3:歩み寄る
式典が終わり、新国王に連れられ部屋に戻った。
「直ぐに着替えを! 侍医は呼んでいる」
彼は何を慌てているのだろうかと思った。目眩が酷いからもう休ませて欲しい。早くドレスが脱ぎたい。なのに、新国王は慎重に脱がせろとうるさい。
袖を抜いて脱いでしまおうとしていたが、新国王に腕を掴まれ止められてしまった。
「血と滲出液のせいで布が背中に張り付いている」
どうやら髪の毛を下ろしたヘアセットだったので、髪の毛に隠れて血のにじみなどは見えないようになっていたが、捲って見ればたいそう酷い状態だったらしい。
そういえば皇帝がバシバシとわざとらしく何度も叩いて来ていた。故意にやっていたのは間違いない。本当に心根の腐っているとしか思えなかった。
新国王がドレスは破いて構わないと言い、ベッドに私を寝かせると、ドレスの両サイドを破いてゆき、背中には湯を染み込ませた濡れタオルを被せ、ふやかしながらゆっくりとドレスだった布を剥ぎ取られた。
「お待たせいたしました……これは酷い…………」
侍医が何か薬を塗り、ガーゼを当て包帯でぐるぐる巻きにされた。治療後、新国王と侍医が何か話していたが、疲れがピークに達してしまい、そのまま眠ってしまった。
翌朝、皇帝は自国に帰っていったとボーナから聞かされた。
昨晩は何も食べずに寝てしまっていたため、朝は少し多めにと出されたが、未だに胃が受け付けない。
できる限り食べはしたものの、残りは下げてもらった。
昨日のことで体力も精神も使い果たしてしまったのか、また直ぐに眠くなったので、ベッドに戻り眠りに就いた。
昼過ぎに起き、昼食を食べ、また眠る。
夜に起き、夜ご飯を食べ、また眠りに就いた。
薬のせいもあるらしいが、どうにも眠くていけない。
二日三日と経ち、少し体調が回復してきた。本を読んだりボーッと外を眺めたりして過ごしている内に、一週間が経とうとしていた。
背中の治りは順調らしい。ちゃんとした食事や休養が取れているからだろう、と侍医に言われた。
「ボーナ」
「はい、なんでしょうか?」
部屋の隅に控えているボーナを呼ぶと、直ぐに返事があった。彼女は相変わらず丁寧でいて、少し距離がある。
「私は、ここで何をしたらいいの?」
「ヴェロニカ様のお好きに過ごされて大丈夫ですよ」
「新国王の夜伽の相手として飼われたんじゃないの?」
「そんなっ! 違いますよ」
珍しく、ボーナの声が揺らいだ。なぜここにいるかは、答えられないが、決してそういう意味ではないのだと言われた。
「そう、なんだ…………じゃぁ、何して過ごしたらいいのかしら?」
「そうですね――――」
ボーナから提案された。先ずはケガを治すことと、そして、新国王と話し合ってみてはどうかと。
「分かったわ」
でも、新国王がいつこの部屋を訪れるかなんて分からない。とりあえずは今までどおり、眠りたいときに寝て、本を読んだりして過ごすことにした。
のんびりお昼寝ばっかりしているけれど、きっとこれも治療の一環よねと無理やり自分に言い聞かせながら。
□□□□□
「クリスティアーノ様、どうか起きている間に訪れてあげてください」
食後の薬が効き、しっかりと寝静まってからいつも訪れていた。
背中が膿む直前まで来ており、ヴェロニカ嬢は沢山の薬を飲む羽目になっている。それらの副作用で、強力な眠気に襲われているのだが、それを利用してしまっている。
「父親を殺した男の顔など見たくないだろう」
仕方なかったとはいえ、彼女にそれは関係ないだろうからな。
すやすやと眠るヴェロニカ嬢の横に腰掛け、そっと頭を撫でる。
よく悪夢に魘されているようだが、こうやって撫でると落ち着くのだ。さっきも苦しそうな表情でシーツを握りしめ、涙を流していたが、今は穏やかな寝顔になっている。
建国祭の日を思い出す。
何を言われようと一切表情を崩さず、柔らかく微笑み続けていたヴェロニカ嬢。皇帝にわざと背中を叩かれようと、微笑み続けていた。
あまりの反応のなさに、皇帝は興味を失ってくれてホッとした。
その代償は、大きかった。ヴェロニカ嬢に負担を強いるだけのものだった。
「ままならないな――――」
ボソリと呟くと、ボーナが温かい紅茶を差し出してきた。
「もう少しの辛抱ですわ」
「そうだな」
「とりあえずは、ヴェロニカ様と会話を」
「分かった」
ゆっくりと紅茶を飲みながら、ヴェロニカ嬢を撫で、覚悟を決めた。
◇◇◇◇◇
お昼寝から目覚めると、腹部辺りのベッドの端に誰かが腰掛けているようだった。広い背中に流れる長い黒髪。新国王だが……なぜここに?
