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15. 早蕨

「私、夏の御殿の若苗と言います」

「…知ってる…」

やっと目があったと思っても、すぐに逸らしてしまう。無造作なように見えて蓬の襲になっている袿の山は、小刻みに震えている。

「早蕨さま、返歌を代筆してほしいとのことです」

早蕨は青葉に耳打ちをして、青葉に通訳を任せたとでも言うように後ろを向いて座り込んでしまった。青葉は、文机の前から動こうとしない早蕨の横に座れば、困ったように笑う。

「若苗さん、文を貸して欲しいだそうです」

「あ、はい…」

青葉が足元に文を置くと、文は早蕨の袿の山に吸い込まれていく。吸い込まれた文は数秒して帰ってきて、また青葉を経由して聞くには、

「文のどこに歌を書くのか、だそうです」

「文の最後にするつもりですが」と若苗がその衣の山に話しかけてみると、山から見えた緑色に光る目はこちらをじっと見つめていて、しばらくするとすぐそっぽを向いて、筆を取って何かを書き始めた。

青葉がその様子を見て柔らかく微笑むと、「しばらくかかると思います」といって、若苗の手を取り、その薄暗い廂から退出した。



若苗と藤大納言は寝殿にある青葉の廂に案内された。藤大納言は青葉の知り合いであり、なかなかのベテランということもあってか、迷わずにそこまで辿り着けたのだが、人の多さや彼女たちの忙しなさから、若苗は気付けば迷いそうになってしまうほどであった。

「彼女は変わりませんね」

藤大納言は少し安堵したような表情でそう言った。

「昔からのお知り合いなんですか?」とつい問うてみると、

「いえ、こちらの屋敷に来る際お方様から、人見知りな子がいて、同い年なこともあるし気にかけてあげて欲しいと言われていて」

と藤大納言は微笑みながら答えたが、早蕨の怯え具合と極度の人見知りな様子からして、若苗には、あの大人な藤大納言と同い年にはまったく見えなかった。

「こちらに来るまでは、早蕨さんは?」

「明石の君に仕えていらっしゃいました」


早蕨は青葉に少し心を開いてくれているらしく、出自や歌についてもある程度話したことがあるようだった。早蕨はもともと、現在の冬の御殿の主人・明石の君に仕えていた女房で、出自が良く教養も高く評価され、現在は春の御殿で明石の姫君の教育係として一級女房に命じられたそうだ。

昔から人見知りが酷く、明石の君とは今でも時々文を交わしているようである。

「お方様に聞いたところ、彼女は歌人として有名なんでしょう?」

「はい、よく歌合のお誘いも頂くのですが、本人曰く行きたくない、とのことで。毎度代わりの者を送ったり、お断りさせていただいてます。でもいずれ、お断りできないような案件もあると思うので、…憂鬱です」

青葉は疲れた顔を浮かべ、微笑む。その顔は誰かを彷彿とさせる。

そう、横に座る苦労人・藤大納言である。彼女はというと、外から途切れなく聞こえる女房たちの声を聞いて、小さくため息をついていた。春の御殿と夏の御殿の景色を比べて、少し気だるげになっているようにも見える。まるで、このままでいいのかな、と悩んでいるふうに。


声が近づいてきたと思うと、若い女房がこちらを覗き込んで、おずおずと入ってきた。

「失礼致します、こちら、早蕨さまから預かっております」

「ありがとう、小菊。裏梅さんも、ありがとうございます」

小菊と呼ばれた小柄の女房は、一枚の紙を青葉に手渡すと、一礼してもう一人の女房裏梅と共に立ち去って行った。

「こちら、お目当ての和歌です。幾つか書いてくださっているみたいなので、お好きなものを選んでいただければ」

青葉がその紙を広げて見せると、そこには細く美しい字で歌が連ねられていた。若苗は改めて青葉に頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に全てしてくださって」

「いえいえ、これからも是非宜しくお願いします。青柳も普段お世話になっていると聞いていますし」

青葉は美しい瞳を輝かせてそう言う。

「はい。あの、また、来ても大丈夫ですか」

若苗が少し詰まってそう言ってみると、青葉は嬉しそうに頬を赤らめて「勿論です、お待ちしてます」と若苗の手を取った。彼女の白くて冷たい肌が、若苗にはとても心地よかった。

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