アメリカの鏡
道灌氏から聞いた「アメリカの鏡・日本」は近くの書店で見つからず、ネット通販で取り寄せることになった。届いてすぐ読み始めたのだが、気がつくとずいぶん時間が経っていた。それは決して面白い本ではなかったが、内容が衝撃的すぎて、知らず知らずのうちにのめりこんでいたのだ。
そこに書いてある事実は、私の知っている日本史とはまるで違っていた。
そして、その違いは、私の価値観を著しく変えた。
『占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない。』
ダグラス・マッカーサー 1949年8月6日付書簡
マッカーサーが出版を禁止せざるを得なかったのだから、この本の中身に嘘はなさそうだ。本の著者はGHQの諮問委員であったヘレン・ミアーズ。書かれているのはアメリカ側当事者から見た太平洋戦争の実態だ。
そこに書かれていたのは、我々が学んだ自虐史観とは正反対。書中には、日本はあまりにも弱く、アメリカ国民の支持を得るために情報操作をして「世界で最も軍国主義的な国民」という像をつくり上げたことが書かれている。
日本軍のベテランは遠くの戦地に派遣されていたから、日本周辺には新兵ばかりだったという。10対1でも楽に勝てたそうだ。確かにそれは真実なのだろう。そもそも経済封鎖されて滅亡寸前の状態ではじめた戦争だから経戦能力はなく、長引けば日本が負けると最初から決まっていた。
この本にはほかにもショッキングな事情が書かれている。
日本は原爆を落とされてようやく降伏した。
それが一般常識だ。
だが、この本に書かれていることはその正反対。日本は原爆投下の一年以上前から降伏の準備をしていたそうだ。少なくとも原爆が落とされる三か月前、五月の段階で降伏の打診があり、アメリカはそれをはねつけたという。原爆を落としたことでようやく日本が降伏した、という我々が学校で教わったことは、原爆投下を正当化するためにアメリカが作り上げた嘘なのだ。
『日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診は米政府によって公式に無視、あるいは拒否された。事実、1944年の早い段階から、日本政府の内部では完全敗北とみなしうる条件の受け入れが真剣に検討されていたのだ。』
『アメリカの鏡・日本』第二章5
リーヒ元帥の回想録にも、日本には降伏の意思があったのだから原爆投下に反対した、という旨の記述がある。原爆を投下してやっと日本が降伏した、というのは戦後捏造された嘘と見て間違いない。
こうした事実を知ってしまうと、ときおり政府批判に使われる「大本営発表」という言葉が、降伏さえ拒絶された絶望を国民にまで広げない配慮であったのではないか、とさえ思えて来る。
私は近代史、特にアメリカとの関係について学び直すことにした。
その結果、こんな記事に出会った。
1999年5月26日、ウェブ版のニューヨークタイムズで、「Senate Clears 2 Pearl Harbor 'Scapegoats'」という記事が掲載されている。これは、アメリカ上院で可決された、キンメル提督ら真珠湾攻撃で責任を取らされた者たちの名誉回復決議に関する記事だ。
この記事によると、日本の真珠湾攻撃は無線傍受によって事前に察知されていたそうだ。だが、アメリカはキンメルらに情報を知らせず、日本に真珠湾を攻撃させたという。
この名誉回復決議は実際に議会で可決されている。アメリカが意図して日本に真珠湾を攻撃させたことは、無知な日本人が知らないだけで、すでに歴史的事実として確定しているのだ。
この記事には書かれていないが、その裏側ではさらなる陰謀が蠢いていた可能性すらある。
真珠湾攻撃の日、本来なら駐米日本大使らが宣戦布告を行うことになっていた。しかし、当日、なぜか関係者全員が病欠している。病欠の原因は前日の酒宴による二日酔い。二日酔いのせいで宣戦布告することができなかったそうだ。
だが、本当にそうなのか。
私は二日酔いで仕事を休む日本人を知らない。だから、二日酔いで大使ら全員が病欠したというのはどうにも合点がいかない。二日酔いでも休むことなく、くっさい息を撒き散らしながら机に向かうのが日本人の姿だと思うから。
それに、日本がハワイを攻撃しなければならなかった建前だって存在する。以前、私は「海から来たサムライ」という小説に感銘を受け、ハワイ王国滅亡について調べたことがある。そのとき、私は日本史の教科書にないさまざまな歴史事実があることを知った。
もともとハワイは独立した王国であった。そこに米英の侵略の手が伸び、ハワイ国王は日本に対して合邦を提案した。合邦とは国の合併を意味する。この話がまとまることはなかったが、ハワイ王国は日本と親しい関係になった。実際に、アメリカによる最初の侵略のとき、日本は東郷平八郎率いる浪速ほか二隻を送って米軍を撃退し、リリウオカラニ女王を救出している。この侵略は外からの攻撃だけではなく、大量の移民を送り込んで内外から同時に攻めるというものだった。1893年のことだ。この事実は歴史教科書から抹消されているが、日本は一度アメリカに勝っているのだ。
太平洋戦争とは、連合国の経済封鎖によって、もう滅ぶしかない状況ではじめた戦争だ。継戦能力がないことなど誰もが承知していた。日本としては、少しだけ戦ってみせて停戦にもちこみ、交渉によって問題を解決したかったようだ。一度勝っているから相手を甘く見ていたのかもしれない。だが、結果から見るに、日本は第二次大戦に参戦したいアメリカの手のひらの上で踊らされていたわけだ。その状態はいまもつづき、買収された政治家たちのおかげで、私たちはいまだに踊り続けている。
日本がアメリカに乗せられて真珠湾を攻撃しなければ、世界情勢は大きく変わっていただろう。アメリカは「War Plan Red」に基づいてカナダに侵攻し、戦争の相手が日本ではなくイギリスになっていた可能性もある。そちらの道に進んでいれば、この世界はどんな風になっていただろう。
当時、イギリスはアメリカと覇権を争う状態にあった。それゆえ、アメリカでは、カナダ経由でイギリスを攻める「War Plan Red」が検討されていた。そして、実際に、五大湖周辺に滑走路を三つ建設し、部隊をオタワの南の国境へ移動させている。アメリカに踊らされて日本が真珠湾を攻めなければ、彼らはその部隊をカナダに進め、カナダ侵略後にイギリスと開戦することになっていたかもしれない。
――そう言えば……。
私は諸世紀にアメリカが第二の反キリストと書かれていたことを思い出した。
ほかにも第二次世界大戦に関する予言があった気がする。
私は書庫から諸世紀を取り出した。
何年も戦争がフランスで続けられるだろう
カステリアの道程を超えて
不確かな勝利で三人の大いなる者は冠を受け
鷲 鶏 月 ライオンは太陽にしるしをあらわすだろう
大帝国は間もなく変化するだろう
やがて弱き国となり
弱き者の要求を入れ
そのさ中に彼はやってきて冠位を置くだろう
諸世紀第一章31・32
脚注によると、三人の大いなる者は米英ソ。鷲はアメリカ、鶏はフランス、月は中国、ライオンはイギリス、太陽は日本だ。敗戦で日本は弱体化したが天皇制は維持した、ということらしい。
二行目のカステリアの道程とは、イスラムからイベリア半島を奪還した歴史を言っているのだろう。そう考えれば、それは第二次大戦で日本が支配地域を失ったことの比喩表現だと見ることができる。不確かな勝利というのは、再起不能にしたはずの日本が復興し、経済大国への道を歩むことを意味するのか。