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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第3章

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20/50

プロローグ 「断ると嫌われる」

 


 朝は、思っていたより何事もなく始まった。


 カーテンの隙間から光が差して、遠くで車の音がして、台所から食器の触れ合う音が聞こえる。

 昨日、自分の中ではかなり落ち込んだはずなのに、世界の方は別に何も変わっていない。


 目を開けた瞬間、少しだけ拍子抜けした。


 もっと、分かりやすく苦しくなるかと思っていた。

 起きた瞬間から胸が詰まるとか、スマホを見るのも怖いとか、そういういかにもな朝を想像していたのに、実際には、体だけは普通に起きてしまう。


 普通に起きて、普通に制服へ着替えて、普通に歯を磨く。


 その“普通”の途中で、机の上に置いたスマホが目に入った。


 そこで、ようやく少しだけ喉が乾く。


 昨日の夜は、ひよりと話したあと結局スマホをほとんど見なかった。

 通話を切ってから通知だけ確認して、また伏せた。

 何かを返す気力もなくて、そのまま寝た。


 だから、今朝はその続きから始まる。


 僕は椅子に座って、スマホを手に取った。


 画面をつける。

 通知は三件。


 ひよりからの「起きた?」。

 クラスの連絡。

 そして個人メッセージが一つ。


 たった一つなのに、妙に重い。


 送り主の名前を見て、指先が少し止まった。

 昨日までなら、特に気にせず開いていた相手だ。


 文面は短かった。


 **昨日、大丈夫だった?**


 それだけ。


 責める言葉じゃない。

 重くもない。

 むしろ、感じがいいくらいの気遣いだ。


 だから余計に厄介だった。


 こういうメッセージに、今までの僕はどう返していただろう。


 大丈夫。

 ありがと。

 ちょっと疲れたけど平気。

 また話そう。


 たぶん、そんなふうに返していた。

 相手が安心するくらいにやさしく。

 でも、はっきり閉じないくらいに曖昧に。


 その方が角が立たない。

 その方が感じもいい。

 その方が、相手も離れない。


 そこまで考えて、自分で小さく息を吐く。


 離れない。

 結局、いつもそこへ戻るのだ。


 僕はずっと、離れてほしくなかった。

 向けられている好意が、そのままそこに残っていてほしかった。

 たとえ本気で応えるつもりがなくても、好意そのものは惜しかった。


 そのことは、もうごまかせない。


「…断る」


 口の中だけで小さく言う。


 昨日、そう決めた。

 次はちゃんと断る。

 隙を残さない。

 やさしく見える逃げ方をしない。


 分かっている。

 でも、分かっていることと実際に打つことの間には、思ったより深い溝があった。


 返信欄を開く。


 文字を打っては消して、また打つ。


 **心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。**

 ――だめだ。これだとまた続く。


 **ありがとう。でも少し距離を置きたい。**

 ――少し、がだめだ。少しなら、その先が残る。


 **ごめん。今は個別にやり取りを増やすつもりはないです。**

 そこで手が止まった。


 少し硬い。

 冷たく見えるかもしれない。

 でも、“また今度”は入っていない。

 “落ち着いたら”も入っていない。


 たぶん、これだ。


 送信ボタンの上で指が止まる。


 怖い、と思った。


 大げさじゃなく、本当に少しだけ怖い。

 これを送ったら、相手はたぶん分かる。

 前みたいな距離には戻れないことも。

 今の僕が、その人とのやり取りを続けるつもりがないことも。


 つまり、ちゃんとがっかりさせる。


 それがたぶん、今までの僕が一番避けてきた瞬間だった。


「…でも」


 小さく息を吐いて、そのまま送信する。


 画面の中で吹き出しが上に積み上がる。


 たったそれだけなのに、心臓が少し速くなる。

 嫌われるかもしれないと思う。

 冷たいって思われるかもしれないとも思う。


 でも、送ってしまえばもう戻せない。


 しばらく画面を見つめていると、数十秒もしないうちに既読がついた。


 胸がきゅっと縮む。


 返信はすぐには来なかった。

 その沈黙が、やけに長く感じる。


 何も言えないくらい引いたのかもしれない。

 気分を悪くしたのかもしれない。

 前までの僕なら、ここで慌ててもう一言送っていたかもしれない。


 **ごめん、変な意味じゃなくて。**

 **今ちょっと余裕がなくて。**


 そうやってまた埋める。

