【冷たい鏡に謎の侵入者】
―――夢を見た。
まるで夜のような暗雲立ち籠める空、燃える木々、崩れた城。
かつては荘厳で見事な城であっただろうソレは、もはや見る影もない。
『私』は、そこに居た。
全てを終わらせる為に。
手に入れる為に。
私の数歩先で、地に倒れ伏している『彼』から、今にも事切れそうな弱々しい息遣いが聞こえる。
私は手をかざした。
『彼』―――『魔王』にとどめをさす為に。
私のすぐ後ろには、勇敢なる王子。
彼は私に、自分の後ろへ下がるように言う。とどめは自分がさすからと。
私は憎々しげに彼を見た。
『魔王』にとどめをさすのは『私』だと言い切った。
君の魔力はもう限界なんだと、叫ぶ王子の声など構いやしない。
私は、私は……やっと―――――……
* * *
「……っ!」
そんなよく分からない夢を見ていた私―――花咲 佳乃は目が覚めた。
見知らぬ天井。薄暗い部屋。
はぁはぁと聞こえる自分の荒い息遣いと、じっとりとかいた汗に困惑する。
「ここは……?私、なんで……」
ゆっくりと上半身を起こし、額に手をあてながら周囲に視線をさまよわせる。見たこともない豪華な部屋。自分が寝ていたのは、天蓋付きのベッドだった。心細く不安で、心臓が痛いくらいにバクバクしている。
「私の、家じゃない。とりあえず、スマホで薫兄さんに……」
そう考えた瞬間、ただでさえ悪くなっていた佳乃の顔色が、更に悪くなった。血の気が引き、身体がカタカタと震えてしまう。
(そうだ、私っ……確か事故に遭ったんだ!なら、ここは病院?でも待って、薫兄さんは?私が無事なら、兄さんだって無事よね?)
そう思うが、不安ばかりが募って、今にも泣きそうになる。恐る恐る自分の身体に目をやるが、怪我はどこにもなく、外的な痛みは全く感じない。
佳乃はますます困惑した。
(どういうこと?どう考えたって、あの事故で無傷なわけない。暗くて見えないだけ?そうだ、鏡で見てみよう。鏡、鏡は――……)
再び顔を上げて辺りを見回すと、部屋の壁際に、月明かりで照らされた美しい鏡台が目に入る。佳乃は覚束無い足取りでベッドから降り、フラフラと鏡台へ向かった。そして―――……
信じられない光景に、目を見開いた。
「……これは一体、誰なの?」
鏡に映っていたのは、高校生くらいの少女だった。
とても整った顔立ちで、瞳はキラキラと輝く蜂蜜色。腰まで届く長い髪は淡いアイスブルーだ。月の光に煌めいて、とても幻想的に見える。
佳乃は鏡台の鏡に腕を伸ばし、震える指先でそっと触れた。指先から伝わってくる、ひんやりとした鏡の感触が、佳乃を絶望へと突き落としていく。
「なんで?……嘘だ。こんなの、嘘だよね?」
次第にぼやけていく視界を不思議に思いながら、佳乃がそう言って、瞬きひとつ出来ずにいると………
―――カタンッ
「……?」
窓の方から、何かの音が聞こえて、佳乃は音のした方へ振り向いた。
雲が晴れたのか、いやに明るい月明かりが、窓の外にいる人影を照らしだす。
その人影は、とても自然な動きで、窓を開けて室内へと入って来た。
まるでここが、自分の部屋かのように。
佳乃は、近付いてくる侵入者を前に、全く動かなかった。ただただ、その人をじっと見つめた。
侵入者は背が高く、全身黒装束。体型からして男性だと分かる。鼻と口元を黒い布で隠しているが、深い深い赤色の……ワインレッドの瞳だけは見ることが出来た。
その瞳が、一瞬だけ大きく見開かれる。
「あ、の……?」
佳乃が困惑していると、黒装束の男はゆっくりと腕を上げて、そっと佳乃の目尻を指で拭った。
「え?」
「何故泣いている?どこか痛いのか?」
男の質問に、佳乃はその時初めて、自分が泣いていることに気付く。
「痛くなんか……ない」
「………」
「どうして……っ」
その瞬間。
涙が流れる以外、整ったままだった佳乃の顔が、くしゃりと歪んだ。
月明かりに照らされた蜂蜜色の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。侵入者である黒装束の男は、そんな佳乃を見て、息を呑んだ。
男には当然、目的があった。その目的の為にここへ来た。
けれど、目の前の少女があまりにも無防備に泣くから。透き通るような白い頬を伝う雫が、まるで宝石のように綺麗で、綺麗で……
「痛みがある方が良かったっ!どぉしてぇ?……これは夢なの?!」
「………」
佳乃は縋るように、男の黒装束を掴んで握りしめた。男は最初何もせず、されるがままに、ただ突っ立っていたが……。
やがて嗚咽を漏らし震える佳乃の身体を、そっと優しく抱き締めた。
「……っ」
「俺にはよく分からないが、今だけ胸を貸してやる。気の済むまで泣けばいい」
「…ふ……ぅっ」
一体自分は何をしているんだろう。
知らない部屋で、知らない男の人(しかも見るからに怪しい)に縋りついて。胸まで貸してもらって。
何が本当で現実なのか、何一つ分からないままだけれど。
今は、この温もりがただただ有り難かった。
どうしようもなく安心してしまい、佳乃は小さくお礼を言うと、突然視界が歪み始めた。意識を保てず膝から崩折れて、それを黒装束の男が抱き止める。
(……目覚めたばかりで不安定なのか?まぁ聖女が生きていたこと自体驚いたが)
佳乃を横抱きにし、天蓋付きベッドまで運びながら、黒装束の男は思考を巡らせた。
―――聖女はずっと死んだと思われていた。
千年前の大戦で魔力を使い切り、命を落としたと。それなのに、彼女は普通に歩き、声を発し、縋りついて泣いた。
(聖女が死なずに済んだのは、魔力を使い果たした時に聖女の身体を覆い尽くしたクリスタルのお陰なのだろうか?)
「まるで普通の少女のようだ。……ん?これは……」
まるで普通の少女。
けれど、黒装束の男はある違和感に気付き、スッと目を細める。
「……少し面倒な事になりそうだな。しばらく様子を見てみるか」
そう言って頬に軽く触れてから佳乃をベッドに降ろし、黒装束の男はバルコニーへ向かって、夜の闇の中へと消えていった。
* * *




