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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第4章

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33/50

「神代玲那は、折れるのを待たない」

 


 九条澪の部屋を出たあと、外の空気は思っていたより冷たかった。


 支援棟の中は静かで、ぬるくて、少しだけ時間の流れが遅い。

 そこから一歩外へ出ると、風の温度だけじゃなく、世界の輪郭まで急に固くなる気がする。


 僕は渡り廊下を歩きながら、澪さんの言葉を何度も思い返していた。


 **ここでは無理しなくていい。**

 **でも、ここだけで全部済ませる場所にはしたくない。**


 やさしい。

 でも、そのやさしさの奥に、ちゃんと境目がある。


 それがありがたいのに、同時に少し怖くもあった。

 ここへ来れば楽になれる。

 でも楽になれるからといって、そこへ沈んでしまってはいけない。


 そんな当たり前のことを、今の僕は意識しないと簡単に忘れそうになる。


 階段を下りて本校舎へ戻る。

 部活帰りの生徒が何人かいて、廊下の先に小さな笑い声が散っていた。

 僕はその脇を通り抜けながら、早く帰ろうと思う。


 今日はもう何も考えたくない。

 誰にも話しかけられたくない。

 そんなふうに思う日の方が、最近は少し増えた。


「ほんとに、毎回そういう顔するようになったのね」


 声が落ちてきたのは、昇降口の手前だった。


 足が止まる。


 聞き覚えのある声。

 しかも、今いちばん会いたくない相手の声だ。


 顔を上げると、神代玲那がいた。


 壁にもたれもしない。

 スマホも見ていない。

 ただ、最初から僕を待っていたみたいな顔でそこに立っている。


 この人は本当に、そういう立ち方をする。


「…また待ってたんですか」


 思わず、ため息まじりに言う。


 玲那は少しだけ口元を上げた。


「ええ」


「何で」


「会いたかったから」


 その即答が、やっぱり嫌だった。

 ためらいも、言い訳も、照れもない。

 欲しいとか会いたいとか、そういう言葉をまっすぐ出してくる。


 普通なら、それは熱烈で、分かりやすい好意として扱われるのかもしれない。

 でも玲那がやると、そこには必ず“相手の都合を考えない力”が混ざる。


「僕は会いたくなかったです」


 できるだけ平たく返す。


 前なら、ここに少しだけやわらかさを混ぜていたかもしれない。

 今はしない。


 玲那はそれを聞いて、少しも気分を害した様子を見せなかった。


「知ってる」


「知ってるなら近づかないでください」


「無理」


 即答だった。


 その短さに、少しだけ頭が痛くなる。


「どうして」


「欲しいから」


 またそれだ。

 この人の中では、本当にそこが全部なのだろう。


 玲那は一歩だけこちらへ近づいた。

 近いといっても、手が届くほどではない。

 でも、こちらが下がるかどうかを試しているみたいな距離だった。


「前よりずっと価値があるように見える」


「…その言い方、ほんとにやめてください」


「何が嫌?」


「全部です」


 僕は少しだけ眉を寄せる。


「価値とか、高いとか、扱うとか」

「そういう言い方で僕を見るのがまず無理です」


 玲那は黙って聞いていた。

 でも、その沈黙に反省とか後退の気配はない。


「あなた、最近ほんとに変わったわね」


「前から何度も言われてます」


「前はもっと、自分が好かれようとしてた」


 その一言に、喉の奥が少しだけ固くなる。


 図星だから腹が立つ。


「今は違う」

「ちゃんと一線を引こうとしてる」

「ちゃんと嫌われることの痛みを受けようとしてる」


 玲那はそこでほんの少しだけ目を細めた。


「だから前より欲しい」


 やっぱりそこへ戻る。


 僕は息を吐いて、視線を逸らさずに言った。


「それ、迷惑です」


「そう」


「そう、じゃなくて」

「本当に迷惑なんです」

「僕はあなたに欲しがられたいわけじゃないし、評価されたいわけでもない」


 玲那は少しだけ首を傾ける。


「評価してるつもりはないわ」


「してますよ」


「欲しいだけ」


「それを評価って言うんです」


 玲那は一瞬だけ黙ったあと、少しだけ笑った。


「そうかもね」


 さらっと認める。

 その態度が本当に厄介だ。


「でも」


 玲那は続ける。


「東條、あなたは分かってない」


「何がですか」


「今のあなたって、前よりずっと価値があるの」


 またその言い方。

 囲う。

 価値。

 僕の中の不快感が一気に立ち上がる。


「囲われるつもりはありません」


「つもりの話じゃないのよ」


「じゃあ何の話ですか」


「現実の話」


 玲那の声は静かだった。

 だから余計に嫌だった。


「前のあなたは、誰にでも少しずつ優しくしてた」

「だから市場としては安定しない」


「…市場?」


「比喩よ」


 嘘だ、と内心で思う。

 この人はきっと半分も比喩で言っていない。


「でも今は違う」

「ちゃんと断る」

「ちゃんと冷たくする」

「その分、近づける人間が限られる」


 玲那は僕を見る。


「手に入れた側の価値が上がる」


「最悪ですね」


「ありがとう」


「褒めてません」


「知ってる」


 まるで会話が通じていないみたいで疲れる。

