縄文と青空
翌日も似たような状況に陥った。下北半島を北上して恐山に向かうつもりだったのだが、そこは迂回路のない長い直線。観光バスの群れに阻まれてのノロノロ運転がつづいた。恐山に到着するのが大幅に遅れたうえに、疲労も溜まることとなった。おまけに、恐山の中では、極楽が浜に辿りつく前に時間切れ。地獄をめぐって戻って来るだけになった。
帰りはさらに辛くなる。394号を南下して八戸へ向かうのだが、景色はずっと同じ。森の中をただ進むだけ。途中から雨も降り出す。街の明かりが見える頃には日が暮れていた。雨が降っている状態で夜の知らない街を走るのはかなり不安だ。ようやくホテルを見つけた頃には泣きそうになっていた。
たどり着いたのは結婚式場もあるりっぱなホテルだった。間違っていないか心配になった。私はツーリングの時は安ホテルをはしごするので、高級ホテルには縁がないのだ。
ようやく部屋に入った時には八時を回っていて、それから近所で食事できるところを探したのだが、ホテルの周りには店などなく閑散としていた。
いくらか歩いて探索し、ようやく小さな商店街が見つかった。魚料理という看板もある。晩飯は菓子パンか何かで済まそうと考えはじめたところだったので、心の底からありがたいと思った。さっそくその看板のある居酒屋に入る。だが、夜の八時すぎだというのに、店に客はひとりもいなかった。
「酒飲まないけど、食事だけでも良いですか?」
不安になって、私は店のおやじに声をかける。
「大丈夫ですよ。こちらにどうぞ」
私はカウンターに案内された。
傘をカウンターの下に立てかけようとしたら蜘蛛の巣にひっかかった。閑古鳥が鳴く店のようだ。私は期待せずに刺身定食を注文した。男鹿半島で学んだことは、疲れ切っていたせいか頭からすっかり抜け落ちていた。
「生きたタコあるけど食べれます?」
おやじはうねうねと動くタコを私に見せる。
「大丈夫です。お願いします」
私はそう言ってできるのを待つ。
出て来た料理は絶品だった。今回の旅で一番うまいと思った。おかげで昨夜からの鬱々とした気分が吹き飛んだ。やはり旅は食事抜きには考えられない。食べた後、気分が良くなった私はおやじに礼を言って店を出た。
翌日もやっぱり雨。
雨の中を西に向かい山へと入る。
途中、キリストの墓のあたりで雨は上がった。だが、また降りだしそうな雰囲気だ。キリストの墓に立ち寄るか少しだけ迷ったが、結局、減速もせず走り去った。何年か前になるが、ここには立ち寄ったことがある。あそこにあるのは木製の十字架が刺さった塚。正直に言うと、ただがっかりするだけの場所、というのが私の印象だ。私の場合はキリストの墓とされた理由を知っているから余計にそう思ってしまう。そういう人は少なからずいるはずだから、キリストの墓にされる前の情報もオープンにしてほしい。そうすれば、別の価値が生まれるかもしれないから。
さらに進むと、ピラミッドと書いてある指示標識を見つけた。以前は時間がなくて素通りした場所だ。しかし、今日はいくらか時間がある。そう思い、試しにそこを右に曲がってみた。
その道はずっと一本道だった。ピラミッドと言われる山の方へと曲がる道が見つからない。地図アプリ上で見ると、ピラミッドと表示されていた場所を大きく通りすぎていた。地図アプリにも曲がる道は出ていない。結局、行き方がわからず引き返す羽目になった。
その後は、十和田湖を経由して大湯環状列石へと向かう。そこでようやく陰鬱な気分がほぐれ、晴れやかな気分になった。その気持ちが天に伝わったのか、雲間から青空が見えはじめる。
不思議なことに、大湯にいると、私は故郷に帰ったような気分になる。自分がこの集落で生活している姿が思い浮かぶ。ストーンサークルも、五本の柱が背の低い柱に囲まれているところも。自分がここに結び付いているような気がする。
バイクを下りて歩き出すと、自分の口元が自然に緩んでいくのを感じる。他人が見れば気持ち悪いと思うかもしれない。だが、それでもかまわない。私は弾んだ気分で蝶が花から花へと舞うように、たくさんあるストーンサークルを見て周った。写真は前回訪問時にたっぷり撮ったので、今回は雰囲気を味わいながら遺跡を周る。
ここは祭祀の場所。そして生活の場でもある。このあたりは栗が多く、それらは縄文人が移植したものだと言われている。つまり、ここは栗畑でもあるのだ。米、大豆、小豆、粟などの焼いたものも発掘されている。穀倉地帯と言うこともできそうだ。こうした事情を知ると、縄文時代を狩猟採集の時代とする解釈は自虐史観の一種にちがいないと確信できる。
このあと、私は一関で一泊し、満足して帰途についた。ちなみに、この旅で一番うまかったのは東北自動車道のサービスエリアで食べたいちご煮だった。産地で売れ残りを食べるより、売れ残りに当たるリスクがない、客の集まる店を選ぶのが正解なのかもしれない。




