第2話 第6章 ぶん殴る
「おい、少年……ありゃ説得すんのは無理だ、諦めて連れていきな」
狛戌さんは、僕の肩を掴んで諭してきた。
「いや、そうは言っても……やっぱり危ないですし」
僕としては当然の意見だった。
現に人が襲われている。そんな危険な場所を、まだ連れ回す可能性がある。
であれば、安全な場所に避難してもらった方が、僕としても安心だったのだけど。
「見ろ、あのニコニコ顔。是が非でも着いて行くぞ。それに、俺たちじゃ説得も無理だ」
確かな御意見だった。
「はぁ……分かりました」
深い。それはそれは深いため息が出た。ミイラ取りがミイラにならなければ良いけど。
「妃慈さん、分かった……解決するまでは一緒にいよう、何かあれば僕が守るから」
「はい!」
うん、良い返事。
少し距離を置いて見ていた狛戌さんは、わざとらしく両手の先を口元に当てて「お熱いわね〜」と茶化していた。これは全面的に無視しても良いな。
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「じゃあ……俺らは、少年のやり方を参考に、駅の外に向かわせてもらうわ」
妃慈さんが助けた中学生の女の子と狛戌さんの2人がスマホから音を出しながら先頭を歩き、その後ろに他4人が着いて行くそうだ。
「くれぐれも気を付けて下さいね」
「おう! カフェの中じゃ俺が全員守ったしな……いざとなれば向かって来るネズミ全部、踏み潰してでも逃げるさ」
ニカッと人の良さそうな笑顔で言った。
「お若い方、ありがとう……カフェの中では何も出来ずにすまなかった」
年配の男性がこちらに歩み寄ってきて、妃慈さんの手を両手で包むように握って、お礼を言っていた。
「いえ、必死で……声をかけたりも出来ずにすみませんでした、どうか無事で逃げて下さい」
妃慈さんもそう返すと、僕ら2人を残して、狛戌さんと中学生の女の子、年配の夫婦、40代くらいの女性は、固まりながら周囲を警戒しつつ駅の外側に向けて歩いて行った。
「…………。」
しばらくの間妃慈さんは、心配そうに狛戌さん達――中学生の女の子の背中を見ていた。
「大丈夫だよ、僕が外から中に来られたんだから、狛戌さん達も外に出られるさ」
後ろから声を掛けると、ハッとした様にこちらに向き直る。妃慈さんのその顔は笑顔だったが、僕にはなんとなくギコちなく感じた。
「僕が来る時は、ネズミの少ないところから多いところに向かった来た。それで無事だったんだから、その逆なら僕以上に安全だって」
付け加えてそう言うと「うん」と、ただそれだけで返事をして、あとは何も言わなかった。
パリンッ
ガシャンッ
狛戌さん達が向かった方とは逆、僕がここに来た時の方角――パチンコ屋の先で、ガラスの割れる大きな音が聞こえた。
反射的にそちらを向くと、大きな黒み掛かった灰色の塊が蠢き、不気味に動いているのが、交差点と駅入り口の中間辺りで見えた。
「鷺淵くん……あれ、もしかして全部ネズミ⁉」
妃慈さんが驚き、かなり怖がっている。
僕はここに来る時、アレと似た様な塊を見ている――なんなら襲われたのでそこまでの驚きはなかった。ただその脅威は知っている。数は暴力なんだ。
灰色の塊は、RPGゲームのスライムみたいに、全体が不規則に伸び縮みし、曲がりくねる。
それらの動きが落ち着いたかと思うと、駅側の面にいたネズミが数匹、すごい速度でこちらに向かって進んでくる。それに引っ張られる様に、後ろにいるネズミ共も塊のまま動く。
駅までの道――この騒動で乗り捨てられたのだろう自転車や原付バイク、自動車なんかが放置されている。ネズミの塊は、それらを飲み込みながら進んでくる。
塊が通り過ぎた後、自転車やバイクはかろうじて元がなんだったのかがわかる程度の名残を残し、上からもの凄い圧力をかけられ、圧し潰されてしまっていた。
「さ、鷺淵くん……どこかに隠れないと!」
あれの様子を見ていれば当然の反応だ、妃慈さんが僕に慌ててそう言う。
どうするか。
もう一度、妃慈さん達が隠れていたカフェの中に隠れるか。しかし、あの質量が駅構内に入ってきて、お店の中に隠れるだけで、壁一枚を隔てたくらいでやり過ごせるだろうか。
それを言い出すと駅構内は勿論、どこにだって安全な場所なんてなさそうな気がしてきた。
やっぱり妃慈さんは、無理矢理にでも狛戌さん達に着いて行かせるべきだったかな。
早速こんな危険な状況になってしまって、どうするか……。
色々な思考がグルグルと頭の中を巡っていると、ネズミ共の大群と駅の中間あたりに人影が見えた。
それは、見慣れた……真っ赤なスーツを着た男性だった。
「傘音くーんっ」
