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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第4章

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34/50

「比良坂しずくは、社会を説明する」

 


 神代玲那と別れたあと、帰り道の景色は妙に平たく見えた。


 駅前の人の流れも、信号待ちの列も、コンビニの明かりも、全部いつも通りのはずなのに、頭の中だけがずっとざらついている。


 **欲しい側は、折れるのを待ったりしない。**


 玲那の言葉が、何度も浮かんでは沈んだ。


 断る。

 線を引く。

 隙を残さない。

 そこまでは、この数週間でやっと形になってきた。


 でも、その先はどうだ。


 断れば静かに引く人もいる。

 傷ついて終わる人もいる。

 でも玲那みたいに、拒絶そのものを価値に変える人間もいる。


 だったら、何なんだろう。


 ちゃんと断ればいい、で終わる話じゃない。

 でも、だからといって曖昧に戻るのも違う。

 保護局は歓迎しない。

 教室では話しかけにくいと言われる。

 玲那は引かない。

 澪さんの部屋はやさしすぎる。


 どこを向いても、少しずつ息苦しい。


(…僕、何に悩んでるんだろうな)


 そんなことを思ったのは、その日の夜、机に突っ伏したままノートも開けずにいたときだった。


 何に悩んでいるのか。

 誰と戦っているのか。

 そもそも戦うって言葉が合っているのかも分からない。


 ただ一つ分かるのは、最近の苦しさが“僕の会話の下手さだけ”では説明しきれなくなってきたことだった。


 ◇


 翌日の昼休み、僕はいつものように教室から少し早めに出た。


 人の少ない場所へ行きたかった。

 何かを食べたいというより、少し静かなところで呼吸を整えたかった。


 階段を下りて渡り廊下へ向かう。

 窓の外は薄く晴れていて、グラウンドの隅には体育の授業らしい集団が見えた。

 そのまま中庭の端へ出ようとしたところで、窓際に立つ見慣れた姿が目に入る。


 比良坂しずくだった。


 壁にもたれず、ただ窓の桟に片手を置いて外を見ている。

 こっちに気づいているのかどうか分からない横顔。


 でも、この人の場合、気づいていないように見えてたいてい気づいている。


「…何してるの」


 声をかけると、しずくは振り向きもせずに言った。


「東條待ち」


「最近みんなそれ好きだね」


「東條が分かりやすく一人になるから」


 返しが早い。

 そしてちょっと腹が立つくらい正しい。


「用事?」


「うん」


 しずくはそこでようやく振り返った。


「最近の東條、中途半端に浮いてるから」


 会って二言目でそれを言う人は、この人くらいだと思う。


「…言い方」


「事実でしょ」


「事実でも、もう少し言い方ってものがあるでしょ」


「やさしい言い方にすると、また東條が逃げるから無理」


 返す言葉がなくなる。


 しずくは僕のそういうところを、ほんとうによく見ている。

 見ているし、逃がさない。


「浮いてるって、どういうこと」


 僕が聞くと、しずくは小さく肩をすくめた。


「そのまま」

「好かれやすい立ち位置からは降りた」

「でも、嫌われて完全に外へ出たわけでもない」

「制度には守られてる」

「でも、歓迎はされてない」


 最後の一言で、胸の奥が少しだけ重くなる。


 歓迎はされてない。

 昨日、保護局で聞いた言葉にも近い感覚だった。


「…それ、自分でも分かってる」


「うん。だから話が早い」


「話って何」


「東條が今どこにいるかの状況整理」


 しずくらしい言い方だと思う。

 相談でも慰めでもなく、状況整理。


 僕は窓際の反対側の壁に寄りかかる。

 この人と話すときは、立ったままの方が少し楽だ。

 座ると、妙に長くなる気がするから。


「じゃあ、状況を整理して」


「了解」


 しずくは本当にそういう役に入ると、声の温度が少しだけ変わる。

 冷たいわけじゃない。

 ただ、余計な感情を混ぜずに物事を並べるための声になる。


「まず」


 人差し指を軽く立てる。


「この世界は、“受け入れやすい男子”を前提にできてる」


「…前提」


「うん」


