路地裏アパートのデンジャラスな殺人未遂
日が差す青空の下。昼食後の散歩を終えたアリヤは、欠伸をしながら、自らが住むアパートへと足を進めていた。春の陽気に当てられて、「休日の残りを昼寝で過ごすのも悪くない」などと考えながら、見知った道を歩いていく。
そんな暖かい空気だったからこそ、彼は気づくのが遅れてしまった。見知った光景にはあまりにも不釣り合いな、怪しすぎるローブ姿の人物の接近を許してしまった。
「死ね」
「え」
弾けるような音と共に、アリヤの頬に鋭い痛みが走った。頬から血が垂れる。しかしアリヤにとって痛みなどどうでもよかった。異変に気付いたアリヤの目に映るもの、そちらの方が問題だったのだ。ローブ姿の人物の突き出した腕には、日常では見ることのない武器が取り付けられていた。木と弦と少しばかりの金属で組み合わさった武器……クロスボウだった。
次の瞬間、カランという音に釣られて足元に視線が移る。そこには矢が落ちていた。ローブの人物が発射した矢が、壁で弾かれ、今のタイミングで地面に落ちたのだ。ここでアリヤは理解した。自分が命を狙われているということにようやく気付いたのだ。「次で殺される」という言葉と共に、困惑と覚悟と事実確認がアリヤの頭をよぎる。
しかし次の痛みは来なかった。アリヤが顔を上げると、ローブ姿の人物が角を曲がっていくところが見えた。数秒ほどのあっという間の出来事に、しばらくアリヤは立ち尽くす。数十秒後、アリヤは犯人の逃亡先を思い出した。
「あの先はアパート。今ならあの3人がいる!」
ローブ姿の人物が走り去った曲がり角。そこはアリヤが帰ろうとしていたアパートへと繋がっていた。他に行き先はない。そして今の時間帯であれば、アパートの外にいつも居るあの3人が、犯人と対峙しているかもしれないのだ。
「まずい!」
アリヤは急いで犯人の後を追った。曲がり角で待ち伏せされていることも考慮して、角から少しだけ顔を覗かせる。
すると、路地にはローブとクロスボウが落ちていた。先ほどアリヤを襲撃したローブの人物の着ていたものと同じ色と大きさのローブで、犯人のものであることは明白であった。クロスボウには矢が装填されておらず、近くにも矢らしきものは見当たらなかった。
「あれは……!」
次にアリヤが気付いたのは、路地の先にあるアパートの様子であった。アパートには3人の居住者の姿を確認することができた。しかし犯人の姿はなく、またアパートの居住者たちに特別変わった様子が見られないようにアリヤは感じた。曲がり角からアパートまでの距離は25メートル。アリヤが路地を覗き見るまでの間、犯人が逃げ込む猶予があった。
アリヤは路地に入り、ローブを拾い上げる。ローブの中にも下にも犯人の証拠になりそうなものは何もない。クロスボウには触れなかったが、矢が入っていないこと以外は何の変哲もないクロスボウであった。
アリヤがアパートに向かおうとした瞬間、アリヤの耳に何かが聞こえた。共鳴するかのように、左右の塀の奥から同じような音が響いている。それは土を引っ掻くような音であった。一回、また一回と、音が聞こえる度にアリヤは、自分の神経と心臓が掻かれているのではないかという不安を募らせていく。アリヤが不安を振り払おうと頭を目を瞑ると、それをあざ笑うかのように、左右の塀の奥から老婆の笑い声が響き渡った。
「な、何なんだ一体!」
混乱したアリヤが片方の塀を掴み、中を覗き見る。するとそこには、笑いながら草を刈る老婆の姿があった。一見ただの草を刈る老婆であったが、その鎌の動きにはあまりに隙が無く、アリヤは底知れない不気味さを感じ取った。
「ひーっひっひっひ。なあに、あたしらはただ草を刈っているだけさ。ただ、路地の方から物が落ちる音がしたんでね。警戒して押し黙っていたのさ」
「ひーっひっひっひ。あたしらは5感が敏感なのさ。あれは間違いなく人を殺そうとした人間の息遣いだ。落とし物の主ならアパートへ走っていったよ」
塀の先の老婆は、塀の上にいるアリヤなど全く気にした様子を見せずに話し始める。するとその言葉に応えるように、反対側の塀からも老婆も話し始める。気になったアリヤが反対側の塀の奥を覗いてみると、そこにも、不気味なほど隙のない鎌捌きをしている老婆の姿があった。
「あたしらを疑うなんて無駄なのにねぇ。あたしらは1時間も前から鎌の動きをシンクロさせていたんだ。録音などもあり得ない。どちらかが場を離れれば、互いに気配でわかる。あたしらのアリバイはなんて完璧なんだろうねぇ」
「落ちた物の音はポリエステル製の布と、恐らくはクロスボウだよ。予備の矢はなし。布を外す音の具合からして手袋はしてないね。素人の犯行さ。警察を呼べば一発で特定可能だよ」
「ひーっひっひ。うぶな犯人だねぇ!」
「ひーっひっひ。青くて仕方ないねぇ!」
アリヤが聞くまでもなく、老婆2人は勝手に話を進めていく。「恐らく相手にされていないのだろうな」と思いつつ、アリヤは塀から降りた。
アリヤが昼食を食べに出かけたのも1時間ほど前である。しかし1時間前のアリヤは鎌の音など聞こえなかった。老婆たちの鎌の音色は回避不能の音を発している。アリヤが通った後に草刈りを始めたか、老婆たちが嘘をついているということになる。
「あ、ありがとうございます」
戸惑うように礼を言い、アリヤはアパートへと向かう。本当は「もっと情報を知りたい」という気持ちがアリヤの中にはあったが、老婆たちに目を付けられないほうがいいと、彼の中の本能が警告を発したのだ。確実に犯人だとわかったときにだけ来よう、とアリヤは心の中で決めるのだった。
