近況を聞いた私は、窓の外を見つめながら小さく呟いた。
可哀想だとは、微塵も思わない。
前世の記憶を思い出す前の私が、どれほど彼に尽くし、どれほど無視されて傷ついてきたか。
その蓄積が、今の彼の末路を正当化している。
「ミュウ。そんな男のことは、もう考えなくていい」
背後から、温かい体温と共にリアンの腕が私の腰を抱きしめた。
首筋に寄せられる彼の顔に、私は少しだけ頬を赤くする。
「リアン様……仕事中ですよ」
「君が他の男……たとえそれが過去の遺物のような男であっても、そのことを考えているのが耐えられないんだ。私のことだけを見て、私の名前を呼んでくれないか?」
……重い。
リアンの愛は、ディミトリへのそれと同様に、一度火がつくと「重度の執着」へと変わるようだ。
でも、不思議と嫌な気はしない。
むしろ、これくらいの熱量で求められる方が、バンギャ出身の私にはちょうどいいのかもしれない。
「……リアン様。大好きよ。……これで満足?」
「……いや、足りない。建国記念祭のオペラが終わったら、すぐにでも結婚式の準備を始めよう。もう、誰にも君を奪われたくない」
リアンの瞳に宿る独占欲に、私は苦笑しながらも身を委ねた。
建国記念祭の夜。
王宮の巨大な大広間は、これまでにない熱気に包まれていた。
国王陛下をはじめとする王族、そして国内の全有力貴族が集結する。その中央に鎮座するのは、我がエインズ伯爵家とルミナーク侯爵家が共同で作り上げた、伝説のステージだ。
「……ミュリエル様。僕、行ってきます」
舞台袖。ディミトリが、私の手を取って静かに微笑んだ。
その瞳には、かつての怯えなど微塵もない。今の彼は、音楽で国を統べる「若き巨匠」の風格を纏っている。
「ええ、ディミトリ様。あなたの音を、この国の歴史に刻んで。……リーゼ、演出は任せたわよ」
「当たり前じゃない。マレシェ女伯爵の名に懸けて、最高の夢を見せてあげるわ!」
リーゼもまた、杖を握りしめて不敵に笑う。
開演のブザー……ではなく、魔法による重低音が会場に響き渡った。
幕が開く。
そこからは、まさに「神々の宴」だった。
ディミトリのピアノが、一音、一音と空間を震わせるたび、リーゼの幻影魔法が現実を上書きしていく。
深海。宇宙。そして、見たこともないような黄金の都。
前世の記憶にある「スタジアム・ライブ」のド派手な演出を、魔法という超常現象で再現したステージに、国王陛下すらも身を乗り出して見入っていた。
その客席の片隅。
ボロボロの正装(おそらく質屋から買い戻したものだろう)に身を包み、幽霊のように立ち尽くす男がいた。
……ロンバート・モンフォールだ。
彼は、自分の家の没落を食い止めるため、最後の望みを懸けてこの場に忍び込んでいた。
かつての婚約者である私に縋り付き、慈悲を乞うためだろう。
だが、彼が目にしたのは、自分とは住む世界が違いすぎる「元婚約者」の姿だった。
「……ああ、ああぁ……」
ロンバートの口から、掠れた声が漏れる。
彼が「不自由だ」「縛られている」と喚き散らしていたあの頃、前世を思い出す前のミュリエルが差し出していたのは、愛という名の「翼」だったのだ。それを自らへし折り、泥に投げ捨てたのは、他でもない彼自身。
演奏がクライマックスを迎え、会場が割れんばかりの拍手に包まれたその時。
逃げ出そうとしたロンバートの前に、静かに影が立った。
「……モンフォール伯爵子息。不法侵入は重罪だ」
冷徹な声。リアンだった。
彼は舞台の成功を見届けた後、獲物を追い詰める猟犬のようにロンバートの元へ歩み寄った。
「ヴァ、ヴァレリアン様……僕は、ただ……」
「君が何を望もうと、もう遅い。……モンフォール伯爵は、本日付で君の廃嫡を正式に届け出た。君はもう、貴族ですらない。……ただの、恩を仇で返した愚か者だ」
リアンの言葉は、刃となってロンバートを切り裂いた。
衛兵に引きずられていくロンバート。その視線の先で、私はリアンと目が合った。
彼は私に歩み寄り、何千人という観客が見守る中、その場に跪いた。
会場が、静まり返る。
「ミュリエル・エインズ伯爵令嬢。……君は、私の暗い世界に光をもたらしてくれた。君のその類まれなる才能と、誰よりも熱い心を、一生かけて私が守り抜くと誓おう」
リアンが取り出したのは、エインズ伯爵家の資産すら凌駕するような、伝説の魔石が埋め込まれた婚約指輪。
「私と、結婚してほしい。……君を、世界で一番幸せな『推し』にするために」
「……リアン様」
……ちょっと、最後の一言がヲタク用語混じりなのは私の影響かしら?
