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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第5章

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45/50

「比良坂しずくは、言葉にする」

 


 帰り道は、妙に静かだった。


 別に周囲の音が消えたわけじゃない。

 部活帰りの声も、廊下を走る足音も、窓の外から聞こえる運動部のかけ声も、全部ちゃんとある。


 でも、自分の中の何かが一つきれいに終わったあとの静けさがあった。


 勝った、という感じではない。

 玲那を言い負かした、とも思わない。

 あの人は最後まで玲那のままだったし、あの人なりの強さを失ったわけでもない。


 ただ、もう行き先が違うとはっきり分かった。


 欲しいものを手に入れる。

 価値の高いものを囲う。

 奪われる前に確保する。


 そういう愛し方の中へ、僕は行かない。


 それだけだった。

 でも、その“それだけ”が今までの自分には難しかったのだとも思う。


 教室へ戻らず、そのまま渡り廊下の方へ歩いた。

 少し風に当たりたかったし、頭の中を整理したかった。


 窓の外は夕方の色に変わり始めていて、空の青が少し薄くなっている。

 渡り廊下の先には人影が少なく、静かな光だけが伸びていた。


 そこで、壁にもたれず、窓の桟に指先だけを置いて立っている姿が見えた。


 比良坂しずくだった。


 またか、と思う。

 でも最近は、こういう“ちょうどいいところにいる”感じにも少し慣れてきた。


「…いると思った」


 僕が言うと、しずくは振り向かずに返した。


「いたよ」


「なにそれ」


「事実確認」


 相変わらずだ。

 でも、その相変わらずが今はありがたい。


「玲那と話してたでしょ」


 やっぱり見ていたらしい。


「見てたの?」


「少しだけ」


「盗み聞き」


「違う」

「聞こえる位置にいたのが悪い」


 それを盗み聞きと言うのでは、と思ったけれど、今はそこを争う気にもなれなかった。


「終わったっぽい顔してる」


 しずくがこちらを見て、短く言う。


「っぽいって」


「完全にすっきりした顔じゃない」

「でも前みたいに引きずってる感じでもない」

「だから終わったっぽい」


 言い方は雑なのに、妙に正確だ。


「…終わったんだと思う」


 僕はしずくの少し離れた壁に背を預ける。


「少なくとも、僕の中では」


「うん」


「玲那のことを嫌いっていうのとも、ちょっと違うんだよね」


「そうだろうね」


「強いし、きれいだし、分かりやすいし」

「この世界ではたぶん、すごく正しい側にいる人なんだと思う」


「うん」


「でも、あの人の欲しがり方の中に、僕が欲しかったものはなかった」


 言葉にしてみると、かなりしっくりくる。


 そうだ。

 僕は別に、玲那の熱量が怖かっただけじゃない。

 欲しがられること自体が嫌だったわけでもない。


 その欲しがり方が、僕を“モノ”として見ていたからだ。


 しずくは少しだけ目を細めた。


「ようやく、そこまで言えるようになったんだ」


「前から分かってたんじゃないの」


「分かってたのと、東條が言えるのは別」


 その通りだった。


 前は、もやもやと嫌だった。

 苦しかった。

 でも、何がどう嫌なのか、きれいには言えなかった。


 でも、今は少し違う。


「東條」


 しずくが、窓の外を見たまま言う。


「ここまで来て、やっと一本につながった感じする」


「何が」


「最初から今までのこと」


 その言葉に、僕は少し黙った。


 最初から今まで。


 たしかに、ここまでの道筋はかなり長かった気がする。

 最初はただモテて気持ちよかった。

 誰にも嫌われず、誰も選ばず、うまくやっているつもりだった。


 それが七海の涙で崩れて、断る痛みを知って、不自由さにぶつかって、保護局の考え方を知って、ようやく今、“自分の意思を持つ”ところまで来ている。


「東條ってさ」


 しずくが続ける。


「最初はかなりひどかったじゃん」


「言い方」


「事実でしょ」


「まあ…否定はしないけど」


「うん。ひどかった」

「モテるの楽しいです、好かれてるの気持ちいいです、誰も選びません、でも嫌われたくないです、って顔してた」


「そこまで顔に出てた?」


「出てた」


 思わず苦笑する。


 でも、そのくらいだったのだろう。

 今振り返ると、自分でもかなり未熟だったと思う。


「で、七海の件で初めて止まった」


「うん」


「そのあと、断ることを覚えた」

「でも断るだけじゃ、今度はこの世界では生きづらいと知った」

「だから次は、一線を引きながら受けることを覚えた」


 しずくの言葉は、いつもながら変に飾りがない。

 でもそのぶん、本音がよく見える。


「恋愛でぐちゃぐちゃになってるように見えて」

「実際はずっと、“人としてどう扱われるか”の話をしてたんだよ」