路地を越え、ようやくアパートに辿り着いたアリヤ。犯人に襲われてから2,3分しか経っていなかったが、クロスボウをとローブを犯人が身に着けていないことがわかり、アリヤの犯人に対する恐怖は薄らいでいた。また路地裏で極度の緊張を負ったことにより、今のアリヤは比較的冷静になることができた。
アパートには、アリヤの部屋と隣接する部屋に住んでいる3人の人物がいた。
西側の部屋に住む隣人"テツ"は、政府公認の殺し屋家業を営んでいる男性である。中年手前のこの男は、いつもアパート1階の階段下でスナイパーライフルの手入れを行う。
東側の部屋に住む隣人"マツじいさん"は、このアパートの管理者であり大家の男性である。路地の老婆たちほどではないが老齢。いつもアパートの外れで、健康管理のためのストレッチ運動を行う。
上側の部屋に住む隣人"アキル"は、自営業を営んでいる女性である。年はアリヤと同年代の青年。いつも仕事のためにノートパソコンを持ち歩いており、アパート2階の階段で操作している。
アリヤがアパートの手前にまで近寄るが、3人の隣人は気づいた素振りを見せることはない。「まさか誰も犯人を見ていないのでは」とアリヤの頭の中に不安がよぎる。
アリヤの最も近くに居る人物は、野外にある階段下に座るテツであった。いつ自分に気づくのかだけを気にしていたアリヤは、図らずも殺し屋を眼前に見下ろす形となってしまった。
「あのすみません。怪しい人を見かけませんでしたか」
アリヤがテツに声を掛ける。殺し屋という肩書の男を前にしてもアリヤに動揺はなかった。路地裏の老婆2人に比べれば、目の前にいるテツはさほど脅威ではないとアリヤは感じていた。
テツは顔を上げると「あんたか」と呟いたあと、武器の手入れの手を止める。
「人探しなら上を頼りな。下は殺し屋、しかも政府専門店だ」
「そうじゃなくて。僕が来るまでの間に誰か来ませんでしたか。アパートの敷地内に出入りした人を知りたいんです」
「さあな。ただ1時間近くドアと窓の開閉音は聞こえていない。全てのドアや窓が閉じているなら犯人は室内に出入りできないはずだ」
「なら1時間の間に聞こえたドアの開閉音は何回ですか?」
「1回だな。上の階から聞こえた」
1時間の間のドアと窓の開閉音。これはアリヤにとっては大きな情報であった。アリヤの住むアパートは、ドアと窓の開閉時に必ず大きな金属音を発する。これはセキュリティ上の仕組みであり細工も不可能であることを、アリヤは入居時の説明で知っていたのだ。更に、あらゆる出入り口候補の細工不可を認定する政府公認機関のサイトにも、アリヤの住むアパートは登録されている。
アパート付近の外にさえ居れば、回避不能の開閉音が聞こえる状況なのである。
アリヤは歩いてアパートの周りを1周する。窓もドアも閉じられていた。施錠とは関係なく、開閉音は鳴り響く。3人に気づかれずに室内へ入るのは不可能なのである。
テツの正面に戻ってきたアリヤ。テツはアリヤの存在に気づくことなく、武器の手入れを続けている。アリヤが「あの」と声を掛けると、テツは再び顔を上げた。
「また来たのか」
「その、ありがとうございます。おかげで犯人はアパートの外だとわかりました。それで他にも気づいたことがないかと思って」
「なぜ俺に聞く。いやまず犯人は敷地内に入ったのか?」
「恐らくは。犯人がここへ続く路地に入るところを見ました。ただ、路地やアパートの塀を乗り越えた可能性も」
「いや。塀の乗り越えはない」
確信したように、犯人の塀の乗り越えを否定するテツ。アリヤが「なぜ?」と不思議そうな顔をすると、テツは階段近くの塀を指し示した。
「このアパートを囲う塀は、先月から高圧電流が流れる仕様になった」
「ええっ!」
「アパート管理人のじいさんは、カラス撃退のために必要だと言っていたな。せめて一言知らせろと言っておいたが」
「し、知らなかった。あの人いつも告知しないし」
「高圧電流の発生音はすさまじい。敷地内で高圧電流が発生すれば、俺でなくとも音を認識するだろう」
テツが部品を塀に飛ばす。塀の側面で弾かれ、アパートの階段で弾かれ、部品は塀の上に着地した。次の瞬間、アリヤの耳を爆発音が貫きぬけていく。塀の隠し装置が電撃を打ち上げたのだ。部品は上空で塵になってしまう。
電撃の音に反応し、アパート敷地内の全員が音の出所を凝視している。
「どうだ」
「うぅっ。先月の爆発音は高圧電流だったのか。ただの爆発かと思ってました」
「危険は敷地内だけじゃない。見ろ」
テツはアパート敷地の出入り口を指さす。出入り口の先には、アリヤが犯人を追うために通った路地があった。コートとクロスボウが未だに路上に落ちている。
「路地の左右にある塀だ。乗り越えた先は死が待っている」
「死ぬの!?」
「比喩だが、死ぬこともある。殺し屋がいるからだ。俺のような素人じゃない。殺し屋界隈でも伝説と名高い姉妹が住んでいる。高齢だがな」
「あの老婆が?」
「彼女らは殺しを厭わない。腕も情熱もある。姉は一発で確殺する飛び道具使い。妹は殺すまで休まず追い続ける。そして、姉妹はテリトリーを重視している。塀から侵入すれば命はない」
アリヤは冷や汗を流す。姉妹との会話中、彼は塀から身を乗り出していた。危険なラインを踏み越える手前だったのだ。
「テツさんは?」
「俺は遠距離専門のスナイパーだ。人並みさ。当てるのに5発は要る」
「何の騒ぎかね」
会話中の2人の元に、アパート管理人のマツが走り寄ってくる。
