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54 ロウシャルの咆吼

 突如外から開かれた扉から雪崩れ込んできたのは苛烈な怒鳴り声だ。そして室内の男たちは頬ひげと肩を震わせて怒声を上げた偉丈夫をの素性を認めるや、一瞬にして慄いた。


「なにをしておる!」

「ロウシャル閣下……!」

「元チェルデ総督エド・マジーグを捕え、その上このようにして謀殺しろとの命は誰も出してはおらぬぞ! どういうことだ?」


 ロウシャルはこんな夜更けであるというのに、きちんとした軍装であって、真紅のマントも身に纏っている。

 そのマントが激しく揺れた。ロウシャルが腰に帯びていた長剣を鞘から引き抜き、男たちのなかでいちばん位の高い将官を目ざとく見つけるや、彼の喉元に刃を突きつけたのだ。


「貴殿の独断だな?」

「でっ……ですが閣下!」


 将官は顔色を変えながら、目前に迫った剣の煌めきを見て声を震わせた。しかし震わせながらもロウシャルに抗弁する。その言葉はこの場にいる者共通の憤りだった。それを示すように、周囲の軍人も口々に叫ぶ。


「我々チェルデ人にもチェルデの正義というものがございます! 閣下はこの男の責を何も問わぬおつもりなのですか?」

「そうですよ! 閣下もお忘れではないでしょう、かつて、我々がこの男のもとでどのような苦渋を強いられたか! こいつは女王陛下や王族の全てを殺し、そのうえ我らの神話を改竄しようと企んだのですよ!」

「それでもだ!」


 異論を許さんばかりのロウシャルの激しい咆吼が響き、狭い部屋には一転して静寂が満ちた。ロウシャルは訪れた静寂を突き破らんばかりに、続けて叫ぶ。


「彼はすでにトリン市民だ! それだけではない、いいか、よく肝に銘じろ! チェルデは復活しない! マリアドルとともに生きる道しか残されておらぬのだ! だとしたら、我らとともに彼も、同じ国でこれからを生きる人間だ! なおさら殺すわけにはいかぬ!」


 男たちはロウシャルの激情を耳をして息をのみ、そして一様に項垂れた。季節外れの暖炉の火が爆ぜる音だけが、しばし、広くもない空間に響き渡る。

 やがて、それに重なるように、涙を啜る音が重なりはじめる。ひとり、また、ひとりと。

 軍人たちは、男泣きに泣いていた。


 ロウシャルは、それ以上男たちを叱ることはしなかった。彼とて、彼らの気持ちは痛いほど分かったからである。チェルデ人として、軍人として、そしてそれらの長として。


 代わりに彼がしたのは、剣を鞘に収めると、部屋の中央に倒れているマジーグに近づき、かがみ込んで彼の心の臓の音を確かめることだ。

 それから彼は立ち上がり、ただ一言、こう命じた。


「息はあるな。医者を呼んで、手当てさせろ」



 マジーグは頬に明るい光を感じ、重い瞼をゆっくり持ち上げた。

 長い時間眠っていた気がする。それを示すかのように、陽の光はすでに夕暮れのものだ。同時に、自分が生きていることを不思議に思う。あれはそれだけの責め苦であった。

 そんなぼんやりした意識に飛び込んできた重々しい声がある。


「トリンに留まればこうなるとは、私がいうまでもなく貴殿のことだ、わかっていただろうに」


 声の方向に顔を向けようと身じろぎすれば、途端に火傷に爛れた背中が寝台と掠れ、彼は思わず呻き声を上げる。しかしながら、傷には分厚い包帯が巻かれており、そこからは薬草の匂いも微かに漂ってくる。どれもが、己に手厚い手当てがなされていることを、マジーグに知らしめるものだった。


 彼は苦労しながらなんとか顔を横に向け、傍に佇んでいた男の名を掠れた声で呼ぶ。


「……ロウシャル閣下、なぜ……」

「なぜ助けた、と問うか。率直に言えば、貴殿を助けたのは私の決断ではない」


 頬髭と短く刈られた金髪が赤い陽に煌めいた。光が注ぐ窓を背にしてロウシャルは朗々と語を継ぐ。彼の顔は逆光でよく見えなかったが、放たれた言葉の内容からして、険しい表情であるのは、マジーグには予測のつくことだった。


「私とて現実主義者だ。かつて、ファニエルを処刑しようとした一件でお分かりだろう? 今回の事態に至っては、ここまでマリアドル人を排斥する動きが大きくなってしまえば、貴殿には死んでもらって、軍の不満分子の溜飲を下げた方が得策だ。そう考えていた」

「では、なぜ私を?」


 ロウシャルの重い言葉を脳で反芻しながら、マジーグは再びちいさく、問う。背中の痛みは熱を持って神経を激しく刺激していたが、それを顔に出さぬよう留意しながら。


 そんなマジーグを見下ろすロウシャルは、すぐには答えなかった。

 しばしの沈黙のあと、彼はゆっくりと口を開く。


「貴殿の命を預かると申し出た奴がおる。そいつを呼んでおる。貴殿には、そいつの話を私といっしょに聞いてもらおうか」


 そう言ってロウシャルは病室の扉に歩み寄る。そして、ゆっくりとドアのノブを捻った。

 開かれた扉の向こうには、琥珀色の目を細めながら銀髪を揺らす男がひとり、立っている。


「……ファニエル……」


 見開かれた黒い双眼に映る元天才宮廷絵師は、ただふわり微笑だけして、マジーグの呻きに応じて見せた。


 だが、彼の驚きに構うことなく、ファニエルは颯爽と部屋に入ってくる。マジーグの寝台横まで足を進める間も、唇には微笑みを浮かべたままだ。

 そして、何も気負う様子を見せず、ロウシャルとマジーグに一礼する。


「私の願いを聞き入れていただき、ありがとうございます、ロウシャル閣下」


 すると、言葉をなんと繰り出せばよいかわからない面持ちのマジーグの前で、ロウシャルが口を開く。


「ファニエル。お前には案があるとのことだったな。マジーグ殿が奥方とともにトリンで安全に暮らせるための策があると。申してみるが良い」

「はい、それでは申し上げましょうか。私の案を」


 ファニエルはなおも優雅に笑い、そう答える。だが、マジーグにとってその彼の表情は、嫌なほど見覚えのあるものだ。


 そう、これまで何度も相対してきた、なにかを画策しているとき特有の、食えぬ顔。


 果たして、微笑みを少しも崩さぬまま、ファニエルはロウシャルとマジーグの前でこう言い放ったのである。


「つまりは、マジーグ閣下とアネシュカの存在を逆手に取ってしまえば、いいのですよ」


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