【アークとセドリック】
アークがロロエルと共に、花の元へ訪れる少し前の事。
会議後、王宮にある軍務大臣・執務室にて。
その扉の前に、一人の青年が立っていた。少し癖のある金髪に、宝石のようなエメラルドの瞳。整った顔立ちに加えて背も高く、鍛え抜かれた逞しい体躯が騎士服の上からでも窺える美丈夫である。
青年の名はアーク・ハワード。
聖女の目覚めに居合わせた者の一人だ。現在は若くして騎士団長の地位に就いている。何故アークがここにいるのかと言うと、父親である現軍務大臣のセドリック・ハワード公爵に呼ばれたからだ。
しかし、アークはなかなかノックをしようとしない。静かに溜め息をついて、眉間に皺を寄せる。
(……どうせまた見合いの催促だろう。この忙しい時に、父上もご苦労なことだ)
ジュレード王国は近隣の国々と、千年前に他領不可侵の盟約を結んでいる。けれども、鉱山や肥沃な大地など、他国よりも恵まれた国である為に国境での小競合いは多く、季節が変わる頃には毎回他国からの使者がやって来る。
そうして、今がちょうどその時期であった。故に騎士団長であるアークも多忙なのだ。
「…………」
なんとも重たい腕と足。だが、いつまでも扉とにらめっこをしている訳にもいかない。ただでさえ今は忙しい時期なのだ。
アークは覚悟を決め、執務室の扉をノックした。
「入れ」
「失礼します」
執務室の中には、アークとよく似た面立ちの壮年の男がいた。美しい金髪には白髪が混じっているが、それすらも魅力的で大人の色気が滲み出ている。
「随分と扉の前に突っ立っていたようだな。そんなに私と話をするのが億劫か?」
「……っ。気付いていたのですか」
「当たり前だ。あれで気配を消していたつもりなら鍛練が足りんな」
「申し訳ありません、父上。……それで、今日は何用でしょうか」
「察しの通り、見合いの話だ」
父であるセドリックの言葉に、アークはやはりそうかと嘆息した。何故放っておいてくれないのか。自分は今、誰とも結婚するつもりは無いと言うのに。
アークは思ったことを、そのまま正直に伝えようと口を開いた。
「父上。前にもお伝えしましたが、私は、今は誰とも……」
「後悔するぞ?」
「……後悔?」
「見合い相手が誰なのか、気にならないか?お前が嫌だと言うなら、今回は潔く引いてやる。相手とも会わなくていい。だが……」
「父上?」
「今回ばかりは、断ればお前は必ず後悔するだろう。……まぁ、見合いをしたとして、必ず婚約者になれるとも限らないがな」
「……随分な自信ですね。それに必ず婚約者になれるとも限らないとは、一体どういうことですか?」
アークは訝しげにセドリックを見据えた。セドリックは口角を上げて、既に勝ち誇ったような顔をしている。アークはセドリックのそんな態度に若干の苛立ちを覚えながら、「分かりました」と答えた。
「そこまで言うならば、その見合い、お受けします。それで……相手は誰なのですか?」
「聖女様だ」
「………………え?」
にっこり良い笑顔のセドリック。
アークは思わず間抜けな声を出し、驚きのあまり目を見開いた。
(―――見合いの相手が聖女様、だと?)
今のは聞き違いだろうか?
それとも私自身の願望が幻聴となって耳に届いたのか?
アークが混乱しながら何も言えずにいると、セドリックが今回の事の経緯を話始める。会議で挙がった聖女の危険性。クラウス殿下が言い出した聖女との婚姻。アークは話の内容を聞き、理解は出来た。――が、しかし。気持ちの方では納得出来なかった。
「父上。私の理解が正しければ、それは聖女様を婚姻という形でこの王国に縛り、飼い殺しにするということですか?」
「そうだ」
「……っ!」
肯定を即答したセドリックに、アークはカッと頭に血が上って、執務机をバンッ!と思いきり両手で叩いた。
「何故ですか?!聖女様はこの世界を救った大恩人!!それなのに、目覚めたばかりの彼女の自由を奪い、政治の駒にするなどっ!!」
そう憤るアークに、セドリックは顔色ひとつ変えず、「青いな」と鼻を鳴らした。
睨み付けてくるアークに、セドリックは「やはりお前に騎士団長を任せたのはまだ早かったか」と続けた。
「しかし、本気で解らぬ訳でもあるまい?お前のつまらぬ正義感で候補を辞退するのならそれもよかろう。聖女様の婚姻相手が変わるだけだ」
「………」
「例え聖女様が他国に逃れたとしても結果は同じだろう。最悪、暗殺される可能性もある。……聖女様が本当に文献通りの娘とは限らない。だが、少しでも想う気持ちがあるのなら……」
「父上……」
「今後、どう転んでも聖女様に自由はない。ならば、お前のすべき事はなんだ?」
セドリックの紡ぐ言葉ひとつひとつが、アークを冷静にさせ、アークの聖女への想いを思い出させた。
聖女がどんな人物かなんて分からない。
けれど、聖女が目覚めた時。たまたまその場に居合わせ、ほんの一言二言言葉を交わしたアークは、自身の胸の内に熱く灯る火を確かに感じたのだ。
アークは一歩後ろに下がって、セドリックに対し腰を折り、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!聖女様とのお見合い、是非ともお願い致します。必ず、婚約者の座を勝ち取ってみせます!!」
「……期待しておこう」
そう言って柔らかく口元を綻ばせたセドリックの顔は、ハワード公爵としてのものではなく、子を想う一人の父親の顔をしていた。
「失礼します」と言って執務室から退室するアークを見送り、セドリックは小さく息を吐いてから自嘲気味に笑う。
「……彼女は、目覚めない方が良かった。だが、しかし…………」
クラウスから聖女の婚姻話が出た時、頭の片隅に過った願望。それは政治的なものでも道徳的なものでも何でもなく、ただの自己満足的な私情だった。
長く拗らせ続けていた愚息の初恋が実ればいいと。聖女の性格も、世継ぎを産めるかも分からないのに。ただただ、そんな事を考えてしまった。
それに自由は無くとも、自分を本気で好いている男と結ばれ、護り続けて貰えるのなら、お飾りの王妃にさせられるよりも幾分マシではないかと思った。
そんな親ばかで青臭い己に、アークは自分に似てしまったのだなとセドリックは苦笑した。
「私も、まだまだ青いな」
* * *
セドリックパパは50歳の素敵なイケメン紳士。