マツは汗を拭い、きょろきょろと周囲を見回す。そして作動した塀を見ると、「はあ」と息を吐いて言葉を続けた。
「カラスか?」
「いいや。俺の部品を打ち上げた」
「気を付けてくれ。電気代は安くないんだ」
「じいさん。あんたにも話があるそうだ。別の場所で聞いてやってくれ。俺は武器修理が残ってる」
「どうも」
「アリヤ君がわしに? ひとまず場所を移そう」
マツに連れられ、アパートの階段のない側へと移動するアリヤ。そこはマツがストレッチをしていた場所である。
「何用かね」
「あの。怪しい人物を見かけませんでしたか」
「ふむ? 今日は君たち2人しか目撃していないが」
「何か気配を感じたとか」
「いいや。今日は人の気配などしていないな。今もわからん」
マツの言葉を聞いて、アリヤは先ほどアパートを1周したことを思い出していた。
アリヤはストレッチで汗を流すマツの邪魔をしないようにと彼の真後ろを通り過ぎていた。しかし、その際マツは、アリヤの存在に全く気付くことなく体を動かし続けていたのだ。
テツ同様に目撃証言をあてにはできないと考え、アリヤは別の質問を考える。
「アパートの塀に高圧電流を仕掛けたそうですね。人が塀を乗り越えることはできますか?」
「不可能だ。あれはカラスを撃退する仕掛けだからな。人間程度では塵になるだろう」
「道路からあの路地に逃げ込んだ犯人の行先に、何か心当たりは?」
「何の犯人かは知らんが。ここの敷地内に入ったのではないかね。あの路地は一本道だろう。他に逃げ場など考えられない」
「路地の左右に、伝説の殺し屋が住んでいるらしいのですが」
「何だねそれは? 路地付近には老婆が住んでいるが、とても殺し屋という風貌ではない。きっと何者かが君を騙すために嘘を言っているのだろう」
「1時間の間にドアの開閉音を聞いたりとかは?」
「1時間以上はストレッチしているが、ドアの開閉音は1度も聞いておらんな」
「参考になりました。ありがとうございます」
アリヤは礼を言い、その場を後にする。
アリヤはマツが苦手であった。いかにも一般人であるマツが、アパートに殺し屋などの闇家業の居住者を増やしていたからだ。そういった職種の居住者が増えるだけならアリヤは別に構わなかった。しかしマツの人柄と闇稼業との接点が見つからず、不気味さを感じていた。
またそれとは別に、アパート管理者なのに居住者への通達を軽視するマツに対し、やはりアリヤは以前から不満を持っていた。
アパートの塀改造にしても、塀に仕込まれた高圧電流は人を消し去る威力である。アリヤは路地の塀の上に身を乗り出していた。もしアパートの塀で同じく身を乗り出していれば、死んでいたのだ。その事実がアリヤを不安に駆り立てていた。彼のマツに対する信頼感はガタ落ちであった。
アリヤはテツの前を通り過ぎる。武器の手入れを行うテツは通行人に気付かない。
野外に備え付けられた階段を上り、その途中で足を止めるアリヤ。彼の目線の先には、ノートパソコンを打ち続ける女性の姿があった。
自営業者のアキルである。彼女は目の前に居るアリヤに気付くことなく、淡々と自分の仕事を進めていた。この時点で、目撃情報はないだろうとアリヤは確信する。
「あの、すみません」
「あ。今退きます」
「いや座ったままで。ちょっと聞きたいことがあって」
「依頼ですか?」
「ああいえ。怪しい人物を目撃してないかと思って」
「時間と場所は?」
「このアパートの敷地内か周辺です。ここ10分以内のはずですが」
「10分以内。申し訳ありませんがお力になることは難しいですね。人相や人物像がわかれば探し出すこともできますが」
「え、探せるんですか?」
「やめておけ。人探しは高くつくぞ」
背後から聞こえた声にアリヤが振り向く。するとつい先ほどまで階段下に居た殺し屋テツが、スナイパーライフルを肩に乗せて、アリヤの目の前に立っていた。アリヤが階段下を通り過ぎてから程なくして、テツは階段を上り、アリヤの背後に立っていたのだ。
「て、テツさん。なぜここに」
「部品の発注にな。その女は政府ご用達の闇自営業者だ。素人は高くつく」
「テツ。私たちの取引に口を挟まないでください」
「隣人のよしみだ。ここのパーツを1万以内で頼む。ノリで打ち上げ花火に使っちまった」
「お待ちください。ええ、届くまで10分です。昼寝でもしていては?」
「そうするか」
注文を終えたテツは階段を下りていく。そして階段下に寝転んでしまう。階段の隙間からその様子を見ていたアリヤは「部屋に戻らないんだ」と内心呆れていた。
「アキルさん。アパートの塀に仕掛けられた高圧電流のことは聞きました?」
「いえ初耳です。防犯対策でしょうか」
「カラス対策だそうですよ。人は塵になるとか」
「カラス対策なら止むを得ません。でも事前に一言伝えて欲しいですね。もう慣れましたが」
「ですよね。僕も同じ気持ちです」
対応の悪い管理人への不満を漏らす2人。
アリヤの中で、アキルに対する印象が変わり始めていた。無言でパソコンを打ち続けるだけの自営業者。それがアキルに抱いていた印象だった。しかしアキルが闇自営業者だということをアリヤは知った。更に、彼女にはアパート管理人に対する不満があり、不満を語り合えるということをアリヤは知った。普段彼女に抱く印象とのギャップを知ってしまったのだ。
アリヤは、アキルと仲良くなれそうな気がしていた。
「路地の塀の先にいる老婆たちは伝説の殺し屋らしいですよ。テツさんから聞いたんですが」
「はい。私も存じております。私たちのような稼業だと彼女らの噂は嫌でも耳に入りますから。確か土地を譲ることを条件に誘致されたとか」