 いや、たぶん通じてはいるのだ。

 通じたうえで、この人は自分の欲を優先している。


 そこが一番怖い。


「僕は」


 少しだけゆっくり言う。


「あなたに何かをするつもりはありません」

「期待にも応えません」

「仲良くなることもしません」


 玲那はその言葉を受けて、少しだけ目を細めた。


「ほんとにちゃんと言えるようになったのね」


「前から言ってるじゃないですか」


「前はまだ定まっていなかった」

「今は、それでも言う」


 その違いを、この人はちゃんと見ている。


 見ているからこそ、余計に厄介だった。


「…それで?」


 僕は少しだけ声を落とす。


「それが分かったなら、少しは引いてください」


「引かない」


 やっぱり即答。


「どうして」


「折れるのを待つ趣味がないから」


 その一言は、思ったよりずっと冷たかった。


 折れるのを待たない。

 つまり、時間をかけて自然にこちらが弱るのを見ているつもりもない。

 もっと直接的に、もっと能動的に、欲しいものへ手を伸ばす側だと言っている。


「普通、断られたら少しは距離を取るでしょう」


 僕がそう言うと、玲那は小さく首を振った。


「普通の話をしてるわけじゃないもの」


「…そういうところです」


「うん。自覚ある」


 自覚があるくせに直さない。

 むしろ、それを武器みたいに持っている。


「東條」


 玲那が僕の名前を呼ぶ。

 声は低い。

 前みたいに面白がる感じより、もっとまっすぐだった。


「あなたがちゃんと拒絶するようになったのは知ってる」

「だから、前みたいに適当に期待するつもりはない」


「……」


「でも、それで諦める理由にもならない」


 その言い方は、今までの誰とも違う怖さを持っていた。


 期待しない。

 でも諦めない。


 普通なら、期待しないなら少しは離れる。

 でも玲那は違う。

 期待の形を変えているだけだ。

 “もしかしたら”ではなく、“いつか折る”へ。


「あなたが冷たくするなら」


 玲那は言う。


「あなたの心を開く方法を考えるだけ」


 背中が少し冷える。


 冗談みたいな言い方なのに、冗談に聞こえない。

 それがこの人の厄介さだ。


「…やめてください」


「嫌なら防いで」


「そういう問題じゃない」


「そういう問題よ」


 玲那は淡々としている。


「欲しい側は、折れるのを待ったりしない」

「待ってるあいだに誰かに取られるかもしれないもの」


 その言葉には、この人の世界の見方が全部詰まっている気がした。


 誰かに取られる前に。

 先に囲う。

 先に確保する。


 それは恋愛というより、資源の奪い合いに近い。


 そして、この世界ではたぶん、それがそこまでおかしくもない。

 だからこそ気持ち悪い。


「僕は」


 今度は、一語ずつ区切るように言う。


「誰にも、取られるつもりはありません」


 玲那は数秒黙った。


 その沈黙のあと、ゆっくりと笑う。


「そういうところ」


「何ですか」


「だから欲しいのよ」


 もう、本当にだめだと思った。

 この人には、拒絶がそのままブレーキにならない。

 むしろ、はっきり拒むほど“自分だけのものにしたい”が強くなる。


 今まで何となく分かってはいた。

 でも、今日のこの会話ではっきりした。


 拒絶だけでは、この人に対して安全になれない。


「…もう帰ります」


 僕は言う。


 玲那はそれを止めなかった。

 でも、すれ違う直前に小さく言う。


「東條」


 振り返らないまま足を止める。


「あなた、自分で思ってるより危ないよ」


 その言葉が、妙に真面目で、一瞬だけ意味を取り損ねる。


「断れるようになったのはいいこと」

「でも、断られて静かに引く人ばかりじゃない」


 玲那の声は低い。


「欲しい側は、折れるのを待ったりしない」


 その一言はさっきと同じなのに、今度は少しだけ忠告に近く聞こえた。


 いや、忠告ですらないのかもしれない。

 この人自身がそうだから、ただ事実として言っているだけかもしれない。


 それでも、重かった。


「…あなたに言われたくないです」


 そう返すと、玲那は少しだけ笑った。


「そうでしょうね」


 それで会話は終わった。


 僕は振り返らずに歩き出す。

 足音が廊下に響く。

 外の空気は冷たいはずなのに、背中には妙な熱が残っていた。


 拒絶は、防壁になる。


 でも、それが壁として機能する相手ばかりじゃない。


 相手によっては、拒絶そのものが火種になる。

 欲を煽る。

 執着を深める。

 むしろ、ちゃんと心を閉じたことで“こじ開ける価値がある”と見なされる。


「…最悪だな」


 小さく呟く。


 でも、そこで思う。


 それでも、曖昧に開いたままではいられない。

 火種になるからといって、最初から全部受け入れるわけにはいかない。


 じゃあ、どうする。


 断るだけでは足りないのかもしれない。

 防ぐ方法。

 線の引き方。

 距離の取り方。


 そういうものが、次に必要になるのだろう。


 玲那みたいな相手がいる限り、拒絶は終わりじゃなくて始まりにもなる。


 その現実だけが、帰り道の冷たい空気の中で、妙にはっきり僕の中へ残っていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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