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貞操逆転世界で、僕は希少な男子らしい  作者: きなこもち
第2章

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14/50

「神代玲那は、価値を知っている」

 


 九条澪の部屋を出たときには、空はもうかなり暗くなっていた。


 校舎の窓に灯った明かりが、夕方と夜のあいだみたいな色をしている。

 部活の声もだいぶ遠くなっていて、昼間よりずっと世界が薄い。


 少しだけ呼吸が楽になっていた。


 何かが解決したわけじゃない。

 考えなくていい時間をもらっただけだ。

 それでも、あのまま一人で帰るよりはましだったと思う。


 支援棟の階段を下り、靴音を響かせながら廊下を抜ける。

 校舎を出れば、そのまま駅へ向かうだけだ。


 今日はもう、誰とも話したくなかった。


 そう思っていたのに。


「やっと出てきた」


 昇降口の手前で、不意に声が落ちてきた。


 足が止まる。


 聞いたことのない声だった。

 でも、その一言だけで分かる。

 この人は最初から、こちらを待っていた。


 顔を上げる。


 数メートル先、窓際に寄りかかるように立っていたのは、一人の女子だった。


 長い髪。

 少しだけ吊り気味の目元。

 整いすぎていて、逆に近寄りがたい顔立ち。

 制服の着方も崩れていないのに、きっちりしすぎている感じでもない。

 ただ、立っているだけで“見られる側”の空気を持っている。


 僕はすぐに分かった。

 この人は、普通の女子生徒じゃない。


「…誰ですか」


 できるだけ平たく聞く。


 女子は、僕の問いを面白がるみたいに少しだけ口元を上げた。


「神代玲那」


 それだけ言う。


 名乗り方まで短い。

 でも、その名前には聞き覚えがあった。


 学園内で何度か噂を聞いたことがある。

 成績がいいとか、家がすごいとか、顔が綺麗とか、そういう話をまとめて一人に押し込んだみたいな名前だった。


「…で?」


 思ったより冷たい言い方になった。

 でも今は、それを整える気力もなかった。


 玲那は僕をじっと見る。

 探るようでもなく、値踏みするようでもなく、もっと露骨な見方だった。


「思ったより、ちゃんと軽そうね」


 開口一番、それだった。


 意味が分からなくて、一瞬遅れる。


「…は?」


「もっと分かりやすく慌ててるかと思った」


 玲那は窓から背を離した。

 一歩、こちらに近づく。

 歩幅は大きくないのに、妙に距離が縮まった気がした。


「でも違う。疲れてはいるけど、まだ自分がどう見えてるか半分も分かってない顔」


 僕は眉を寄せる。


「何言ってるんですか」


「そのまま」


 玲那の声にはためらいがなかった。


「あなた、自分の価値を適当に使いすぎ」


 胸の奥が、ひやりと冷える。


 “価値”という言葉は、今日もう聞いた。

 会議室で。

 数字と区分で。

 でも今ここで、同年代の女子の口から聞くと、制度よりずっと生々しかった。


「…またそれですか」


「また?」


「価値があるとか、希少だとか、そういうの」


「そういうのじゃない」


 玲那は即座に切る。


「事実」


 その言い方に、少しだけ腹が立つ。


「勝手に決めないでください」


「決めてないわよ。見てるだけ」


「見てるだけでそんなこと分かるんですか」


「分かる」


 迷いがない。


「誰にでも同じように笑って、同じように隙を残して、でも本気の責任は持たない」


「……」


「高いものを、まるで安売りみたいにばらまいてる」


 言葉の一つ一つが、嫌になるくらいはっきりしていた。


 安売り。

 ばらまく。

 その表現が下品すぎて、逆に本質に近い気がする。


「僕は別に、売り物じゃないんですけど」


 そう返すと、玲那は少しだけ首を傾けた。


「売り物だなんて言ってない」


「じゃあ何ですか」


「希少資源」


 その一言は、思っていたよりずっと静かに刺さった。


 会議室で霧島さんが似たようなことを言ったときは、半分は制度の言葉として受け止めていた。

 でも玲那は、それを個人の感覚で口にしている。


 つまり、この人にとって僕は、本当にそういうものとして見えているのだ。


「…最低ですね」


 思わずそう言うと、玲那は少しも気分を害した様子を見せなかった。


「そうかもね」


 さらりと受け流す。


「でも、最低かどうかと、正しく見えてるかどうかは別よ」


 その返しに、言葉が詰まる。


「あなた、自分が欲しがられてることだけ受け取って、その重さは見ないようにしてるでしょう」


「見ないようにしてるわけじゃ」


「してる」


 ぴしゃりと遮られる。


「じゃなきゃ、あんなふうに誰にでも同じ顔しない」


 また同じだ。

 ひよりにも、しずくにも、似たことを言われた。

 誰にでも同じ顔。

 隙を残す。

 責任は持たない。


 ここまで重なると、さすがにもう“相手がそう思っただけ”では済ませられない。


 玲那はさらに続ける。


「あなた、自分が高いものだって分かってないわけじゃないでしょう」


「分かってませんよ」


「嘘」


「嘘じゃない」


「じゃあ、少し笑えば相手が喜ぶのも、少し引けば追ってくるのも、全部たまたまだと思ってたの?」


 その問いに、すぐには答えられなかった。


 たまたまじゃないことくらい、本当は知っている。

 いや、知っていたというより、感じていた。

 それを都合よく“考えない”ままにしてきただけだ。


 玲那はその沈黙を見て、小さく笑う。


「ほら」


「……」


「分かってるじゃない」


 声が低くなる。