「好かれやすくて」

「扱いやすくて」

「管理しやすい男子」


 その三つを並べられると、思っていた以上に生々しい。


「それって、そんなに露骨?」


「露骨だよ」


 しずくは即答する。


「東條、今まで気づいてなかっただけで、かなり露骨」

「学校だってそう」

「保護局だってそう」

「男の意思を尊重してるように見せつつ、実際には“自分たちにとって都合がいいか”をかなり重視してる」


 その言い方には、昨日の保護局で感じた息苦しさとぴったり重なるものがあった。


 自由はある。

 でも、歓迎はされない。

 受け入れやすい男子の方が、守る側にとっては都合がいい。


「…つまり」


 僕はゆっくり言う。


「前の僕の方が、この世界と相性よかったってこと?」


「うん」


 ためらいなく頷かれる。


「前の東條は、だいぶ相性よかった」

「やさしく見えて」

「好意も受け取りやすくて」

「周囲も近づきやすい」

「制度側から見ても、管理しやすい希少な男子」


 言われて、少しだけ胃のあたりが重くなる。


 前の僕は、この世界に合っていた。

 でもその“合っていた”の中には、僕の曖昧さとずるさもかなり含まれている。


「じゃあ今の僕は?」


「相性悪い」


 また即答。


「かなり」


「…そこは即答なんだ」


「そこが今回の本題だから」


 しずくは窓の外へ一瞬だけ視線をやってから、またこっちを見る。


「今の東條は断る」

「隙を減らす」

「近づきすぎる相手には一線を引く」


「うん」


「それ自体は間違ってない」


「うん」


「でも、この世界からすると“話しかけにくい男子”になる」


 しずくの言葉は、前に教室の後ろで聞いた誰かの小さな声よりも、ずっと冷静で、ずっと逃げ場がない。


「好かれやすい男子は守りやすい」

「断る男子は自由だけど、歓迎はされない」

「意思がある男子は、制度から見ると不安定要素」


 不安定要素。


 その単語が、妙にきつかった。


「不安定って」


 思わず言う。


「別に僕、何かやらかしてるわけじゃないのに」


「もちろんそう」


 しずくは頷く。


「でも制度って、“悪いことをするかどうか”だけで見てるわけじゃない」

「“予測しやすいかどうか”でも見る」


 その説明が、嫌になるくらいしっくりくる。


 受け入れる男子は、動きが読みやすい。

 断る男子は、その場ごとに自分の意思で選ぶ。

 それは個人としては健全でも、管理する側から見れば面倒だ。


「…何かさ」


 僕は窓の外を見たまま言う。


「全部、悪意がないのが一番きつい」


 しずくは少しだけ目を細めた。


「そうだね」


「誰かがわざと苦しめようとしてるなら、まだ反発しやすい」

「でも実際は、みんなそれぞれ正しい理由を持ってる」


「うん」


「保護局は守るためって言うし」

「クラスの子たちだって、前より慎重になるのは普通だし」

「玲那は玲那で…いや、あれはちょっと別かもしれないけど」


 最後だけ思わず苦笑が混じる。


 しずくもほんの少しだけ口元を動かした。


「玲那は欲望が分かりやすすぎるから、むしろ例外のようでいて本質側」


「やめてよ、その言い方」


「でもそうでしょ」


 否定しきれないのが嫌だった。


 玲那のやり方は露骨だ。

 でも、この世界にある“男は資源で、囲う価値がある”という発想を、一番そのまま体現しているのかもしれない。


「…じゃあ、今の苦しさって」


 僕は少しだけ声を落とす。


「僕が断るの下手だからだけじゃないんだ」


「半分はそう」


「半分はそうなんだ」


「うん」


 しずくはまったく容赦しない。


「東條の下手さもある」

「でも、それだけじゃない」


 そこで、少しだけ声が低くなる。


「今の東條が悩んでるのは、個人の好悪だけじゃなくて社会の構造だよ」


 構造。


 その言葉が、今日いちばんしっくりきた。


 構造。

 僕が誰を好きか、誰にどう返すか、そういう個人的な話だけじゃない。

 男子がどう扱われるか。

 どんな男子が歓迎されるか。

 どんな男子が守りやすいか。


 そういう大きな仕組みの中で、今の僕は少しずつ引っかかり始めている。


「この世界は」


 しずくが静かに言う。


「男子の意思を尊重するより、男子を安定供給する方を優先してる」