「誘致? 伝説の殺し屋を呼び寄せた人が?」
「口が滑りました。これ以上を知りたければ情報料をいただきます」
「あ、結構です。最後に一つ。ここ1時間の間にドアの開閉音は何度聞きました?」
「開閉音? いえ。1時間程前に外に出てからは一度も聞いていませんが」
「ありがとうございます。参考になりました」
聞きたいことを全て聞き終え、アリヤはアキルの元を離れる。
アリヤは3人の話を聞き終えた。頭の中で今までの情報を組み合わせ、答えを模索する。そして数分も経たない内に結論を出す。
「事の真相に見当がついた。でも」
アリヤの中に生じた疑問。それは「本当にこんな推理で犯人を決めるのか?」というものであった。アリヤは刑事でも探偵でもない一般人だ。ミステリーに精通しているわけでもない。犯人を犯人として指名できる必要条件を知識に持ち合わせていないのだ。彼の推理力は、モブキャラが適当な理由で「こいつが犯人に違いない」と決めつけるのと大差ないものだった。
「それでも」
自分の想いを確認するアリヤ。理由のよくわからない襲撃から始まり、犯人を追い、関わりの薄かった住人たちに話を聞いた。そこまでする理由が彼の中には存在していた。身を危険に冒してでも犯人を追う理由が確かにあったのだ。
アリヤはアパートの住人3人を一か所に集める。アパート敷地内の出入り口である。そこは路地にも近く、老婆たちにも推理が聞こえる場所であった。
「どういうことかねアリヤ君。我々3人に集まれなどと」
「皆さん聞いてください。20分程前のことです。路地へ通じる道路で僕は命を狙われました」
「なんじゃと!」
「犯人がどうのと聞いてはいたが」
「命を狙われていたのですね」
「はい。それで僕の中で結論が出たので、皆さんに聞いていただこうかと」
「待ってください」
アリヤの言葉を遮ったのはアキルだった。アキルはノートパソコンの録音アプリをそっと起動してから話を続ける。
「アリヤさん。なぜ警察に任せないのですか」
「そ、それは」
「あなたは20分前に命を狙われたと言った。しかし警察は未だ来ていません。何故ですか」
「はっ! アリヤ君。まさか君は」
「あ、あんた、警察を呼んでいないのか?」
「……はい。警察には通報していません」
アリヤの言葉に場は静まり返る。アリヤ以外の全員が「警察呼ばずに何やってんだこいつ」という表情をアリヤの方へ向けている。
弁明のためにアリヤは言葉を続ける。
「僕のエゴです。この事件は素人犯行でした。警察の力ならとっくに事件解決していた。でも、僕が望む解決はそうじゃない……。犯人が凡ミスを悔やむ展開なんて僕は認めません。こっちは命を狙われたんです。僕に手を出したことを後悔させてやりたい」
「言い分はわかりました。ですが」
「あんたのエゴで推理するのは構わねえ。だが忘れちゃいないか。警察は国家権力。ある程度の捜査ミスや冤罪は容認される立場だ。炎上はしても襲撃はされない。だが、あんたはどうだ」
「僕に、そういう力はありません」
「そうだ。あんたが集めた容疑者候補3人、いや5人か。5人全員が犯人扱いされてタダで済ます人間じゃない。冤罪を吹っ掛ければ死ぬ……その位の覚悟があんたにあるのか」
テツは睨むようにアリヤと視線をぶつけ合う。
アリヤの答えはすでに出ていた。殺し屋テツの眼光をものともせずにアリヤは答えた。
「覚悟はあります。そして僕は犯人を追い詰める。警察に引き渡すのはその後だ!」
「ふっ。なら好きにしな」
「その通りだアリヤ君。君の覚悟は本物だ。私たちも君の推理を信じているよ」
「しかし。いえ。まあいいでしょう。聞かせてもらいましょうか。アリヤさんを襲った犯人がいったい誰なのかを」
「ひーっひっひっひ。精々頑張って当てるがいいさ」
「ひーっひっひっひ。精々頑張って外さないことだねぇ」
アパートの3人と老婆2人は推理を聞く態勢に入る。
情報を提供した容疑者5人の誰が犯人なのか。
アリヤはまず犯人像から話し始めた。
「先ほども言いましたが。僕を狙った犯人は素人です。僕に撃ったクロスボウの矢が外れるや否や、路地へと逃げ込んでしまいました」
「ふむ? 逃げるのは自然なことではないのかね? 捕まるかもしれぬのだぞ」
「いや。殺し屋は大抵、自分の得意なスタイルで仕事をする。伝説の殺し屋姉妹のやり方は犯人とはかみ合わない」
「そうです。まず殺し屋姉妹の姉は飛び道具で確殺するタイプ。殺せないタイミングで仕掛けた犯人とは考えにくいです。ましてや僕は犯人の接近に気付けなかった。外す理由がありません」
「ひーっひっひっひ。ドジで情けない犯人だねぇ」
「そして、殺し屋姉妹の妹は殺すまで追うタイプ。しかし犯人は僕を殺し損ねてすぐ逃げた。未だに命を狙いにきていません。やはり犯人とは考えにくい」
「ひーっひっひっひ。根性も執念もない犯人だよ」
「以上のことから老婆2人は犯人ではないと」
「度々すみません。少しよろしいですか」
アリヤの言葉を再びアキルが遮った。しかし先ほど遮ったときとは違い、アキルは落ち着きがなさそうに言葉を言い淀んでいる。
「ええと。その。もう少し詰めないんですか」
「え。何をですか?」
「ほら。アリバイとかトリックとか。犯人以外が犯行不可能になるまで理詰めするのが、ミステリーの基本だと思うのですが」
「大丈夫です。事実確認は警察に任せますから。警察が来る前に、僕がそれなりの理由で大々的に犯人を指名できればいいんです。解決は僕の技量ではできません」
「そ、そうですか」
