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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第4章

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35/50

「水無月ひよりは、変わっていく」

 


 しずくと別れたあと、僕はしばらく中庭の端を一人で歩いた。


 頭の中には、さっきの言葉がまだそのまま残っている。


 **この世界は、男子の意思を尊重するより、男子を安定供給する方を優先してる。**


 ひどい言い方だと思う。

 でも、ひどいくらいに分かりやすかった。


 前の僕はたぶん、その社会構造にうまく乗っていた。

 好かれやすくて、扱いやすくて、やわらかい男子。

 今の僕はそこから少し外れて、歓迎されにくい場所へずれている。


 だから苦しい。

 だから静かになる。

 だから保護局の善意も、玲那の欲望も、みんな違う形で僕を囲おうとする。


 そこまで状況を整理されると、少しだけ呼吸はしやすい。

 でも、そのぶん世界の形が前よりはっきり見えてしまって、余計にしんどくもなる。


「凪くん」


 名前を呼ばれて顔を上げる。


 中庭の自販機のところに、ひよりが立っていた。

 片手にペットボトルを持っていて、もう片方の手を軽く上げる。


「珍しいね、外をうろうろしてるの」


「今日は少しだけ教室にいたくなくて」


「分かる」


 ひよりはそれ以上追及せず、こっちへ歩いてくる。

 そのあたりの温度が、いつもありがたい。


「今、いい?」


「うん」


「じゃあ少しだけ付き合って」


 僕は頷いて、ひよりと一緒にベンチの方へ向かった。


 前にも何度か座った場所。

 木陰になっていて、人の気配はあるけれど少し遠い。

 この“遠すぎないけど聞かれにくい”距離が、最近の僕にはちょうどいい。


 二人で腰を下ろす。

 すぐには話さず、ひよりがペットボトルの蓋を開けて一口飲む音だけが小さく響く。


「最近さ」


 先に口を開いたのは、ひよりの方だった。


「何か、前まで普通だったことが、ちょっと変に見えるんだよね」


 その一言に、僕は少しだけ視線を上げる。


「変に見える?」


「うん」


「例えば?」


 ひよりはすぐには答えなかった。

 少し考えるみたいにボトルのラベルを指先でなぞってから言う。


「前はさ、男子って守るものだって普通に思ってたの」


「…うん」


「だってそういうふうに教わるし、周りもみんなそういう感じだし」

「大事にするのが当然で、危ないことから遠ざけるのが正しいって」


 僕は黙って聞く。


 それは、この世界の当たり前だ。

 男は希少で、資源で、守るべき存在。

 そのこと自体に、ひよりが前まで疑問を持っていなかったのも自然だと思う。


「でも最近」


 ひよりが続ける。


「それって“守る”っていうより、“囲う”に近いんじゃないかって思うようになってきた」


 その言葉に、しずくの言っていた“安定供給”が頭をよぎる。


 守る。

 囲う。

 言葉は違うけれど、境目は案外あいまいだ。


「何でそう思ったの」


 僕が聞くと、ひよりは少しだけ困ったように笑った。


「たぶん、凪くんを見てるから」


「僕?」


「うん」


「前の凪くんって、何ていうか」

「好かれて、気を遣われて、でもその中にずっと息苦しそうなとこもあったじゃん」


「…あったかも」


「今は今でしんどそうだけど」

「でも、少なくとも“いやなものをいやって言ってる”感じはする」


 その言葉に、少しだけ胸がざわつく。


 いやなものを、いやって言う。

 そんな当たり前のことが、この世界では前よりずっと大きい意味を持つ。


「前は、凪くんが嫌がってるのか、困ってるのか、正直よく分かんなかった」


 ひよりは正直に言う。


「だって、ずっと優しかったし」

「何でもそれっぽく受け取って、うまく逃がしてる感じだったから」


「ひどいな」


「今さらだよ」


 そう言いながら、ひよりは少しだけ笑った。

 その笑いに悪意はない。


「でも、今は分かる」


「何が?」


「凪くんが、嫌なものは嫌なんだなって」


 その一言が、妙に静かに残る。


 前の僕は、自分でもよく分からないまま優しく流していた。

 嫌なのか、嬉しいのか、惜しいのか、面倒なのか。

 全部をごちゃごちゃのまま、感じのいい顔だけしていた。


 今は違う。

 少なくとも、“いやなものはいや”が少しずつ外へ出るようになった。


 その変化を、ひよりは見ていたのだ。


「それ見てるとさ」


 ひよりは足元へ視線を落とす。


「今までの“守る”って、もしかして本人の嫌とか苦しいとかを、あんまり聞かないまま進んでたのかなって思う」


 それは、この世界へのかなり大きな疑問だった。


 でも、ひよりの口から出ると、急に実感のある言葉になる。


 政治とか制度とか、そういう大きな話じゃなくて。

 “本人の嫌を聞いていなかったのでは”という、とても人間の近い話になるからだ。


