2:建国祭
◇◇◇◇◇
ベッドから起き上がり、ゆっくりと昇りゆく朝日を見つめる。
そういえば、今日明日は建国祭だとか侍女たちが言っていたっけ。新国王になり、国も安定してきたので、宗主国である隣国の皇帝が来るのだとかなんとか。そこで新しい国名を付けるとかも言ってたっけ。
――――まぁ、私には関係ないけれど。
ベッドの上でごろごろしていると、朝食が運ばれてくる。かなり豪勢な食べもので、どう考えても奴隷に与えるものではない。気にしたところで理由など分からないので、考えないことにする。
起き上がって、のんびりと食べていると、隣の部屋から物音が聞こえてきた。きっと国王が起きて今日の準備を始めたのだろう。
朝食を終え、部屋にある本棚を眺める。恋愛模様の物語や空想世界の物語、子ども向けの物語などが書かれた本しかない。
歴史書や戦略関係の本ばかり読んでいたので、物語というものを読んだことがなかった。幼い頃は母に絵本を読み聞かせてもらったっけ……と思い出し、涙が溢れ出そうになった。
「ふぅ……」
深呼吸をし何度も瞬きを繰り返し涙を散らす。
今までは感傷に浸る暇などなかった。息も感情も思考も押し殺し、ただ牢の中にいるだけだったから。
「……ねぇ」
「はい、なんでしょうか」
部屋の隅に控えていた侍女に声を掛けると、丁寧な所作と返事をされた。主人の目がなければ奴隷になど酷い対応をするものだと思っていたが、それはそれで失礼な考えだったのかもしれない。
「私はここで何をしたらいいのかしら?」
「ヴェロニカ様のお好きに過ごされて大丈夫ですよ。ただ、このお部屋からは出られないようお気をつけていただければ」
なるほど、流石にそこまでの自由は与えられないか。かといって、部屋からでたい何かがあるわけでもないし、いまだに背中は痛む。もう少し休みたい。
侍女に寝ると伝えベッドにうつ伏せになった。
「お布団をおかけしますね」
「ありがとう――――」
ゆらゆらと揺らめく夢の中、両親が処刑された日の光景が浮かぶ。奴隷商の男に目を逸らすなと髪を引っ張られた。
お母様は笑顔だった。大衆の中にいた私を見つけ、大丈夫と口を動かしていた。
お父様は真剣な表情だった。同じく私の方を見て諦めるなと口を動かしていた。
夢だと分かっているのに、苦しくて悲しくて、叫んでも叫んでも両親に手が届かなくて、無力感に苛まれる。
(っ――――いやぁぁぁぁぁぁ!)
自分に何が出来ただろう。国と国の戦いで、一介の貴族に出来ることは限界がある。お父様が何やら裏で動いているのは分かった。あの愚王は、絶対に何かやらかすと言っていたから。
大切なときに手助けが出来なかった。
悔しくて全身に力が入る。そこでふわりと誰かに頭を撫でられた気がした。大きくて温かな手に優しく撫でられ、スッと深い眠りに落ちていくのが分かった。
起きれば昼過ぎで、城内の慌ただしさとは逆に、私の部屋だけはシンと静まり返っていた。
侍女は相変わらず部屋の隅で佇んだままだった。
「貴女……名前は?」
「ボーナでございます」
ボーナと名乗った侍女は四〇くらいの年齢で、落ち着いたこげ茶色の髪をしていた。
ずっと立ったままは疲れるだろう、私は部屋からでないから、控室でゆっくりしていていい、信用できないようであれば、そこにイスを持ってきて座っていてと言うと、柔らかく微笑んでお礼を言われた。
そしてボーナはお茶の準備をし、少し飲むよう言った。
「……ありがと」
はちみつ入りのその紅茶は甘くて全身に染み渡る温かさだった。
それからボーナは私の昼食を用意したあと、部屋の隅にイスを持ってきて、座って控えるようになった。
昼食後は部屋にあった本を読んだりして、静かな時間を過ごした。
夜になり、新王が部屋に現れた。
「クリスティアーノ様、いかがなされました」
「すまん、ボーナ。今すぐに彼女にドレスを着せてくれ」
「皇帝陛下が?」
「っ……あぁ」
「承知しました」
よくわからないものの、ボーナや他の侍女たちにドレスを着せられ、メイクを施された。
首から下をしっかりと覆い隠せる水色のドレスで、ノースリーブではあるものの袖部分にレースを使っているので、痩せこけ傷だらけになった体を綺麗に隠してくれた。
「っ……」
「申し訳ございません!」
背中の傷は布が触れたりするだけでも痛く、ヘアセットの際に軽く当たってしまった侍女が顔を青ざめさせて謝ってきた。
「声を上げてしまってごめんなさいね。気にせず続けて」