でも、そんなのどうでもいい。
私は満面の笑みで、彼の手に自分の手を重ねた。
「喜んで。……私を、一生離さないでくださいね?」
その瞬間、リーゼが特大の祝福魔法を放った。
会場全体に光の花びらが舞い散り、ディミトリが祝福の旋律を奏でる。
観客は総立ちになり、二人の婚約を祝福する大歓声が王宮を揺らした。
塩対応な婚約者に泣かされる物語なんて、もう古い。
これからは、愛する人を輝かせ、自分も最高に愛される。
前世の「推し活」で培った情熱を、今度は自分の人生に注ぎ込む。
ふと見ると、舞台の影でディミトリとリーゼが、恥ずかしそうに手を繋いでいるのが見えた。
……ふふ。あっちのプロデュースも、まだまだ忙しくなりそうね。
「ミュウ。……愛している」
耳元で囁くリアンの声。
私の異世界転生ストーリーは、どやらハッピーエンドを迎えるみたいだ。
「……ちょっと、リーゼ! 動かないで、アイラインが少しずれてしまうわ!」
「だってミュウ、緊張して心臓が口から出そうなんだもの……。私、本当にあんな天使みたいなディー様の隣に並んでいいの?」
「何言ってるのよ。今のあなたは、王国のエンターテインメントを支える立派な女伯爵でしょ。自信を持って!」
王宮の豪華な支度部屋。
私は、今日この日を最高のものにするために、自身の花嫁支度もそこそこにリーゼのメイク直しに奔走していた。
今日は、王国中が待ち望んだ歴史的な日。
ルミナーク侯爵家とエインワーズ伯爵家の絆を結ぶ、私とリアンの結婚式。
そして、その舞台で愛を誓い合う、リーゼとディミトリのダブル結婚式だ。
「……ふぅ。完璧だわ。鏡を見て、リーゼ」
私が仕上げを終えると、鏡の中には幻影魔法を纏ったかのように輝く、凛とした花嫁がいた。
マレシェ伯爵家の伝統的な意匠に、私が前世の知識をスパイスとして加えた、シルエットの美しいドレス。
隣で自分自身の姿を確認した私も、我ながら「これ、どこの乙女ゲームのメインビジュアル?」とツッコミたくなるほどの完成度だった。
「お嬢様、失礼いたします。……旦那様と、ヴァレリアン様、ディミトリ様がお迎えです」
アナの弾んだ声と共に、扉が開く。
そこに立っていたのは、まばゆいばかりの正装に身を包んだ、私の「推したち」だった。
「……ああ、ミュウ。君は、また私の想像を超えて美しい」
リアンが、熱っぽい瞳で私を見つめ、そっと腰を引き寄せた。
彼の独占欲は結婚を前にしてさらに加速しており、最近では私の周囲三メートル以内に寄れる男性は、実の父と兄、弟、そして義弟になるディミトリくらいなものだ。
「リアン様こそ、素敵ですわ。……でも、あまり見つめないでくださいな。溶けてしまいそうです」
「溶けてしまえばいい。そうすれば、私が君をすべて飲み干してしまえるからね」
……相変わらず重い。でも、その重さが今は心地よい。
一方、隣ではディミトリが、リーゼの手を取って真っ赤になっていた。
「リーゼ、様……。僕、あなたに……ふさわしい男になれるよう、一生、ピアノを弾き続けます。……僕の隣にいてください」
「ディー様……! もう、泣かせないでよ。メイクが落ちちゃうじゃない!」
幸せのオーラが部屋中に充満する中、私たちはついに、数万人の民衆と、王族たちが待つ大聖堂へと歩み出した。
