第2話 エピローグ
5月8日。
ゴールデンウィークは終わった。
結局のところ大型連休中に僕は、ロアの依頼で鉄鼠が放った街中のネズミ退治に駆り出された。
駅構内――バスロータリーの植木の隙間――周辺の居酒屋など立ち並ぶ商店街――駅前の大型ショッピングモール。
探せば出てくるネズミ、ネズミ、ネズミ。
途中、ゲシュタルト崩壊でも起こしそうな程に退治し、捕獲した。最後の方は市の役員の人だろうか、その人たちへネズミを引き渡し続けていた。もちろんロア経由で。
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時間は少し遡り、傘音が鉄鼠を退治した直後。
ロアは、駅近くの小さなお寺に来ていた――。
「お疲れさまでしたっ、狛戌さん」
事件の後、私は駅近くのお寺に帰る。
そこで待ち合わせをしていた方と、お会いするために。
「ふぅーっ、いや……ロアさん、してくれた話と全然違うぞ、あの嬢ちゃん……俺を助けようと頑張っちゃうし、中々にガッツのある子だったんだけど……?」
「それはそうでしょうっ……傘音くんが連れてきた子ですから、それに彼女は『止まり木』ですっ、傘音くんの悲願には欠かせない存在ですから……護り過ぎってことはないんですよっ」
目の前で煙草を吸いながら、悪態を付く男性へ、私は可能な限りの賛辞を送る。
「良いけどさ……怪異の能力なんて使ってなかったよ? あのお嬢ちゃん」
「はいっ、それは追々ですっ」
「まぁ、良いや……そろそろ帰っていいか?」
狛戌さんは吸いきった煙草を足元へ放って、火を靴で踏み消す。
「はいっ、本当に今回は朝早くから……ご苦労様でしたっ」
そう言うと、狛戌さんは煙の様になって消える――その煙が、私が入ってきた鳥居の麓、狛犬の台座にスゥッと入って消える。
「今回の事件で犠牲は出てしまいましたが……市民の方々への被害が最小限に抑えられました……本当、助かりましたよ」
最後に賛辞の言葉と、煙が消えた台座に向けて一礼をし、煙草を一箱備えて、お寺を後にする。
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ゴールデンウィークの終わり。
僕が計画していた読書も、ゲームも、もしかしたらやっていたかも知れない少しの勉強も。
高校2年生の貴重なゴールデンウィーク――大型連休中に手を付けることは、遂に無かった。
それはもうこれっぽっちも、微塵も、一切合切なし。
今日はそのお詫びなのか、約束していたお礼なのか、約束していた寿司屋へ、僕と妃慈さんを招待してくれた。
妃慈さんは最初――「私は良いよ、何もしてないし‼」と、強く遠慮していたが、僕が無理を言って来てもらった。
「おじさん、生エビお願いします」
「はいよ!」
あの日、妃慈さんが助けた老夫婦――そのご主人、おじさんは僕が行きたがっていた、今回の事件の謝礼にと指定したお店の店主だった。
「うんまぁ!」
ネズミの被害が復旧しきる前、ダメ元でお店の様子を見に行った時、おじさんから気付いてくれた。
いつ頃営業を再開するのか尋ねると、おじさんの計らいで、今日だけ僕とロア、妃慈さんの3人で貸し切りとして、復旧前にお店を開けてくれた。
「あ、私はかっぱ巻きで……」
「おじさん、妃慈さんに中トロ……あ、2つお願いします」
「はいよ!」
「え……いえ、いいです! 高いですから!」
今日はロアの奢り、僕は遠慮するつもりは毛頭ない。妃慈さんにもその恩恵を十分に受けてもらわないと。
「で、ロア……今回の事件は何が発端だったんだ?」
僕は握られた中トロを口にしながら、隣のロアに尋ねる。
「あ、はい……鉄鼠、彼は『比叡山 延暦寺』に恨みのある妖怪、発端は延暦寺に所縁がありますっ」
