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月桃館503号室の男2 ~密林に消えた貴公子~  作者: 山極 由磨
第四章 森の人
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3

「ほほぅ」とバオボォウ。ユハン教授は目ん玉がこぼれんばかりに目を見開き、横ではサノガミ先生が「えっ?」と言ったっきり口を開けたまま。シスルとドゥジュゥのお嬢さん二人は『何の話?』といった感じで俺を見てる。

 バオボォウ氏は木の実の香炉を手に取り、深く息を吸い込んであの香りを胸いっぱいに取り入れる。頭を落ち着かせるためだろう。


 しばらくして口を開いた。


「濁った川に矢を打ち込んで魚を獲ろうっと言う感じですな」


 なかなか面白い例えだ。俺もそれに乗って切り返す。


「濁ってますが魚は居ます。それもでかい魚が、他の川には魚は居ませんぜ」

「帝国が受け入れてくれるでしょうか?」


 教授がつぶやく、その声音から不安感が伝わるのだろうか?ドゥジュゥ嬢が“落ち着いて”とばかりに彼を抱きしめた。


 一々見せつけてくれますねぇ。


「正直わかりません。しかしツナギは付けます。私の上役は女だてらにそれも二十代で帝国陸軍の少将にまで上り詰めた傑物、おまけに十二公家が一家門トガベ家のご息女で、兄上おひとりは内務卿のトガベ・ノ・バンリ公爵です。国の上の方に顔が効きますし、目的遂行の為なら手段を択ばないお方です。望みは大いにあります」

「ワシらは元から一つ所に留まることを知らぬ民じゃかからしてここを離れる事には何の未練もない、それにアンタらが崔翠河と呼んどる川の向こうにも、ここと全く同じ森が広がっているのも知っとる。帝国に渡っても何とか生きていけますじゃろう。しかし問題は三つ。一つは帝国が受け入れてくれるか?もう一つはワシら一族郎党四百人が無事川岸までたどり着けるのか?最後はたどり着けてもどうやって渡るのか?」


 俺はバオボォウの前に三本の指を突き出し、一本づつ折って行きつつ。


「第一の問題点は私の上役の伝で何とか出来ると考えてます。第二第三は・・・・・・。今から考えます」


 教授はガックリ肩を落とし、バオボォウの旦那は「ふむ」と言ったっきり黙り込んじまった。

 だって、しょうがねぇだろうが。まさか教授が原住民のお姫様のお婿様になってたなんて、想定の範囲外どころか遊星の向こう側まで行っちまう様なハナシだぜ。

 亡命って手も慌てて思いついたんだからよォ。

 バオボォウは娘を呼んで何かささやくと、彼女は掛け小屋を出てゆき、俺たちを案内してくれた男を呼んできた。

 これまたバオボォウは男にごにょごにょささやくと、男はまた出てゆく。


「なんにしろ、今すぐにそれにワシ一人で決められる話でもないですでの、一族の男達や物知りの年寄りたちを呼びに行かせましたんじゃ、おそらく一晩中話し合う事になりますじゃろうなぁ、結論は明日の朝、お知らせします。それまでの間小屋を用意しましたんで、そこでお休みくだされ」

 バオボォウの小屋を出た俺たちを、教授とその女房のドゥジュゥが来客用(?)の掛け小屋まで案内してくれた。

 その途中、サノガミ先生が教授に話しかけた。


「教授、本当にあいつらがあのウルグゥ族なんですか?まほらま語を流暢にしゃべって、香を嗜む雅な風習まである。文献とは大違いですよ」

「私も最初は驚いたよ。けど後からバオボォウに聞いたら人食いの風習も女性への酷い扱いも全部彼ら自身が先祖代々言いふらし続けて来た嘘らしい。自分たちが無用な争いに巻き込まれないためのね」

「どういう事です?」

「自分たちに係わったらひどい目に遭わされる。そう印象付ける事で不必要な接触を避ける事が出来ると考えたんだろう。事実彼らはそうやって何千年もの間独自の文化を守り続けて来た」


 ここで俺が合いの手を入れる。


「ナルホド。情報操作って奴ですね。なかなか高等な生存戦略だ」

「ええ、この点だけでも彼らの洗練された知性が伺えます。けど、完全に閉鎖的でもない。安心して接触できる相手には門戸を開き交易をおこなったり情報収集も頻繁にしている様です。彼らが真に恐れているのは我々北方大陸から来た者たちですよ。我々の方が彼らなんかよりずっと野蛮で残忍だ」


 そこで教授は俺に視線を送って来た。鬚ぼうぼうだがやっぱり美男子だ。


「返す言葉も有りませんな」


 自分の間抜けさで諜報戦という糞みたいな世界に落っこちていった男の言う事にはさすがに含蓄がある。と、テメェの好きで戦場と言う糞みたいな地獄に飛び込んだ俺は思う訳だ。


 今夜のお宿である掛け小屋に到着するとドゥジュゥ嬢があの香炉を用意してくれている最中だった。他にも芋の粉を練った奴とかナマズみたいな魚を焼いたのとか夕飯も支度してくれている。

 シスルは、ドゥジュゥ嬢が優雅な所作で香木に火を点すのを興味深げに見つめながら。


「それ、たくさん燃やすとどうなる?匂いが変わるのか?」


 聞かれた彼女はちっちゃなお目めをぱちくりしながら(見慣れて来たからかもしれんが、なんかかわいく見えて来たぞおい)たどたどしいまほらま語で。


「良い香り、しなくなる。酷い匂いになって、咳や涙、止まらない。食べた物、吐きそうになる。追い込み猟に使うよ」


「そうか、やっぱりな」とシスルは小鼻をおっぴろげ満足そう。


「なにがやっぱりなんだ?」と俺。その問いに。


「吾あがの住んでいた森にも同じような木が有って、ほんの少しだけ焚火にくべると良い香りがして着物に香りを映ししたりして使うんだが、たくさん燃やしてその煙をすこしでも吸うと咳や涙、吐き気がとまらなくなるんだ。ネールワルの民も猟で使っていたし、戦いにも建物に籠る敵を追い出すのにその木の束に火をつけて中に投げ込んで使った」


 頭の中で小さな閃きの火花が飛んだ。

 そいつを捕まえまるで火種を薪に移して行く様に他の考えに繋げてゆく。おぼろげだが何かが出来上がりつつあった。

 これは使える。面白いことになって来たぜ。

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