4:過度な触れ合い
ある日、ボーナではない侍女が私に付くことになった。
今まで、ボーナの休みの日は別の侍女はおらず、メイドたちが必要に応じて食事を運んだり湯の準備をしてサッと退室していくだけだった。
新しい侍女に名前を聞いたが教えてもらえず、鼻で笑われた。
「姫様に命じられたから来たけど、卑しい奴隷の世話なんて……話しかけないでくれる?」
――――なるほど。
クリスティアーノ様を国王としたこの国は、クリスティアーノ派閥と皇帝派閥がいるようだ。
ボーナは間違いなくクリスティアーノ様側だ。そして、ボーナから聞くクリスティアーノ様の功績は、国を与えられる程のものであった。皇帝は今回の戦争で勝てば、この国を与えるしかなかったのだろう。
だからこそ、スパイを大量に紛れ込ませているということか。この侍女はそのカモフラージュではないかと思う。なぜなら、これだけ分かりやすく頭が悪い対応をするのだから。
翌日、ボーナが大丈夫だったかと聞いてきた。どうやら彼女も知らぬ采配だったらしい。
聞けば、あのお姫様から直接侍女長に連絡が行っていたとのこと。
「大丈夫よ。貴女は気にせずちゃんと休みを取って」
「誠に申し訳ございません……」
侍女長は、初日の入浴と治療以降は会った記憶がない。私の背中を見て早急な対応をしてくれた覚えはあるが。
侍女長はどっち側の人間なのだろうか。
ボーナに侍女長はどんな人物なのかと聞いてみると、幼い頃からクリスティアーノ様の侍女をしており、彼が一番信頼している使用人なのだと言われた。
「なのに、姫様?からの命令は聞き入れるの?」
「…………了承は、クリスティアーノ様が出されたそうです」
「ふぅん?」
クリスティアーノ様のことが、更にわからなくなってきた。彼は何をしようとしているのだろうか。なんとなく感じていたのは、帝国とはなるべく距離を取りたいのかもしれないといった雰囲気だった。
彼が国王になって、以前の国の役人たちの中から継続して採用した者は、見事なほどにあの愚王の息がかかっていない者たちだった。
なぜそんなにも的確に選べるのだろうか。もしかしたら内通者がいるのかもしれない。
気になるのは、重要なポストも半分ほどは以前の国の者たちだということだ。これはかなり異例なことだ。
帝国が従えて来た国々は、法律や貨幣なども全て帝国と同じものになっている。
メイドたちの噂話やボーナからの話を聞いた感じでは、クリスティアーノ様が試験的な国の運営をすると決定したようだった。そして、その約束を新国王になる前から皇帝に取り付けていたため、実現したらしいということ。
多分、皇帝は面白半分で了承した。そして、娘を娶らせるつもりだったし、クリスティアーノ様がそういった雰囲気を出していたんじゃないかと思う。なんとなくだが。
ベッドにうつ伏せになり目を閉じる。
もう少し、隣国とクリスティアーノ様のことを知れたら、この謎めいた状況の理由が分かるのだろうか? だが、知ったところで私の何かが変わるわけではない。奴隷は奴隷のままだ。
クリスティアーノ様がなぜ私のことを婚約者だと紹介したのかが分からない。皇帝に弱みだと思わせるためなのだとしたら、少し回りくどい、クリスティアーノ様の態度に違和感がある。
私に優しくする必要はないのだ…………いや、私がクリスティアーノ様と愛し愛される関係になっていないと無理なのかも知れない。それならば、そう命令すればいい。隣国には、元々奴隷がいるのだし、扱い方は分かっているだろうに。
ボーナの休みの前日、クリスティアーノ様が来て言った。
例の侍女がまた明日来るが、絶対に食べ物や飲み物に手を付けるなと。食事類はメイドたちに運ばせるよう手配しているから安全だとは思うが、妙だったら手を付けるな、と。
昼と夜に会いに来るから、その時に菓子を用意するから、飲食をしないでくれと。
「それから…………」
「なんでしょう?」
すっと目を逸らされた。今までは金色の瞳で真っすぐにこちらを見てくる人だったが。黒い髪の隙間から少し赤らんだ耳が見える。
「…………過剰な触れ合いをするが、拒否はするな」
――――なるほど?