気が緩んでいた。深呼吸をし、今から何が起きようと心を動かさないよう、何も考えずただ微笑みを貼り付けた人形にならねば。
建国祭で、隣国の王が来ていて、生き残っている私を呼んでいる。何もないはずがないのだから。
着替えを終え、ボーナに連れられ大広間に向かった。知っている城内のはずなのに全く見覚えのない空間となっていた。装飾は既に隣国の伝統品に入れ替えられていたせいでもあるのだろう。
大広間に入ると、見知った顔の貴族たちがあちこちにいた。少し服装が違うのは、隣国の貴族たちなのだろう。
私に気付いた新国王がこちらに近寄ってこようとしていたのだが、それよりも先に近付いてきた一団がいた。
「ほぉ? これがクリスティアーノが執心して部屋からも出さないようにしていた令嬢か」
「まぁ、貧相ですこと……げっそりと痩せこけて、ドレスが体に合っていませんわよ? それなのにクリス様と? 身の程知らずで図々しいったら。ほんと、この国の者たちは厚顔無恥ね」
「デボラ、そう言ってやるな」
「でもお父様ぁ、はっきり教えて差し上げませんと、戦闘民族に貴族の言い回しは伝わりませんわ」
――――あぁ。
なんとなく読めてきた。偉そうな壮年の男は皇帝で、派手な赤いドレスはその娘なのだろう。そして、娘は新国王に嫁ぐのか嫁ぎたいのか……後者だろうか。戦後間もないこの場に娘を連れてくるとすれば、戦果の褒美として娶らせるつもりなのかもしれない。
「何か言ったらどうですの?」
「――皇帝陛下、デボラ嬢」
貼り付けた微笑みでやり過ごそうとしていたら、新国王がゆっくりと見える動作なものの、足早に近付いてきた。
「おお、クリスティアーノ。いいところに、いまお前の奴隷に挨拶をしていたところだ」
「……彼女は奴隷ではなく、婚約者です」
――――婚約者?
「おや? 奴隷商から買い取ったと聞いたが?」
皇帝がにやにやとした笑顔で顎を擦りながら、新国王を見あげていた。皇帝の身長はそこまで低くない。ただ、新国王はそこから頭半分ほど高いため、ただ立っているだけで威圧感を与えてくる。
「クリス様、そんな穢らわしい女ではなく、私と踊りましょうよぉ」
「こらこら、デボラ。クリスティアーノは、この奴隷とファーストダンスをしたいのだよ。な?」
「っ……お望みとあれば」
――――そういうことね。
皇帝は新国王クリスティアーノを抑え込みたい。自分に従う存在なのだとこの場にいる貴族たちに見せびらかしたいのだ。あくまでもこの国の運命を握っているのは自分なのだと。
そして、娘のデボラは新国王しか見ていない。確かに顔はいい。それに、背が高くしっかりと鍛えられた体は屈強な戦士のようだ。デボラ以外にも、新国王に熱い視線を送っている令嬢は多いようだった。
「さぁ、君も遠慮せずクリスティアーノと踊ってこい」
パンパン、と背中を叩かれた。女性にする扱いとしては些か可怪しい接触。ただ、私の怪我の状況を知っているのならば、的確に痛みを与えられる行為だった。
「では、御前を失礼いたします」
貼り付けた笑顔を更に緩ませてカーテシーをし、新国王に左手を差し出した。エスコートを、と。
「はははは!」
しんと静まり返った中、皇帝の笑い声だけが高らかに響いていた。
そして始まるワルツ。ゆっくりと踊り出すと、布が擦れて背中がズキズキと痛み出した。もう少しもう少し我慢すれば終わる。そう思っていたのに、皇帝が二曲目は皆で踊ろうと言い、そのまま続けて踊ることになってしまった。
「………………大丈夫か?」
小さな声で聞かれたが、聞こえなかったことにした。ただ笑顔を張り付け、新国王を見つめる。想い合った婚約者同士に見えるように。そうすることがあの男――皇帝の癪に障りそうだと思ったから。
ダンスが終わり、しばしの歓談の時間を終え、国名の発表となった。国名は『ウァサリウス』古代の言葉で『隷属』という意味だ。
にたりと嘘くさい笑みを浮かべる皇帝を見て、どこの国にも国民を人間だと思わない支配者がいるのだなと溜め息が出た。人の上に立つとそうなるのかもしれない。期待するだけ無駄なのかもしれない。
お父様がよく言っていた、相手を従えさせるのではなく、自ら気持ちよく動いてもらえと。強い力は強い反発を生む。風のように揺らぎ、慣性に巻き込み動かすのだと。
まぁ、今さらそれを思い出したところで、奴隷の身となってしまっては、何もしようがないのだけれど……。