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蟲避

作者: Rena3

体験談短編ホラー 【蟲避ちゅうひ


 山深い集落「御嶽みたけ」には、ひとつの“隠語”が伝わっている。

 蟲避ちゅうひ――虫が避ける土地、いや、虫ですら恐れて逃げ出す“何か”が棲む場所。

 

 オレは家族と東京に住んでいたし、小さな頃は別だが、大学に進学後、なかなか時間がなくて、祖母の葬儀のために十年ぶりにこの集落を訪れた。


葬儀にはそれほど多くはないが、親父の話だと、地元の知り合いや友人の方々が参加しており、集落の長やその土地の地主も手伝ってくれたらしい。


皆、気のいい人達で生前の祖母には何かと世話になっていたらしい。

その中で子ども頃からオレを知る地元の気のいい桐谷おじさんは変わらず良くしてくれた。


長年来ていないにも関わらず、良く来てくれたと。

たぶんいずらい様にしたくない時おじさんはすごく気を使ってくれたんだと思う。


その話の最中、俺、直樹は、聞いてはいけないと思っていたが、聞いてしまった。


「おじさん、蟲避って場所に聞き覚えはありますか」


 彼が、ふと声を潜める。


「……直樹、お前さん蟲避ちゅうひを知ってるのか」


もちろん詳しくは知らない。ただそれとなく子どもの頃から気になっていた言葉ではある。

彼は少しの間、黙っていたが、続けて話をしてくれた。


蟲避ちゅうひって言うのは、この地方独特の隠語の様なもんでな。あの場所には虫が寄らん。

あれは……」


 おじさんは何かを言いかけて、やめてしまった。

その沈黙と場の雰囲気に居心地が悪くなり、意味も分からず、俺は冗談まじりに笑い飛ばした。


「害虫いないとか、最高のスポットじゃないっすか」


 するとおじさんは、皺の深い手で俺の腕を掴んだ。


「馬鹿言うな。虫がいないってことは……命がないってこった」


それ以上は答えてくれなかった。



翌日の葬式は質素だった。過疎化や高齢化の影響で、この村の者の参加者は特に少なくて十人もいなかった。

 神主もいない。代わりに白装束の老婆が、抑揚のない言葉をつぶやきながら鈴を振る。

 その鈴の音すら、どこか濁っていた。

 オレはオレで蟲避の話が気になっていたんだ。



「……あの」


 俺は、祖母の遠縁にあたるという老人に声をかけた。

 黒の喪服の代わりに、褐色の作務衣を着ていたその人、古賀さんは焚き火の前で木を削っていた。

 どうしても知りたい好奇心があったんだ。

だから、同じ質問が口から知らずに出ていた。


「“蟲避”って、どういう意味なんですか?」


 削りかすが火に落ちて、静かに燃えた。


「……ああ、“ちゅうひ”のことか」


 その口調は淡々としていた。が、その目だけは鋭かった。


「この土地にまつわる隠語じゃよ。虫すら寄りつかん土地、って意味じゃ。……虫だけじゃない、人も動物も、草も、音も……何も、寄らん」


「なんでわざわざそんな隠語を使っているんですか?」


「そりゃあ……そこに、“おる”からじゃよ」


「……“おる”?」


「“こえを喰らうモノ”がな」


 そう語る古賀さんの目は一切笑っていなかった。


桐谷おじさんやこの人も全く変わらないことを言うから、いろいろ混乱していたのか。

そんな様子の自分を観て、何か思い出したかの様に続けて聞いてきた。


「直樹、おまえ……昔、一度あの裏山に入ったことがあるじゃろ」


 俺は息を呑んだ。


 実を言うと確かに覚えている。子供のころ、一人であの山に入った。

 理由も覚えていない。ただ……誰にも見つからない静かな場所を探していたような気がする。


 そのとき、何かを“見た”気がする。

 木の影に、白い顔。口元だけがにやけた“それ”を――


「忘れたか? おまえ、帰ってきたとき、声が出んかったんじゃ。三日も、四日も」


 古賀さんにそう言われて、喉に冷たいものが流れ込むような感覚がした。


 確かに、そうだった。声が出なかった。

 そして、誰もその理由を語らなかった。


 それを知ってか知らずか、古賀さんは、まっすぐにこちらの瞳を観てから、手元の焚き火見据えながら話を続けてくれた。


「……“蟲避”はの、昔は“神避け”と書いたんじゃ」

 古賀さんはゆっくりと立ち上がる。


「神とはいえん……神になれなかった何か、声に惹かれる“それ”が、おる。

 声があると気づく。だから村では、虫の鳴く季節、あの地に近づかんようにしとる」


 俺は言葉を返せなかった。


 古賀さんは、俺の肩に手を置いて言った。


「おまえがなんでそんな事を知りたいのか、興味はないがな。いまなら戻る道を選べるかもしれんぞ」


 古賀さんは、見透かし風に言うと、それ以上何も言わず、火の中へ削りかすを落とした。


 パチ、という音だけが、静寂の中に響いた。


祖母が亡くなってから1年後のある日。


 オレは大学の友達(慎吾と真琴と優香)と一緒に「御嶽みたけ」のある場所へ戻ってきた。


 そう一年前に聞いた蟲避の場所だ。


 三人とは同じ民俗学サークルで一緒だった事や、そのサークルの責任者である教授も興味があり、調べてみようということで、一年越しの再訪になったということ。


「……マジで、何もいねぇな……」


 慎吾が、スマホで辺りをぐるりと撮影しながら、ぽつりと呟いた。

 

