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ねむりちゃん先生の定説に異を唱える授業・地獄変

作者: ねむりちゃん先生

<はじめに>

地獄変とは、

古典と古典の舞台となる時代の日本史のことが大好きな男が、

好きをこじらせて作った二次創作作品である。


元になるお話の後日談を創作するにあたり、

自分の好きな他の作品や、物語の舞台になっている時代の日本史をクロスオーバーさせた結果、

このような作品になったのだ。

そして何より、彼は地獄変を「芸術至上主義をあらわす作品」として書いてはいない。


という感じで・・・考えている。


当然のことながら、偉い人の言う解説とは違っているので、

世間から見ると異端であろうことを先に申し上げておく。


-----


<元ネタの解説>

宇治拾遺物語 絵仏師良秀

http://www.raku-kobun.com/ujishuui2.html


芸術と他のことを切り離し、

芸術の優先度こそ至上のものとする「芸術至上主義」を表している作品である。

それが、この作品のお決まりの解釈だ。


しかし、本当にそうなのであろうか?


-----


この作品で注目していただきたいのは「それも知らず」の扱い方である。


偉い先生方の言う定説では「それも知らず」のことを、

家や、神仏の絵、妻子が燃えることを「かまうことなく」という解釈をしている。

しかし「それも知らず」には「茫然自失として周りを正しく認識できていない状況」という捉え方もできるはずだ。

この話以外に「かまうことなく」と訳されている出典元はあるのだろうか?


なぜ「かまうことなく」という解釈なのか、根拠を聞いてみても、

「これは芸術至上主義を題材にしているから」とか「昔からそう言われているんだ」と怒られるだけで、

どういう理由でそういう解釈になっているのかを詳しく説明してはもらえない。

少なくとも、いままでかかわった先生方は、こんな感じでした。


そこで、解説する側に最初から思考の終着地点があり、

「芸術至上主義を題材にしている」と言いたいがために、曲解された解釈ではないのか?

という疑念を持って、作品を振り返ってもらいたい。


-----


見物人は「家が燃えて大変ですね」と話していて、

彼自身も「家が燃えたところで、それを元に描けば何軒でも建てられる」と語っている。

受け答えの語り口からいって、良秀の性格が悪いことは疑いようもないだろう。


しかし、彼に向って「奥さんとお子さんは、どうしました?」と言ったものは居ない。


これから私は素晴らしい神仏の絵を描くのだから

その礎となって燃えた妻子も成仏するだろうみたいなことを言ってるわけでもない。

良秀は妻子が逃げているものだと思い込んでるのではないのか?


そう言われたら、彼は動転して火の中に飛び込んだかもしれないのだ。

自分が燃えることもかまわず、気のふれた猿のような素早さで・・・。


-----


彼が見た目以上に実は動転をしていて、本当は周りが見えていなかったとしたら?

性格は悪そうだけど、家族にとっては良い夫であり、良い父であったとしたら?


もし、そうだとしたら


どのような気持ちで「よぢり不動」を完成させたのか?

火事に巻き込まれず、残された家族がいたら、彼はどう接しただろうか?

このような情景を目に焼き付けて絵を描いた彼に、トラウマは無いのだろうか?


そういう疑問を持つことは、おかしなことであろうか。


-----


<物語の時代背景と登場人物>

時は西暦900年ごろ、平安時代のお話。


・堀川の大殿様

モデルとなったのは藤原基経もとつねである。

この人物に対し、良い悪いはともかくとして、

芥川龍之介には一定の思い入れがあったと私は考えている。


まずはじめに、伊勢物語の「芥川」という話を読んだことはあるだろうか?


