7. 問題児
寒い冬、儚い春を超えて、夏の初め弥生に入る。
ほんの少し前まで雪が積もっていたのも嘘かのように、夏の涼やかで爽やかな風が庭を駆け巡る。庭の泉が爽快に音を奏でる。なんだか自分の気持ちも洗われるようである。
今は、常陸命婦が母の体調が優れないことから、娘の蘇芳と共に六条院から一時退出している。そのため現在は若苗と菫が彼女らの業務を預かっている。
「はぁ…朝に起きるなんて、そんな健康生活…」
「それが普通だから!」
今日は若苗にとって本来なんでもない日なはずなのだが、昨夜、花散里に朝から菫と共に参上するようにと伝えられている。同室の菫は己の身だしなみを整えると、まだ行くのを渋っている若苗の袖を軽く引く。
「今たぶん朝食終わった頃だから、行くよ」
「ええ〜」
二人が花散里の元へ着いた時、炊事の下女の子や童たちがトタトタと走り出て行く。そこには、くだんの萌黄もいて、盆を慎重に運びながら慣れない摺り足で通り去っていった。
「あれ、鴇さんもいらっしゃらない」
花散里に促され二人は腰を下ろしたが、いつも花散里の横にいる鴇はそこにおらず、代わりに他の女房が話し相手をしていたようだ。
若苗は軽く会釈すると、彼女はこちらを見るや否やすぐ頭を下げた。
「花散里さま、鴇さんはどこに?」
「あの子ね、今お使い中。」
「お使いですか、わざわざ鴇さんを?」
若苗がそう聞くと、花散里は少し悩んだように黙ったが、小さな声で本音を溢す。
「ええ、あなたたちを呼んだ理由にも関係あるのだけれど…。新しく出仕してきた子たちががいるのだけれど、そのうちの一人の子がなかなか…」
彼女はぽつりと言葉を選びながら答える。彼女は微笑んでみせたが、その目の奥には不安と心配が見え隠れしていることに、若苗と菫は気づいていた。
取次や下の子たちの管理をしてもらおうと思っているから、あなたたちと出仕が一緒になることはあまりないと思うけれど、と花散里は言う。
そこまで花散里が気を掛けるほどであるのか。と言っても若苗はその前例も知らないし、とりあえず出会ったら挨拶さえしていればいいか、と軽く見ていた。
朝食の時間も終わり、若苗は菫と共に花散里と談笑をしていた。
「性格は昔とお変わりになったように思いますよ」
話し相手として参上することは若苗にとって珍しい(本来の仕事であるが)ことであったが、やはり一番盛り上がる話題は主人・光源氏についてであった。
「そうね。最近は落ち着いてきたというか、『そう見せてる』が正しいかもしれないわね」
「それにしても、容姿は本当にお変わりになりませんね」
「そうかしら、私はとても変わったように思っていたわ。本当に、老いには誰にも勝てないわね」
側近の女房も巧みに会話に入り込んでいるのに対して、若苗はずっと黙りこくったままであった。
「…花散里さまは、お幾つの時に源氏の君と出会われたのですか?」
「幾つの頃かしらねぇ…。姉上が源氏の君と親しくしていらっしゃったから、出会ってからもうとっくに十年は超えているわね」
若苗がやっと絞り出した質問に、花散里が微笑んで答える。
若苗は相槌を打ちながらも、話を止めてしまったかと周りを見渡していた。すると、渡殿の方から誰かがすすり泣いているのがかすかに聞こえてきた。
「泣き声…?」
若苗はそれを聞いた途端、なんだかすぐ駆けつけてあげないといけないような、そんな予感がして、「すみません、ちょっと失礼します」とその場から退出した。




