祭祀遺跡
「やっぱりそうだよなぁ」
私は小声で呟いた。
ここは茅野市の尖石縄文考古館。たくさんの土器や土偶が展示されている。特筆すべきは二つのヴィーナスが見られることだろう。ヴィーナスはそれぞれ縄文中期と後期。デザイン的には面白いと思うが、製造技術的な見地からすると、東北で発掘された遮光器土偶とは緻密さの点で劣っている。地域によって技術力に格差があるようだ。ちがいを生んでいるのが技術格差だと考えれば、技術が退化したという私の持つイメージは間違っている。単に作家がちがうだけ、ということになる。
私は考古館を出て、尖石様を見に行くことにした。そこに何かがあることを期待して。
この尖石様というのは、一部が地表に飛び出した、ただの尖った岩石である。砥石として使われていたというのが有力な説らしいが、私はその説に納得できない。これが砥石だというなら、あまりにも原始的で文化水準が極めて低いことになる。翡翠に穴をあけるといった高度な技術と共存していたとは到底思えない。そもそも、一定期間使用したのなら、刃物の形状にあわせてそれなりの摩耗が見られるはず。だが実物を見ると……
そもそもどうして砥石が信仰の対象になり得るのだろう。
どうにも納得がいかない。
私はもやもやした気分のままつぎの場所に向かうことになった。
バイクにまたがり、152号線を直進して白樺湖へと向かう。
この道は以前通ったことがある。確か、途中に民芸調の蕎麦屋があったはずだ。その店は、外見こそ民芸調だが、カウンター席は普通の洋食屋のような雰囲気だったと思う。いつ行っても客は自分ひとりだった気がするが、蕎麦は確かだったはず。たぶん客が少ないのは味のせいではない。混雑する時期ではなかったというだけだろう。思えば、あのときは観光シーズンからもはずれていたはずだ。私が渋滞する観光シーズンにこのあたりに来ようなんて考えるはずがない。加えて、私は旅の習慣で食事は混む時間帯を避ける。
私は朧げな記憶をたどり、その店で昼食をとることに決めた。
バイクを駐車場に駐めて中に入ると、記憶通りの近代的なカウンターがあった。
私はそこに座り、蕎麦を注文する。
少し待つと期待通りの蕎麦が来た。
――やっぱりちがう。
信州で蕎麦を食べるたびにそう思う。
東京の蕎麦の名店は、何だか偉そうな感じだし感動がない。蕎麦自体よりも、食べ方を押し付ける姿勢や偉そうな店主が気になってしまう。江戸前のつゆにちょっとだけ浸けるというスタイルは、不味いものをどう食べるかという対処法が基になっている。それは料理人が不味いものを恥とも思わずに押し付けつづけた結果生まれた文化。日本人のやることではないと思ってしまうのだ。
一方、信州の蕎麦屋はそれほど流行っていない蕎麦屋でさえ何かがちがう。たぶん、水のちがいだと思うが、食べると都会で溜まった穢れが流れ出ていく気がする。まるで深山の神社へお参りに行くように。
こうして蕎麦で穢れを落とした私は、バイクにまたがって再び走り出す。
白樺湖は素通りしてどんどん進む。
長い高原の道を走っていくと右手に牧場が見えて来る。
その駐車場の奥に鳴石はある。
私はハンバーガーに似ていると記憶していたが、一般的にそれはは鏡餅に例えられている。だから一時は鏡石と呼ばれていたとか。看板にはそんなことが書いてあった。
この石には祟りのような逸話もあり、六~七世紀の祭祀遺跡とだ考えられている。このあたりでは勾玉が大量に出土したらしく、この土地には勾玉原という呼び方もある。何らかの霊場と言っても良い場所だったのかもしれない。
勾玉の材料となる石の産地と言えば糸魚川。ここの勾玉も糸魚川から来たのだろうか。ならば、縄文時代、糸魚川と三内丸山の間には交易ルートができていたことになる。この地が糸魚川と交易をしていたのなら、三内丸山と間接的につながっていたことになる。となれば、技術者が東北方面に引越してこの地の土器などを作製する技術が衰退したという可能性もありえなくはない。
いろいろな考えが頭に浮かぶ。
あの時代、運搬はどうやったのだろう。山奥まで石材を大量に運ぶのは可能だろうか。少量ずつ何度かにわけて運んだのだろうか。交易なら往路は交換するものを持って行くわけだし、かなり大変なことのように思える。ここで祭祀を行っていた人々はどんな人たちなのだろう。特別な一族でもいたのだろうか。そういえば、地質学的にはあやしいが、どこかの神社に残る伝承で、長野まで海が来ていたという話があった気がする。もしそうなら――
日本の歴史は弥生時代と古墳時代の間に謎の隔たりがある。この祭祀遺跡は、その謎の部分に関わりがあるのだろうか。邪馬台国もそうだが、その「隔たり」の部分には呪術的な文化も混じっていそうでとても面白い。が、同時に、その部分に無理やり朝鮮半島の影響をねじ込む人もいて、そのせいで「隔たり」が生じたのではないかという気もする。
私はいろいろなことを考えながら、満ち足りた気分でバイクを運転していた。
道はほぼ直線。
のんびりと進む。
気がつくと、つぎの目的地、万治の石仏の近くまで来ていた。
万治の石仏。
それは巨石の表面に仏像の身体を刻み、上部に石の頭を乗せたもの。
私の記憶の中の石仏は、鳴石と似た形状をしていた。たとえるなら、頭の位置が少しずれた某UFOロボ。しかし、それは記憶違いだった。いま目の前にある石仏の胴体は、私の記憶とは異なっていた。目の前にある石仏の身体は木魚のような形。古代の遺物をベースにしたものには見えない。これはただの自然石だ。
石仏は祭祀遺跡とは別もの。
そう考えると瞬時に興味が失せてしまった。
私はバイクにまたがり帰路についた。




