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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第5章

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「それでも僕は」

 


 恋人になった次の日も、世界は何も変わらなかった。


 朝のニュースでは、男性保護に関する制度改定の話題が短く流れていたし、駅では相変わらず“男性優先”の案内が目に入った。

 学園に着けば、女子の方が圧倒的に多い景色も、僕が少し目立つことも、昨日までと何一つ変わっていない。


 男は少ない。

 希少だ。

 守るべきだ。

 囲われる価値がある。


 この世界の大きな前提は、たぶんこの先もしばらく変わらないのだろう。


 でも、それでもいいのかもしれないと、少しだけ思う。


 いい、というのは、諦めたという意味じゃない。

 全部を一気に変えられない現実を見たうえで、それでも自分がどうしたいかは選べる、という意味だ。


 教室のドアを開ける。


 何人かの視線がこっちへ向く。

 前みたいに過剰な熱はない。

 でも、完全な無関心でもない。

 そのあいだの少し複雑な温度に、前よりずっと慣れてきた。


「おはよう、東條くん」


「おはよう」


 短く返す。

 必要なら話す。

 必要以上には広げない。

 でも、前みたいに全部を拒否するわけでもない。


 そのやり方は、まだ完璧じゃない。

 でも今は、自分の中に一本の線があることだけは分かっている。


 自分で決める。

 自分で引く。

 それが今の僕の立ち方だった。


「…何か、ちょっと顔緩んでない?」


 席の近くの女子がぽつりと言う。


「そう?」


「何となく」

「前より怖くないかも」


「前は怖かったの?」


「ちょっとだけ」


 その言い方に少しだけ苦笑する。

 でも否定はしない。


 前の僕は、軽薄だった。

 その次は、拒絶で固くなっていた。

 今はようやく、そのどちらでもない場所へ少し近づいているのかもしれない。


 ひよりが教室へ入ってくる。

 目が合う。

 それだけで、胸の奥が少しだけあたたかくなる。


 昨日までと同じはずなのに、少し違う。

 恋人になったからって、急に世界がピンク色になるわけじゃない。

 でも、たった一人と目が合っただけで世界の見え方が変わることは、ある。


 ひよりはいつも通り自分の席へ向かう。

 でも通りすぎざまに、小さく言った。


「あとで」


 その言葉だけで、口元が少し緩みそうになる。


「うん」


 僕もそれだけ返す。


 たったそれだけの会話。

 それなのに、前までのどんな曖昧なやり取りよりもずっと意味があった。


 ◇


 昼休み、保護局の前を通りかかったとき、ひとえと偶然会った。


「東條くん」


「こんにちは」


 ひとえはいつも通り落ち着いている。

 でも前より少しだけ、視線が優しい気がする。


「最近の状況は確認しました」

「大きな問題は出ていませんね」


「よかったです」


「ええ」


 短い会話。

 でも、その中に以前のような“監督されている感じ”だけではないものがある。


 ひとえは少しだけ言葉を選ぶようにしてから続けた。


「制度は、すぐには変わりません」


「はい」


「けれど、少しずつなら変えられる」

「そう思うようになりました」


 その言葉に、小さく息を呑む。


 だとしても、ひとえは制度を壊す側には回らない。

 でも、制度の中で“意思を持つ男性”をちゃんと守ろうとしてくれている。


 それで十分なのだと思う。


「ありがとうございます」


 そう言うと、ひとえはほんのわずかに頷いた。


「こちらこそ」


 その返答は、以前ならたぶんなかった。


 人は少しずつ変わる。

 世界もたぶん、そうだ。

 いきなりじゃない。

 でも、一人分ずつなら変わることがある。


 ◇


 放課後、ひよりと一緒に校舎を出る。


 まだ人目のある場所では、いかにも恋人同士みたいには振る舞えない。

 でも、並んで歩くこと自体は自然だった。


「今日、保護局の前でひとえさんと話してた?」


 ひよりが聞く。


「見てたの?」


「たまたま」


「ほんとかな」


「ほんとだよ」


 ひよりは少しだけ笑ってから、前を向く。


「何か、前より雰囲気がやわらかくなった気がする」


「僕?」


「うん」

「あと、周りの人もね」


 たしかにそうかもしれない。


 僕が急に人気者に戻ったわけじゃない。

 でも、前ほど“話しかけにくい男性”として思われている感じもしない。


 きっと、僕の纏う雰囲気が変わったからだと思う。

 受けるところと断るところ。

 人との距離感。


 全部が曖昧だった頃より、全部が拒絶だった頃より、今の方が少しだけ自然なのかもしれない。


「でも」


 ひよりが続ける。


「世界は、別に急に変わってないよね」


「うん」


「男は珍しいし、守られるし、資源みたいに扱われるし」


「そうだね」


「それでも、前よりちょっとだけましに見える」


 その一言に、僕は少しだけ横を見る。


 ひよりの横顔はいつも通りだ。

 でもその“前よりましに見える”は、たぶんただの楽観じゃない。


 現実を見たまま、それでも前よりは息がしやすくなったという意味だ。


「…僕もそう思う」


 素直にそう返す。


「世界が変わったっていうより」

「僕の気持ちが変わっただけかもしれないけど」


「それ大事じゃん」


 ひよりはあっさり言う。


「世界がそのままでも、自分の気持ちが変わるだけで全然違うしね」


 その言葉は、妙にまっすぐだった。


 たしかにそうだ。

 男は資源。

 その現実は消えない。

 希少で、守られて、囲われる価値がある。

 そういう目で見られることも、たぶんこの先なくならない。


 でも、その中で自分が何を受け入れて、何を拒んで、どう生きるかは選べる。


 それが、ここまで歩いてきて僕がようやく手に入れたものだった。


「…ひより」


 思わず名前を呼ぶ。


 ひよりが少しだけ目を丸くする。

 まだ学校の外とはいえ、人通りのある道で呼び捨てにするのは慣れていなかった。


「な、なに!?」


「いや」


 自分でも少し照れる。

 でも、その照れごとちゃんと大事にしたい気がした。


「これからも、たぶん面倒なことはなくならないと思う」


「うん」


「僕の立場も、この世界も、すぐには変わらないし」


「うん」


「それでも」


 一度だけ息を吸う。


「僕は、僕の意思で生きていきたい」


 ひよりの目が少しだけやわらぐ。


「うん」


「その隣に、ひよりがいてくれたらうれしい」


 ひよりは少しだけ黙ってから、やがて小さく笑った。


「今さら何言ってるの」


「今さらだけど」


「もう隣にいるよ」


 その返しが、すごくひよりらしい。


 強いことを言うでもなく、大げさに感動させるでもなく、ただ当たり前みたいに言う。

 でも、その当たり前がいちばんうれしい。


「…そっか」


「うん」


「じゃあ、よかった」


「うん、よかった」


 その会話だけで、胸の奥が静かに満たされる。


 世界は変わらない。

 でも、僕は変わった。

 そしてその変化の隣に、ひよりがいる。


 それで十分だと思えた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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