どうしたらいいのかわからず、ただ広い背中を見つめていたら、ボーナが私の目覚めに気付いてしまった。
「ん、起きたか」
「……お見苦しい姿を見せて、大変申し訳ございません」
居住まいを正してベッド上に座ると、新国王が眉根を寄せた。何か不興を買ったのだろうか?
「無理に動くな」
「え……」
「きついのなら寝ていろ」
新国王の節ばった大きな手が顔に伸びてきて、ビクリと震えてしまった。それに気付いたのだろう、頬に触れる直前、新国王がハッとした顔で手をぐっと握りしめて膝の上に戻した。
「少し話せるか?」
「はい」
何を話すと言うのだろうか?
食事用のテーブルに移動し、ボーナにお茶を出してもらった。
「時間を持て余していると聞いた」
「はい」
「何かやりたいことはあるか? 欲しいものは? 趣味はなんだ?」
そう聞かれても、何もない。ずっとお父様の手伝いだけして生きてきたから。
あえて言うのであれば、歴史書などを読んで過去の戦略を学ぶことだろうか。そう答えると、また眉根を寄せられてしまった。
「そうだな、まずは――――」
趣味を見つけること。裁縫でも読書でも絵描きでも音楽でもいい。欲しいものはボーナに言って取り寄せてもらえと言われた。
なぜそんな提案をされるのか、意味がわからなかった。
「それから、クリスティアーノと呼べ」
「え……」
どうやら、陛下や新国王陛下と呼んでいるのが気に入らないようだった。
私、この人に向かってそう呼んだことあっただろうかと考えたが、あまり記憶がない。名前で呼ぶ意味も分からないが、主人の言うことには従わざるを得ない。私は奴隷なのだから……一応。
「クリスティアーノ様」
「ん」
なぜか酷く満足そうな顔をされた。
それ以来、クリスティアーノ様は私の部屋に頻繁に顔を出すようになった。甘いお菓子や、綺麗な花を持って。
「ありがとうございます」
お菓子などは、受け取って横に置くと「食べないのか?」と聞いてくるし、食べるまでじっと見てくる。
初めは毒でも入れているのかと疑ったが、そもそも毒を入れて私を殺害する意味もないので、素直に受け取ることにした。あと、美味しいし、お菓子に罪はない。
花はボーナに渡すと綺麗に活けて窓辺に置いてくれる。
花はいい。見ているだけで心が和むし、いい匂いがするから。
「何か欲しいものは?」
いつもそう聞かれるが、何も答えられない。
一度、歴史書や戦略のノウハウが書かれているような本が読みたいと言ったら、とても渋い顔をされてしまい、なんとなく言えなくなった。
別に謀反などは起こす気もない。ただ、読み慣れた文体を眺めたいだけだった。この部屋には恋愛や冒険ものの本ばかりで、少し飽きてきていた。
「やりたいことでもいい」
「…………特に」
「ん、そうか」
クリスティアーノ様は時々寂しそうに笑って、こちらに手を伸ばしてくる。初めはビクリと震えると手を引いていたが、最近はそっと頬に触れてくるようになった。
嫌がっているわけではなく、どうしても反応してしまうのだとボーナに言ったから、きっとそれがクリスティアーノ様に伝えられたのだろう。
ボーナは、私から得た情報をクリスティアーノ様に伝えているようだが、取捨選択もしてくれているようだった。だからだろう、ついいろいろ話してしまうのは。
クリスティアーノ様が去ったあとは、ちょっと疲れてベッドで休む。緊張とはまた違うのだけれど、たった二ヵ月の奴隷生活で、他人がいると体が強張ってしまうようになった。
侍医はストレス性のもので、一生つきまとう可能性もあるし、直ぐに治る者もいると言った。あまり気にしすぎると余計にストレスになるから、そういうものだと割り切って付き合う方が心の安寧に繋がると言われ、そう考えるようになった。
そういうことだから、毎日お昼寝をしてもいいんだと自分を許す。ゆっくりのんびりしていいのだと。
温かな日差しに包まれて目を閉じた。