2. 菫
「若苗ちゃーん」
若苗は夏の御殿に設置された曹司の自室にて、荷解きを行っていた。
そこへ一人の女房・菫が顔を覗かせ、名前を楽しげに呼ぶ。
「どうしましたか」
「鴇さんからどこまでお聞きした?」
おそらく若苗より年上ながら、小柄で整った顔立ちの彼女は、ちょこんと横に座り、愛らしく微笑む。
「えっと、花散里さまと夕霧さまが住んでおられる…と言うことくらいしか」
「鴇さん大事なところ全然伝えてないじゃない!」
わっと騒ぎ立てる菫を、誰かが来るかもしれないからと宥める。若苗は、まるで三女と四女の世話をしていた時のようだ、と不意に思い出して懐かしくなった。
「ほほん!ではこの私、大先輩 菫が御教授して差し上げましょう!!」
菫は態とらしく咳払いをし、声高らかに説明を始める。
「まず、女房には大きく分けて五つの階級があるの! 一番上が【特級女房】、その次が【一級女房】、【二級女房】、【三級女房】、【四級女房】って言う感じよ。私たちは【三級女房】ね。鴇さんは【一級女房】だよ、さすがベテラン!!」
「あの、女房の出世条件とかはあるのでしょうか」
「聞いてる!?」
一人で楽しくなっている菫を尻目に、若苗は真剣な眼差しで質問を投げかける。若苗は盛大なツッコミで前へ崩れ込んでいた菫に手を貸しながら、もう一度同じ質問を繰り返す。
「出世のためには何が必要なのでしょうか」
「えーっとね、とりあえず長く仕えることかなあ。時々大仕事やってのけて出世する人もいるんだけど、ほんの一握りだね」
私もこう見えて農民上がりなのよ、と菫は謎のポーズを決める。貴族にはあまりこういういい意味で変わった人はいないからか、若苗にとってはノリがすごく新鮮で、純粋に好きになった。
「鴇さんとかがわかりやすい例ね、あの生まれなら普通じゃ雇うので精一杯だわ。あの性格だと特に…」
バッと部屋の几帳が強く開けられる。入ってきたのは鴇で、鬼のような形相を顔に貼り付けている。
「私が性格が悪いって言いたいわけ?」
「ひぃっ!?」
菫は顔から一気に血の気がなくなり、驚く反動で若苗の方に飛びつく。そして鴇は何事もなかったかのように、爪先を菫の背中にぐりぐりと押し付け、対して菫は対抗しようとじたばたと暴れていた。
…子供の喧嘩のようだ。
「下品よ、恥ずかしい」
渡殿に通りがかった先輩女房がそう溢す。
若苗は呆れた顔をしつつも、心の内はすごく燥いでいた。
これまで体験できなかったことが、これからはできるんだ。
これからは毎日が暇で苦痛じゃないんだ、と一人、騒がしい曹司の中でその喜びを噛み締めていた。