熱帯の港
東南アジアの大国フィリピンは、約7000以上もの島々から構成される共和国だ。
歴史的にも植民地支配、内乱と何かにつけ波乱の多いこの国にも、近年は近隣諸国を初め多くの観光客で賑わいをみせている。
首都圏にある私立高校ともなると、海外への修学旅行など珍しくもない。
東京都にある私立誠心学園高校三年生一同は、ここフィリピンへ来ていた。
脳天から照りつける日差しに汗が止まらない。
ルソン島発の島巡りの観光船が、客引きにうるさい。
港は各国の観光客や、商業船でむせかえっていた。
どの船員にも黒々と汗で光る顔の奥に、ギラギラと獲物を狙う眼があった。
日銭を稼ぐ労働者のそれであった。
何もかもが狂おしく熱い国だ。
「この船にA班は乗りなさい!」
国語教師の堂本亮一が、生徒を観光船に誘導している。
汗が滲んだTシャツに隆起した筋肉が透けていた。
浅黒く引き締まった厳しい顔つきだが、瞳には悲しさと優しさがうかがわれた。
「早く乗らないとね。こっちよ。」
「そうね。でも堂本先生ってかっこいいね〜」
女子生徒の視線を無視した堂本は、とにかく乗船誘導に努めた。
「最後C班はこれに乗れ・・・?」
どの船も白い船体に黒いストライプの入った小型船であったが、最後の1隻のみモスグリーンで船員の服装もどこか違っていた。
「これで本当にいいのか?」
堂本は学校が契約した現地観光案内人に聞くと、「そうだ」と確信を持ってうなずいた。
C班の生徒5名は、促されるままに次々と乗り込んだ。
「残りの先生方もこの船にお願いします」
3人の教師も促されるままに乗船した。
「こう熱くてはかなわんな・・・・」と中年理科教師の新田和夫はつぶやくと、無言で出っ腹に水を流し込んでいた。黒縁の眼鏡が暑苦しさを助長している。
学校専属の女性看護士である藤川沙耶香は、自分とさほど年齢の変わらない生徒たちと、たわいもない話をしている。ショートパンツにタンクトップの服装からは、折れそうな四肢が伸び、柔らかな黒髪が体に巻きついている。
やはり高校生とは違う。
容姿とは違い、堂本を見る目つきだけは獲物を狙う肉食獣そのものであった。
船が沖へ向かって走り出すと、さわやかな潮風が船中一同の心を和ませた。
生きている、ということを実感させられる爽快感を体に受けた。
何気なく堂本が港を振り返ると、そこにはもう現地案内人の姿はなかった。
「市内観光よりもこっちのほうがいいよね!」
「わあ、海がきれい・・・」
「堂本先生とツーショットとってもらおうかな」
「魚がたくさんはねてるぞ」
「オレにもコーラ飲ませろよ!」
口々に生徒は歓喜の声を漏らした。
コバルトブルーの海に浮かぶ小島を縫う様に、観光船は軽快に前進した。
15分も走ったであろうか、前を走る2隻、A班とB班の船が左に進路をとったのに対し、C班は右方向に舳先を向けた。
生徒や引率の教師たちは、一瞬不思議に感じたのであろうが、景色の美しさに引かれているためかさほど問題とはしなかった。
次の瞬間、小型船の動力系統が突然唸りをあげた。
船底から地響きのような音がしたかと思うと、船体後部を沈め舳先を持ち上げながら驀進し始めたのであった。 バンバンと小型船は波打つ海面を突っ走り、船はロデオ状態となった。
「どうしたんだ!」
堂本は運転席へ叫んだ。
ハゲの舵取りは不精ヒゲの口にシガーをくわえながら、ニヤニヤと船中の様子を楽しんでるようだ。
「みんな船にしがみつけ!」
船中には吹き上げる海水がザバザバと入り、全員アタマから波をかぶった。
男子生徒は全員顔面蒼白で、船底にしがみつくので必死だ。
女子生徒はひたすら泣きわめいている。
フィリピンの空の青さはそんな海面の出来事にも無関心を決め込んでいた。
堂本はなんとか船を止めさせようと、運転席に這って近づいたが、ふと殺気を感じて顔をあげると、舵を操る反対の手には拳銃が握られていた・・・・。
小さな島影に近づくと、小型船は突如としてスピードを緩めはじめた。
それと同時に船底のキャビンから大男が現れた。
迷彩色の軍服を着て、銃を肩から下げていた。
「こんにちはみなさん、フフフッ・・・・」
黄色いサングラスの奥に冷たい瞳・・・・。
堂本は顔を上げてぎょっとした。
「日本人・・・、舵取りは現地人だ・・・・。」
海水が入り真っ赤になった眼で男を見据えた。
大男は現地人らしき舵取りに
「ガキ等は邪魔だ。コレをつけさせて放り込んどけ!」
オレンジ色の救命具を蹴飛ばした。