「あと犯人の立場だと、言い訳の余地すらないのは逆効果かもしれません。逃げる余地をなくして追い詰めれば簡単に諦めてしまうかも。逃げる余地があるのに捕まる方が犯人はきっと辛いですよ。僕は犯人を追い詰めたい……。隙があるくらいで丁度いいんです」
「意図はわかりました。すみません。進行を止めてしまって」
アキルは若干がっかりした様子で後ろに下がる。そして他に気づかれないようにノートパソコンで検索画面を開き、「現実 ミステリー 推理 違い」と打ち込むのだった。
まず塀の先の老婆たちが犯人ではないと推理したアリヤ。残る容疑者はアパートの隣人3人に絞られた。改めて3人の方へ向き直り、アリヤは推理を再開する。
「残る犯人候補は3人。この中に犯人はいます」
「待て。俺は遠距離からの射撃を得意とする。クロスボウなど使わない」
「そう思わせるためにあえてクロスボウを使ったんじゃないのかね。君の銃器とクロスボウでは使い勝手が違うだろう。殺し損ねも、動揺しての逃亡も、十分あり得る」
「私も、マツさんの指摘はあり得ない話ではないと思います」
「いいえ。テツさんが犯人というのは考えにくいです。何故なら、犯人はクロスボウの矢を一本しか用意していませんでした。これは、テツさんが犯人にしてはおかしな話なんです」
「本職の殺し屋だから予備を用意すると、君はそう言いたいのかね?」
「少し違います。テツさんの遠距離での命中率が問題なんです」
「遠距離での命中率だと? クロスボウとは関係ない話ではないか」
「俺の命中率はよくて5発に1発。20%未満だな。政府公認のホームページに記載されている」
「えーっと。ありました。テツさんの命中率は約12%。平均で8発に1発当ててます。これは政府公認の殺し屋にしては悪くありません」
「テツさんは得意の遠距離でさえ当てるのに5発は必要です。1発では殺せない。なのに得意でもない武器と距離で、弾を1発しか用意していないのはおかしい。テツさんが犯人だと不自然なんです!」
「ふっ。これで犯人候補はあんたら二人に絞られたな」
「アキル君。まさか君が犯人なのか」
「マツさん。あなたが犯人でしたか」
犯人候補が絞られ、ついに残る候補は2人となってしまう。
マツとアキルは互いにけん制し合うように、相手が犯人だと口にする。このふたりは他の容疑者とは異なり殺し屋ではない。どちらもが殺しの素人である。今までは犯人の素人らしい行動から容疑者が絞り込まれていった。しかし、二人の中から犯人を特定するためには他の要素が必要となる。
アリヤは犯人像を今一度思い浮かべる。
唐突に襲われたため、彼は犯人を特定するための具体的な特徴は何一つ覚えていない。聞いた声がどちらのものなのか。見た体型がどちらのものなのか。アリヤ自身が直接感知した犯人像からは何の見当もつくことはない。今の犯人候補も犯人を追ってからの情報で推理したものである。
次の推理もやはり決定的ではない。
それでも、アリヤは推理を進める。
犯人を追い詰める最後の消去法。犯人候補を取っ払う一撃を放った。
「アキルさん。あなたはノートパソコンをいつも手元に?」
「ええ。仕事道具ですので」
「犯人は逃走後にローブやクロスボウなどの特徴的な装備を路上に捨てました。しかしノートパソコンを所持していては目撃されたときに印象に残ってしまいます。犯人がわざわざノートパソコンを抱えて犯行を行うのはリスクでしかない。アキルさんが犯人だというのはいささか不自然です」
「だ、騙されちゃいかんぞアリヤ君。犯人が自分に不利な返答をするわけがない。君を襲撃後、ノートパソコンを取ってきたに決まっとる」
「マツさん。あなたは言ったはずです。1時間の間にドアの開閉音は聞いていないって。僕が襲撃されたのは20分前。アキルさんが犯人ならドアの開閉音が聞こえないのはおかしい。ノートパソコンを取りに部屋に入れば開閉音を発するはずです」
「ならアパートの階段にノートパソコンを置いたのではないかね。アリバイ作りとしてね」
「不自然ですよ。確かに2階から外出したのはアキルさんだけでした。でも時刻はお昼時ですよ。僕が襲われたのも昼食後の帰り道。住人の外出が十分にあり得る時間帯です。そんな状況で殺しを行う犯人が、自分のノートパソコンを放置するでしょうか」
「リスクがありますね。ノートパソコンを放置は目立ちすぎます。もし踏まれでもすれば、2階の住人が謝罪のために私の帰りを待つかもしれない。そうなれば不在時間が浮き彫りになります。なるほど。ノートパソコンの有無が私の命運を分けたようですね」
「まだだ。階段以外に隠して置けば問題はあるまい!」
「時間的に無理がありますよ。僕は犯人に襲撃されてから後を追いました。そして曲がり角を覗いたら3人がアパートの敷地内に居たんです。特に何の不自然さもなく。隠したノートパソコンを探す犯人がいれば、僕が気付いたはずです」
「バカなっ。君は命を狙った相手を追ったのかね。し、信じられない」
マツは額に汗を浮かべながらアリヤを睨む。しかし、反論の言葉はなく、それ以上言葉を続けることもなかった。
アリヤはそんなマツを指さし、とどめの一言を放った。
「これで残る犯人候補はひとり。アパート管理人のマツさん。僕をクロスボウで襲撃した犯人はあなただっ!」
「くっ」
「あなたは僕が昼食に食べに出かける前か直後にアパートを出た。そして僕が戻ってくるまでの間にローブとクロスボウを回収したんです。装備は外に隠してあったのでしょう。目立つ装備ですからね。あとは僕が戻るまで待つだけ。1時間後、アパートへ帰る僕を発見したあなたは、ローブとクロスボウを身に着け、僕の命を狙った」