「…変わったね」


 思わずそう言うと、ひよりは少しだけ肩をすくめた。


「凪くんに言われたくない」


「たしかに」


「でも、見ちゃったから」


 ひよりは静かに続ける。


「前みたいに、男子は守られて当然ってだけでは、もう見られない」

「だって、その“守る”の中で、凪くんは普通に苦しそうだったし」


 その言葉が、少しだけうれしかった。


 うれしい、という言い方が合っているのかは分からない。

 でも少なくとも、自分の苦しさが“ただのわがまま”として処理されていないことに救われる感じがした。


「…僕の拒絶って、そんなに外に出てたんだ」


「出てるよ」


 ひよりは即答した。


「凪くん、自分で思ってるより分かりやすいから」


「それ前もしずくさんに言われた」


「じゃあ本当なんでしょ」


 たしかにそうだ。


「でも、ただ孤立してるだけだと思ってた」


 僕はぽつりと言う。


「断ることで空気が変わって、話しかけづらくなって」

「それで終わりなんだろうなって」


「終わってないんじゃない?」


 ひよりはペットボトルを膝の上に置いた。


「少なくとも私は、前よりいろいろ考えるようになった」


「…僕のせい?」


「せいっていうか、影響」


 少しだけ、やわらかく言い直す。


「凪くんが嫌がるの見たら」

「それまで普通だと思ってたものを、そのまま普通とは思えなくなっただけ」


 影響。

 その言葉が、意外なくらい重かった。


 僕が拒絶して、空気が変わって、歓迎されなくなって。

 それはたぶん僕自身を苦しくしている。

 でも、同時に誰かの“当たり前”を少しだけ揺らしているのかもしれない。


 それは、思っていなかった形の手応えだった。


「…何か」


 僕は少しだけ空を見上げる。


「ちょっとだけ救われるかも」


「何が?」


「ただ場を乱してるだけじゃないって分かるの」


 ひよりはその言葉を聞いて、小さく頷いた。


「うん」


「もちろん、誰かを困らせてるのも本当だけど」

「でも、今まで通りでいいって思ってた人が、少しでも“変かも”って思うなら」

「それって全部無駄でもないのかなって」


 そこまで言うと、ひよりは少しだけ目を細めた。


「たぶん、そういうのを変化って言うんじゃない?」


「大げさだな」


「大げさかな」


「僕一人でそんな」


「一人じゃなくても、きっかけにはなるでしょ」


 その返しは、妙にひよりらしかった。


 革命とか、世界を変えるとか、そういう大きな言い方はしない。

 でも、小さな違和感が広がることの意味はちゃんと信じている。


「今までの普通が、少しだけ変に見える」


 ひよりが静かに言う。


「それって、たぶんすごく小さいけど、無駄じゃないから」


 その言葉は、今日聞いたどの理屈よりもやわらかくて、それでいてちゃんと残った。


 無駄じゃない。


 この数週間で僕がやってきたことは、

 空気を悪くして、

 話しかけにくいと思われて、

 歓迎されなくなって、

 ただ自分が生きにくくなっただけだと思っていた。


 でも、無駄じゃない。


 少なくとも、ひよりの中では何かが少し変わった。

 その事実だけで、全部が少しだけ違って見える。


「…ひよりさんも、しんどくない?」


 ふと、そんなことを聞いていた。


「何が?」


「今まで普通だと思ってたものが変に見えてくるのって」

「結構きついでしょ」


 ひよりは一瞬だけ目を丸くした。

 それから、小さく笑う。


「優しいこと言うじゃん」


「今の流れでそうなる?」


「なるよ」


 少し笑ってから、ひよりはちゃんと答えた。


「きついよ。普通に」

「だって、今まで疑わずにいたものを、急にそのままでは見られなくなるってことだし」


「うん」


「でも、その方がたぶんちゃんと物事を見てるってことなんだと思う」


 ちゃんと見る。

 最近、その言葉がいろんな形で自分の周りに現れる。


 誰か一人をちゃんと見る。

 自分の欲しさをちゃんと見る。

 社会の構造をちゃんと見る。


 たぶん僕は今、その“ちゃんと見る”の途中にいるのだ。


 だから、前よりしんどい。

 でも、前より本当でもある。


 予鈴が鳴る。


 昼休みが終わる合図に、ひよりは立ち上がった。

 僕も少し遅れて立ち上がる。


「戻ろ」


「うん」


 教室への短い道を並んで歩きながら、ひよりがぽつりと言う。


「変わったの、凪くんだけじゃないのかもね」


 その一言に、僕はすぐには返事ができなかった。


 でも、たぶん本当だった。


 僕が拒絶したことで、僕自身が歓迎されなくなったことで、少しだけ見えるものが変わった人もいる。


 全部がよくなるわけじゃない。

 むしろしばらくは苦しいままだろう。

 それでも、僕がやってきたことは無駄じゃない。


 そのことを知れただけで、今日の空は少しだけ軽く見えた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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