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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第3章

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27/50

「はっきり拒絶する」

 


 その日は、朝から妙に落ち着かなかった。


 何かが起こる、とまでは思っていない。

 でも、ここ数日の積み重ねのせいで、少しずつ張りつめた雰囲気の中を歩いている感覚はずっとあった。


 断ることには、もう少しずつ慣れ始めている。

 短い返事。

 隙を残さない言い方。

 相手の機嫌まで気にしないこと。


 頭では、何度も確認してきた。


 でも、それは小さな場面の話だ。

 短いメッセージ。

 教室でのちょっとした誘い。

 休み時間の軽い相談。


 そういうものなら、まだどうにか呼吸を整えながら返せる。


 問題は、もっとはっきり近づいてこられたときだった。


 その瞬間は、六限が終わったあとに来た。


 ◇


 放課後の教室は、昼間とは違うざわめきをしている。


 部活へ向かう支度。

 友達同士の待ち合わせ。

 机を寄せて課題を確認する声。

 帰る人間と残る人間が入り混じる、少しだけ緩んだ時間。


 僕はなるべく早く帰るつもりで、鞄に教科書をしまっていた。


 ひよりはまだ席にいたけれど、今日は特にこちらへ来る気配はない。

 それがありがたいような、少し心細いような、妙な感じがした。


「凪くん」


 声をかけられて、手が止まる。


 顔を上げると、教室の入口近くに立っていたのは、二年の女子だった。

 何度か話したことがある。

 特別近いわけではないが、顔を合わせれば軽く会話をするくらいの距離。


 ただ、その人が今みたいな時間に、一人でわざわざ僕のところへ来るのは初めてだった。


「…何ですか」


 僕がそう返すと、その先輩は少しだけ緊張したように笑った。


「ちょっとだけいい?」


 周囲のざわめきの中でも、その“ちょっとだけ”はやけにはっきり聞こえた。


 少しだけ。

 その言葉の危うさは、今の僕にはもう十分すぎるほど分かっている。


「ここでなら」


 できるだけ平たく返す。


 先輩は一瞬だけ目を伏せてから、僕の机のそばまで来た。

 距離は近すぎない。

 でも、教室のざわめきの中では十分に“個別の雰囲気”ができる位置だった。


「…最近、前より冷たくなったよね」


 開口一番、それだった。


 褒めているのか、探っているのか分からない言い方。

 僕は曖昧に返したくなるのを少しこらえる。


「どういう意味ですか」


「そのまま」


 先輩は視線を逸らさずに言った。


「前みたいに、誰にでもやさしく返す感じじゃなくなったっていうか」

「ちゃんと一線を引いてるっていうか」


 その言葉に、教室の中の音が少し遠くなる気がした。


 見られている。

 思っていたより、ちゃんと。


「…そうかもしれません」


「うん」


 先輩は少しだけ笑った。

 でも、その笑い方にはどこか決めたものがあった。


「だから、今なら聞けるかなって思って」


 僕の指先が、鞄のファスナーにかかったまま止まる。


 何を聞かれるのか。

 たぶん、予感はあった。


 でも、予感したくなかった。


「何をですか」


 先輩は一度だけ息を吸った。


「私、前から少し気になってたんだ」


 その瞬間、胸の奥がひやりと冷える。


 教室の中のざわめきは続いている。

 誰かが椅子を引く音。

 廊下を走る足音。

 窓の外から聞こえる運動部のかけ声。


 なのに、この周囲だけが妙に静かに感じる。


「凪くんのこと」


 先輩は言った。


「前は、たぶん誰に言っても同じ感じかなって思ってた」

「でも、最近は違うでしょ」


 違う。

 その通りだ。


 前みたいに曖昧に広げないようにしている。

 好かれていることを惜しんで引っ張らないようにしている。

 それは、たしかに変化だ。


「だから」


 先輩の指先が、小さく制服の裾をつまむ。


「今なら、ちゃんと聞けるかなって」


 心臓がうるさくなる。


 ここで曖昧にすれば、前と同じだ。

 でも、はっきり言えばその場の雰囲気が変わる。

 相手の顔も変わる。


 それが怖い。


 しずくの言葉が頭をよぎる。


 **主語は自分。理由は足しすぎない。期待を残しすぎない**


 ひよりの言葉も浮かぶ。


 **誰も選ばないのは、やさしさじゃない**


 七海の声もよみがえる。


 **隙を残されると、期待しちゃうよ**


「凪くん」


 先輩が、少しだけ不安そうに僕を見る。


「私のこと、どう思ってる?」


 やっぱり来た、と思う。


 何度も想像していたはずなのに、実際に目の前でそれを言われると、頭が一瞬だけ真っ白になる。


 どう思ってる。

 その答えを、今までの僕はずっと曖昧にしてきた。


 感じがいい返事。

 少しだけやわらかい笑い。

 今は忙しい、また今度。

 そういうもので、決定的なところをずっと先送りしてきた。


 でも、今日はそれをしたくない。