「おじさん、穴子お願いします」
次の注文をしながら、ロアが語る真相を聞く。
「穴子……、はいっ、今回の事件は延暦寺に所縁ある分家――所謂、枝分かれした子分みたいなお寺を整備された事が発端でしたっ」
仄かに甘いタレが塗られた穴子が2貫、目の前に出される。その1つを手に取り、口に運ぶ――うん、うまい。
「……うん、それで? あ、おじさん……一番高い、上等なネタって何になりますか?」
「今日は……鯛だね、いいのを仕入れてあるよ」
優しい顔でおじさんが返してくれた。僕は「後で頂きます」と返して、お茶を1杯下さいとお願いする。
「鯛……えっと、「それで」とはどういうことですっ?」
「お寺を整備しただけ、鉄鼠みたいな怪異がポンポン復活したり、現れたりしたらあちこち怪異だらけだろ?」
言い終わると、ズズーッと湯呑に入った熱々のお茶を飲む。うまぁ。
「そ、そうですねっ……」
「おじさん、貝って何がありますか?」
「貝だと……赤貝、つぶ貝、ホタテに鳥貝……蛤なんかは穴子の甘い煮汁で作ったタレを塗ってお出しするので、穴子の後なら味しく召し上がって頂けると思いますよ」
にっこり顔で説明してくれるおじさんに、僕はそのまま蛤を握ってくださいとお願いした。
「でもロアさん、鉄鼠が姿を現したときなんですけど……やけにロアさんを目の敵にしてましたよね……以前、どこかでお会いしたことがあるんですか?」
妃慈さんが僕を通り越して、ロアに質問する。
「いえ、鉄鼠には今回初めてお会いしましたよっ」
「え……では、どうしてあんなにも悪口を……?」
「あぁ……えっと、それはですねぇ……」
いつもの口調が出なくなるほど、ばつの悪そうなロアを横目で見る。ははっ、冷や汗かいてら。
「はい、蛤お待ちどうさま! 味は付いてるんで、醤油に付けずそのまま食べて大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」と一言お礼を言って、一口に食べる。肉厚でプリプリした身に、穴子の煮汁で作ったというタレが合う。これは確かに美味しい。
蛤を食べ終えた僕は――徐々にロアへ、いつもの仕返しを開始した。
「どんなに廃れたお寺でも、きちんとした人が、きちんとした手順で整備すれば、元々の力を取り戻すってことだよ」
右側にいる妃慈さんの方へ向きながら優しく説明する。言葉を区切る瞬間、僕の左側に座るロアのほうに向き直る。
「な、ロア?」
口調に妃慈さんへ向けたような優しさはない。
「え~っと……傘音くんっ……?」
「ん、どうしたロア?」
「……いえ、なんでもないですっ……?」
妃慈さんはなんのこっちゃという顔をしているが、今日会ってからずっと都合の悪そうな顔をしているロアは、見ていて何とも愉快だ。
「いやぁ、それにしても……傘音くんっ、鉄鼠への立ち回りはお見事でしたっ」
話題変えてきたな。
「唐傘の能力、だいぶ自由に使えるようになってますねっ……弾く、受ける、いい感じでしたっ」
「まあ、途中危なかったけどな……」
「傘音くん、怪異の能力は限定的なものではありませんっ……諺や慣用句の様に、無数の組み合わせがありますから、もっともっと模索してみて下さいっ」
なんか急に真面目になったな。
しかし、ロアの言う通り――僕はまだ『唐傘小僧』の能力を十全に出せているわけではないと思う。
そもそもが逸話や伝承の少ない怪異だから、謎な部分が多い――言い換えれば、なんでもできる可能性があるってことだ。周囲の人間や僕の夢のためにも、この能力は使いこなせるようにならないと。
と、上手く話題を変えたつもりだろうが……そろそろ終わりにしよう。なんかロアも段々、可哀想になってきたし。
