「特別ではない告白」
告白をすると決めた日の放課後は、朝からずっと落ち着かなかった。
別に、何か特別なことが起きたわけじゃない。
授業はいつも通り進んだし、教室のざわめきも、廊下の人の流れも、窓の外の空も、大体いつも通りだった。
でも、僕の中だけがずっとうるさかった。
ノートを開いても、文字が頭に入らないし。
先生の声を聞いていても、意識の端では別のことを考えている。
昼休みにひよりと目が合うだけで、胸のあたりが妙に落ち着かなくなる。
昨日の放課後、教室で触れた指先の熱が、まだ少し残っていた。
離したくない、と言った。
あれはもう、告白のほとんど手前だったと思う。
でも、それでもまだ言葉は足りなかった。
ちゃんと言わないといけない。
曖昧なままでは、また前と同じになる。
気持ちがあるのなら、ちゃんと相手へ伝えなければいけない。
そこまで来て、やっと分かる。
断ることより、好きだと言うことの方が、ずっと怖い。
断るときは、相手を待たせないために自分が傷つけばよかった。
でも、好きだと言うときは違う。
相手に選択してもらう必要性が生まれる。
自分の気持ちを伝えたあと、相手に選択を委ねることになる。
それは、今までの僕が避けてきたことだった。
(…でも)
机の上のシャーペンを指で転がしながら思う。
それでも、ひよりにはちゃんと伝えたかった。
好かれている自分が好きだったこと。
誰も選ばないままでいたこと。
曖昧に優しくして、結果として何人も傷つけたこと。
好きになるのが怖くて、ずっとそこから目を逸らし続けてたこと。
その全部を伝えたうえで、今の自分は違うのだと伝えたい。
チャイムが鳴る。
最後の授業が終わる音。
教室が少しずつ騒がしくなっていく。
椅子の引かれる音。
友達同士の会話。
鞄を持ち上げる音。
そのざわめきの中で、ひよりが僕の方を見た。
ほんの一瞬だけ。
でも、すぐに分かった。
僕が今日、何かを決めていることに気づいている。
ひよりは何も言わなかった。
ただ、目が合ったまま少しだけ待つような顔をして、それから先に教室を出ていった。
僕はその背中を見送りながら、ひとつ息を吐く。
逃げない。
今度こそ。
◇
呼び出した場所は、校舎裏の渡り廊下の先にある小さな中庭だった。
放課後になると人通りがかなり減る。
夕方の光がやわらかくて、風も少し静かで、話をするにはちょうどいい。
先に着いたのは僕だった。
今日はさすがに早く来すぎなかったけれど、それでも約束より十分前にはいた。
待っているあいだ、手のひらが少しだけ汗ばんでいるのが分かる。
ポケットに手を入れても落ち着かない。
結局また出して、空を見て、視線を足元へ落として、意味もなく呼吸の回数を数える。
(情けないな)
小さく思う。
でも、情けないくらいでちょうどいいのかもしれない。
これはたぶん、かっこよくやるものじゃない。
ちゃんと自分の気持ちを伝えるための時間だ。
「…待った?」
声がして顔を上げる。
ひよりがいた。
制服姿。
いつもと同じ制服姿のひより。
なのに、今日は妙に胸が苦しくなる。
「いや、今来たとこだよ」
反射で言ってから、自分で少しだけ笑いそうになる。
前ならこういうのも、感じよく見せるための嘘として自然に使っていたのだろう。
ひよりも同じことを思ったのか、少しだけ目を細めた。
「それ、たぶん嘘でしょ」
「…十分前くらい、かな」
「やっぱり」
「ごめん」
「だから何で謝るの」
そのやり取りが、ありがたかった。
少しだけ緊張がほどける。
でも、今日ここへ来た理由まではごまかせない。
ひよりもそれを分かっている。
軽口のあと、自然に空気が静かになった。
「話ってなに?」
ひよりが小さく言う。
「うん」
そこで一度、呼吸を整える。