 したら、また同じ顔を見ることになる。


 僕は息をゆっくり吸う。


 先輩の顔を見る。

 期待と不安が、両方そこにある。

 その顔を見ると、いつもの僕なら少しだけやわらかくしていた。


 でも、それをやったらまた隙を残すことになる。


「…ごめんなさい」


 最初の一言を、できるだけ静かに言う。


 先輩の表情が、そこでほんの少しだけ止まる。


 喉が乾く。

 でも、ここで止まったらだめだと思った。


「そういうつもりでは、ないです」


 短く。

 余計な言い訳を足さずに。


 先輩の目が、目に見えて動揺する。


「…そうなんだ」


 声は静かだった。

 でも、驚きが隠せていない。


 今までなら、ここで僕の方が慌てて何か足していたかもしれない。

 “でも先輩が悪いわけじゃなくて”とか、

 “今はそういう余裕がなくて”とか、

 “嫌いとかじゃなくて”とか。


 でも、その一言一言がまた期待させることになる。

 また“今はだめでも、いつかは”に変わる。


 僕は息を整えて、続ける。


「期待には、応えられません」


 先輩がまばたきもせずにこちらを見る。


 教室のざわめきが、妙に遠い。


「…はっきり言うんだね」


 その一言は、怒っているわけでも泣いているわけでもないのに、ひどく痛かった。


 それでも僕は目を逸らさない。


「曖昧にしたくないので」


 声が少しだけ硬い。

 でも、内容はぶらしたくなかった。


 先輩は、しばらく何も言わなかった。


 数秒。

 いや、もっと長かったかもしれない。

 その沈黙の中で、僕は自分の心臓の音ばかり聞いていた。


 やっぱりきつい。

 相手の顔が変わる瞬間を、真正面から見るのは本当にきつい。


 でも、七海の涙よりはましだとも思う。

 少なくとも今は、ここで終わらせている。


「…そっか」


 ようやく、先輩がそう言った。


 笑おうとしたのかもしれない。

 でも、うまく笑えなかった顔だった。


「分かった」


 それだけで、会話を終わらせようとする。

 その姿勢が、余計に胸へ刺さる。


「…ごめんなさい」


 もう一度だけ言う。

 これはたぶん、必要な“ごめん”だと思いたかった。


 先輩は小さく首を振った。


「謝らなくていいよ」


 でも、と続く。


「前みたいにやさしい方が、まだ楽だったかも」


 その言葉に、息が少し詰まる。


 前みたいにやさしい。

 たぶんそれは、やさしいんじゃなくて曖昧な態度だっただけだ。


 でも、相手にとっては、その曖昧さの方がまだ楽に感じられることもある。

 そこが、この場面のいちばんつらいところだった。


「…それでも」


 僕は小さく言う。


「前みたいには、できません」


 言った瞬間、これが本当に拒絶なんだと思った。


 やさしく見える余地を置かない。

 戻れるかもしれない場所も残さない。

 相手の期待を、自分の気持ちよさのために温め続けない。


 先輩はそれを聞いて、ほんの少しだけ唇を噛んだ。


「分かった」


 今度の“分かった”は、さっきより静かだった。


 そして、そのまま踵を返す。


 呼び止める言葉は出なかった。

 出してはいけない気もした。


 ただ、その背中を見送るしかない。


 先輩が教室を出ていくと、周囲のざわめきが少しずつ戻ってくる。

 でも、数人がこちらを見ていたのは分かった。


 聞こえていたかもしれない。

 全部じゃなくても、雰囲気は伝わっただろう。


 僕はその場で、しばらく動けなかった。


 膝のあたりが少しだけ力を失っている。

 ちゃんと立っているのに、足元が少し浮つく感じがした。


「…凪くん」


 横からひよりの声がした。


 いつの間に近くまで来ていたのか分からなかった。

 でも、その声に少しだけ現実へ戻る。


「…何」


「ちゃんと言えたね」


 その言い方は、驚くほど静かだった。


 褒めるわけでもなく、慰めるわけでもなく、ただ事実を置くみたいに。


「…心が痛いけどね」


 思わず本音が漏れる。


 ひよりは小さく頷いた。


「うん」


「すごい、痛い」


「うん」


「前よりずっと、きつい」


「でも?」


 僕は一度、先輩が出ていった教室の入口の方を見る。


 もう誰もいない。

 でも、さっきまでそこにあった雰囲気はまだ残っている気がした。


「…でも、今回は逃げなかった」


 そう言うと、ひよりはほんの少しだけ目を細めた。


「うん」


「たぶん、それが大事なんだと思う」


 自分で言いながら、ようやく少しずつ胸の奥へ落ちていく。


 傷つけた。

 それは事実だ。

 でも、待たせ続けたわけじゃない。


 痛かった。

 でも、今回は自分で痛みを引き受けた。


 それが前との違いなのだと思う。


 ひよりは短く言った。


「前よりずっとましだよ」


 その一言が、今は必要だった。


 楽にはならない。

 罪悪感も消えない。

 でも、前よりましだと思えるなら、たぶんこの痛みは無駄じゃない。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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