「おいおい。昼食の前か直後かどちらかね。ローブとクロスボウの隠し場所は? まさか真実を全て解き明かさずに私を犯人扱いしてるわけじゃあるまいな? それじゃ正解とは言えぬぞアリヤ君」
「心配は要りません。それらは警察が全て解き明かします」
「はああぁ? き、君は警察への通報を20分も遅らせておいて! 肝心なところは警察頼りにしようというのか貴様っ!」
「はい。続けますね。クロスボウの矢を外してあなたは焦ったはずです。予備の矢を用意していませんでしたからね。慌ててアパートへ向かって逃走。ローブとクロスボウを捨てて路地を駆け抜けた。アパートの敷地内に辿り着いたあなたは、他2人に気付かれないことを祈りながら、ストレッチを行うアパートの外れへと向かった。……これが犯行時のおよその動き方です」
「ひとつ聞きたい。なぜ犯人は路地の塀を乗り越えなかった。アパートは俺が路地側を見ているから目撃の可能性が高い。リスクがあるはずだが」
「テツさんの疑問はもっともですね。理由はふたつあります。まずマツさんに塀を乗り越えるという発想がなかったこと。先ほど聞き込みした際にマツさんは言っていました。路地は一本道でアパート以外に犯人の逃げ場は考えられないと」
「ううっ」
「もうひとつ。路地の塀の先から回避不能の草刈り音が発生していたこと。老婆のお二方は犯行時刻の1時間前から鎌の音をシンクロさせて不気味な音を発していました。これはドアの開閉音と同じく回避不能です。マツさんはただでさえ犯行直後で気が動転していました。そこに不気味な音が鳴り響いた。さぞ恐怖を感じたことでしょう。ローブとクロスボウを捨てると同時に音は消えたはずですがね」
「あ、あれは貴様らの仕業だったのか! 装備が呪われていたとか、人を殺した罪悪感で聞こえたのかとばかり!」
「ひーっひっひ。あんたが犯人だったのかい」
「ひーっひっひ。余計なことをしてくれたねぇ」
「ま、まだ話は終わっておらぬわ! よく聞け! 私が外に出たのは犯行1時間前などではない! 大体1時間以上もストレッチするわけなかろう! そう、私がストレッチを始めたのは塀の爆発音が聞こえる30分ほど前だったのだ!」
「それはない。1時間の間、ドアの開閉音は2階から1度きり聞こえただけだ」
「テツさんの聞いた音は私の開けたドアの音ですね。2階に住む犯人候補は私だけですから。そして私は1時間近くの間、1度も開閉音を聞いていません。マツさんは犯行時刻の1時間以上前に部屋を出ていなければおかしいですね」
「ドアの開閉音は回避不能ですからね。アパートの外に居たふたりが聞き逃すことはあり得ません」
「ぐうぅ。だ、だが全ては状況証拠。いや証拠未満の妄言っ! こんなことで私が犯人などと」
「老婆の見解では、犯人はローブを素手で脱ぎ捨てているそうです。クロスボウも恐らく素手で使っていたのでしょう。ただの素人犯行です。警察が調べればいくらでも証拠は出てきますよ」
「ぐうううぅ。こ、この私がっ! こんな雑でどうしようもない推理にっ! ちくしょう!」
マツは膝をつき、地面に両手を叩きつける。その姿に誰も何も言えなかった。この場の状況を適切に表しているマツの言葉に、口を挟む余地などなかった。
マツは諦めたように白状する。
「動機を話そう。アリヤ君、君が光だからだよ」
「光、ですか」
「私がこのアパートを運営する理由はな。私自身が光になる為に他ならない。後ろ暗い住人たちは闇そのものだ。一般人を寄せ付けないオーラがある。闇たちに囲まれていれば、私の一般的で健康的な光は強く輝いていくのだよ。だが、一般人を寄せ付けないはずのアパートに光の住人がやってきた。それが貴様だよアリヤ君」
「そ、そんなことで僕を殺そうとしたんですか!」
「ああ。話を続けよう。今までは闇を感じていたアパートにに君がやってきた。私よりも強い光を持つ君が。いつもぼけっとしていて一切周囲を警戒もしない。君の光見ていると! 私の光が消えてしまいそうになる! だから貴様のような光は消えなければならないのだっ! 私の光が消え失せないためには、貴様の光を消し去るしかない! このアパートに入居したことが貴様の罪なのだアリヤ!」
「その感覚は僕もわかります。僕も同じことを感じていました。闇の中に居るとまともなだけで安心できる。でもマツさん。あなたの光はもうとっくに消えてますよ。殺人未遂って普通に闇ですから。僕を殺そうとした時点であなたの目的は達成しようがないんです」
「そ、そんなバカな!」
「僕が継ぎましょう。光の意思を。僕がマツさんの分までこのアパートで輝いて見せます。闇を照らす光になります。だからマツさん。あなたは警察で自分の闇と向き合ってください。あなたの中に光が灯るのは難しいでしょう。それでも闇として舞い戻ることはできる! 出所したらまたアパートに戻ってきてください! 光を照らす闇の一員として共に頑張りましょうよ!」
「ぐおおおっ! やめろ! 私の光を追い込むなぁっ!」
「事実から目を背けちゃダメです! あなたが殺人未遂犯なのは事実。十字架を背負うことから逃げちゃいけない! 罪の意識と後ろめたさを死ぬまで背負う義務がある! 光は諦めてください。闇でも悪いことばかりではありません。いい人になれるしいい生き方ができる。テツさんやアキルさんのように。光の道は捨てて、光を支える闇になるんです!」
「俺は政府公認の殺し屋だ。犯罪者と同列に語られたくはない」