-----


伊勢物語「芥川」


ある男が恋い焦がれた女を伴い、かろうじて逃げ出した。

芥川の近くを通っていると、草を濡らす露を見て、あれは何ですか?と女に聞かれた。

しかし、夜も更けた上に激しい雷雨になってきたところで、

男には答えている余裕もなく、とりあえず近くのボロい蔵に女をいれて雨宿りをさせる。


男は戸口に立って見張りをしていたが、実はその蔵には鬼が棲んでいたのであった。

叫び声は雷雨にかき消され、女は鬼に食べられてしまう。


夜が明けて雨もやみ、男が蔵をあけると女の姿はない。

男は崩れ落ちて泣いたが、もうどうしようもないのだった。



夜露を見て、あれは真珠か何かと聞かれたとき、

あれは露ですと答えて、私自身も露のように消えてしまえば、

こんな悲しい思いをせずにすんだのに・・・。



これは、二条の后が親戚の女性の元に仕えていたとき、

彼女が美しすぎて誘拐されてしまったのを、

お兄さんの堀川の大臣と太郎国経の大納言が、泣き声を聞きつけて助け出したことを、

鬼などと言っているのです。

この話は、二条の后が若く、天皇の后になる前のことということです。


おしまい


-----


雑に訳しているわけであるが、

前半と後半の、話の雰囲気の違いさえ伝われば、目的は達成されるのでご了承いただきたい。


前半では「鬼に食われた」ことになっているが、

後半では「2人の兄に助け出された」と表現が真逆になっている。


このことについては、

前半が原文で、後半が後に付け加えられた補足であるとか、

前半も後半も同じ作者が書いているとか、見解が分かれているのだが、


自分の名前が冠された物語の中で、

芥川龍之介は「2人の兄は鬼である」という結論に達したと、私は推測をしている。

そして地獄変にでてくる大殿様も「鬼」なのだ。


-----


この藤原基経は、日本で最初に関白になった人物だ。

天皇4代に仕え・・・というか後半は完全に国政の実権を握り、藤原勢力を凄く強くした。


①清和天皇

9歳で天皇に即位した際、基経の養父が後見人となって政治を取り仕切るようになる。

養父の死後、基経が役目を継いで政治の実権を握ることとなった。

芥川にでてくる二条の后(基経の妹)の旦那さん。


②陽成天皇

二条の后の息子。こちらも9歳で即位。17歳で退位。

退位した裏には「基経」と「二条の后and陽成天皇」の不仲があると言われている。

もし、自分と皇族のつながりを強くするために、

芥川で鬼が男と女を引き裂いたのだとしたら・・・遺恨が残っていて当然であろう。

政略結婚させるために妹と恋人と引き裂いたのであれば


③光孝天皇

関係が悪化しすぎて操りにくくなった「妹と妹の息子」を政治の世界から追い出すため、、

二条の后とは無関係な、清和天皇よりも前に分かれた血統から即位する。


光孝天皇を即位させちゃうよ会議にて

「陽成天皇を辞めさせて、光孝天皇にすることに反対する者がいるなら、

そいつを今ここで斬り殺そうと思うのだが、何か意見があるものはいるか?・・・よし、反対者いないので決定だ。」

という感じでしたという内容の逸話が残されている。


即位した際に、光考天皇は「自分の子供たちの皇族としての権利を放棄し、

最終的には陽成天皇の系譜に戻します」という姿勢を見せて陽成派をおさえる。

しかし、死ぬ間際に自分の息子の権利を復活させて次期天皇に指名をしてから亡くなる。


④宇多天皇

光孝天皇の息子。

宇多天皇が即位した際に、

「父のときと同じように、僕の政権を支えてくれ」みたいな手紙を送ったわけだが、

僕の代でも使ってやるよ的な文面が気に入らないので、職務をボイコット。

天皇から基経にゴメンナサイと言って機嫌を直してもらう事件がおこる。


これが藤原基経の絶頂期であり、彼の威勢は神の現身である天皇を超えていた。

彼は、神のごときチカラを持った鬼であったのだ。

(芥川龍之介作の邪宗門にて、大殿様の息子は父親のことを「鬼神」と評している)


