16. 夏木立
清々しい夏風が屋敷を通り抜ける皐月、美福門を通り過ぎてすぐ、式部省では今日も朝早くから多くの官人が働いている。
式部省若手有望株の一人・千草少丞は、憂鬱げな顔で紙束を抱えて立ち止まっている。
「何ぼさっとしてんだお前は。はい、仕事仕事」
丁香の効いた荷葉の香を匂わせた白妙が、その後ろからやってくる。
夏萩などの深い色味の衣裳を好む千草に対して、白妙の好みは派手である。二人の官位上、決められた色は深緑ではあるが、白妙本人が好むのは赤や山吹だ。
千草にはその趣味は一生わからない気がするものである。
「年齢も役職も僕の方が上なんだから、敬語を使って欲しい」
「これ、少輔様から」
白妙は千草の手に、新しい資料を押し付け、それを千草はいやいや受け取る。千草の顔にはやはり元気がない。
「何かあった?」
「いや、特に何にも」
「何もなくてそうはならないだろう。あ、あれか? 少輔どのの娘さんとの話」
「まあ、強いて言うなら」
「痴話喧嘩か?」
白妙はなかなか歩き出そうとしない千草の背中を押して無理やり歩かせながら、拗ねたような声色で続ける。
「好みじゃないとかそう言うわけじゃないだろ? 実際美人だったし、タイプから外れてるわけじゃないし。なーにを今更うじうじしてるのか」
「うじうじしてるわけじゃないさ、好みでもあるよ。…だけどさ」
千草は立ち止まって、白妙だけに聞こえるように小さな声で囁く。
「源氏の君お気に入りの女房に、何処ぞの官人が手を出すのは無礼にならないか?」
「手を出すって、実の父から勧められたんだから、どうも言われないだろうさ」
「…そうかな」
二人が話している様子を、もう一人の官人が見ていた。
「白妙は朝から元気で結構、千草はいつも通り顔が死んでて安心さ」
白妙と千草は咄嗟に礼をし、その官人もスッと頭を下げる。その蒼く光る髪に煌びやかな金の瞳が映える、長身の官人は千草に近づいて、また新たな紙を手渡す。
「大変だね、その年でそこまで働かされているのは稀だ。そこに縁談だなんて、少輔殿はなかなか鬼畜なようで」
「本当に。縁談なんて皮肉なことです」
「でも彼女には私も縁があるさ。若苗式部と言ったら、妹達がこちらにたくさん文を寄越してくるよ。友達になっただとか、晴れ姿を観に行っただとか、姉妹揃って世話になったとも聞いたし」
「…そうですか、」
「悪い女房じゃないようだよ。熱意はないが、教養や特技もある。それは君もよくわかっているだろうけど」
「また相談させてください、青桐少丞殿」
「うん、今日も頑張ろうね。二人とも期待してるよ」
「ありがとうございます!」
青桐はそう言い残して、ご機嫌そうに去っていった。
嵐のような愉快な先輩と、生意気な後輩のもとで、千草は今日も働く。