言葉はもう決めてきた。
でも、決めてきた通りに話せる気はしない。
たぶん大事なのは、話す順番より、本音の方だ。
「…僕さ」
口を開く。
「前まで、本当にひどかったと思う」
ひよりは何も言わない。
ただ、ちゃんと聞いている顔をしていた。
「モテるの、楽しかったし」
「好かれてるのも気持ちよかったし」
「誰か一人を選ばなくても、何となくうまくやってる気になってた」
そこまで言ってから、自分でも嫌になる。
今さらだけど、本当にひどい。
それでも、そこを曖昧にしたままだと今日ここへ来た意味がない。
「やさしくしてるつもりだった」
「でも実際は、やさしいんじゃなくて、何も決めないで逃げてただけだった」
七海の泣き顔が浮かぶ。
しずくのキツイ言葉も。
ひよりの“誰も選ばないのは優しさじゃない”という言葉も。
「それで人を待たせて」
「傷つけて」
「自分でもあとから嫌になって」
「なのに最初は、そこまでちゃんと見てなかった」
ひよりが少しだけ視線を下げる。
でも、それはつらそうというより、僕の言葉を一つずつ受け取ってくれてる顔だった。
「それから、断ることを覚えた」
言葉を続ける。
「でも断るだけでも足りなかった」
「この世界だと、断るだけじゃ歓迎されないし」
「ただ受け入れるのも違うし」
「だから、自分で一線を引くことを覚えようとしてきた」
そこまで言って、ようやく少しだけひよりの目を見る。
「それで、やっと分かったんだと思う」
「…何が?」
ひよりの声は小さい。
でも、揺れていない。
「僕がずっと怖かったのって」
「嫌われることだけじゃなくて」
「誰か一人をちゃんと好きになることだった」
その一言を口にすると、胸の奥の何かがはっきりした形を取る。
好きになるのが怖かった。
それが、たぶん一番本当だ。
「好かれてる方が楽だった」
静かに続ける。
「選ばなくて済むし」
「責任もないし」
「本気で向き合わなくても、よかったから」
ひよりの指先が、制服のスカートの端を少しだけつまむ。
緊張しているときの癖なのかもしれない。
「でも、ひよりさんといると違った」
そこはもう、迷わず言えた。
「楽しいし」
「安心するし」
「それだけじゃなくて」
「ちゃんとしたいって思った」
「もっと知りたいって思った」
「笑ってると、うれしいし」
「照れてると、かわいいって思うし」
「一緒にいる時間が終わると、また会いたいって思う」
ひよりが、ほんの少しだけ息を止めたのが分かる。
でも、もう止まらなかった。
「それって、前までの僕が感じてたのと全然違うんだ」
ひよりを見る。
「好かれてるから気持ちいいんじゃない」
「ひよりさんだから、うれしい」
風が、中庭の木を少しだけ揺らした。
葉の擦れる音が、すごく遠く聞こえる。
ひよりはしばらく黙っていた。
その沈黙が、やけに長い。
でも、怖いのに目をそらしたくなかった。
「…ずるい」
ようやく、ひよりが小さく言う。
「何で」
「そうやって直接言われると」
「怒れないし、逃げられないし、ずるい」
その言い方に、少しだけ胸が軽くなる。
全部拒絶される空気ではない。
少なくとも今は。
「怒ってる?」
「少しは」
「遅いし」
「うん」
「ほんとに遅い」
「ごめん」
「そこは素直なんだ」
「今はちゃんと、そう思ってるから」
ひよりが少しだけ笑う。
でも、目の端は少し潤んでいた。
その表情が胸にくる。
ここで、もう一歩行かなければいけない。
たぶん、ここが一番大事な一歩だ。
「…ひよりさん」
「うん」
「僕、ひよりさんが好きなんだ」
言葉にした瞬間、自分でも少し驚くほどしっくりきた。
普通に。
たったその一言なのに、今までずっと遠かった場所がそこにある。
「資源として欲しがられるとか」
「特別扱いされるとか」
