1:奴隷に落ちて
世界が一変した。
長年続いていた隣の帝国との戦争に負けてしまった。国が無くなって二ヵ月。
元国王の右腕だったお父様のおかげで、我が家は取り潰し。
両親や親族の男性は処刑され、私は奴隷に落とされていた。女性の親族たちは、身分を剥奪された後に平民として解放されたらしい。
奴隷に落ちた私に唯一与えられていたのは、服とも言えない破れかぶれの貫頭衣。
シルクのように美しいと褒められていた金色の長い髪は、泥や皮脂で絡まりくすんでしまっている。
――――痛いわね。
奴隷商の従業員たちに手酷く鞭打たれ、背中がジクジクと痛む。皮膚が破けて血が出ていた。血で寝床を汚すなと、また鞭打たれた。
――――理不尽ね。
寝床という名の、床の上に敷かれた薄汚れた毛布をチラリと見る。いつ洗ったものかもわからない。
明日売りに出す、と奴隷商の主人が下卑た笑いを漏らしていたけれど、私はどういう部類の奴隷なのかしら? この国……はもうないから、以前の国になるのよね。
以前の国には奴隷制度はなかった。帝国は奴隷制度があり、盛んに取引されていると聞いたことがある。
戦闘奴隷、労働奴隷、愛玩奴隷、性奴隷、犯罪奴隷など、様々な種類があるらしい。
二十五歳である私は、愛玩奴隷にするには年寄りすぎると言われた。失礼すぎないかしら?
鞭打で打ち、怪我をさせても気にしていないということは、扱いとしては犯罪奴隷のよう。犯罪奴隷は、奴隷の中でも最下級の扱いなのだとか。
隣の檻に入れられている女奴隷が、ニタニタと笑って話しかけてくる。
「アンタ、きっと直ぐに死ぬよ」
「……」
「奴隷商のダンナが言ってたんだよ、アンタみたいな気位の高い女を手酷く扱いたい男は山のようにいるってね」
「……」
「フン! いっつもだんまりで、人のこと無視してさ。明日、地獄を見るといいよ!」
話せば奴隷商の従業員たちに鞭打たれるというのに、隣の女奴隷はよく喋る。
「うるせぇぞ!」
「ギャッ! 痛いよぉ、やめとくれよぉ」
――――ハァ。
泣くくらいなら、無駄に話さなければいいのに。騒げば騒ぐほど、抗えば抗うほど、奴隷商の従業員たちは喜ぶ。黙っていればすぐに飽きて止めるのに。
早朝に叩き起こされた。髪を引っ張り上げなくても起きるのに。奴隷商の従業員たちはそうやってしか人を起こせないらしい。
手足を鎖で繋がれ、王城前の広場に連れて行かれた。
広場にはステージが設営されており、目玉の奴隷を紹介しては競りをしているようだった。
髪を鷲掴みにされ、ステージに引っ張り上げられた。
「さぁさぁ、こちらは強情な亡国の元侯爵令嬢! 殴る蹴る鞭打ち、何をしても泣かず、声も上げない。この強情な女を泣かせることのできる主人はいるのか!? 百万からスタートです!」
奴隷商の主人がニコニコと外面のいい笑みを貼り付けて、提示された金額を復唱していく。
「……その女、私が買おう」
ざわめき合う広場に、低い声が響いた。
辺りがシンと静まり返り、声を出した男性に視線が集まっていく。
広場のステージより少し高く作られていた貴族席のような場所から、黒いマントを着けた長い黒髪の男性がゆっくりと階段を下ってくる。
集まっていた観衆たちは、皆が跪き彼に頭を垂れていた。奴隷商の主人は、妙に慌てていた。
「国王陛下が、この女をですか!?」
奴隷市に出されてすぐ、私を買ったのは新国王だった――――。
売買契約はすぐさま完了し、王城に連れて行かれた。
懐かしいはずの景色は、たった二ヵ月でこんなにも変わるのかというほどに、様変わりしていた。
王都が戦場になることはなかったけれど、戦線が目前まで迫った状態での元国王の降伏宣言。
国民は、呆れ返った。処刑されてしまったので、その意図はわからないものの、ほとんどの者が元国王を臆病者と罵ったが、心の奥底ではホッとしていたと思う。
「ここにいろ」
「……こちらにですか?」
連れてこられたのは、国王の私室の隣の部屋。
「不満か?」
「いえ。承知いたしました」
国王は「ん」と短く返事をすると、私を一瞥してすぐさま部屋を出ていった。
なぜこの部屋に入れられたのかわからない。ここは王妃になる者のための部屋だ。もしかしたら、王妃陛下へのプレゼントだろうか?