あの侍女に見せつけるためのものなのだろう。それによって、お姫様が暴走することを期待しているんだなと理解できた。
「承知しました」
だからそう返事したのに、クリスティアーノ様はなんだか不服そうな顔で出ていってしまった。
「なんなのよ」
「ふふっ」
珍しくボーナが笑い声を漏らしたが、理由は教えてくれずだった。
そして予定通り、今日も例の侍女が現れた。ボーナからイデアという名前だと教えてはもらったものの、呼びかけることはないだろう。
基本的に飲み物など出されないのだからまぁいい、朝食は青白い顔のメイドが運んできて、イデアがにたにたと笑っていたので、体調が優れないと下げてもらった。
「人様に運ばせておいて、何様なのよ!」
貴女は一切運んでいなかったが? と聞きたくなったが無視して、怠惰に見えるようにベッドに寝そべり恋愛の本を読んだ。
飲み物は、寝る前に用意してもらっていた水があるのでそれを少しずつ飲んで、やり過ごした。
昼になり、また青白い顔をしたメイドが食べ物を運んできた。
「貴女、名前は?」
「――――っ!? え、あ……アンナでございます」
「そう。ありがとうね」
「……い、いえ」
「運び終えたんなら、さっさと出ていきなさいよ!」
朝からキーキーと煩いことだ。
叫ぶことでしか、自分の存在を主張できないとでも思っているのだろうか。
「……煩いわね。食欲が失せたわ。下げてちょうだい」
食事用のテーブルに移動はしていたが、立ち上がってベッドに舞い戻った。
毒をいれるのならメインのものだろうから、危険な綱渡りではあるが、付け合わせなど一口二口食べてもういらないと言おうと思っていたから、丁度よく叫んでくれて良かった。
先ほど読んでいた恋愛小説を手に取る。囚われの姫が助けに来た平民の騎士と恋に落ちる物語だった。
なんとなく内容が自分たちに似ている感じがして、読みたくない。選ぶ本を失敗した。
目をつぶり昼寝をしている風を装って、これからどうなるかなどを考えていた。クリスティアーノ様が部屋を訪れたようだった。私が昼寝をしていると思い、イデアがあることないことキーキーと何か訴えていた。
クリスティアーノ様は「そうか」と一言答え、こちらに近寄ってきているようだった。
さて、どのタイミングで起きて、どんな反応を――――んっ!? えっ、これって!?
横向きで寝ていた体を仰向けにするよう、ゆっくりと倒された。そして覆い被さられたなと思ったら、温かくて柔らかなもので唇が塞がれた。薄く目蓋を開けると、先ず黒い髪が見えた。そして、ピントが合わない程に近い、クリスティアーノ様の金色の瞳だった。
唇を重ねたまま、クリスティアーノ様がジッと私を見て、私もクリスティアーノ様を見返して、一体何の時間なのだろうと思っていたら、ぬるりとしたものが口の中に入ってきた。
「んあっ……」
びっくりしすぎて、変な声が漏れ出てしまった。
「フッ…………そう煽るな。続きは夜にしてやる」
クリスティアーノ様が妙に楽しそうに笑いながら、もう一度キスを落として来た。
耳が熱い。そして、何かを考えようとしていたのに、何も思い出せない。
初めてキスをしたが、こんなにも思考回路を飛ばす威力があるのだろうか。両親が玄関でしていたのはもう少し軽いものだった気がするが。
「ほら、口を開けろ」
クリスティアーノ様が上着から包みを取り出し、クッキーを私の唇に押し当てて来た。薄く唇を開くと、ゆっくりと差し込まれたので咀嚼する。
バターの匂いが口腔内に広がり、優しい甘さがじんわりと体に染み込んでくるようだった。
「ん…………美味しい」
「っ、そうか。もっと食べろ」
体を起こし、ヘッドボードに背を預けると、クリスティアーノ様がまたクッキーを唇に押し当ててきた。
給餌されるようにしてクッキーを五枚食べ終えると、クリスティアーノ様がサイドボードにあった水を口に含み、キスをしながら流し込んできた。
――――これ、飲むの?
なぜこうされるのか、よくわからない。ただ分かるのは、お酒を飲んだときのように、全身が熱くなったこと。
「ん。またな」
唇を離すと満足そうな顔でそう言い、私の額にキスをして部屋から出ていった。
――――過度な触れ合いって、こんなに?