【クラウスの本音】
会議室を出たジュレード王国第一王子のクラウスは、城内を颯爽と歩きながらも、内心では喜びに内震えていた。
(ああ、まさかこんな日がやって来るなんて―――)
クラウスは幼い頃からずっとずっと、聖女に恋い焦がれていた。
王宮の奥にある、普段は人気の無い神殿へ、幼いクラウスは幾度となくお忍びで通っては聖女への恋慕を募らせた。王族としての帝王学、剣術、馬術、社交と、子供にとっては苦痛な程に多忙であった中、聖女との逢瀬は数少ない癒しのひとつだったのだ。
クリスタルに覆われていた為に、愛しい少女には触れることさえ叶わなかったが……
(瞳の色は何色だろうか?どんな声をしているのか……ああ、早く早く逢いたい……!)
クラウスには隣国イルナリア帝国第一皇女との縁談が持ち上がっていた。クラウス自身、王族として生まれた自分は政略結婚が当たり前だと理解していたし、それに関して特に不満を感じたことも無かった。
―――聖女が目覚めるまでは。
(絶対に手に入らないものだと思っていた。だが……)
今ならば手に入る。
手を伸ばせば触れられる。
(話し掛けたら、彼女は微笑んで応えてくれるかもしれない)
そう考えたら堪らなかった。
クラウスは口元を綻ばせ、隠すことも忘れて極上の微笑みを浮かべながら自身の執務室へと足早に入って行く。
そんなクラウスを偶然見掛けた侍女達が、あまりの美しさに卒倒しかけていたとは露程も知らずに。
* * *
第一王子執務室にて。
豪華過ぎず、けれども品のある美しく重厚な椅子に座りながら、クラウスは先程のハワード公爵の話に思考を巡らせる。
「……確かこの間、アークがまた見合い話を蹴ったとジェレミアが話していたな。公爵の口振りからして、まだ初恋を拗らせているのか。全く困ったものだ」
「それは貴方も同じでしょう。むしろ、決まりかけていた皇女との縁談をどうされるおつもりですか?此方こそ困り過ぎててお話にならないのですが」
「おや?ルイ、まだ居たのか?もう帰っていいって言ったのに。勝手に残っていたのだから残業代は出さないよ?」
「誤魔化さないで下さい。それと残業代はきっちりいただきます。どの口が仰っているのか、私が今の今までどれだけ走り回っていたとお思いですか」
「さ~?」
「………」
とても王子に対するものとは思えない話し方をする長身の男は、クラウスの学生時代より側近を務めるルイ・エヴァンズである。
先程の会議室に居た、エヴァンズ伯爵の次男。赤みがかった茶髪で黒目。事務処理と諜報活動が彼の主だった仕事だ。
「それより、彼女はまだ目覚めないのか?」
「ええ。何度か確認致しましたが、今日はもう諦めた方が宜しいかと」
「残念だ。……ルイ、彼女が目覚めた時、1番最初に私を目にすれば、彼女は私を好きになってくれるだろうか?」
思いがけないクラウスの言葉に、ルイはきょとんとした顔になる。しかしそれはほんの瞬き程度の時間で、一瞬にして無表情に戻り、呆れたような溜め息を零した。
「雛鳥の刷り込みじゃあるまいし……。殿下って時々阿呆ですよね」
「………いくら2人きりだからって、流石に不敬だと思うのだが?」
「殿下。仮に、もし刷り込みが有効だったとしたら、その相手は殿下ではなく、クリスタルが割れた時に居合わせたアーク様になるのでは?」
「……………だが、すぐに意識を失い、ろくな会話もしていないと……」
「殿下、現実を見て下さい。それに聖女様はこのまま目覚めない可能性もあります。大人しく帝国の皇女殿下と……」
「ルイ」
クラウスから苛立ちを含む威圧感を感じ、ルイは口を噤んだ。顔には出さないが、背筋に冷や汗が伝っていく。
(縁談の事はいくらせっついてもスルーされるからな。……とすれば、やはり聖女のことか。アーク様といい勝負じゃねーか)
内心で毒づきつつ、ルイはクラウスの命令を待つ。普段は穏やかでお願いばかりのクラウスだが、こういった時は後腐れないように決まって命令を下すのだ。
それでこの件は終わり、と。ある意味では寛大な処置である。
「お前は引き続き聖女様の監視をしろ。何かあれば、すぐに報告するように。……それと皇女の件は私に考えがある。今は口出しするな」
「はっ。出過ぎたことを言い、申し訳ありませんでした。失礼致します」
そう言って足音もなくルイが部屋から去って行く。一人きりとなった執務室で、クラウスは「はぁ…」と小さく息を漏らした。
考えなければならない事は沢山ある。けれど、今はそれよりも……
「―――どうか、早く早く、目を覚まして」
クラウスは額に手を当て
消え入りそうな程に小さな小さな声で、乞い願うように―――そう呟いた。
それが今のクラウスにとって、最も大事な事。何よりもの本音。
* * *