 その一言で、胸の中のもやもやが少しだけはっきりした形を持つ。


 安定供給。


 言葉としてはひどく事務的で、だからこそ怖い。


 男が資源である世界。

 希少で、守られて、価値がある。

 でも、その守られ方は結局“安定して扱えるかどうか”にかなり寄っている。


 僕が苦しいのは、たぶんそこに逆らい始めたからだ。


「…最悪だな」


 ぽつりとそう言うと、しずくは肩をすくめる。


「最悪だよ」


「否定しないんだ」


「する理由ある?」


 ない。

 少なくとも今のところは。


「でも」


 しずくはそこで少しだけ言い方を変えた。


「東條にとって全部が悪いことでもない」


「何で」


「前より、自分が何に引っかかってるか分かるから」


 その返しは、思ったより静かに効いた。


 たしかにそうだ。

 今までは、ただ自分が下手だから苦しいのかと思っていた。

 断り方が悪いから。

 会話がまずいから。

 罪悪感に弱いから。


 それも間違いじゃない。

 でも、それだけじゃない。


 世界の方も、僕みたいな“ちゃんと断る男子”を歓迎しない。

 そういう構造があって、その上で僕は今、自分の下手さも抱えている。


 全部が自分だけのせいじゃないと分かるだけで、少しだけ呼吸がしやすくなる。


「…救われるような、余計しんどいような話だね」


 僕がそう言うと、しずくは少しだけ頷いた。


「両方だと思う」


「やっぱり?」


「うん。個人の問題だけなら練習で何とかなる」

「でも構造が相手だと、練習しても歓迎はされない」


 その通りだった。


 だから今、僕は前よりずっと正しくなろうとしているのに、前より生きやすくはなっていない。


 その理由が、ようやく見えた気がする。


「東條」


「何」


「今の位置、しんどいでしょ」


「うん」


「でもたぶん、やっと本当にこの世界と戦い始めたってことでもある」


 その言い方が、少しだけ意外だった。


「戦い始めた?」


「前は流れてたから」

「今は流れない」

「だから、初めて世界の歯車とちゃんとぶつかってる」


 その表現は妙に残った。


 ぶつかっている。

 たしかに、そうなのかもしれない。


 前は、何となくこの世界に合わせて、何となく好かれて、何となく流されていた。

 でも今は違う。

 自分で拒絶して、自分で一線を引いて、その結果として世界の側からも押し返されている。


 それは苦しい。

 でも、少なくとも初めて“自分で立っている”感覚に近いものでもあった。


「…比良坂さんって」


「何」


「たまにすごい嫌な言い方するけど」

「たまに、ちゃんと助かることも言うよね」


 しずくは一瞬だけ黙って、それから淡々と返した。


「たまにじゃなくて、いつもそうだよ」


「自分で言うんだ」


「事実だから」


 思わず少しだけ笑ってしまう。

 その笑いは長く続かなかったけれど、さっきまでの重さを少しだけ薄くしてくれた。


 しずくはペットボトルを持ち直し、壁から背を離す。


「じゃあ、状況整理終わり」


「短いね」


「長くすると東條が考えすぎるから」


「もう十分考えてるよ」


「知ってる」


 そう言って、しずくは階段の方へ歩き出す。


 その途中で、一度だけ立ち止まった。


「東條」


「何」


「自由はある。でも、歓迎はされない」


 昨日も聞いたような言葉。

 でも今日は、その意味が前より少し深く分かった気がした。


「そこを分かった上で、どう生きるか考えた方がいいよ」


 それだけ言って、しずくは今度こそ行ってしまった。


 一人残された渡り廊下で、僕はしばらく動けなかった。


 自由はある。

 でも、歓迎はされない。


 それが今の僕の立ち位置。


 そしてこの世界は、男子の意思を尊重するより、男子を安定供給する方を優先している。


 その構造に、僕はやっと戦い始めた。


 息苦しいはずだった。

 歓迎されないはずだった。


 でも、その苦しさが自分の下手さだけじゃないと分かったことは、少しだけ救いでもあった。


 窓の外の空は、薄く白んで明るかった。

 なのに胸の奥だけが、まだ少し重い。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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