25. 菖蒲・中編
「あやめはねえ、ここの巫女長なんだが、もう来年からは舞はせずに引き継ぐんだよ。最後の年に見られて、運が良かったねえ」
住職さんは、丁寧にあやめのことについて教えてくれた。彼女は齢十六で、今年のあの舞を最後に、舞姫を引退するらしい。引退してからのことはわからないが、文経は居ても立っても居られないような気持ちになった。
それからの文経は、どこか異常だった。
特に用もないのに、村で管弦か何かの音が聞こえたり、鈴の音が聞こえたりするたび神社へ顔を出した。
しかし、そんな生活を始めて一ヶ月経っても、あやめは外に姿をなかなか出さなかった。
諦めかけた底冷えの夕暮れ、文経はあることを思いついた。
その瞬間文経は、仕事などそっちのけに必死に筆を動かした。
「天女のように美しいあの姫は、雲に紛れていなくなってしまったのでしょうか。私はまだその光を追い求めているというのに」
和歌など書いたこともほとんどなかった。恋文の才などあったものではない。
しかし、文経は兎に角必死だったのだ。
彼は花で染めた紙にそう書き記せば、背面にはあやめと記した。
筆を置いた瞬間、文経は家を飛び出した。もう暗くなってきていたが、辛うじて神社の周りは灯りがあった。
文経は上がった息を整えながら、本殿に一番近い、低い梅の枝に括り付けた。
翌朝、あやめは欠伸をしながら本殿の方へ歩み寄って来た。
あやめは寝惚けながらも梅の木の方に目をやると、そこに薄藤色の紙が括り付けられていることに気づいた。
住職に力を借りて紙を取ってみると、裏には己の名前が書いてあることに気づけば、あやめと後ろについてきたももが紙を覗き込んだ。
「…」
「あやめちゃん、なんて書いてあるの?」
ももがそうやってあやめの顔を見ると、あやめは赤面して後ろへ倒れた。
「あやめちゃん!?」
数日後、住職とあやめが文経の家へ訪れた。
そこからあやめと文経は定期的に会うようになり、あやめは最初は緊張していたのかあまり口もきかなかったが、いつからか楽しそうに笑うようになった。
こんな田舎には珍しく、あやめの父は学者である下級貴族だった。文経はその彼女の出自にもシンパシーを感じ、気づけば彼女にぞっこんであった。
そして、その年のうちに文経とあやめは結婚した。
村の皆から祝福される、最もロマンティックな恋愛結婚だった。
そして、彼女たちは結婚して間もなく長女を授かった。満月の夜に生まれたことから、周りからは「つき」と呼ばれる、母親似の別嬪な娘であった。
次女は、長女が生まれて三年後に生まれた。昔から母についてまわり、舞や巫女のことなど、なんでも教えて教えてと強請る我儘な娘であった。
四年後、三女が生まれた。三女は父親似の愛想の少ない娘だったが、才女の母から受け継いだ数多の才能で周りの人々を魅せ付ける特別な娘であった。
四女は、その五年後に少し遅れて生まれた。小柄で病気がちで、幼い頃の次女と同じく何かと母親についてまわっていた。しかし、その謙虚な性格がいつも不幸を招いてしまう不憫な娘であった。
色々なトラブルはあれど、家族六人で幸せに暮らしていた。
そして、この安泰の日々はこれからもずっと続いていくのだとも、思っていた。