-----


<地獄変とは?>

最初にも書いているが、

地獄変とは、

古典と古典の舞台となる時代の日本史のことが大好きな男が、

好きをこじらせて作った二次創作作品である。


そして、芥川龍之介は、

絵仏師良秀を読んで彼が抱いた疑問点を解消しつつ、

それを隠れ蓑として、

藤原基経の話を書きたかったのではないかと考えている。


つまり、真に読者が追うべきなのは、良秀ではなく基経である。


-----


以降は、地獄変を読んでから


-----


<内容を読んでいくにあたって>

語り部は大殿様の部下であり、決して大殿様を悪く言うことはない。

しかし、作中で彼があえて語っているエピソードに、本当の姿が透けて見えるようになっている。


まず最初に「自分のような凡人には理解できないことを大殿様はやっている」と前置きをしている。


それなのに、大殿様のことを始皇帝や煬帝のようだと言われることに対して、

「そんなことはない、もっと下々のことまでお考えになる、天下とともに楽しむとでも申し上げるような、

懐の大きい、度量のある方なのだ。」と擁護している。


だがしかし、彼が続いて話してるエピソードには「下々のため」にやってることが1つも書かれていない。

それどころか、彼の威光、彼が何をしても逆らうものがいない、何をされても従っている人々の姿が語られる。


語り部は、大殿様が怖くて逆らえないが「神のごときチカラを持った鬼」であることを言いたいのだ。

彼自身がわざわざ語って否定をする「世間で言われている悪評」こそが、語り部の本心であり真実である。


そして、何事も自分の望むとおりにならないと気の済まない大殿様が、

唯一、自分の意に沿わない結末を迎えた話を、語り部はしているのである。


-----


<良秀の性格や奇行について>

地獄変の時系列は、作中で「よぢり不動」について触れる部分があるため、

絵仏師良秀の後の話であることが分かる。


語り部は良秀の悪いところを列挙し、とりわけ悪いところとして、

「横柄で傲慢で、いつも絵師としての自分の才能を鼻にかけている」ことを挙げている。

これは元ネタである絵仏師良秀の受け答えを踏襲しているといえるだろう。


芥川龍之介が「地獄変を芸術至上主義を表す作品として書いていない」とする論拠として、

良秀の人となりを説明している内容をあげておきたい。


-----


地獄変の作中で、良秀は

吉祥天の顔を卑しい傀儡の顔にしたり、不動明王を描くときは無頼の放免の姿にしている。

「神仏の絵を描くという、芸術を極めることが、何よりも重視されるのだ」という話であれば、

絵仏師が命をかけるべき「神仏の絵」を、ふざけて描いているわけはない。


彼は何のために絵を描いているのか?

彼の目的は、娘に良い物を買ってあげるためであり、

大殿様に褒美として何度も求めているものは「娘が家に戻ること」である。


絵を描いているとき、彼は娘と会うこともなく絵に集中しているが、

仕事をしてるのだから・・・それは当たり前である。これを芸術を重視しているとするのは、おかしい。

普通にサラリーマンでも構わないので、情景を重ねて欲しい。必死に働いている姿だ。

子供のために夜遅くまで残業を頑張る親に「お前は愛情がない」と言ってるようなものだ。


地獄変で描かれている彼は子煩悩な男であり、彼にとって至上の宝は娘である。


「あの男は、この屏風の絵を仕上げた代りに、命さへも捨てるやうな、無残な出遭ひました。

云はゞこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつたのでございます。」


世間の解説や読者の印象には、地獄という単語が目に留まりすぎるのだろう。

後半ばかりに注目が集まる一文だが、しっかりと前半も記憶に残して欲しい。

そこには「屏風を仕上げるとき無残な目にあって、だから死んだのだ」と書いてあるではないか。

なぜ、これを無視して「屏風が素晴らしくて、これ以上の物は作れない自分の限界を云々」やら

芸術至上主義の話に持っていきたがるのかが分からない。


(なお、大殿様が描かせた女房の似絵については、ここでも大殿様の女癖の悪さを表している。

絵に描かせるくらい気に入った女たちへ大殿様は無理やりに手を出しており、女たちは憔悴して死んでいくのだ。

同じく絵のモデルにしているご寵愛の童も、橋を作るときの人柱にしており、

このあたりにも大殿様の性格的な問題点が見え隠れするようになっている。)


