暴走
セコンドについた沙耶香の目が意地悪く光った。
「あいつ倒したら、今度付き合うわよ・・・。」
後ろから汗をなめるようにふき取りながら、悪魔のささやきを投げかけた。
黒髪の香りがひしゃげた鼻の細胞を十分に刺激すると、ニンニク注射でもうたれたかのように奮起した。
火に油を注ぐとはまさにこのことだ。
突如としてゴングがなった。
レフェリーは監督の徳富だ。
佐山が手負いのゴリラのような形相で突進してくる。
ブレーキが故障した10トンダンプのようだ。
右ストレートが堂本の左頬をかすめただけなのに、かなりの衝撃を受けた。
すぐさまに、左ストレート、ボディーブロー・・・・、と亮一は端から見ているとめった打ち状態だ。
「いいわよ、その調子よ!」
沙耶香の声援を背中に、佐山のパンチは回転力を増し、堂本のストマックに食い込んだ。
バスッと深く溝にはまり込むような衝撃音がした。
その瞬間、思わず右膝をついた。
「ダウン!コーナーへ」
「ふえ〜、さすが主将だ。」
マスかきガイコツは、このときばかりにと自分の一物だけでなく、ゴマすりにも忙しい。
堂本は立ち上がりざまにジロリとガイコツを睨んだ。
「殺される!」という恐怖を肌身に感じ、口が凍りついた。
「さすがはヘビーの高校チャンピオンだな・・・」
だが堂本はその後も散々にのパンチを浴びて、ついに2度目のダウンも奪われた。
「次はとどめをさしてよ!」
沙耶香はまるで食欲の無い猫が、ネズミをおもちゃにしているかのような優越感に浸っていた。
だが徳富は腑に落ちなかった。
これだけヘビー級の選手のパンチを全身に浴びて、二度もダウンしているのにも関わらず、思ったより足が動いている、というか死んでいない・・・・。
よく見ると顔つきや両眼もまだ生き生きしているではないか!
1ラウンドが終了した。
堂本はゴングに救われたかのように見えた。
部員はなぜかやられているはずの堂本に、ヤジを飛ばすことすらできなかった。
「これだけ主将のパンチをうけているのに・・・・?」
というのが周囲の共通した思いであった。
沙耶香は佐山に執拗なくらいに接近し、セコンドの仕事をこなした。
「今日、6時半にシャワー室でね・・・・。」
呼吸を整えるどころか、マウスピースを加えるのも忘れ、再びリングに飛び出していった。
堂本の細く光を放つ、獲物を狙う眼に気づく余裕さへ失っていた。