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個別評:千夜「サン・ニコラウスの王冠」

 信仰は真理よりもおそらく価値があるであろう。真理は仮借しないが、信仰は母の心を持つ。科学はわれわれの渇仰に対して冷淡であるが、信仰はそれをいたわってわれわれを励ます。

 アンリ・フレデリック・アミエル(1821-1881) 「日記-1880/4/18」


「優しい嘘」と言う言葉がある。その一方で、「残酷な真実」と言うものもやはりある。私達は常日頃から、誰かを信じるが、信疑一如と言う言葉もあるように、信じる事は「真実」ではないか、或いは少なくとも疑う余地のある物にしか出来ない。


 子供の頃にサンタクロースがいると信じていた人々は、今はその髭が作り物で、赤い帽子の中には園長先生の禿頭がある事を良く知っている。しかし、それは信じるという行為が馬鹿馬鹿しい事であるという説明にもならないし、まして信じる事が素晴らしいという説明にもならない。とはいえ、聖ニコラウスが硬貨を投げ込んだ先に靴下があったか否かは、逸話や歴史を信じる事によってのみ、その実体が生まれるのだろう。


 千夜氏著「サン・ニコラウスの王冠」は、丁度そうした「信じる事」の意味について考える、良い機会を与えてくれるだろう。


 先述の通り、サンタクロースの事を信じている時、その裏には疑心が存在している。梢さくらという少女が自らの兄がいると信じる事は、彼女自身がその存在に疑心を持っている事を示している。少年がサンタクロースの実在を信じる事もまた、それと同じように疑いと表裏一体をなしている。


 では、実在しないサンタクロースに、一体何の価値があるのだろうか?その答えは、自動車や自転車がトナカイと呼ばれる事によって明かされる。つまりは、私達は存在しないものや異なったものについても、存在する事を「信じる」事が出来る。日本銀行券に何故価値があるのかと言えば、この紙切れが強制通用力を有する事を日本人が信じているからであり、桜が美しいのは、やはり「桜」が「美しい」と信じる事によって、そして「美しい」という言葉が日本語として意味が通じると「信じる」事によって、成り立つのである。


 もし仮に、子供達が「サンタクロース」を知らなければ、即ち疑う余地がなく「不存在」であれば、彼らはそもそも冒頭で言い争う事も無かっただろう。そして、梢さくらが彼らに立ち向かう必要さえなかっただろう。「信じる」事の真意は、その良しあしに関わらず、何らかの共通認識を可能とするものを作るうえで役に立つ。つまるところ、私はこうして言葉を連ねる事によって、不特定多数の何者かに、言葉が通じる事を「信じて」いるのである。


 

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