 虫の音、風の揺らぎ、鳥の囀り……そういった自然の“音”が、まるでカットされたように、この林には存在しなかった。


「まるで、テレビの音声だけが消えたみたいな……変な感じ」


 優香が首をすくめて言う。手には録音アプリを起動したスマホ。

 だが、再生してみると、録れているのは**“沈黙”**だけだった。風も、葉擦れも、彼女の囁きすらも、残っていない。


「うわ、これバグってんじゃない? 新機種なのに……」


「なあ、もう戻らないか? さすがに気持ち悪いって、ここ」


 真琴が顔をこわばらせて周囲を見回す。

 俺たち四人は、昼過ぎに村を出て、すでに「蟲避」と呼ばれるであろう地に足を踏み入れていた。


 今となっては、その名の意味がただの隠語ではないと理解していた。

 だが、それでも――


「ほんとに虫がいない。俺、これ録ってSNSに上げたらバズるかもな」


 慎吾は面白半分でスマホの録画ボタンを押した。

 軽装のTシャツにジーパン。都会帰りのスタイルで、山中でも気にする様子はない。


「なあ直樹、なんか言ってみろよ。お前ん家の地元なんだろ」


 カメラがこちらを向く。

 だが俺は、なぜか言葉が出てこなかった。


 喉が、詰まる。

 声を出すのが怖い、というより、声を出したら“気づかれてしまう”ような気がした。


 感覚がおかしい、肌がざわめく。


 慎吾のスマホが、ぐるりと辺りを映す。


「うおっ……マジで、音しねぇな。BGMもないホラーゲーって感じ」


 そして、そのレンズが――一瞬、何かを捉えた。


 木の影。

 その奥に、白く、のっぺりとした何かが立っていた。

 ……いや、それは“顔”だった。人のようで人ではなく、口だけが、耳まで裂けていた。

 慎吾は構わず声をかけてきた。


「……おい、今なんか映った」


「え? 何が?」


「後ろ……いや、気のせい?」


 俺は手を伸ばして慎吾の肩を掴んだ。


「戻ろう。もう、戻ったほうがいい」


「は? なんで?」

 感覚がバグる、何かがおかしい。

 なぜかみんな気づいてないことが、さらに恐怖と焦りを掻き立てていた。


「……やばい、何かがおかしい。ここ、本当におかしいんだよ」


 言いかけたそのときだった。


 ――ギ、ギ、ギ……


 足元の落ち葉が、ゆっくりと、音を立てて動いた。

 慎吾が振り返った瞬間――


 “何か”が、彼の背後に立っていた。


 黒い瞳。

 口だけが、笑っていた。

 裂けた口の奥は、真っ暗な穴だった。その奥から、慎吾の名を呼ぶ声が重なって聞こえた。


「しんご……シンゴ……シィンゴ……」


「……あれ……俺の、声……?」


 慎吾がそう呟いた瞬間、影が彼の首を裂け口で覆った。

 音が吸われるように、慎吾の身体がぐにゃりと歪んで、林の奥へ引き込まれていった。


 俺も、真琴も、優香も――何もできなかった。

 ただその場に立ち尽くし、何も聞こえないまま……いや違う。

 一つだけ音があったんだよ。


 それははるか遠くで聴こえる様な何かを咀嚼して噛み潰す音だったんだ。



 その後の記憶は曖昧だった。

 ただ残った優香と真琴の手を即座に引いて、来た道をひたすらに走っていた事は覚えてる。


 数時間後、俺たちはようやく御嶽の集落がある付近まで戻り、警察に通報した。

 すぐに連絡したかったが、電波が微弱で通話出来なかったんだ。

 通報から、時間はかかったが、のちに捜索が行われたが、慎吾は見つからなかったらしい。

 しかし、警察の話では慎吾のスマホだけが見つかったと話を聞いた。


 警察から色々と聴取やら取り調べなんかもあったけど、その間も慎吾は見つかっていない。