「延暦寺分家の寺、整備したの……ロア、お前だろ?」
「……やっぱり、気付いていらっしゃったんですかっ?」
今回の事件の真相は、こうだ。
ロアが日頃、行っている寺社仏閣の整備。廃れた霊的な力だったり、恩恵を維持したり、時には失われた恩恵自体を取り戻したりするために行っているそうだ。
だが、今回整備してしまったのが件の『比叡山 延暦寺の分家』となる寺である。先ほどの話に当て嵌めると後者――失われた恩恵を取り戻すケースになるそうで、ロア自身もしっかりと恩恵が戻るように整えた。
結果として、延暦寺に恨みを持つ鉄鼠が、その恩恵へ導かれるようにして顕現してしまった。
こう言っては何だが、ロアはその道ではプロだ。外部から厄介な怪異の討伐依頼が来たりもする。そんな凄腕が誠心誠意で整備した寺社仏閣は、十分に恩恵が戻る。十分どころか元の状態よりも良くなり、更なる恩恵を受けたりもする。
ロアに会うなり鉄鼠が、「生臭坊主」扱いして邪見にしていたのは――「自分が恨んでいる延暦寺に、本来以上の恩恵を齎しやがって」と、こういうわけだ。
「だから、簡単に言うと……故意ではないとは言え、すべての元凶はロアだってこと」
妃慈さんへ説明するように話すと、おじさんがおすすめしてくれた『芽ネギのにぎり』を妃慈さんと一緒に頂いた。
何これ、うまっ!
シャキシャキの触感、香りはネギの香りがしっかりする。
「私も、まったく予想していなかったのでっ……面目ないです……」
珍しく真面目にシュンとした雰囲気を醸し出しながら、見るからに落ち込み始めた。
「まあ、お前も最後の方まで分からなかったんだろ? だから、正体が分かった時点で、心配になって見に来た……そんなところか?」
「え、いえっ……正体に関しては、妃慈さんと一緒にお越し頂いた時点で既に分かっていましたよっ」
……ん?
「いや、ロア? ……正体が分からずに手こずってたんだろ?」
「いえ、正体が分からないなんて、私は一言も言ってないですよっ」
思い返してみる……と、確かに。
『正体が分かっていない』とは一言も言っていなかった。
手を焼くとか、傘音の方が能力的に相性が良いとか、そうは言っていたが『正体が分からない』とは一言も言っていなかった……。
「ロア、お前……鉄鼠が犯人だって分かってたのか……?」
「え、はい……なので相性的に、傘音くんが適任だとっ……」
鉄鼠と言えば、葛飾北斎や曲亭馬琴が描くほど有名な妖怪――怪異としての格もかなり高くなる。そんなのが相手だと分かっていて、僕に『任せる』と言ったのか……。
「ロア――お前、僕が鉄鼠にやられてたらどうしてたんだ……?」
「はい、なので心配して見に行きましたっ」
隣に座る男は、あたかもそれが親切心であり、お礼を言われて然るべきと言った雰囲気で、こちらに満面の笑顔を向けてくる。
「おじさん、鯛を僕と妃慈さんにそれぞれお願いします」
「はいよ!」
「えっ……傘音くんっ⁉」
承諾を得る事なく、一番高いネタを注文され、驚いたロアがこちらを見やる。
「ロア……当分、お前のお願いは聞かないからな」
「お待たせ、真鯛ね!」と出された寿司――遠慮する妃慈さんにも勧め、その後で僕も一口で食べる。
脂は少なく淡泊な身だが、甘みと歯ごたえが美味しい。
始め、先ほどまでのロアとの問答に少し不満げな顔をしていた僕だった。ただこの真鯛のお寿司を食べる内に、思わず顔が綻んでくる。
満足いくまで真鯛を堪能し、緩み切った顔をロアの方に向け――「美味いな、ロア」と振り返る。
僕とは対照的な、少しやつれたような顔のロアがいる――まぁ、この顔に免じて今回の件は大目に見る事とするか。
「おじさん、うに――お願いします」