「それでも僕は」
恋人になった次の日も、世界は何も変わらなかった。
朝のニュースでは、男性保護に関する制度改定の話題が短く流れていたし、駅では相変わらず“男性優先”の案内が目に入った。
学園に着けば、女子の方が圧倒的に多い景色も、僕が少し目立つことも、昨日までと何一つ変わっていない。
男は少ない。
希少だ。
守るべきだ。
囲われる価値がある。
この世界の大きな前提は、たぶんこの先もしばらく変わらないのだろう。
でも、それでもいいのかもしれないと、少しだけ思う。
いい、というのは、諦めたという意味じゃない。
全部を一気に変えられない現実を見たうえで、それでも自分がどうしたいかは選べる、という意味だ。
教室のドアを開ける。
何人かの視線がこっちへ向く。
前みたいに過剰な熱はない。
でも、完全な無関心でもない。
そのあいだの少し複雑な温度に、前よりずっと慣れてきた。
「おはよう、東條くん」
「おはよう」
短く返す。
必要なら話す。
必要以上には広げない。
でも、前みたいに全部を拒否するわけでもない。
そのやり方は、まだ完璧じゃない。
でも今は、自分の中に一本の線があることだけは分かっている。
自分で決める。
自分で引く。
それが今の僕の立ち方だった。
「…何か、ちょっと顔緩んでない?」
席の近くの女子がぽつりと言う。
「そう?」
「何となく」
「前より怖くないかも」
「前は怖かったの?」
「ちょっとだけ」
その言い方に少しだけ苦笑する。
でも否定はしない。
前の僕は、軽薄だった。
その次は、拒絶で固くなっていた。
今はようやく、そのどちらでもない場所へ少し近づいているのかもしれない。
ひよりが教室へ入ってくる。
目が合う。
それだけで、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
昨日までと同じはずなのに、少し違う。
恋人になったからって、急に世界がピンク色になるわけじゃない。
でも、たった一人と目が合っただけで世界の見え方が変わることは、ある。
ひよりはいつも通り自分の席へ向かう。
でも通りすぎざまに、小さく言った。
「あとで」
その言葉だけで、口元が少し緩みそうになる。
「うん」
僕もそれだけ返す。
たったそれだけの会話。
それなのに、前までのどんな曖昧なやり取りよりもずっと意味があった。
◇
昼休み、保護局の前を通りかかったとき、ひとえと偶然会った。
「東條くん」
「こんにちは」
ひとえはいつも通り落ち着いている。
でも前より少しだけ、視線が優しい気がする。
「最近の状況は確認しました」
「大きな問題は出ていませんね」
「よかったです」
「ええ」
短い会話。
でも、その中に以前のような“監督されている感じ”だけではないものがある。
ひとえは少しだけ言葉を選ぶようにしてから続けた。
「制度は、すぐには変わりません」
「はい」
「けれど、少しずつなら変えられる」
「そう思うようになりました」
その言葉に、小さく息を呑む。
だとしても、ひとえは制度を壊す側には回らない。
でも、制度の中で“意思を持つ男性”をちゃんと守ろうとしてくれている。
それで十分なのだと思う。
「ありがとうございます」
そう言うと、ひとえはほんのわずかに頷いた。
「こちらこそ」
その返答は、以前ならたぶんなかった。
人は少しずつ変わる。
世界もたぶん、そうだ。
いきなりじゃない。
でも、一人分ずつなら変わることがある。
◇
放課後、ひよりと一緒に校舎を出る。
まだ人目のある場所では、いかにも恋人同士みたいには振る舞えない。
でも、並んで歩くこと自体は自然だった。
「今日、保護局の前でひとえさんと話してた?」
ひよりが聞く。
「見てたの?」
「たまたま」
「ほんとかな」
「ほんとだよ」
ひよりは少しだけ笑ってから、前を向く。
「何か、前より雰囲気がやわらかくなった気がする」
「僕?」
「うん」
「あと、周りの人もね」
たしかにそうかもしれない。
僕が急に人気者に戻ったわけじゃない。
でも、前ほど“話しかけにくい男性”として思われている感じもしない。
きっと、僕の纏う雰囲気が変わったからだと思う。
受けるところと断るところ。
人との距離感。
全部が曖昧だった頃より、全部が拒絶だった頃より、今の方が少しだけ自然なのかもしれない。
「でも」
ひよりが続ける。
「世界は、別に急に変わってないよね」
「うん」
「男は珍しいし、守られるし、資源みたいに扱われるし」
「そうだね」
「それでも、前よりちょっとだけましに見える」
その一言に、僕は少しだけ横を見る。
ひよりの横顔はいつも通りだ。
でもその“前よりましに見える”は、たぶんただの楽観じゃない。
現実を見たまま、それでも前よりは息がしやすくなったという意味だ。
「…僕もそう思う」
素直にそう返す。
「世界が変わったっていうより」
「僕の気持ちが変わっただけかもしれないけど」
「それ大事じゃん」
ひよりはあっさり言う。
「世界がそのままでも、自分の気持ちが変わるだけで全然違うしね」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
たしかにそうだ。
男は資源。
その現実は消えない。
希少で、守られて、囲われる価値がある。
そういう目で見られることも、たぶんこの先なくならない。
でも、その中で自分が何を受け入れて、何を拒んで、どう生きるかは選べる。
それが、ここまで歩いてきて僕がようやく手に入れたものだった。
「…ひより」
思わず名前を呼ぶ。
ひよりが少しだけ目を丸くする。
まだ学校の外とはいえ、人通りのある道で呼び捨てにするのは慣れていなかった。
「な、なに!?」
「いや」
自分でも少し照れる。
でも、その照れごとちゃんと大事にしたい気がした。
「これからも、たぶん面倒なことはなくならないと思う」
「うん」
「僕の立場も、この世界も、すぐには変わらないし」
「うん」
「それでも」
一度だけ息を吸う。
「僕は、僕の意思で生きていきたい」
ひよりの目が少しだけやわらぐ。
「うん」
「その隣に、ひよりがいてくれたらうれしい」
ひよりは少しだけ黙ってから、やがて小さく笑った。
「今さら何言ってるの」
「今さらだけど」
「もう隣にいるよ」
その返しが、すごくひよりらしい。
強いことを言うでもなく、大げさに感動させるでもなく、ただ当たり前みたいに言う。
でも、その当たり前がいちばんうれしい。
「…そっか」
「うん」
「じゃあ、よかった」
「うん、よかった」
その会話だけで、胸の奥が静かに満たされる。
世界は変わらない。
でも、僕は変わった。
そしてその変化の隣に、ひよりがいる。
それで十分だと思えた。
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