-----


彼は悪夢を見る。そして、弟子に寝ているあいだ付き添うように頼む。


絵仏師良秀を定説通りに使っているのであれば、

ここで良秀は不安そうであったり心細そうに描写される必要はない。

芸術のために望んだ地獄が見れるなら、彼はそれを喜ぶべきだろう。

最近、夢の中で地獄にいるんだよ。おかげで筆が進んでねゲヘヘってなもんである。


灼熱地獄の悪夢。

夢に出る相手に「誰だ」と良秀は聞き、

相手が誰であるかを良秀は理解して、自分もそうであろうと思ったと言っている。

そして、奈落には己の娘が待っているという一文。


絵仏師良秀の話を思い出して欲しい。

あれは、どういう話であったか?

そこで家以外に、神仏の絵以外に、燃えたものが何であったか・・・。


では、灼熱地獄で良秀を呼ぶのは誰か?

そんな夢を見てしまう彼が、芸術至上主義なんて考えているのだろうか。


-----


彼は弟子に様々な格好をさせる。そして酷い目にも合わせる。

本人たちは死にそうだったというが、本当に死にそうな目に遭っているわけではない。


良秀には、弟子を殺してまで地獄変を描く気はないし、大怪我をさせるつもりもない。

芸術の優先度が弟子が噛まれることより高いのなら、実際にヘビ噛まれているところを描写した方が良い。

人に慣れてない空腹のものに襲わせた方が良いのに、人に慣れて餌を与えたあとのミミズクをけしかける。

ヘビの入った壺の近くに、ミミズクに襲われた弟子が座り込めば、慌てるような男だ。


-----


良秀が泣いている姿を目撃されている。時を同じくして娘も憔悴していく。

大殿様が御意に従はせようとしてしていらっしゃるという評判が立ち始めて、

それからは皆がパッタリと噂をしなくなる。


そんなある晩、猿が飛びついてきて語り部に助けを求める。

猿にいざなわれていくと、

どこか近くの部屋の中で人の争っている気配が、あわただしく、妙にひっそりと語り部の耳に届いた。


助けに入る語り部、飛び出してくる娘、

「恐ろしいものを見るようにおののき見上げてくる」が、

次の行には「いつになく生き生きと輝いてみえる」に代わっている。

この落差について、違和感を感じなかっただろうか?


そして、同様の落差が解説の最初に方で書いた「芥川」にあったことを覚えているだろうか。

芥川に出てきた鬼・・・それが誰であったかも・・・。


-----





<時間たりなかったので、以降はザックリ>




<物語の顛末について>


地獄変が完成しそうです→大殿様は不満そう

車を燃やして→中に女を入れて燃やしてやる

顔真っ青→ちょっとヤバイ勢いで燃やす気まんまん


雪解の御所、妹の屋敷、死んだ妹の身の上に「噂」・・・芥川と二条の后からの推測を重ねる


このときだけ、場面の描写が細かい

・大殿様の前後左右に御側のものが5~6人、大殿様の元には武人も控える。

・車の周りにはタイマツを持った者たちが何人かいる

・良秀は、やや離れて何時もの狩衣らしい服で暗がりの中にいる

・良秀の後ろには誰か控えている、弟子であろうか?定かではない


着ている服が、いつもと同じかわからない距離。

車の中に娘を見て立ち上がった良秀、それに反応して身構える武人。

駆けだそうとして不自然に止まる。まるで目に見えない力が宙へ釣り上げたような良秀の姿。


良秀の後ろにいるのは誰だ?なぜ不自然に止まった?

大殿様の配下の者が、例えば良秀の腰に縄を付けて後ろにいたとしても、

この返事の声も届かