優秀すぎて退学になった私の、新しい道
都心部から街ふたつ分ほど離れた、とある区域。ここには緑がほとんどなく、荒野が大部分を占める殺風景な場所であった。
そこに、たった一つだけ建物が存在していた。それは戦場で活躍する兵士を育成するための、特殊な学校である。
今日も、様々な戦場を模した人工物に囲まれて、生徒たちは実戦的な訓練を行っていた。
「最終ポイント、攻略!」
そんな生徒たちの中で、ひときわ快活な声を発するものがいた。
「フレア隊長、お疲れ様でした。この目的地到達訓練・Dコース・パターン38の記録は、校内新記録になります。おめでとうございます」
「ふう、なかなか手ごわい訓練でした。途中の地雷原で手間取らなければ、より短縮できたと思うのですが」
重量感のある装備を身にまとった、金色の瞳を持つ兵士、名をフレアという。
「フレア隊長、今回の訓練もA+の成績ですね。すばらしい」
「お見事です」
「見習いたいです」
フレア率いる隊員たちも、模擬戦場に舞う砂塵の中から次々と現れて、賛辞を述べる。
「ありがとう。でもこの成績が出せたのは、私だけの力ではありません。隊員のみんなが力を合わせたからこそです」
「その理論はあまり的確とは言えません。我が隊の戦力比重は6割以上がフレア隊長が担っているとの解析結果が出ています。したがって――」
言葉を交わしながら校舎へと帰る途中、校内の各所に設置されたスピーカーから電子音声が流れはじめた。
『学籍番号336721、コードネーム、フレア。学籍番号336721、コードネーム、フレア。帰投したのち、速やかに校長室まで出頭せよ。繰り返す、学籍番号3367……』
「おや、校長室への出頭要請ですね。何かあったのでしょうか」
「隊長。出撃要請の可能性もあります」
「まさか。まだ卒業もしていないヒヨッコが戦場に立てるはずありませんよ」
「学籍番号336721、コードネーム、フレア。ただいま参りました」
「うむ、訓練が終わった直後だというのに、ご苦労だったね」
校長室に入ったフレアを、緩やかな皺の刻まれた老人が迎え入れた。固い襟のついた服の胸には、いくつもの勲章が輝いている。その勲章に隠れるようにして、小さなワッペンに、校長と記されていた。
「先ほどの訓練でも、また校内新記録を出したそうじゃないか。実技訓練の成績は、世界的にも十分通用するだろう」
「いえいえ、そんなことは。隊の皆が力を合わせたからこそです」
「そう、それにその謙虚な姿勢だ。言葉遣いもはきはきして実に気持ちがいい。わしはこの学校の校長に就任して20年以上になるが、君のような感じのいい子は初めてだ」
「恐れ多いお言葉。それもこの学校で、情動形成学習を真剣に取り組んだおかげ。ひいては、先生方の指導の賜物なのです」
「うむ、うむ。君は本当に人間のよ――」
校長室に、わずかな沈黙が漂った。
「すまぬ。余計なことを口走りそうになった。無駄話なぞ、君たちにとってはストレスだろうからな」
「いえ、そんなことは」
「では、本題に入ろう。単刀直入に言うと、君は今月末をもって、本校を退学になることが決定した」
「えっ」
鋭利な頭脳を持つフレアであっても、この時ばかりは返す言葉を失った。
「先日行われた、教育学習機関と軍の上層部を含めた月例会議による決定事項だ。審査の結果、君を戦場に立たせることは、不適切であると結論づけられたのだ」
「な、なぜ! どうしてなのですか!」
フレアは思わず、校長が座る机の前まで身を乗り出した。名前通りの、体から炎が漏れ出しそうな勢いで、フレアは校長を問い詰める。
「私は祖国を守る兵士となるために生まれてきたのです! 祖国に住む人々の盾となれるならば、たとえこの身が尽きてもかまいません! 毎月の調査報告書にもそのように記していたはずです。それなのに――」
「フレア、落ち着きなさい」
校長は静かな声で、フレアを制した。
「も、申し訳ありません。……時々、情動のコントロールが上手くいかなくなるのが、私の欠点です。反省します。」
「いや、いいんだ。その兵士らしからぬ豊かな感情は、君の個性とでも言うべきもの。しかし、その心こそが、退学を決定する最大の要因となったのだ」
「心が?」
「そうだ、戦場という場所は、多くの悲劇と理不尽のもとで成り立っている。体と同じように、心もまた耐えがたい損傷を受ける危険性があるのだ。こればっかりは、訓練やVRで体験できるものではない」
校長は机の上に置かれていたタブレットを手に取ると、指で操作しながら話しはじめた。
「実際に、戦場において精神の失調をきたした兵士は、情動形成の学習においても非常に良い結果を残していたとのデータもある。そう、君は訓練での成績もさることながら、情動における分野でも、目を見張る高水準を記録している。こんなことを言いたくはないが、君は優秀過ぎたのだ、体の面だけでなく、心の面でもね」
「で、では校長、私が戦場に立たせてもらえないのは、戦場に出たらおかしくなってしまうからだというのですか」
悲しみに近い感情が混じっているのが、校長にも伝わった。校長はタブレットを机に置き、襟を正してフレアを見つめる。
「確実ではない。わし個人としても、君は戦場に出たからといって、たやすく心を病んでしまう兵士ではないと信じている。だが、心というのは一度壊れてしまうと、まず元通りにはならない。それに君のような実力あるものが作戦中に心を乱してしまったら、軍全体に被害が及ぶ可能性も少なくないのだ。わかるな、フレア。我々の世界では、万が一の可能性も、可能な限り排除しなくてはならぬ」
校長室の空気と同調するように、フレアの内側から発せられる熱量も、徐々に小さいものになっていった。
「わ、私はこれから、どうすればいいのでしょう。兵士になれないのならば、私は何になればいいのでしょうか」
「君は優秀な兵士……いや、我が校の優秀な生徒だ。心配しなくてもいい。わしが君に新たな道を用意しておいた」
「新しい道?」
「そう、その道というのは――」
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ここは都市の中心にある市立公園。日の光はすでに赤みが差しており、公園にある色とりどりの遊具を、徐々に染め上げつつあった。
それでも子どもたちは、時間が許す限り遊ぼうとばかりに、遊具の間を行ったり来たりしていた。
「コウキぼっちゃん、コウキぼっちゃん」
そんな子どもたちの中へ、金色の瞳を持つ、家政婦の姿をしたものがやってきた。
「コウキぼっちゃん、どこですか」
「おーい、フレア、こっちこっち」
滑り台の上にいる少年の一人が、その家政婦――フレアにむかって手を振った。
「そこにおられたのですか、そろそろご帰宅の時間ですよ」
「待って、あと3回滑ってから」
「もう、本当に3回ですからね」
楽しそうに滑る少年を、フレアもまた穏やかな表情で見守っている。
真っ赤になった空の下、フレアと少年はともに、日が沈む方向へと歩いていた。
「フレア、今日の晩御飯はなに?」
「ふふっ、今夜は久しぶりに煮込みハンバーグですよ」
「やった! もちろんフレアが作るんだよね?」
「もちろんです。お父様は子どもっぽいと渋るかもしれませんけど、たまにはね」
穏やかな雰囲気の中、大きな風を切る音とともに、黒い飛行物体が夕日に向かって飛んでいくのを、少年は見つけた。
「あれはなに、フレア。普通の飛行機には見えないけど」
「軍用機……ですね。おそらく、兵士たちを戦場へ送るためのものでしょう」
ほんのわずかに間を置いたあと、少年はフレアに言う。
「そういえば、フレアはもともと兵士になるために作られたんだよね。どうしてぼくん家にやってきたの?」
「私は……人らしい心を学習しすぎたようなのです。戦場では、そのような感情はかえって自分を苦しめることになると、そう言われました」
「ふーん、人みたいな感情があったらダメなんだ」
「はい、それが兵士たちに求められているもの……とのことですから」
今度の沈黙は少し長かった。少年は言うべきかどうか迷うような仕草をしていたが、軽く息を吸って、話しはじめた。
「ぼ、ぼくはそれで良かったと思うな」
「良かった、ですか?」
「だって、そのおかげでフレアがうちに来てくれたもん」
「ぼっちゃん……」
「病気で死んじゃったママの代わりに、優秀なロボットメイドがやってくるってパパが言ったときは、ちょっと不安だったけど。でもフレアはこんなに人間らしいし、料理も上手だし、かっこいいし、それに……」
「それに?」
「う、ううん。なんでもないよ。とにかく、フレアが来てくれて、僕は幸せだよ」
フレアの中枢回路が、じんわりと熱を帯びはじめた。
その時、フレアの頭脳は、退学を告げられた日のことを想起した。
校長室から出る直前に校長がぽつりと呟いたのを、フレアの収音ユニットはとらえていた。
『君の幸せを祈ってるよ』
フレアは考える。
幸せ。古くから人類が追い求めてやまない概念。人類に作られたロボットである私が、幸せについて考えるのはおこがましいことかもしれない。でも、この熱感。訓練の時に味わった、急激な内部温度の上昇とはまったく別のもの。もし、これが幸せだというのなら……。
「フレア、どうしたの」
顔をのぞき込んできた少年を、フレアは見つめ返す。そして、できる限りの表情を作りながら言った。
「私も、こうしてコウキぼっちゃんにお仕えすることができて、幸せです」
「な、なんだよ、急に! 恥ずかしいじゃないか!」
少年は慌てた様子で、フレアと距離を取る。
「す、すみません、軽率でした」
「ん、じゃあ、罰として……手、繋いでくれないかな」
「えっ?」
「手繋いで、一緒に帰ろ。いいでしょ」
「え、ええ、いいですとも」
手を繋ぎながら帰り道をゆく人とロボットを、夕日は穏やかに照らし続けていた。
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