【愚かな男】
――――花はまた夢を見ていた。
リアムにかけられた魔法のせいで、頭が酷く痛む。抗わなければ、楽になれるのだろうか?
花がそんな事を考えていると、頭の中で声が聞こえた。そうしてだんだんと、映画の中にでも入り込んだかのように映像が見えてくる。
それは、リリーの過去の光景だった。記憶を無くし、魔王達と共に過ごしたリリー。今の花と同じように時の魔法をかけられ、国王の企みによって魔王達と戦う事になったリリー。様々な過去が通り過ぎて、最後に目の前に広がったのは、リリーの最期の出来事。
そこにはリリーと、クラウスによく似た白銀の髪の男が1人。リリーは苦しそうに肩で息をしながらも、口元を見れば笑っていた。
まるで氷のようなクリスタルが、リリーの足元を覆っていく。
『もう二度と、誰にも、好きにはさせない』
『リリー、君の身体が……!これはクリスタル?一体どうなっているんだ?!』
白銀の髪の男は、アッシュ・ジュレード。
リリーに時の魔法をかけ、魔王と引き離してしまった男。リリーが魔王に止めを刺そうとしている時に、一緒に居た男。
『……魔王は……封印した。私は、彼と共に逝く……』
『なっ……まさか、記憶が?』
『やっぱり、アッシュが私の記憶を弄ったのね。……ずっとずっと、思い出せなかったのよ。あの人の、瞳を……』
『リリー!!』
話をしている間にも、リリーの身体は少しずつクリスタルに覆われていく。
アッシュはリリーに触れようとするも、見えない何かに阻まれて触れる事が出来ない。
『やっと、思い出せた。封印する直前に、あの人が、私に向けてくれた』
―――愛してる、リリー。
『も、わたし……神様なんて、しんじない』
リリーの瞳からは、宝石のように綺麗な涙がポロポロと零れ落ちていく。それを見て、アッシュは伸ばしていた手を引っ込め、唇を真一文字に引き結んだ。アッシュの瞳にも、じわりと涙が滲む。
『アッシュ。私、貴方を許さない。だから……』
『リリー……?』
『しあわせに、なって』
そう言ってリリーは、頭まで全部、クリスタルに覆われてしまった。
アッシュはそれを見つめて、ただただ涙を流し続けた。
『……君だって、残酷だよ。リリー』
私の愛しい人。
その綺麗な瞳は、もう私を映さない。
その可愛らしい唇は、もう私の名を紡がない。
もう二度と。
『こんなに愛してるのに。君は、君の居ない世界で、私に幸せになれと言うんだね』
それが彼に対する、彼女の復讐なのか。
リリーは言った。
もう誰にも好きにはさせないと。
『それが君の願いなら』
そう言ってアッシュは、クリスタル越しに、リリーに時の魔法をかけた。弄った記憶を元に戻し、プロテクトをかける。
もう誰にも記憶を弄られる事が無いように。
リリーの身に起きた『過去の出来事』を夢に見ている花は、少し離れた場所からリリー達を見つめて、胸の奥が苦しくなった。
(この人、本当にリリーが好きだったんだ)
リリーの記憶の筈なのに、彼の気持ちが流れ込んで来ているような気がした。もしかしたら、リリーに残る彼の魔力のせいだろうか。
彼のプロテクトは、リリーの身体にかけられたもの。だから―――
花にかけられた記憶改変の時の魔法も、アッシュのプロテクトによってゆっくりと消えていく。
『……私が君にかけた保護魔法については、誰にも伝えなかった。もし君が何らかの事情で目覚めてしまった時に、私の子孫がオイタをしないとも限らないからね』
(え?)
花は目を見開いた。
それまでずっと、立体映像のように動いていた過去の記憶の彼が、リリーではなく、見ていた花に対して語りかけてきたからだ。
『これはリリーの記憶だけど、保護魔法に私の思念も宿っているんだ。……君は、リリーじゃないんだね』
(……はい)
花がそう答えると、アッシュは切なそうに空色の瞳を揺らした。
『でも、またその瞳に私を映してくれて嬉しいよ。……ひとつだけ、お願いしてもいいかな?』
(お願い?私に、出来ることなら……)
『一度でいい。私の名を、呼んでくれないかな?』
それは先程流れ込んできた、あの日の、彼の願い。
私にとっては、ついさっき見た事だけど、彼にとっては千年ぶりだ。
確かに私もリリーが言うように、彼のした事は許せないと思う。けれど、もしかしたら彼女は、既に彼に絆されかけていたのではと……そう思った。だからこそ、彼に幸せになって欲しいという彼女の最期の言葉は、本心だったのではないかと思った。
私みたいな、完全な部外者が彼の名前を呼んでいいのか、しばし逡巡して、私は答える。
(―――いいですよ)
承諾すると、彼は嬉しそうに微笑んで瞳を細めた。これがいわゆる、蕩けるような瞳、というものだろう。
(……アッシュ)
彼の名を呼ぶと、彼はその蕩けるような瞳のまま破顔した。
『ありがとう』
(いいえ。その、逆に私ですみません)
『ふふ、君は優しい人だね。……私の子孫達がすまないね。彼等を許さなくてもいい。だけど、出来たら否定はしないでくれ。彼等は王族として、国民を護りたかったのだと思う』
(……納得は出来ませんけど、確かに、悪い人達ではないと思っているので)
『ありがとう。彼等には、父上のした事がそのまま真実として伝わっているのだと思う。魔族に騙された聖女を、王族が時の魔法で救ったと』
(どうして?アッシュが王様になってから、いくらでも訂正出来たんじゃないの?)
『……ごめんね。私は王位を継いで子を成した後、すぐに死んでしまったから』
(……え?)
『私は真実を知っていた。父上や大臣達にとって、そんな私の存在は邪魔だったんだろう』
(それって、つまり……)
『私にもっと、父上達のようなずる賢さがあれば良かったんだろうね。私は愚かな男だった。……さて、そろそろお別れの時間だ』
寂しそうに微笑んだアッシュが、少しずつ霞んでいく。気がつけば、私の頭痛は治まっていて、怠かった身体も軽い。
私は、もうまもなく目を覚ますのだろう。
だけど、最後の最後にリリーの願いを叶え、真面目に実直に生きた、愚かな彼に伝えたかった。
(アッシュ、来世では幸せになってね!)
私の声が、きちんと彼に届いたのかは分からない。
けれど、彼はほんの少し儚げに微笑んで、形の良い唇を動かした。
『 』
彼がなんて言ったのか、分からなかったけど。私の心は、何故だかじんわりと温かくなったのだった。
………………………………
………………
目を覚ますと、私がリアム殿下に消されそうになっていた記憶は、消えずにちゃんと覚えていた。
でも、夢に出てきたあの人の顔と声が思い出せなくて、私はほんの少し寂しく思ったのだった。
* * *
個人的にアッシュ大好き(笑)彼には幸せになってもらいたいです。




