波繋ぎ
ホラーといいつつも、怖くない話になりました。
箸休めのつもりで楽しんでいただければ幸いです。
ある日、従姉妹のひろみちゃんから、メールが来た。
『ひーくんへ
元気にしていますか?
私は元気です。
ひーくんはもう幾つになったんだっけ。高校2年生?(間違えてたらごめん)
大きくなったんだろうなぁ。特に伯父さん(ひーくんのお父さんのことね)は背が高いから、その血を受け継いでいるんじゃないかなぁ、なんて思ってる。
さて、ここからが本題。
ひーくん、覚えてるかなぁ。私の夢。ラジオでアナウンサーをやりたいって言ってたの。
夢、叶ったよ!
念願だったラジオ局のアナウンサーになりました。もしよかったら、ひーくんにも聞いてほしいなって思って、メールを送ってみました。朝の番組だから早起きしなきゃいけないし、スマホで聞くこともできないからラジオを入手してもらわないといけないんだけど……。
あと、メールも募集してるからさ、もしよかったら、お便りくれたら嬉しいな。ひーくんから来たら、できるだけ読むようにするから!
それじゃあ、体調には気をつけてね。
ひろみより』
ひろみちゃんとは、昔からこまめに連絡を取り合う仲だった。まだケータイを持っていない頃は手紙で、大きくなってからはメールで。数年前、おれのお父さんと叔父さん――ひろみちゃんのお父さんが急に喧嘩して、絶縁状態になって、ひろみちゃんと会う機会がなくなっても、ずっと、こっそりメールで会話する程度には、仲良しだった。
だから、昔聞いたひろみちゃんの夢も覚えていたし、夢が叶ったことも自分ごとみたいに嬉しくて。
今どき、スマホでラジオを聞ける時代なのにそれが出来ないというのは不便だったけれど、小さな携帯型ラジオを買って、早起きして、操作に悪戦苦闘しながらも周波数を合わせ、ひろみちゃんの出るラジオを聞くようになった。こっそりと、ひとりで。
『……! ……は現在、……、時刻は六時を回った頃です。皆様、いかがお過ごしでしょうか。パーソナリティの安藤市助と』
『……放送アナウンサーの松本洋美です』
「ひろみちゃんの声だ……!」
もしかしたら、おれの住んでいる地域は、本来この局の放送が聞ける地域ではないのかもしれない。雑音混じりだったけれど、確かに、聞こえた。数年前に会わなくなってから耳にすることのできなかった、従姉妹の声が。
初めてラジオを聞いたときは、嬉しさのあまり泣きかけた……なんて、恥ずかしくて誰にも言えない。いや、そもそもおれの家とひろみちゃんの家は絶縁状態だから、相手の家のことを口にすることがタブーなんだけど。
その日から、おれは毎日のようにラジオをつけた。自室でイヤホンをつけ、従姉妹の声に耳をすませる瞬間は、幸せ以外の何物でもなかった。
朝のニュース番組らしく、従姉妹の住む地域で起こった出来事を報じる番組だったが、生放送なのか、リアルタイムで届くメールを読んでくれるので、それもまた面白い。ニュースに対する新たな情報が寄せられたり、リスナーの身に起こったちょっとした出来事もニュースとして報じてくれたりと、身内でわいわいと盛り上がるような感じがある。のんびり、ほのぼのとした朝のニュース番組というのは、あまりラジオを聞かないおれでも珍しいな、という感じがするけれど、この雰囲気が、おれは好きだった。
『ラジオネーム「ひーくん」さんからです。ありがとうございます! えーっと、「安藤さん、ひろみちゃん、いつもこのラジオを楽しみにしています。」いえいえ、こちらこそありがとう! あ、いや、ありがとうございます!』
『あれ? 松本アナ、もしかしてこの方と知り合いだったりします?』
『バレましたかぁ。多分、なんですけど、親戚だと思うんですよ。アナウンサーになったから是非聞いてね! ってメールを送ったので』
『素敵な親戚の方ですねぇ。羨ましい限りです』
自分のメールが読まれたときには心躍らせたものだった。
だんだんお便りを送ることが楽しくなってきて、最近あったことなんかを近況報告がわりに送ることが増えた。その度にひろみちゃんはお便りを読んでくれて、返事をするかのようにコメントをしてくれる。
おれたちのやりとりは、メールからラジオに変わった。以前よりもリアルタイムに近い形でやり取りをできるようになったのは、思いがけない幸運だったのかもしれない。
そんな毎日が続き、夏になった、ある日のこと。
『……では……の季節が近づいてまいりました。そこで、……の時期恒例の、……放送内部探検ツアーを開催いたします。ご希望の方は――』
ひろみちゃんの働く放送局を見学できるツアーが行われるというCMが流れた。
ひろみちゃんに、久々に会えるチャンスかもしれない。
そう思って、迷わず特設メールアドレスに必要事項を記入して送信した。「あたりますように」と願いながら送信ボタンをタップしたのは、これが初めてだ。胸がドキドキ高鳴って、まともにスマホの画面を見れないまま、ぎゅっと目を閉じてタップした、あの瞬間は忘れられない。
そして、抽選結果は……当選!