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いたいたっ、居ましたっ。
妃慈さんからの電話受けたら、すぐに出発しちゃうんですから、こちらの準備も急かされたような気分でしたっ。
しかし、駅前は……凄いことになってますねっ。
普段はあまり来ませんが、自転車も乗り捨てられてるし、自動車は燃えてるし、事件や事故って感じですねっ。
復旧が大変そうですっ。
いや〜、しかし……傘音くんには、なんて説明しましょうか。
事件の原因も、事の経緯も、大方分かりましたが、どこから話した方がいいんでしょうか。やっぱり原因から話した方が良いでしょうか……傘音くん、怒りそうですねぇ。
それにしてもタクシーが使えないのは不便ですね、歩いて向かうのは時間もかかりますし、何より疲れますねっ。
さて、そろそろ声の届く距離でしょうか。
「傘音くーんっ」
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「……なんか、ロア来た」
目の前の状況をそのまま、口に出して妃慈さんに話した。
「えっ⁉」
そりゃそうだ。
さっき僕は、妃慈さんに「ロアは達観を決め込む」と言い切った。その上で今回の事件は、僕が解決すると豪語したばかりなのだから。
僕はてっきり「今回は傘音くんだけで頑張って下さいっ」と、ロアはそういう言う意味で任せてきたんだとばかり思っていた。
そんな男が僕らの前方から、ツカツカと軽快な足取りでこちらに向かってきていた。
ただその後方には、ネズミ共が――文字通り数の暴力となって、押し寄せてきている。あんなのに巻き込まれれば自転車や原付バイクと同じように圧し潰されて、原形なんか留めていられない。それが生身の人間だったら、想像するのも嫌になる、悲惨な結果となるだろう。
憎まれ口をいつも叩くが、別に嫌いなわけでも無い。
「ロア、後ろ! ネズミが来てる! 逃げろ!」
歩道側からロータリーへ出ないように構えられている柵、そこに両手を着き身を乗り出して力いっぱいに叫ぶ。
僕の返答が届いたのか、当の本人はヘラヘラといつもの通り飄々とした雰囲気――ニヤついた顔を貼り付けたままこちらに向かって左手を軽く上げてヒラヒラさせながら、悠然と歩いてくるのみ。全く後ろの状況を確認しようともしなかった。
「後ろ! 後ろだよ、危ねぇって!」
もう一度叫ぶ。
ロアは挙げていた左手を体の横に伸ばす。
手の平を自分の後方に向けて、腕は真っ直ぐ斜め下方向に張り伸ばす。
ロアは依然歩みを止めないまま、左手だけがピンと張ったまま伸ばされる。
そのまま空いた右手――人差し指と中指をきっちりと揃えて、真っ赤なスーツの胸ポケットを、二本指で打ち鳴らすように叩いた。
途端、黒い影が胸ポケットから飛び出しロアの体を伝う――ポケットを叩いた右手、腕を周回して登り右肩、背中を伝って左肩、左腕を今度は降りるように周回しながら、左手の平で黒く水のような塊が止まった。
その黒い水のようなものは滴り落ちるでもなく、左の手の平から真っ直ぐ撃ち出されるように地面に飛んでいく。
黒い水の着地点、そこから更に1本黒い線が伸びる。
伸びた線から更に1本枝分かれするように伸びる。元の着地点にある黒く丸い染みから別の線が――後に続くように何本も枝分かれし、無数の線が疎な扇状に広がる。両端がそれぞれ横に5メートルほど広がると、ピタッと止まり、そこから静かに音もなく、地面から垂直に黒い水が立ち上がる。
ロアの手から放たれた真っ黒な水は、瞬時に巨大な壁を作り出し、ネズミ共が形作る塊とロアを隔てた。
一方でネズミ共は、目の前に漆黒の壁が出来ようと関係ない、意にも介さず個々のネズミは、一つの意思に操られるかのように統率された動きで銃弾のように形を変える。空気抵抗が少ない形態になると、更に勢いを数段増して、そのまま目の前に立ちはだかる漆黒の壁を打ち破る勢いで衝突した。
ネズミ共は上に、左右に、それでも逃げ場がないやつは斜め方向に、四方八方へ散り散りとなり先ほどまでの巨大な陣形を崩しながら後方へ退いた。
一方で漆黒の壁はその場から微塵も動くことなく、何事もなかったかのように聳え立っていた。
相変わらずの歩調でロアは、淡々とこちらに近付いてくる。
妃慈さんは、口を半分開き、目を丸くしながらロアの後方、壁が聳え立ちネズミが四散した方向を見て固まっている。
それを見て僕の口も半分開いていることに気付き、誰にもバレないように、静かにそっと閉じた。
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「傘音くん、探しましたよっ」
