26. 菖蒲・後編
「父上ー、入江さまからのお返しでございますー」「ますー」
蝉が鳴り響く残暑の因幡・壬生家であるその小ぶりな屋敷に、三女と四女が汗をかきながら、小さめの米俵を二人で担いでいて、走り入ってきた。
「はいはーい」とあやめが玄関へ出てくると、二人についてきて来れていたのか、焦茶色に輝いた長い髪を持つ女性がもう一つの俵を持って立っていた。
「ももちゃん!わざわざありがとう」
彼女の顔を見た途端、あやめが顔を明るくして言う。薄桃色の筒型袖の着物を着た彼女こそが、文経の元同僚・入江忠成の妹である「もも」である。
「今回のお願いって何だったの?至急お願いってことだったけど」
「ああ、それね…」
あやめが微笑んでももに聞いてみると、ももは呆れた顔を浮かべる。
「奥さん怒らせて実家に帰っちゃったから、謝罪の文を送りたい、とか」
「帰っちゃったの!?」
あやめとももはその話を冗談まじりに笑い飛ばしたが、その話を聞いていた次女はえもいわれぬような気持ちになっていた。
「貴方、忠成さんからお返しが来ましたよ」
あやめはももと数分語り合ったのち、礼をして帰したのちに、文経の元へお返しの品を持ってきた。
「貴方」
「ああ…」
文経はその頃から、嫌なことや気に食わないことがあると、致死量の手前ほどまで酒を浴びるようになった。そして、その次の日はその酒にやられて中々動けない。
「貴方、つきのお相手を考えるのでしょう? 私的には忠成さまのところの太郎の君とか…」
「…」
あやめは長女の今後について真面目に話す中、文経はまるで興味がないかのように無言で酒を口に運んだ。
「あと、お金はそんなにないのだから、お酒も買いすぎないで」
「…わかってる」
文経は昨日も飲んでいたのか、蓄積で意識が朦朧になり、小さな曖昧な答えしかできなかった。
「娘は他にもいるんだから…」
あやめは悲しそうな声でその部屋の戸を閉めた。
「大丈夫?」
部屋の外で話を聞いていたのか、四女を抱いた長女がそこに突っ立っていた。
「大丈夫よ、心配しないでね」
あやめは無理に笑顔を作って、二人を宥めた。
「はぁ…」
あやめは今年齢三十一になっていた。普通ならもうそれほど元気な年では無い。
この頃あやめはずっと動いてばかりだった。三女・四女の養育から、舞の稽古、琴・琵琶を教え、長女に限っては年頃になってきたため将来のことも考えなければならなかった。
あやめはこの一年、毎晩静かに泣いていた。
暑さの煩わしい残暑も過ぎ去り、椛も色づく秋。長女・つきは忠成の元の太郎の君との契りを交わした。
そして、あやめはある決心をした。
夜も老けるころ、あやめは同じ部屋で寝ていた三女と四女、多少の織物、そして琵琶の撥だけ持って家を飛び出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
街灯もない暗闇の中、彼女は泣く泣く二人を背負って、抱いて走った。
長女、次女は一人で生きて行ける。だが、このままでは小さな子を残して私が死んでしまう。それは絶対にいけないと、そういう使命感が、彼女を突き動かして行った。
「お母さん…?」
明くる朝、その願いとは裏腹に、長女と次女の顔には絶望が映った。