「分かってるくせに、“そんなつもりじゃない”で逃げてるのが一番たちが悪いのよ」


 腹が立つ。

 立つのに、反論できない。

 それがまた腹立たしい。


「…何なんですか、本当に」


 僕は息を吐きながら言った。


「説教しに来たんですか」


「半分はね」


「もう半分は?」


 玲那はそこで、初めて少しだけ楽しそうに笑った。


「興味」


 その一言に、背中が薄く冷える。


 興味。

 それは軽い言葉のはずなのに、玲那が言うとひどく重かった。


「あなたみたいなの、珍しいから」


「珍しいのは男全般でしょう」


「違う」


 玲那ははっきり言う。


「珍しい男は多いけど、珍しいまま無防備に歩いてる男は少ない」


 ぞっとする言い方だった。


「しかも、自分がどれだけ見られてるかも分からないまま、誰にでも愛想を振りまく」


「振ってません」


「振ってるわよ」


 即答だった。


「言葉で。態度で。温度で」


 その一つ一つが、あまりにも具体的で苦しい。


 僕がしてきたのは、たしかにそういうことなのかもしれない。

 物理的に何かしたわけじゃない。

 でも、距離感や返事や目線で、相手の感情に近づいていた。


「…そんなつもりじゃ」


「だから、その言い訳はもう飽きた」


 玲那はため息まじりに言った。


「そんなつもりじゃないなら、最初から安売りしないで」


 安売り。

 またその言葉だ。


「値段が安いのはあなたじゃない」


 玲那が続ける。


「あなたの価値の使い方」


 その言い方は、しずくの“優しさの顔をした欲”よりも、もっと露骨で容赦がなかった。


 でも、だからこそ妙に分かりやすい。


 僕は、自分の価値そのものじゃなく、その扱い方を間違っている。


 それはたぶん、今の僕にいちばん必要な認識だった。


「…じゃあ、どうしろって言うんですか」


 疲れが混じった声でそう聞くと、玲那は少しだけ目を細める。


「簡単よ」


「簡単には聞こえませんけど」


「誰にも同じ顔をしないこと」


 短い答えだった。


「欲しくない相手には、最初から期待を持たせない」

「欲しい相手がいるなら、ちゃんと選ぶ」

「選ばないなら、誰にも近づかない」


 言葉が綺麗すぎるくらいに整理されている。

 でも、実際にやるとなると全然簡単じゃない。


「無茶言いますね」


「無茶じゃない」


 玲那は首を横に振る。


「価値の高い人間には、それ相応の扱い方があるだけ」


「その“価値”って言い方が嫌なんです」


 僕がそう言うと、玲那は一瞬だけ黙った。


 そして少しだけ声を落として言う。


「嫌でもなくならないわよ」


「……」


「むしろ、嫌がってるあいだに他人が勝手に決めていく」


 その一言には、会議室で言われたことと同じ種類の重みがあった。


 自分がどう思うかとは別に、この世界は僕をそう扱う。

 それはもう、何度も突きつけられている。


「だから、せめて自分の価値を知りなさい」


「価値」


「ええ」


 玲那はまっすぐ僕を見る。


「自分がどれだけ高いか、どれだけ壊れやすいか、どれだけ欲しがられるか」


 そこでほんの少しだけ、口元を上げる。


「そして、自分がどれだけ危ないか」


 その笑い方は、楽しんでいるようにも、警告しているようにも見えた。


 たぶん両方なのだろう。


 僕は無意識に、一歩だけ距離を取りたくなっていた。

 でも、ここで露骨に下がるのも変に見えそうで、足は動かない。


 玲那はそんな僕の反応を見て、ふっと細く息を吐いた。


「まあ、今日のところはそれでいいわ」


「今日のところは?」


「今のあなたに一度で全部分かれなんて期待してないもの」


 その言い方が妙に癪だった。


「…期待してるようにしか聞こえませんけど」


「してるわよ」


 あっさり認める。


「東條凪っていう男が、どこまで自分を自覚できるのか」


 そう言って、玲那は一歩引いた。


「興味あるもの」


 やっぱりその言葉だ。


 好意とも違う。

 でも、無関心では絶対にない。

 そういう、玲那だけの温度。


 僕はその温度に、本能的な危険を感じていた。


「…僕は、観察対象じゃないんですけど」


「知ってる」


 玲那は小さく笑う。


「でも、そういうことにしたくなるくらい面白いのよ、あなた」


 その言い方は、少しも嬉しくなかった。

 むしろ、今まで受けてきたどの好意よりも扱いづらい。


「じゃあ」


 玲那は踵を返しかけて、ふと思い出したように振り返る。


「最後に一つだけ」


「何ですか」


「欲しがる側は、曖昧な態度の人間を待ってくれない」


 その言葉に、背筋が少し冷たくなる。


「中途半端な態度は、いつか誰かを傷つけるわよ」


 それだけ言って、玲那は今度こそ歩き出した。


 足音が廊下の向こうへ消えていく。

 僕はその場に残されたまま、しばらく動けなかった。


 中途半端な態度。

 それは、たぶん今までの僕そのものだ。


 完全には拒まない。

 完全には受け入れない。

 少しだけ開けたまま、誰にも閉じさせないようにしている。


 でも、玲那の言う通り、そのままでいられる保証なんてどこにもない。


「…最悪だ」


 また小さく呟く。


 でも今回は、その言葉の意味が少し違っていた。


 自分がひどい、というだけじゃない。

 このままだと本当にまずい、という意味の“最悪”だった。


 玲那の言い方は嫌いだ。

 価値だの、値段だの、希少だの。

 そういうものの言い方は今でも気持ち悪い。


 でも、その中身に僕が何一つ反論できなかったこともまた事実だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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