ロアは駅の入り口辺りまで来ると、数秒パチンコ屋の方に首を曲げる。すぐに顔をこちらに向きなおして車の通っていない道路を横断し、少し遠回りをしてからこちらに歩いてやってきた。
近付いてくる時のパチンコ屋を見たままの顔――眉を八の字に曲げ、口をへの字に曲げ、如何にも面倒くさそうな顔を僕は見逃さなかった。
「『探しましたよっ』じゃねぇ、なんださっきの」
僕は呆れたような半目――いわゆるジト目でロアに聞く。
「さっきの? さっきのって何がですっ?」
しらばっくれやがって。
「すごい数のネズミ、後ろから来てたろ……あれを防いだ壁、あれはなんだ」
「あ、忘れてましたっ」
そう言うとロアは先ほどやったように右手でスーツの胸ポケットをトントンと叩く。
道路のど真ん中にあった漆黒の壁は、またしても音を立てずに上の方から水が垂れるように崩れていき、逆行するように1つの黒い染みになる。
その染みが今度は地面を素早く這うように移動し、今度はロアの足を伝って胸ポケットに入って行った。
「それ! なんだその黒いの!」
僕は人差し指でロアの胸ポケットを指す。
「あ、この子ですかっ……あれ、傘音くんには見せたことありませんでしたっけ?」
首を傾けわざとらしく、すっとぼけて見せてきた。
「ない、一度も!」
「この子はトカゲさんです」
「はぇ?」
なんとも間抜けな声を出してしまった。
「トカゲさんですっ、字は一斗缶の『斗』に陰影の『影』の字で『斗影』ですっ」
ロア曰くマイナーな怪異らしい。
「能力が色々と便利なので、昔から仲良くしてもらってますっ」
やっぱりコイツは、僕にすらまだ隠してることが、いくつもありそうだ。
ただ、結局聞いたところではぐらかされるか、最悪無視されて、別の話をし始めるのは目に見えてる。
はぁと溜め息を吐いて、それ以上のことを尋ねるのは諦めた。
ロアが片足を一歩下げ、クルッと回転し足を交差させる。手はバランスを取るためか、両手を斜め下に向けながら横に広げ、ピエロみたいななんとも間抜けなポーズを取った。
「妃慈さん、おはようございますっ」
挨拶かよ。
「あ、おはようございます」
妃慈さんも丁寧に返している。この状況でこのやり取りを不自然だと思っているのは、なんだろう僕だけなのだろうか。
「斗影さんは動物のトカゲの形をしているんですね?」
妃慈さんがロアの胸ポケットを見ながら尋ねると、真っ黒いトカゲが頭だけを覗かせてきた。
「あ! 可愛い……」
先ほどまでの深刻な状況が嘘かのように、喜びが伺える笑顔になった。
「珍しいですね、呼ばれても出てくるような子じゃないんですがっ」
驚いたようにロアが言う。
ニコリと笑いながら妃慈さんが小さく手を振ると、胸ポケットに居た斗影は、音も立てずにロアの体を周回しながら降りて、地面伝いに妃慈さんの振る手に登った。
登って来た斗影にビックリしたのか振っていた手をピタッと止めると、妃慈さんの中指に四肢を絡ませ止まり、先程よりも近くで顔を合わせていた。
その光景にいつも飄々としているロアも、珍しく目を見開いて呆気に取られていた。
「ひ、妃慈さんは凄いですねっ……『止まり木』としての特性もしっかりと発揮できていますねっ」
妃慈さんの特性は、鳥に所縁のある怪異は特にだが、それ以外の怪異にも全般で好かれるらしい。
どこか負け惜しみを言っているようにも聞こえたが……。
「まぁ、良いや……それよりロア、何でここにいる?」
話題を元に戻す。今回のネズミ事件に関しては僕に任せると言っていたはずだ。
それがどうしてこんなところにいるのか。
「未成年の男の子、女の子の2人だけで、こんな危険な場所に寄こすなんてしませんよっ」
アメリカとかでやっているコメディ番組の「何言ってるんだ~い」みたいなジェスチャーをしながら、相変わらずの飄々とした雰囲気で言ってくる。
「心配してくださったんですね、ロアさん……ありがとうございます」
妃慈さん、違うよ。こいつは僕の反応を見て楽しんでるだけなんだよ。
「はい、勿論ですっ」
ニッコリ笑顔で妃慈さんの方を向いてサムズアップで返答するロア。
僕はこの事件がひと段落したらぶん殴ることを心に決めた。
「ロア、そろそろ本当に……なんで、ここにいるんだ?」
「傘音くんも疑り深いですねっ、だから危険な目には合わせられ……」
「いや、本当に」
3回目の冗談を言おうとしたので遮って止めた。
「あ……はい、すみませんっ、今回の事件を引き起こした怪異の正体を伝えに来ました!」
フゥと短く息を吐き、僕を真っ直ぐと見据えてロアは、今回の事件を引き起こした怪異について話し始めた。