「まったくですね。法に触れない商売は犯罪ではないというのに」
「くっ。くふふっ。ふふふふふっ。ふははははははっ! ふぁっはっはっはっはっはっはっはぁーっ!」
「マツさん……。大丈夫ですよ。闇を受け入れる時間はたっぷりあります。警察を呼びますね」
「くっくく。警察など呼べる訳なかろう。我々が許すとでも思ったか!」
「ひーっひっひっひ!」
「ひーっひっひっひ!」
マツが手を叩く。すると老婆2人がマツの前に飛び出て、他のメンバーに対して武器を構えた。老婆はどちらも拳銃を手に持っている。
「こ、これは一体」
「ふふふふ。形勢逆転といったところか。あんな推理で追い詰められるなどとは思わなかった。よくもまあ、私をコケにしてくれたものだね」
「あんたたち。組んでいたのか」
「ひーっひっひっひ。テツ。実力差はわかっているだろう。バカな考えは起こさないことだねぇ」
「ひーっひっひっひ。マツ。お前さんが犯人だったとは思わなかったよ。一言声でも掛ければ手助けしてやったったものを。無言で装備を捨てて走り去っていくなんてねぇ」
「ふん。私は殺しなどとは到底縁のない人間なのだ。光なのでね。最善手などわからぬよ。ああ、まだ殺してはいかんぞ。この屈辱は私自らが罰を下さねばならん」
「私たちをどうする気ですか」
「いい質問だアキル君。我々には共同の研究目標があってね。その研究成果の実験台が必要だったところなのだよ」
「研究目標? どういうことです?」
「ふん。私には闇が必要なのだ。光り輝くための闇が。私はアパートに闇の住人を集めていたがやはり限界があった。貴様のような光も現れた。だから! 闇の集まるアパートを利用し、闇のエネルギーの本質を探っていたのだ!」
「あたしらは住宅や闇エネルギーを頂くという契約でデータを提供していたのさ」
「闇や光には細胞を活性化させる力があるんだよ。あたしらは年老いて弱くなったからねぇ! 強靭な力と肉体を取り戻すために手を組んだのさ!」
「言葉より身をもって思い知るがいい! 光輝くために必要な闇のエネルギー量というものをなぁっ!」
「ひーっひっひっひ! メンテナンスは済ませておいたよ!」
「ひーっひっひっひ! 命を狩れる鎌に仕上げたよ!」
マツは老婆2人から草刈り鎌を受け取る。鎌は老婆2人が草刈りで使っていたものであり、卓越した動作で草や空気や土を狩ったことにより、闇のエネルギーを吸収しやすい刃へと変貌を遂げていた。妖刀をも超える不気味なオーラを纏った鎌は、マツに残された光エネルギーを一瞬で消し飛ばした。
「この闇エネルギーを増幅させる装置によって! 私の光は極限にまで高まる! 奇跡の瞬間をよく見ておくがいいわっ! くおらあああああぁっ!」
鎌から発せられる闇のエネルギーがマツの両足を超強化する。マツは路地裏近くのアパートの塀より高く飛び上がった。そして頭が下になるように体を回転させ、塀の上へと落下する。両手は真下に突き出し、左右の鎌を突きつけるようにして塀の上へと突っ込んだ。
鎌が塀の上に接触すると同時に、凄まじい爆発音が周辺に響き渡った。テツが部品を投げたときより音は大きく、また回避不能の音でもあった。高圧電流が鎌に秘められた闇とぶつかり合い闇エネルギーへと変換されていく。
マツは高圧電流によって空高く吹き飛ばされた。しかし塵になることはない。鎌から伝わる闇エネルギーが、打ち上げの空気圧で、マツの肉体に染み渡っていく。高度が最高潮に達したときにはマツの身体は3メートルを超えていた。闇のエネルギーで強化されたマツは地上に向かって落ちていく。
マツの中から光は完全に失われていた。光の超強化に失敗したのだ。代わりにマツの体内には強烈な闇エネルギーが浸透している。
「はーっはっはっは! 素晴らしい! これが闇の力だというのか! 光がいかにか弱いのか、今貴様にも思い知らせてやるぞ! アリヤあああああああぁっ!」
闇を増幅させたマツが、アリヤの名を叫びながら降ってくる。体長3メートル半を超える巨体は高圧電流を射出する塀の一部をいとも容易く踏み砕く。サイズ・質量・破壊力の全てが増強された肉体に高圧電流も塀の破片も一切通じることはない。
重く響き渡る凄まじい着地音がマツの人間離れした肉体強度を表していた。
「ほほぅ。あの老いぼれじじいが立派になったもんだねぇ」
「成果が出ているようで何よりだよ。さあ次は私たちの番だ。早くその鎌をおくれ」
「ああ。そういう約束でしたな。ではこれを持っていくがいい」
「ひーっひっひっひ。これであたしら最強姉妹の復活さ!」
「ひーっひっひっひ。これで敵はいなくなる! 誰もあたしらに勝てやしないよ!」
「そうでしょうな。バカ共め」
老婆たちがマツの鎌を受け取ろうとした直後。マツは老婆たちの間を一瞬で飛び抜け、アパートの前に着地する。マツの背後では、彼の闇の手刀で切り飛ばされた老婆たちが宙を舞っていた。マツの手刀を受け、息絶えたまま空中に飛ばされたのだ。
老婆たちの死体は無残に地面へと叩きつけられる。
「な、なぜ老婆たちをっ! あなたの仲間でしょうが!」
「くくく。貴様の推理通りだ。私は闇として生きることにしたのだよ。もはや闇の住人など不要! 老婆共は私の脅威になりそうなので始末した! 残るはアパートに居座る邪魔なゴミ共を追い出せばまた入居者を募れる! 今度は私を照らす光のアパートへと作り変えるのだ! 光の中であれば私の闇は薄れない! どこまでも濃い漆黒の輝きを放つことだろう!」
「あんた。俺たち入居者を裏切るつもりか」
「バカな真似を。警察が殺人犯を見逃すと思っているのですか」
