プロローグ
―――その王国には、聖女が居た。
遥か昔。
今より千年も昔の事。
世界は、凶悪な魔王率いる魔族や魔物達が跋扈し、空も街も海も、薄暗い闇に包まれて、混沌としていた。人々は幾度となく、それらと戦い、かつての平和を取り戻そうとしたが……魔王達の力はあまりに強大で。戦争は長く長く続き、やがて、いつまでも終わることのない悪夢に、人々は疲れ果て、絶望していった。
そんな時に現れた、一人の少女。
後に聖女と呼ばれる彼女は、その身に宿る、膨大な魔力を使って、凶悪な魔王を封印したのだ。
魔王の存在によって力が増していた魔族達、魔物達は、その力を失い散り散りに。中でも、力の強かった一部の上位魔族達は、魔王の亡骸と共に、森の奥深くへと消えていった。
彼女のお陰で、もう二度と訪れないと思っていた、平和な日々を取り戻せたのだ。人々はその奇跡に心から感謝し、歓喜した。千年経った今でも、彼女の奇跡は人々の間で語り継がれている。
―――千年という長い時を経ても、未だ風化される事のない、彼女という聖女の存在。
それは今でも、彼女が人々を見守っているからだ。
彼女は魔王を封印する際、己の魔力を使い果たし、倒れた。
しかし、その瞬間。彼女の身体は巨大なクリスタルに覆われ、その後も朽ちることなく、その美しさを現世に留めたのだ。
淡いアイスブルーの、腰まで届く長い髪。白く透き通った肌。少しの幼さを残す彼女は、今では王宮にある神殿で、ステンドグラスから差し込む虹色の光を浴びながら、クリスタルの中で、静かに眠っている。
* * *
―――所変わって、聖女の居た世界とは別の世界。
地球と呼ばれる星の、小さな島国・日本。そこで朝から晩まであくせく働く、至って普通の、どこにでもいる一人の一般女性。
名は、花咲 佳乃。
彼女は今日も、兄である薫と共に、いつものバスに揺られていた。
二人の両親は、佳乃が高校生の時に、事故でこの世を去ってしまった。それ以来、兄である薫が佳乃の親代りだ。
その所為もあってか、薫の佳乃への可愛がりっぷりは尋常ではなく、この歳になった今でも、変わる事なく溺愛していた。
現在では、互いに立派な社会人になっているのだが、佳乃への過保護故に、通勤はいつも一緒。働いている会社は別々だけれど、今朝もいつも通り、二人とも同じ時間に家を出たのだった。
「あのね、薫兄さん?」
「ん?どうかしたのか?佳乃」
「私の時間に合わせてたら、またギリギリになっちゃうよ?私の事は気にしないで、もう少し早く出れば?」
「問題ない。駅から走れば間に合う。そんな事より、佳乃。昼飯、ちゃんと食べろよ?」
「いつもちゃんと食べてます」
「いつもカロリー気にして、固形の栄養補助食品ばっかりじゃないか。知ってるんだからな?」
「私が悪いんじゃないよ。ちょっとしか食べてないのに、体がそれよりも蓄えようとするから…」
「ちょっとしか食べないから、体がいっぱい蓄えようとするんだろ。ちゃんと適量を食べていれば、余分なものは吸収されない筈だ」
「えー」
そんなごくごく日常の会話をしながら、佳乃は不意に、視線を窓の外へと向けた。
「―――え?」
今朝も、いつも通りだった。
ついさっきまで、薫と他愛ない会話をして。この後だって、いつも通りの筈だった。
なのに。
佳乃の見開かれた瞳を見て、薫もすぐに違和感に気付く。そうして手にしていた鞄を放り、直ぐ様、佳乃を抱き締める。
衝撃から庇う為に。
―――次の瞬間。
大型トラックが、二人の乗っていたバスに、直撃した。
悲鳴をあげる間もなく、一瞬感じた兄の温かな体温に、激しい衝撃。
痛みはなかった。
痛みすら、感じる間もなく、佳乃の視界は真っ白になり、やがて暗闇へと沈んでいった。
自分を包んでくれていた筈の、兄の温もりも、もう感じない。
(かお、る……にぃ……)
深く深く沈んでいく。
そしてもう、浮上する事はない。
佳乃の身体は、二度と目を覚ます事はないだろう。
まだ二十代だった。
花咲 佳乃は、儚く、その命を散らした―――……
* * *
初投稿作品です。
更新遅いかもですが、頑張ります!