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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第5章

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「条件付きの受容」

 


 保護局へ向かう廊下は、相変わらずきれいすぎるくらい静かだった。


 白い壁。

 床に落ちる午後の光。

 遠くで扉が閉まる音だけが小さく響いて、すぐに消える。


 この場所は、いつ来ても少しだけ息が詰まる。

 誰かが怒鳴るわけじゃない。

 圧をかけてくる空気が露骨にあるわけでもない。


 ただ、ここでは何もかもが整いすぎている。

 正しい言葉も、正しい手順も、正しい配慮も、全部そろっていて、そのぶん自分の感情だけが少し浮く。


 でも今日は、前回までと少しだけ違った。


 嫌だ、だけでは終わらせない。

 受け入れたくない、だけでも終わらせない。

 どこまで受けて、どこから先は譲らないか。それを自分で持ってくる。


 そう決めて来ていたからだ。


 案内された部屋の前で立ち止まり、軽く息を吐く。

 ノックをすると、すぐに返事があった。


「どうぞ」


 入る。


 中には、いつもの二人がいた。


 鷹宮ひとえ。

 霧島紗世。


 ひとえはまっすぐにこちらを見ていて、紗世は机の上の端末に指を置いたまま、静かに視線を上げた。

 どちらも落ち着いている。

 それだけで、また少しだけ肩に力が入る。


「座ってください」


 ひとえに促され、向かいの椅子へ座る。


 机の上には前回の資料がまとめて置かれていた。

 通学ルートの固定。

 単独行動の制限。

 接触調整。

 滞在場所の指定。


 全部受ければ、たぶん楽になる。

 でもその楽さの先へ、僕はもう何も考えずには進めない。


「本日は、前回提案した保護強化案について、東條くんの意思を確認するための面談です」


 紗世が淡々と言う。


 その言い方は変わらない。

 けれど今日は、聞く側の僕が少し違う。


「はい」


 自分でも分かるくらい、声は前より落ち着いていた。


「ご検討いただけましたか」


 ひとえが続ける。


 僕は一度だけ頷いてから、言葉を選ぶ。


「…はい」


 少しだけ、間を置く。


「すべては受け入れられません」


 部屋の空気が、ほんの少しだけ静かになる。


 それは驚きではないのかもしれない。

 でも、このあと僕が何を言うかを待つ静けさだった。


「ただ」


 続ける。


「すべてを断るつもりでもありません」


 ひとえの目が、わずかに細くなる。

 紗世は表情を変えないまま、ただ先を促すように視線を置いている。


「危険なルートの回避とか」

「接触が集中しやすい時間帯の調整とか」

「そういう、安全のための工夫なら受けるつもりです」


 言いながら、自分の手が机の下で少しだけ緊張しているのが分かる。


「でも、放課後の単独行動を全部制限されたり」

「校内での滞在場所を常に指定されたり」

「連絡のたびに、全部支援担当経由になるのは受け入れたくないです」


 そこまで言ってから、ようやく小さく息を吐いた。


 前なら、こういう場ではもっと“嫌です”の感情が先に出ていたと思う。

 でも今は、嫌だと思う気持ちをちゃんと整理して、“何がどこまで嫌なのか”を言葉にしたかった。


 それが境界線なのだと、少しずつ分かり始めている。


 紗世が先に口を開く。


「…一部条件付き受諾、という理解でよろしいですか」


「はい」


「全面的な拒否ではない、と」


「そうです」


 そこははっきり言う。


 全部を拒むつもりはない。

 守られること自体を否定したいわけじゃない。

 ただ、守られるという名目ですべての選択を預ける形にはしたくない。


 その違いだけは、今の僕にはかなり大きかった。


「理由を聞いても?」


 ひとえの声は静かだった。


「もちろんです」


 僕は頷く。


「僕、最近やっと少しだけ、自分で決められるようになってきたんです」


 言いながら、自分でも少しだけ不思議な感じがした。

 “自分で決める”なんて、当たり前のことのはずなのに、この世界ではそれをこうして説明しないといけない。


「前までは、何でも曖昧にしてました」

「感じよく返して、断らないで、その場を丸くおさめて」

「その方が楽だったし、好かれてる感じも気持ちよかったから」


 ひとえも紗世も何も言わない。

