個別評:牧田紗矢乃「ポトフに落ちた犬」
紹介作品は以下の通りです。
牧田紗矢乃「ポトフに落ちた犬」
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『君がどんなものを食べているかを言って見給え。君がどんなであるかを言ってみせよう。』
‐ジャン・アンテルム・ブリア・サヴァラン(1755年4月1日 - 1826年2月2日) 「味覚の生理学」
アジアの国々の幾つかには、犬食の文化がある。私達日本人が鯨を食べているように、中国や東南アジアでは、犬を食べる事はごく自然な行為である。
動物の最も根幹をなす行動、これは食事であり、私達も彼らと同じように牛肉を食べ、クジラを食べ、兎を食べ、鹿を食べ、豚を食べる。それはごく当然の営みであり、つまり友人に招かれてポトフを食べるという行為もまた、至極当然の営みと言えるだろう。
短編に過ぎない牧田紗矢乃氏著「ポトフに落ちた犬」の深みは、丁度ポトフを煮詰める時の楽しみに似ている。それは、煮詰めるほどに味が変化する、と言う特徴と、読み進める事により味が変化するという特徴の為だ。
友人の招きに応じた主人公が見た、出来栄えの良いポトフの描写に、先ず読者は胃袋を掴まれることになる。煮込み料理特有のえもいわれぬ良いにおいに誘われて、読者はこの作品を読み進める事になる。実に文章の整った、美味な食事だ。
ところが、ある時を境にその料理は奇妙な味を発し始める。それはちょうど、遅効性の毒を盛られた時や、食品添加物の過剰摂取の為に起こるような、些細だが重大な変化である。読み進めるごとに、この作品の本質が現れる。我々の文化圏にはない、「ジビエ」の味である。
そして、疑いが確信に変わった最後の時、読者は非常に苦しい思いをすることになるだろう。しかし、文化が私達に与えた傷は、文化を憎む為に付けられるべきではない。私達が拝読した、胃袋の中にある糧に感謝するべきなのである。
とはいえ、私達は、この友人の奇妙な行動を目の当たりにして、怒りを収める事は出来ないだろう。この友人が自らの料理上手をもっと自覚していたならば、と嘆くかもしれない。或いは、この友人が動物の素朴な欲求に少しでも関心を持っていれば、と嘆くのも良い。身の毛もよだつ恐怖にただ打ち震えるのも実に楽しいだろう。
総じて、本作は「食事」の彩を変えてしまう魔法の調味料だ。皆様にとって、このポトフはどんな味になるのだろうか?私はお腹が空いたと嘆く子に、試しにこのお話を提供してみたいとさえ思う。