大聖堂の鐘が鳴り響く。
パイプオルガンの重厚な調べの中、私たちは光り輝くバージンロードを進んだ。
リーゼの幻影魔法が、聖堂の天井に満開の桜(私の前世の記憶を再現したものだ)を咲かせ、ひらひらと光の花びらが舞い落ちる。
「……健やかなるときも、病めるときも」
神官の言葉に、私は深く頷く。
前世の孤独なOL、美優。
そして、婚約者に塩対応されていた令嬢、ミュリエル。
二つの人生を経て、私はようやく、心から信頼し、自分をさらけ出せるパートナーを見つけたのだ。
指輪を交換し、リアンが私のベールを上げる。
誓いのキスは、驚くほど長くて熱いものだった。
周囲からの歓声が遠くに聞こえる中、私はリアンの腕の中で幸せを確信していた。
華やかな披露宴。
王宮の庭園では、ディミトリが作曲した「愛する人に捧げるソナタ」が演奏され、人々は酔いしれていた。
そんな喧騒の片隅で、私は兄のアルフレッドから「ある男」のその後を聞いた。
「……ロンバートは今、モンフォール伯爵家の家督を従兄弟に譲らされ、北部の開拓地へ送られたらしい。あそこは厳しいからね。元令息様には、鍬を握るのも一苦労だろうさ」
「そう……」
私は、興味なさげに冷めたお茶を一口飲んだ。
今の私にとって、ロンバート・モンフォールという名は、もはや記憶のゴミ箱の底に沈んだ、名前も思い出せないような通行人Aに過ぎない。
彼が泥にまみれて働こうが、後悔で枕を濡らそうが、私の知ったことではない。
自業自得という言葉すら、彼には勿体ないほどだ。
「ミュウ、そんな男の話より、私の話をしてくれないか?」
リアンが、背後からスルリと私の指を絡めてきた。
彼は、私の父と「娘をいつまでも囲っておくつもりか!」「いや、まだ実家で過ごさせたい!」という微笑ましい(?)バトルを繰り広げた末、今日ようやく私を「自分のもの」にできた喜びを全身で表現していた。
「リアン様、またですか? ……はいはい、愛していますわよ」
「言い方が軽いな。……いいだろう、今夜は寝かせないから覚悟しておいてくれ。君のプロデュース能力のすべてを、私一人のために使ってもらうからね」
リアンの耳元での囁きに、私は顔を赤くしながらも、ふふっと笑い返した。
「ええ。最高の新婚生活をプロデュースさせていただきますわ。……もちろん、私の愛もセットです」
ふと見ると、ステージではリーゼがディミトリのピアノに合わせて、幻想的な星空を魔法で作り出していた。
二人の周りにも、祝福の光が満ち溢れている。
前世の知識、バンギャの魂、そして今世で得た大切な家族と友人、愛する人。
すべてが混ざり合い、最高の旋律を奏でている。
私は空を見上げた。
あの日見た飛行機雲のような雲は、もうどこにもない。
代わりに、リアンと共に見つめる未来は、どこまでも澄み渡り、眩しいほどの光に満ちていた。
これから始まる、甘くて忙しい毎日を想像して、私は愛する夫の腕にそっと寄り添った。
最近「推し」の供給が過多で、時間が足りません。
でも、推しのために頑張る時間って幸せで尊いものだな、と思うのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




