沙耶香
ボロ布のような理科教師の新田を、船底のキャビンへ詰め込むと、佐山は頭の無い死体を軽々と持ち上げ、ショットガンとともに海に放り込んだ。
ひん剥いた両目を血走らせながら
「お前!そこにいるお前にも用があるんだよ!」
船の片隅にうずくまっている人物を指摘した。
「沙耶香ああ!」
波の音も消え入るくらいの大声で叫んだ。
藤山沙耶香は顔を覆う両手の隙間から除いた人物に、全身が麻痺したように凍りついた。
唇は蝋のように蒼白となった。
「お前もオレのゲームに参加してもらうぞ!」
佐山は怒りで全身を痙攣させながら、彼女を凝視していた。
「フフフッ・・・・、本当に楽しくなってきたな・・・。」
突如として不適な笑いを浮かべながら、彼は冷静になった。
「あの時と同じだな・・・・。」
もちろん「あの時」とは、これから四角いリングで行われようとする、堂本亮一と佐山猛のスパーリングという名の「決闘」のことであった。
沙耶香はあの時の記憶を鮮明に蘇らせた・・・・。
彼女はボクシング部のマネージャーであった。
堂本、佐山と同学年の二年生だ。
男を惑わす目つきと、フェロモンを撒き散らすその肢体、長い黒髪にボクシング部員は心を奪われもてあそばれていた。
情けないことに、沙耶香のショートパンツルックを見たいがために、練習をサボらない部員も多くいた。
「あのケツたまらねえな・・・・」
「オレなんか昨日の晩もお世話になったよ」
と右手を激しく上下に動かすマネをした。
主将の佐山も熱烈なファンであったが、部員の手前その気持ちを悟られないようにすることに最新の注意を払っていた。
沙耶香はそんな男たちの視線を浴びるのが楽しくて仕方なかった。
「みんな私の下半身ばっかり見ているわ・・・・、バカなやつら・・・・、、変態!」
そうやって心の中でつぶやきながら、いやらしい男の視線を冷たい瞳で撃退するのが趣味であった。
だがそうは言いながらも、同時に自分の中の本当の自分が、本物の男を捜し求めている押さえ難い欲望にも気づいていた。
「自分はミドル級ですが、いいですよ監督さん・・・・。ちょっとばかり体を暖めさせてください。」
亮一は挑発した監督を冷静に受け流した。
約30分のウオーミングアップが終わり、汗を拭こうというタイミングに沙耶香はタオルを手渡した。
同時に思わず亮一の線路のように隆起した熱い背筋に触れてしまった。
彼は反射的に沙耶香の手を強く払い退けた。
その「さわるな!」と言わんばかりの態度に、沙耶香はたちまち尻尾を踏まれた雌ネコのような形相へと変化した。
彼は意味も無く、また許可も無く自分の体に触れられたりすることが大嫌いであった。
その様子を見た沙耶香の親衛隊、マスかき部員の一人が、
「お前ずいぶん偉そうだな」と睨みをきかせてきた。
だが亮一は軽く一瞥しただけで、まったくとりあわなかった。
颯爽とリングに上った亮一は、その子犬に対して
「クライイング・ベイビー(泣き虫野郎)」と一言だけ投げかけて、口元をゆるめた。
こうなると佐山猛によってぶちのめされるであろう期待が、異常な熱気になり部室にこもり始めた。
「監督、私が主将のセコンドをします!」
沙耶香は名乗り出た。
意地の悪い、腐りきった目つきの小娘へと姿を変えた。
「いいだろう。スパーリングとは言っても実戦形式でおこなう。3ラウンドだ・・・・。」
「主将相手にそれはきついんじゃないですかぁ?死んじゃいますよ、カレ。」
ガイコツのようなマスかき野郎が調子に乗った。