「貴様たち目撃者を始末するまでよ。いいや。今の私は警察や軍でも手に負えんだろう! 人類を闇で従わせ、光の王国を作るのも面白い!」
「始末だなんて。そうはさせませんよ!」
アリヤは二人を庇うように前に立ち塞がった。
居場所のアパートや闇の住人を奪われそうになったことで、アリヤの心は闇を守る使命に目覚めたのだ。闇に囲まれた光の住人として、テツやアキルやアパートの住人たちを守るために、アリヤは身を挺していた。光を追い込む光が、闇を守る光として動いた瞬間であった。
「マツさん。あなたの攻撃は止めてみせる!」
「アリヤぁっ! 光といえども貴様は許せんっ! 一瞬で切り刻んでくれるわっ!」
アパート前に居たマツは、一瞬でアリヤの正面へと駆け寄る。そして闇で強化された手刀をアリヤの心臓目掛けて突き立てた。
しかしマツの手刀は止まった。マツの人間離れした突きをアリヤの小さな拳が受け止めていた。体格差が何倍もあるマツの拳を受け止めたのだ。マツは動揺してうろたえている。
「バカなっ! 受け止めただとぉっ!」
「僕の中の光が強まっている。アパートに住む隣人たちの闇が、僕の光を強めているんだ! そしてマツさん! 隣人たちの闇が、裏切り者のあなたの闇を薄めている! 隣人の力が闇の発現を抑えたんだ! もはや眼前に居る僕の光すらも糧にはできない!」
「ぐおおぉっ! く、暗い! 私の闇はどこへいった! 何なんだこの闇はぁっ!」
「あなたは闇でありながら闇を追い込もうとした! 僕を殺そうとしたように! 今こそ隣人の怒りを背負うときだぁっ!」
アリヤの拳が輝きを増していく。やがて小さな光の拳はマツの手刀を打ち抜いた。光の拳と闇の手刀がまとめてマツの胴体へ深々と突き刺さる。マツの体は勢いよく吹き飛んでいき、アパートのドアを突き抜け、管理室にある絶対に壊れない壁に叩きつけられた。
マツの体から光と闇が流れ出ていく。
光の住人であるアリヤを裏切ったことで、マツの体から光が失われる。
老婆たちや他のアパートの住人を裏切ったことで、マツの体から闇が失われる。
マツは、光からも闇からも愛想をつかされたのである。
管理室に入ったアリヤは、マツから光も闇も一切感じないことに気が付く。マツに対して、好意や苦手意識といった感心を持てそうにないのだ。そんなマツを見て、アリヤは誰も住人の居ないアパートを連想する。そして「隣人も居ないアパートに住みたくはないな」と、光も闇も持たないマツを反面教師にするのであった。
「アパートにも住人にもあなたの後を追わせません。さよなら」
興味も関心もないアパート管理人に背を向け、アリヤは管理室を後にする。
その後、マツは警察に逮捕された。アキルの録音データが証拠となり、アリヤへの殺人未遂と老婆殺害の容疑で捕まったのだ。
管理人が居なくなったアパートには相変わらず闇の住人が住み続けている。先行きの怪しいアパートに住みながらも闇の住人たちは皆不安を感じていないという。彼らは皆、口を揃えてこういうのだ。「管理人より頼もしい隣人が居る」と。
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今回は珍しくプロットも考えていたので、プロットを公開します。
プロットの型はChatGPTで出力したもので、スピード感のあるプロット構成。
【】内の名称が出力部分です。
【初期段階】
アパートへ帰る途中、通りがかったローブ姿の怪しい人物に、突如命を狙われる主人公。クロスボウの矢が頬を掠め、次の一発で殺されるかと思いきや、ローブの襲撃者が逃走したことで難を逃れた主人公。少しの間、放心していた主人公だったが、ローブの襲撃者の逃走先が、自分の住むアパートだということに気がつく。今の時間帯であれば、あの3人が犯人を目撃している筈。そう考えた主人公は、襲撃者の正体を突き止めるために、アパートへと急いで向かうのであった。
【エスカレーション】
アパートだけに続く路地に入り、遠目にアパートの外にいる3人の姿を発見した主人公。更に、アパートに続く路上にはローブとクロスボウが落ちていた。左右の塀の先に居た老人2人の話によると、犯人はどちらの塀も乗り越えておらず、路地から何かが落ちる音を聞いたという。
アパートの外には3人の姿があった。アパート管理者のマツじいさん、自営業者のアキルさん、そして政府公認の殺し屋テツさん。3人全員が自分のことで手一杯だったため犯人の姿を見ていなかった。しかし、寮のドアは開閉されておらず、寮の塀はカラス対策で電線が張られていた。寮の敷地に隠れることのできる場所はない。犯人候補は寮の敷地内にいる3人か、塀の先にいる老人2人に絞られたのだった。
【クライマックス】
主人公は迷っていた。リスクを負って犯人を推理するのか、それともリスクを負わずに警察をすぐ呼ぶのか。彼はまだ決心できずにいたのだ。自分は命を狙われたのに、一矢報いることもできずに犯人が捕まってしまうことに、主人公は納得できずにいた。殺し屋のテツが言うように、犯人候補の5人は、誰も彼もが犯人扱いされてタダで済ますような人たちではないのだ。
【結末】
自分の本心を確認し、犯人を指名することを決心した主人公。主人公が指名したのは、アパート管理者のマツじいさんであった。殺し屋テツは凶器が、殺し屋と判明した老人2人は実力と執念が、闇自営業者のアキルは持ち物が、それぞれ犯人像とは食い違っていたのだ。こうして主人公は、闇の住民を照らしていく光として、アパートに住み続けることを決めるのであった。