22. 翠の舞姫
ついに新嘗祭当日・卯の日となり、多くの貴族が宮中へ訪れた。
昼頃、宮中三殿にて「新嘗祭賢所・皇霊殿・神殿の儀」が行われた。
この儀の中では、天皇に代わり掌典職が神饌と幣帛を捧げ、拝む。
午後には掌典長以下の者が神嘉殿に神座、寝座、御座の奉安を行った。
日の沈むころ、帝は宮中三殿の近くのそば、神嘉殿へ移動した。
夜には「神嘉殿の儀」「神饌行立」が行われ、帝や皇太子が神に捧げ物を供えたり、体を清めたりする。
この所作を二度行い、その儀は、亥刻から子刻および寅刻から卯刻まで続けられた。
そしてその翌日・辰の日、ついに舞姫たちの出番がやってきた。
「豊明節会」は、新嘗祭翌日に行われる公式の晩餐会で、五節舞を彼女が披露する場である。
大歌所の人々の歌などに合わせて、四人の舞姫が舞う。
かなり前の時間から紫宸殿では、多くの官人による舞の準備が行われていた。
「やっぱり緊張するね」
これまでの中で一番多い女官による着付けが行われている最中、伊予は小さな声で若苗に耳打ちした。
「ほら、動かないの」
若苗はそうは言ったが、心底ありえない程に緊張していた。
手が震えて汗が無限に止まらないのは、生まれてきて初めてだった。
着付けも終わってすぐ、会に向けて人を入れ始めたのか、内がかなり賑やかになってきた。会場には晩餐会らしく酒や料理が用意されている。
「お入りください」
四人が震える手を繋ぎながら出番を待っていると、そこに一人の官人がやってきて、四人に殿に入るように伝えた。
童女や着付けを担当した女官たちに感謝を伝え、四人は並んで殿へ参上した。
舞姫が出てくるなり、会場中は一気に静かになった。いつもよりうんと重く美しい衣装は、彼女たちに物理以外の重さをも与えた。
重い衣装でやっと四人が場に着くと、両端の大歌所の歌手たちが歌を始める。
若苗は、大きく深呼吸をして目を開け、袖を一つ振った。
それをきっかけに、歌は壮大なものとなり、四人の舞が始まった。
若苗は、数多の貴族たちに見られていることと光源氏の看板を背負って舞うことへのプレッシャーを強く感じていた。
袖の一振り一振りに、これからの未来がかかっていることが怖くて堪らなく、今すぐに隣の伊予に飛びかかりたかった。
中盤の難所、舞姫全員の配置が変わるタイミング。
若苗は最初の左前から右奥へと移動する。間的にあまり時間も取れない中、若苗は一番の長距離移動のため、ここでは一番間違いが出やすい。
平静を保ちながら歩みを進めると、移動が終わった伊予以外の三人が集まる瞬間、羽衣が若苗の横側の裾を踏んでしまった。
それにより、羽衣が前に倒れそうになった。
裾が踏まれて、羽衣の様子にも気づいた若苗が、反射的にあいていた左手を出すと、奇跡的に羽衣はその手を掴み、最悪の事態を避けることができた。
その後、全員大きな失敗はなく、無事に舞い切ることができた。
退場後、まだ衣装も着たままだというのに、羽衣は若苗に泣きついた。
「ごめんなさい、ありがとう」
「全然、それに私のいた場所が悪かったよ」
おうおうと泣く羽衣の姿を見て、若苗はなぜか安心した。羽衣はこれまで、六条院の中でも若いながらも高い地位にいるという重圧感に耐えてきていたのだ。
「一生の恩人だよ」
そう言う彼女の顔には、いつかの若苗に対する不満や怪訝さはなく、純粋な感謝しかなかった。
「やはり翠のむすめが一番だね」
「だがあのむすめは少し大きすぎる、私はあの二番目のむすめだな」
「あの子は噂によれば播磨大納言の姫君と聞いたぞ」
「播磨大納言の姫はあのような容姿ではなかったであろう」
「ああ、彼女は別腹のむすめらしくてな」
舞の終わった会場では、舞を見ていた貴族たちの間は舞姫の話題で持ちきりだった。
「どうでした?」
「ああ、良かったよ」
「それだけですか?折角の晴れ舞台ですのに」
実の父、壬生文経が、舞を熱心に、惚れ惚れと眺めていたということを、若苗は知る由もなかった。