 その一言で、胸の奥の何かが静かに落ちる。


 人としてどう扱われるか。


 たしかに、そうだった。


 誰かに好かれるとか、誰かを断るとか、表面だけ見れば全部恋愛の話だ。

 でも、その奥でずっと引っかかっていたのは別のものだった。


 男だから。

 希少だから。

 資源だから。

 守られるべきだから。

 囲われる価値があるから。


 そうやって、“人として”より先に“役割として”見られることへの息苦しさ。


「…僕、別に世界を変えたいとか思ってたわけじゃないんだよね」


 ぽつりと言う。


「うん」


「革命とか、男の権利がどうとか、そういう大きなことじゃなくて」

「ただ、ちゃんと一人の人間として見てほしかっただけで」


「そう」


 しずくは短く頷いた。


「東條が欲しかったのは、特別扱いじゃなくて普通の恋だったってこと」


 その言葉は、今まで聞いたどの整理よりもしっくりきた。


 特別扱いじゃなくて普通の恋。


 この世界でそれを望むこと自体が、たぶんかなり面倒だ。

 でも、僕が最初からずっと欲しかったのはそこなのだと思う。


 特別に守られたいわけじゃない。

 価値が高いと思われたいわけでもない。

 囲われたいわけでも、奪い合われたいわけでもない。


 ただ、普通に誰かを好きになって、普通に好きになられたかった。


「…ひよりさんって、たぶん最初からそこにいたんだよね」


 自然にそう口に出る。


 しずくが、ほんの少しだけ口元を動かした。


「いたね」


「僕だけが、ずっと遠回りしてた感じ」


「かなり遠回りしてた」


「ひどいな」


「でも必要な遠回りだったんじゃない?」


 その言い方は、しずくらしからぬやさしさを含んでいた。


「最初から東條がひよりのとこにまっすぐ行ってても、たぶんちゃんと見えてなかったよ」


「…そうかも」


「好かれてる自分に酔ってたからね」


「痛いところばっか言うなあ」


「役目なので」


 役目。

 たしかに、この人はずっとそういう役目だった。


 きついことを言う。

 逃げ道を塞ぐ。

 でも、その先でようやく見えるものをちゃんと見せる。


 たぶん僕は、この人の言葉に何度も助けられてきたのだと思う。


 玲那との決着もついた。

 澪からは送り出された。

 ひとえとも一歩進んだ。

 そして今、しずくがここまでを言葉にしてくれた。


 残っているのは、たぶんいちばん怖かったものだ。


 好きになること。

 たった一人を見ること。

 好かれていたい自分じゃなくて、好きでいたい自分を選ぶこと。


「…怖いんだけど」


 思わず本音が漏れる。


 しずくは少しだけ目を細めた。


「知ってる」


「それでも、たぶんもう逃げたくない」


「それも知ってる」


 その返しが、なぜだか少しうれしい。


「比良坂さんって」


「何」


「ほんと、最初から最後まで見てるね」


 しずくはすぐには返さなかった。

 少しだけ窓の外を見る。


「見てたよ」


 短いけれど、それで十分だった。


「まあ、途中かなりひどかったけど」


「最後にそれ入れる?」


「事実だから」


 思わず少し笑う。

 しずくも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 風が、渡り廊下を抜けていく。

 夕方の光が白く伸びて、窓の端で少しだけ揺れた。


 僕はその光を見ながら、ようやく少しだけ分かった気がする。


 ここまでの物語は、恋の話だった。

 でもそれだけじゃなかった。


 “特別な男子”として扱われる世界で、“普通の一人の人間”として立ちたかった話でもあった。


 だから、ここまで苦しかった。

 だから、ここまで遠回りした。

 そして、その先でようやく、ひよりのところまで来た。


「…ありがとう」


 小さく言うと、しずくは一瞬だけこっちを見た。


「何が」


「言葉にしてくれて」


 しずくは少しだけ考えるみたいに目を逸らしてから、短く返した。


「どういたしまして」


 珍しい返しだった。


「今の、けっこうレアじゃない?」


「うるさい」


 でもその“うるさい”も、前より少しやさしい気がする。


 しずくは本を抱え直すと、そのまま歩き出した。

 途中で一度だけ立ち止まって、振り向かずに言う。


「ちゃんと好きになりなよ」


「…うん」


「そこまで来たんだから」


 それだけ言って、今度こそ行ってしまった。


 一人残された渡り廊下で、僕はしばらく動かなかった。


 ちゃんと好きになる。


 その言葉は、ここまでのどんな拒絶よりも重くて、そして今の本当の気持ちだった。


 ひよりの顔を思い出す。

 笑った顔。

 照れた顔。

 少し厳しい目。

 まっすぐな声。


 胸の奥が、静かに熱くなる。


 もう、この気持ちをごまかしたくなかった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

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