 ただ、ちゃんと聞いている。


「でもそれだと、期待を待たせるし、傷つけるし、僕自身も後から全部嫌になるって分かりました」


 七海の涙が、一瞬だけ頭をよぎる。

 忘れないために、あえて思い出す。


「だから、断ることを覚えました」

「ただ、それだけだと今度は生きにくくなるのも分かりました」


 断れば静かになる。

 歓迎はされにくくなる。

 話しかけにくい男子になる。

 玲那みたいに、拒絶を価値に変える人間もいる。


「だから」


 机の上の資料を見る。


「必要な保護まで全部拒むつもりはありません」

「でも、全部を身の安全の方へ寄せると、たぶん僕が僕じゃなくなる」


 少しだけ、部屋の空気が揺れた気がした。

 それは気のせいかもしれない。

 でも、僕にとってはここが今日いちばん大事な言葉だった。


「僕が僕じゃなくなる、とは?」


 紗世が聞く。


「自分で決める感覚がなくなる、ってことです」


 その答えは、思っていたよりすぐに出た。


「どこへ行くか」

「誰とどのくらい関わるか」

「何を受けて、何を断るか」

「そういうのを全部“安全のためだから”って」

「たぶん、今までやっと作ってきた距離感まで消える気がする」


 ひとえがそこで、ほんの少しだけ視線を落とした。


 考えているのだろう。

 制度の側の人間としてではなく、少しだけ個人として。


「…なるほど」


 紗世が静かに頷く。


「東條くんが求めているのは、保護の拒否ではなく、保護と自律の線引きですね」


「たぶん、そうです」


 僕も少しだけ頷く。


 そうだ。

 欲しいのはそこなのだ。


 保護されない自由ではなく、

 全部預ける安全でもなく、

 その間にある、自分の考えを残しておきたい部分。


「率直に言います」


 ひとえが口を開いた。


「制度上、その立ち位置は非常に難しいです」


 思わず、少しだけ笑いそうになる。


「…やっぱりそうですよね」


「はい」


 ひとえはまったくごまかさなかった。


「すべて預けてくれる方が、守る側としては明らかに管理がしやすい」

「一方で、すべて拒否する方も、ある意味では判断が簡単です」

「ですが東條くんの希望は、そのあいだにあります」


「うん」


「それは最も大変で面倒なことです」


 ここまできっぱり言われると、逆に少しだけ気が楽になる。

 きれいな配慮で包まれるより、よほどましだ。


「でも」


 ひとえはそこで少しだけ声の温度を変えた。


「面倒であることと、不当であることは同じではありません」


 その一言に、胸の奥のどこかが少しだけ動いた。


 面倒だ。

 扱いづらい。

 制度と相性がいいわけではない。


 でも、それは不当ではない。


 その区別を、ちゃんと言ってもらえた気がした。


「…ありがとうございます」


 自然にそう言うと、ひとえはわずかに目を細めた。


 紗世が端末を操作しながら続ける。


「こちらとしては再度、調整案を組み直します」

「ただし、あなた希望をすべて反映できる保証はありません」


「分かってます」


「また、本人の意思を残す分、自己判断に伴う責任も増えます」


「それも分かってます」


 ここは、たぶん軽く返してはいけないところだった。


 自分で決めるということは、失敗したときに誰かのせいだけにはできないということだ。

 その重さも込みで選ぶ必要がある。


「東條くん」


 ひとえが静かに言う。


「あなたは今、かなり困難な道を歩もうとしています」


「はい」


「自覚はあります」


 そう返すと、ひとえの口元がほんのわずかに動いた。


「ですが、それは“何もかも拒絶する”より、ずっと好ましい選択です」


 前にも似たことを言われた気がする。

 でも今は、その言葉が前より少し真っ直ぐに入ってきた。

 たぶん褒め言葉なのだろう。


「…それ、褒めてます?」


 少しだけ聞くと、ひとえはあっさり答えた。


「はい」


「珍しいですね」


「珍しいことをしているのは東條くんの方です」


 その返しに、ほんの少しだけ場の空気がやわらぐ。


 正論ばかりでできていた部屋に、少しだけ人の温度が入る。

 その感覚が、前よりちゃんと分かるようになっている自分の成長にも気づいた。


 ◇


 面談が終わり、保護局の建物を出る。


 外の空気は少しだけ乾いていて、曇り空の下でも広かった。

 深呼吸すると、室内に溜まっていた緊張がゆっくりほどけていく。


 全部うまくいったわけじゃない。

 希望がそのまま通ったわけでもない。

 まだまだこれから細かい調整はあるのだろう。