当落を知らせるメールは一部文字化けしてしまっていたけれど、どうやらお盆の期間中にツアーをやるらしいということと、当日はスタッフの方が迎えにきてくれるらしいということが分かった。
ひろみちゃんに会える。ひろみちゃんの働く場所を見れる。
そう思うと、スタッフさんの迎えが待ち遠しくて仕方がなかった。
当日。
メールに書かれていた通り、スタッフさんが迎えにきた。
そして、たどり着いた放送局は、見事な都会の中にあった。玄関ホールには、収録を終えたひろみちゃんが立って待っていてくれた。
「久しぶり!」
思わず声を上げて駆け寄ると、ひろみちゃんは懐かしい笑顔で「久しぶりだね」と微笑んでくれる。
他のツアー参加者の方も、スタッフさんも、おれとひろみちゃんが知り合い――というか親戚だってことはよく分かってくれていて、久々の再会を見守ってくれた。
「わぁ、大きくなったねぇ、ひーくん。身長いくつ?」
「180センチは超えたと思うよ」
「すごいや! 私は160ぴったりで、もう伸びないんだよねぇ。最後に会ったときは私の方が背が高かったのになぁ」
悔しそうなひろみちゃんの顔色が少し白い気がしたけれど、昔からおとなしくて室内にいることを好んでいたからと、あまり気にしなかった。
「さ、他の人を待たせちゃいけないからね。いってらっしゃい。楽しんでおいで。私はここで待ってるから、終わったら私の家においでよ。たいしたもてなしはできないけど、積もりに積もった話をしよう」
そう言って手を振ってくれたひろみちゃんに、「行ってきます」と手を振り返した。
ひろみちゃんはなぜか、悲しそうに笑っていた。
企画室で番組の企画を考える人。なにやら機械のたくさんある部屋で調整をし続ける人。マイクに向かって語りかけて放送をしている人、他にも、たくさん。
ラジオ局の中では、たくさんの人が行き交い、そして言葉を交わし、働いていた。
けれど、交わされる言葉の中に、ときどき、不思議な単語が混ざっている。
「では、この企画は現世時間の来月に放送で――」
「現世は現在、お盆の季節となっております。里帰りをしている方が多いかと思いますが、帰れない方、帰る気のない方、そして帰省先でこのラジオを聞いてくださっている方、本当にありがとうございます」
あまり見たくない現実がぼんやりと浮かび上がってきた頃、スタッフさんが「ここがツアーの見せ所なんですよ」などと言って、とある部屋を開けた。
「この部屋は、この世界で唯一、現世の時を表示できるところなんです。なにせこの世界には、皆様ご存知の通り、時間という概念がありませんからね。現世の時を借りて使うしかないのです」
――ここは、まさか。
そう思った途端、急に脳裏に映像がひらめく。早回しのように、次々と場面が変わり、飛んで、そして……ああ……。
逃げ出した。
スタッフから離れ、参加者の輪を抜け、働く人々を突き飛ばすようにして、玄関ホールへと駆け戻っていく。
「ひーくん!?」
ひろみちゃんの、びっくりしたような声。
……気付きたくない。気付きたくなかった。
「ひろみちゃん、ねぇ、教えて」
縋り付くようにして、問いかける。
「ここは……ここは、」
けれど、混乱して言葉がこんがらがって、出てこない。
「そっか、分かったんだね」
ひろみちゃんは、やっぱり悲しそうに笑う。
「落ち着いて。私の家で休もうか。……全部、話すよ」
そうしておれは、ひろみちゃんの家を訪れた。こぢんまりとして、清潔感のある、落ち着いた場所だった。
「なにも出せないけど……ごめんね」
「ううん、いいんだよ。分かってる……」
おれが話を振るべきか、ひろみちゃんの言葉を待つべきか。少し迷ってから、先に尋ねてみることにした。
「ここは、死後の世界――あの世ってことで、合ってるよね。だから、食べることも飲むことも必要なくて、食べ物も飲み物もない」
ひろみちゃんは、頷いた。
「そう。……黙ってて、ごめんね」