部屋の隅に控えておこうとしていたら、侍女たちがぞろぞろと現れ、私を浴室へと連れて行った。
「っ……医師を呼びなさい!」
私から貫頭衣を剥ぎ取った侍女長が青い顔でそう言うと、脱衣所であまり怪我のない手足を蒸しタオルで拭き上げ、真っ白なガウンを着せてきた。
何をされているのか気にはなったが、抵抗する気も出ず、されるがままでいた。
「ベッドにうつ伏せになられてください。きつければ横向きでも……」
「わかったわ」
言われたとおりにうつ伏せで待っていると、医師と新国王が部屋に入ってきた。二人が私の背中を見て何やら話し込んでいた。酷い傷があることが予想外だったような会話だった。
「酷いな。治るか?」
「いえ。早急に治療しても……傷跡は残るかと」
「…………チッ」
傷跡が残ることで何か不利益でもあるのか、国王は不満なようだった。
治療を受け終えると、国王から夜着を渡された。着ろというとこなのだろう。
「ありがとう存じます」
受け取り着ようとしていたら、国王が慌てた様子で部屋から出ていった。どうしたのかと首を傾げていると、侍女長がクスリと笑いながら気にしなくていいと言うので頷いておいた。
それから、身分を剥奪される前に食べていたような豪勢な食事を与えられた。ただこの二ヵ月ろくな食事を与えられていなかったので、あまり喉を通らなかった。
そして、ここまでくると流石に気付く。この部屋は私のために用意されているのだろう。
だがしかし、なぜ? 何のために?
聞きたい相手は、このあと数日経っても訪れることはなかった。それは、私が高熱を出して寝込んでいたからなのか、そもそも興味がないのかは謎のまま。
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高熱でうなされている、ヴェロニカ嬢の頬を撫でる。
侯爵との約束を違えてしまったことで、僅かに残っていた良心が痛んだ。
無血開城に成功したのは、侯爵の助力あってこそだった。
頑なに戦を続けようとする隣国の王。国力も軍事力も違うのにいつまでも抗うのは、敗戦し我が帝国の属国になった場合、国王は処刑されることが想像に難くないからだろう。なぜなら、戦争を仕掛けたのは自分だと理解していたからだ。
王都を攻め込む直前に、侯爵からの接触があった。変装し野営地に単騎で乗り込んできたのだ。まさか、侯爵本人とは思いもよらなかった。
敵将の一人として敬意を払い、護衛はいたものの少人数での対等な話し合いの場をすぐに設けた。そうして聞く内容は、胸糞の悪くなるものだった。
王は降伏した振りをして、我らが帝国軍を王都内にわざと侵入させ、城下町を侵攻している隙に大爆発を起こし、一掃する気らしい。爆薬を城下町のいたるところに仕込むための準備が進められているのだという。しかも、市民には知らせることなく。
侯爵は、国を売り、国民を売る決意をした。妻も親族も全て処刑して構わないと。ただし、娘は助けて欲しいと言われた。それが無血開城の交換条件なのだと。
初めは、何を都合のいいことを、と思った。自分の娘を助けるために、親族全てを売るのかと聞くと、侯爵は微笑んだ。当然だ、大切な一人娘なのだ、と言われた。
自分の役職のせいで、全てを我慢させ続けたらしい。
戦争中だったこともあり、どの家と繋がりを持っても父親の弱みになるからと、自ら言い出したらしい。
外出は、王城にある侯爵の執務室を訪れるのみ。友人を作らず、恋や結婚などにも希望を持たず、人生のほとんどを、部屋で政治や戦略に関する本を読んで過ごしていたそうだ。
そして、戦争のための知識収集や作戦の組み立ては、時間の足りない侯爵に代わって娘がしていたのだと言う。
「普通の女の子と同じように、人生を楽しんで欲しい。そのためならば、国など笑顔で売りましょう」
侯爵の覚悟が滲む笑顔に圧倒された。この男が国王だったのならば、戦争に負けていたかもしれない、と。
実際、その可能性は大きかったのだと、侯爵たちの処刑後に戦争に関する書類を調べていて分かった。侯爵がいなければ、この国は壊滅的なダメージを受けていただろう。そうならないため、先んじて手を打ち続けていたのが侯爵だったのだから。
しかし、それを支えていたのが、本当に娘だったとは驚いた。
皇帝からこの国を落とした後は、統治するために王になれと言い渡されていた。新国王として、侯爵の娘を保護すると約束していたのに、気づけば幽閉していたはずの娘は消えていた。
やっと、見つけ出せたと思えば、皇帝が一番気に入っている奴隷商の商品になっており、翌朝から開催される奴隷市の目玉商品になっている状況だった。
誰かが裏切っている、それは間違いがない。
ヴェロニカ嬢には窮屈な思いをさせるが、犯人を見つけるまでは部屋から出さないよう指示しておくか。
短期間でのストック放出です。しばしお付き合いくださいヽ(=´▽`=)ノ