「守られるために囲われるとか、そういうのじゃなくて」
喉の奥が少しだけ熱い。
「ちゃんと一人の人として」
「ひよりさんを好きになって」
「ひよりさんにも、そういうふうに向き合いたい」
そこまで言って、もう逃げ道はないと思う。
でも、今の僕にはその方がよかった。
「だから」
ひとつ息を吸う。
「ひよりさんのこと、好きです」
世界が少しだけ静かになる。
「これからも、隣でずっと一緒に生きていきたい」
その言葉を出し切ったあと、胸のあたりが少しだけ軽くなる。
怖さは消えない。
でも、ごまかしていないぶん、前よりずっと息がしやすい。
ひよりは何も言わなかった。
ただ、両手をぎゅっと握って、少しだけ俯いている。
それが数秒続いて、僕はようやく自分の心臓の音がかなりうるさいことに気づく。
長い。
いや、実際にはそこまで長くないのかもしれない。
でも今の僕にはかなり長かった。
「…私も」
ひよりがようやく顔を上げる。
目が少し赤い。
でも、泣いているわけではない。
泣きそうなのをこらえて、ちゃんとこっちを見ている。
「凪くんのこと、好き」
その一言で、胸の奥が熱くなる。
「最初から、ちょっと気になってた」
「でも最初の凪くん、かなりだめだったから」
「そこ強調するね」
「するよ」
涙の手前みたいな顔で、それでもひよりは少し笑った。
「ちゃんと好きになるまで、すごい遠回りしたし」
「正直むかついたし」
「待たされてるって思ったこともある」
「うん」
「でも、ずっと見てたから」
その言葉が、またまっすぐ入ってくる。
「変わっていくの」
「少しずつ変わっていこうとしてるの」
「全部見てたから」
ひよりは一歩だけ近づく。
「待っててよかったって、今は思う」
その一言で、胸の奥の何かがほどけた気がした。
待っててよかった。
それは、たぶん今の僕が一番欲しい言葉だった。
「…ありがとう」
ひよりは少しだけ首を振る。
「ありがとう、じゃなくて」
「え」
「そこは、もっと別のこと言うとこじゃない?」
その言い方が少しだけいつものひよりに戻っていて、緊張がほどける。
でも、次の瞬間にはまたすぐ真剣な顔になった。
「あと」
「うん」
「遅い」
「知ってる」
「ほんとに遅い」
「はい」
「でも」
ひよりが、少しだけ笑う。
「ちゃんと言ってくれたから、許す」
その“許す”に、どうしようもなく胸がいっぱいになる。
気づけば、僕の方から一歩近づいていた。
ひよりも逃げない。
距離が少しだけ縮まる。
「…手」
ひよりが小さく言う。
「うん」
「つないでいいよ」
その許可が、妙にやさしい。
僕は少しだけためらってから、そっと手を伸ばす。
ひよりの手に触れる。
前みたいに偶然じゃない。
人混みの中のとっさでもない。
ちゃんと自分の意思で、つなぐ。
ひよりの指が、少しだけ震えている。
たぶん僕も同じくらい震えていた。
「…あったかいね」
ひよりが小さく言う。
「うん」
「今まで、何回も手が触れそうだったのにね」
「そうだね」
「やっとだ」
その“やっと”に、全部が詰まっている気がした。
僕たちはずっと遠回りしてきた。
好かれることと好きになることの違いが分かるまで。
曖昧さの痛みが分かるまで。
自分の意思を持つまで。
そして今、やっとたった一人に向き合うところまで来た。
夕方の光はやわらかく、二人の影が少しだけ長く足元へ伸びていた。
世界はまだ何も変わっていない。
男が資源であることも、簡単には消えない。
それでも今この瞬間だけは、僕たちはただの男の子と女の子みたいに立っている気がした。
それが、たまらなくうれしかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