ふと、ひろみちゃんの顔に、体に、生々しい傷痕が浮かび上がる。
「私……もう、随分前に死んだんだ。お父さんと伯父さんが絶縁した、少し後くらいに、ね。不慮の事故、だったよ」
気づいたときには、ひろみちゃんの傷痕は跡形もなく消えていた。
「……ひーくん、私が死んだ後にメールをくれたんだよね。だから、あ、私が死んだことを知らないんだな、って思って……それなら、死んだことは隠しておこうって思って……騙して、ごめんね。私、今まで通りに、ひーくんとやりとりがしたかったんだ」
申し訳なさそうに俯く従姉妹に、首を振ってみせる。
「大丈夫だよ。……ありがとう。おれとずっと、やりとりを続けてくれて。楽しかったよ。でも……死んでもメールって、送れるものなんだね」
「幽霊ってね、実は電波と相性がいいんだ。私たちの存在そのものが、電波の一部みたいなもので……だから、メールなら送れるし、ラジオの放送もできるんだよ」
従姉妹の言葉に「へぇー」なんて感心していたのだけど、さっきフラッシュバックした記憶のことを思い出して、声が凍りついたような気がした。
「……あの、さ」
氷の塊を吐き出すように、声を捻り出す。
「おれ……死んだのかな」
おれがさっき見た記憶。それは、迎えに来たスタッフに導かれて家を出た途端、スピードを出した車に轢かれた、というものだった。痛みすら感じないまま、おれは多分、あまりの衝撃にその出来事のことを忘れ、そして……。
一瞬のうちに、死後の世界へと移動してきていたのだ。
「……分からない、けど、戻れるかどうか、試せると思うよ。今はお盆だから、現世と死の国を繋ぐ扉が常に開いてるはず。そこから現世に戻って、自分の体に戻れたなら生きてるってことだし、戻れなかったら……死んだってことになる」
ずっと笑顔だったひろみちゃんの表情が、ぐしゃり、と崩れた。
「ごめんね……私、直前までひーくんが当選してただなんて知らなかったの。知ってたら、私、間違いなく止めたのに……」
「いいよ。だって、ひさびさにひろみちゃんに会えたんだから。スタッフさんも、おれが死なないと思ってこっちに呼んだんだと思うよ」
「それでひーくんが死んじゃったとしたら、私はどうしたらいいの!?」
今までに聞いたことのない、強くて、激しい叫びだった。
「それじゃあ、私のせいでひーくんが死んだことになっちゃう……」
「……」
「私は……そんなの、嫌だ……」
ひろみちゃんの顔は丸めた後に広げられた紙みたいにくしゃくしゃなのに、涙は出ないし、息を詰まらせてもいない。そのことが、ひろみちゃんの死をおれに突きつけてくる。
「……ごめんね、ひろみちゃん」
従姉妹の気持ちが痛いほどに伝わってきて、その痛みが、おれに決断をさせる。
「おれ、帰るよ。生きるために」
ひろみちゃんが、じっとこちらを見ている。
「だから、さ。現世とこの世界を繋いでる扉のところまで案内してよ。ね?」
口角を上げて、笑ってみせた。
つられたように、ひろみちゃんも笑顔をみせる。
「そう……そう、だね。じゃあ、行こうか」
それからのことは、ぼんやりとしか覚えていない。
壮麗な扉まで案内されて、手を振り合って、別れて。気が付いたら、おれは病院のベッドの中だった。
死後の世界に行った、と言っても、夢だとしか思ってもらえなかったけれど。
でも、おれはあれが夢じゃないってことを、はっきりと知っている。
『ごきげんよう! 現世は現在、八月二十三日、時刻は六時を回った頃です。皆様、いかがお過ごしでしょうか。パーソナリティの安藤市助と』
『幽界放送アナウンサーの松本洋美です』
おれは相変わらず、ひろみちゃんの出演するラジオのリスナーだし、ずっとメールを出し続けている。そして、ひろみちゃんはそれを必ず読んで、コメントという名の返事をしてくれる。
――ひろみちゃんは、どんな表情でメールを読んでいるだろうか。
そんなことを思いながらも、今日もまた、おれはひとり、ラジオに耳を傾けている。