数ヶ月後、ほとぼりが冷めた頃、慎吾のお父さんから連絡をもらった。


 「元気してた?」


 少しやつれていたが、優香は変わらず大学に通学して一緒に講義も受けている。


 「オレも元気だよ」


 そう言う真琴は、久しぶりに会う。慎吾が行方不明になってから、大学を休みがちになっていたが、慎吾のお父さんからの連絡を受けてきてくれたんだ。


 今はオレの運転で慎吾のお父さんいる喫茶店へ向かっている。


 俺たちは指定された喫茶店へ着くと、慎吾のお父さんと横には知らない女の人がいて二人へ軽い挨拶をして座った。

その女性はケイコさんといい、慎吾のお父さんの友人らしい。


 「会ってそうそう君たちに何を言うか迷っていたんだが、コレだけは言える」


 「もうあそこには2度と行ってはダメだ」


 強い口調で言う表情から読み取れず、オレ達は混乱してたと思う。

 

 「でも、私は慎吾を弔いたいし、別れもちゃんと言いたいです」

 優香の言葉にはある種の決意がある様に思えたが、慎吾のお父さんの横にいたケイコさんはこう忠告した。

 

 「ごめんなさいね。これから言う事を受け入れてくれるかはわからないけど、君たちへ話さなきゃならないことがあるの」


 ケイコさんはコーヒーに一度口をつけて、話し出した。


 「私はね、視える人って言えば通じるかな。霊やらそう言うのが人よりみえるのよ」


 「君たちが慎吾君を大切に想う気持ちはわかるのよ。でもね、その場所が何かは私は知らない。知りたくもない。その動画に写るモノはね。みるだけでもヤバいのよ」


 俺はふとケイコさんをみると、一度、置いたはずのカップに伸ばしてある手が震えて小さく小刻みに音を出していた。


 「アレは触れてはダメ、関係するのも。ましてやあの場所に再び訪れるなんて」


 「そう言われても、俺はそれはみえませんでしたし、ちゃんと慎吾に別れをつげて供養したいんです」

 真琴は納得がいっていないらしい。オレもそうだから、その言葉に頷く。


 それがわかっていたのか、ケイコさんは慎吾のお父さんへ目配せすると、スマホ取り出した。


 見覚えのあるスマホ、それもそのはず。

 

 「それって慎吾の」

 「慎吾のスマホだよ。その中には、慎吾が失踪する直接の動画が残っているんだ」


 「ごめんね。スマホはここでは見せられないだから、こっちを皆に渡すわね」


 ケイコさんはそう言うと三枚のSDカードを俺たち一人一人に渡してくれた。

 

 「その中には、ある動画がある。視ればわかるが、一つだけ忠告したい。みないのであるば捨ててくれて構わない。いやむしろみない方が良い」

 

 二人とも話す言葉は丁寧だったけど、その言葉とからだからはハッキリした恐怖が滲み出ていた。



 オレは夜、ひとりでその動画を再生した。

 最後の姿をちゃんと見たかったから。


 映像には、慎吾の楽しげな姿、無音の林、そして――

 

 “あれ”がいたんだ。

 口だけが裂けて笑う白い何かが、カメラのフレームの隅に映っていた。


 最後の数秒。カメラが落ち、林の地面を映す。

 その奥で、“あれ”が、こちらを振り返った。


 口だけが動いていた。

 姿は違うのに慎吾の声をした

 懐かしい声なのに、恐怖で体が震えて動かない。

 “あれ”の言葉はちゃんとオレの耳に聞こえていた。


 「……オマエモ、聲ヲ、クレルノカ?」


 子どもの頃の記憶はまだ戻っていません。


終わり(誤字、脱字 微修正)

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