 でも少なくとも、“全部受けるか全部断るか”の二択ではなくなった。


 その事実だけで、前より少しだけ呼吸がしやすい。


「…条件付き、か」


 小さく呟く。


 前の僕には、その発想自体がなかったのかもしれない。

 好かれるか、嫌われるか。

 受けるか、断るか。

 そういう極端な方へ、気持ちごと流されていた。


 今は少し違う。


 全部を受けなくてもいい。

 全部を拒まなくてもいい。

 その代わり、自分で決める。

 その面倒さを、引き受ける。


 校舎へ戻る途中、中庭の端にひよりの姿が見えた。

 ベンチの横に立って、ペットボトルの蓋を閉めたところだった。


 こっちに気づくと、小さく手を上げる。


「おつかれ」


「…見つけるの早いね」


「来るかなって思ってた」


 最近、本当にみんな待ち伏せが好きだなと思う。

 でも、ひよりに言われるとそこまで嫌じゃない。


「どうだった?」


 まっすぐ聞いてくる。

 でも、“答えたくなければ答えなくていい”という逃げ道も少し残した聞き方だった。


「うまくいった…っていうほどではないけど」


 僕はベンチの背に軽く手を触れながら答える。


「全部かゼロか、ではなくなった」


 ひよりは一瞬だけ目を丸くして、それから少し笑った。


「へえ」


「へえって何」


「いや、ちゃんとそこまで考えてるんだなって」


 その言い方には、少しだけ感心した温度があった。


「前の凪くんなら、たぶん“嫌です”か“もういいです”のどっちかだったでしょ」


「ひどい言い方するなあ」


「でもそうじゃん」


「否定はしないけど」


 僕がそう言うと、ひよりはペットボトルを両手で持ちながら少しだけ首を傾けた。


「それで、今は?」


「今は…」


 少し考える。


「面倒だけど、前よりちゃんと自分で決めてる感じがする」


「うん」


「全部預けて楽になるのも違うし」

「全部拒絶して疲れるのも違うし」

「その間を選ぶ方が、たぶん今の僕には合ってる」


 ひよりはじっと聞いていた。

 それから、小さく笑う。


「やっぱり、ちょっと自然になったね」


 またその言葉だ。

 でも今度は、朝よりも少しだけうれしかった。


「…自然って便利な褒め方だね」


「便利だよ」


「雑とも言う」


「でも伝わってるでしょ」


 たしかに伝わっていた。


 格好よくなった、とか。

 強くなった、とか。

 そういう言い方じゃない。


 ただ、前より自然。

 それはたぶん、“人として無理のない場所へ少し近づいた”みたいな意味なのだと思う。


「ひよりさん」


「なに」


「ありがとう」


「何が?」


「たぶん、前よりちゃんと見てもらってる感じがする」


 言ってから少し照れくさくなる。

 でも、今さら変にごまかすのも違う気がした。


 ひよりは少しだけ目を瞬かせて、それから視線を外した。


「…見てるよ、そりゃ」


 その返し方が少しだけ照れていて、僕の方まで変に落ち着かなくなる。


「一番近くで見てるのかも」


 続けたその一言は、思ったより小さかった。


 でも、はっきり聞こえた。


 胸の奥が少しだけあたたかくなる。

 前なら、そのあたたかさを“好かれてる”として気持ちよく受け取っていたかもしれない。

 今は違う。


 ひよりが見ていてくれること自体が、ただうれしい。


「…そっか」


 うまく返せたのは、それだけだった。


 ひよりはそこで、少しだけ笑う。


「うん」


「じゃ、今日はそのくらいで満足しといてね」


「何それ」


「褒めすぎると調子に乗るでしょ」


「ひどい」


「今さらだよ」


 そのやり取りが妙に心地いい。


 強すぎない。

 甘すぎない。

 でも、ちゃんと近い。


 たぶん、こういう時間の積み重ねで、人は誰か一人を好きになるのだろうと思う。


 夕方の光はやわらかくて、校舎の白い壁に少しだけ淡く反射していた。


 全部を拒絶するだけでは、もういられない。

 でも、全部を預けるつもりもない。


 そのあいだを、自分で決めて歩く。


 今日の面談でできたのは、たぶんその最初の実践だった。


 そしてそのあとで、こうしてひよりと話している時間がある。


 それだけで、前より少しだけ、自分の選んだ道が間違っていない気がした。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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