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8. 卯花

鼻を啜るような音を頼りに渡殿の方へ向かっていくと、そこには顔見知りの若女房・萌黄(もえぎ)と、柔らかい白い織と、深い緑の織を用いたやけに上質な装束の女房がいた。

そのあたりの床には、おそらく玉鬘へ持っていくつもりだったであろう盆、鯉の刺身か何かの皿が散らばっている。


「…大丈夫?」

「大丈夫…大丈夫です、すみません…!」

萌黄はこちらを見れば、はっとしたように倒れた盆を拾い、素手で刺身を集め始めた。

若苗は、この子も何か手伝ってあげればいいのに、という気持ちが過ぎり、なんとなく目線を横の女房に移してみる。ところが、横にいる彼女は見下すような視線を萌黄に浴びせており、ふんと鼻を鳴らして目を逸らした。

「他の子には言った? 姫様に届くのが遅れるのなら早めに伝えないと」

「…はい、伝えてます」

「なら、大丈夫」

萌黄は罪悪感からか何度も頭を下げる。若苗は焦りながらも、なんとか穏やかに微笑んでみる。



『…ほんとう使えない』

あまりに鋭く嫌味がこもったその声は、どれだけ微かでも若苗の耳に届いた。

はっとして振り返ると、もうそこにいた女房は機嫌悪く立ち去って行ったところだった。その後ろ姿を見て、若苗はなぜか、彼女と冬の御殿の二条姫君の姿を重ねてしまった。

その豊かで真っ黒な髪からだろうか。否、その深く懐古な黒方(くろぼう)の薫りからだろうか。


花散里の元へ戻ると、そこではまだ男の話を継続しているようだった。

主人の一人・夕霧と、幼馴染でありお互い想い合う姫・雲居(くもい)(かり)との関係はずっといじらしいだとか、恋に干渉してくる父についてだとか、中身はないのだがそれが楽しいようで、花散里も同じ世代の女子のように楽しそうに話を聞いている。

「おかえり、大丈夫だった?」

こちらに気付いた菫が手を振って話しかけてきた。こちらも全部言ってしまうのは気の毒だから、「杞憂でした」と返しておく。

「ならよかったわ。…そろそろ案内も終わった頃かしら」

「…ああ、すっかり忘れてました」

若苗は気の抜けた声でそういうと、その場の四人はふっと吹き出す。

「なんのために呼び出したと思ってるの。」

「すみません…」


数分後、昼御座へ小さな女房二人が慌てて入ってきて、深く頭を下げた。

「お待たせして本当に申し訳ありません」

「私たちの不手際で見失ってしまい、先ほど…」

目をうるわせながら言う彼女たちに、花散里は撫でるように優しく答える。

「それはいいのよ、見つかったのでしょう?」

「はい、失礼しました…。こちらに」

二人はまた深く頭を下げると、後ろに目線を向ける。若苗たちもそちらを見ると、なんだか鼻につくような、くだんの香の匂いがした。

「ご機嫌よう」

氷柱のような美しくも棘のある声が、その緊迫した空気を引き裂いた。わざとらしくつけた黒方の匂いから、若苗はその声の主をすぐに察する。


「ごきげんよう、私は菫。何か困ったことがあったら、私に聞いてね」

「…ふん」

「それで、こちらが主の花散里さま。花散里さまは、桐壺帝の麗景殿女御さまの妹君で…」

「存じ上げてます」

菫は明るく切り出したが、その他人事のような興味のなさそうな返しに引き攣った笑いを浮かべると、こちらに「この子苦手…」とでもいうように苦い顔を向けてくる。

「私そんな時間ないので、いいですか? 荷解きをしないと」

それもものともせずに、彼女はそう言って、出て行こうと立ち上がる。

「わかった、せめて挨拶だけでも」

「…宜しくお願いします」

彼女はこちらをしっかりと見もせずに、あちらに体を向けたまま、さも適当にそう呟き会釈する。菫はそろそろ限界そうだったが、業務上それを押し殺して笑顔で見送った。

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