 また隙を作る。

 また“本当の終わり”から逃げる。


 でも今日はしなかった。


 机にスマホを置く。

 それでも気になって、数秒後にまた手に取る。

 自分でも笑いたくなるくらい落ち着かない。


 やがて、短い返信が返ってきた。


 **分かった。急にごめんね。**


 それだけ。


 それだけだった。


 僕はしばらく画面を見つめたまま動けなかった。


 もっと何か来るかもしれないと思っていた。

 冷たいとか、急だとか、そういう一言が返ってくるかもしれないと思っていた。


 でも、実際にはそれだけで終わった。


 終わったのだ。

 ちゃんと。


 その事実に、少しだけ肩の力が抜ける。

 同時に、胸の奥には別の痛みも残る。


 相手はたぶん、少し傷ついた。

 文面が短いぶん、その向こうにあるものを勝手に想像してしまう。


 でも、それでも。


 前みたいに引き延ばすよりはよかったのかもしれない。


 よかった、と思うこと自体が都合のいい自己正当化なのかもしれない。

 それでも、少なくとも、昨日までみたいな曖昧さよりはましな気がした。


 もう一度だけ、ひよりのメッセージを見る。


 **起きた?**


 今度は少し気が楽だった。

 ひよりには短く返せる。


 **起きた。今、一本ちゃんと断った**


 送る。

 すぐに既読がつく。


 **えらい**


 それだけ返ってきて、思わず少しだけ笑ってしまう。


 子どもじゃないんだから、えらいはないだろうと思う。

 でも、今の僕にはそのくらいの言葉がちょうどよかった。


 大きな成長じゃない。

 たった一本のメッセージを、前よりちゃんと返しただけだ。


 それでも、前に進んだ感じは少しある。


 ◇


 登校途中の空気は、少し冷えていた。


 季節のせいなのか、自分の気持ちのせいなのかは分からない。

 駅から学校へ向かう道を歩きながら、僕はいつもより少しだけ周囲の視線に敏感になっていた。


 見られている。

 それ自体は、今さらだ。


 ただ今日は、見られ方が違って感じる。


 前なら、その視線の中に混ざる期待とか興味とか、そういう熱っぽいものばかりが目についた。

 今は、もっと別のものが先に見える。


 探る感じ。

 様子を見る感じ。

 どこまで近づいていいのか探る感じ。


 それはたぶん、僕が少しずつ断るようになったからだ。


 前みたいに、話しかければ何となく感じよく返してくれる男子じゃなくなってきている。

 そう思われ始めているのかもしれない。


「おはよう、凪くん」


 校門の手前で、同じ学年の女子に声をかけられる。


 以前なら、軽く笑って「おはよう」と返し、そのまま少し話していたかもしれない。

 今日は立ち止まらずに、視線だけ向けて返す。


「おはよう」


 それだけ。


 相手は一瞬だけ、ほんの少し驚いたような顔をした。

 すぐに小さく笑って、「うん」と頷く。

 それで終わる。


 終わる、ということに少しだけほっとして、でも同時に、小さな罪悪感も残る。


 感じ悪かったかな。

 冷たかったかな。


 そういう考えがすぐ浮かぶ。

 でも、そこでさらに埋めるような一言を足さなかったことだけは、たぶん昨日までと違う。


 教室へ入る。


 ざわめきの中で、いくつかの視線がこっちへ向く。

 でも、前みたいにまっすぐ近づいてくる気配は少ない。


 それが、少し楽だった。


 そのかわり、前より少しだけ遠い。


 自分の席に座って、鞄を机の横にかける。

 窓の外はよく晴れていた。

 なのに、胸の中だけが晴れない。


 断ると、嫌われる。


 そこまで大げさじゃなくても、少なくとも前よりは好かれにくくなる。

 話しかけられにくくなる。

 距離ができる。


 その当然のことを、今の僕はたった一本のメッセージと一つの挨拶で、もうちゃんと感じ始めていた。


 それでも、昨日までみたいに戻りたいとは思わない。


 戻ればまた、曖昧な言葉で誰かを待たせることになる。

 また、自分が悪者にならないように好意だけ受け取ることになる。


 それを思えば、今のこの小さな冷たさの方がましだった。


「…断るって、ちゃんと嫌われるんだな」


 誰にも聞こえないくらい小さく呟く。


 前の僕なら、そういう痛みを避けるために、いくらでもやわらかい言葉を選んでいた。

 でも今は、その痛みの方が少しだけ本当な気がした。


 痛い。

 でも、前よりは息がしやすい。


 その感覚だけが、朝の教室で一人、やけにはっきり残っていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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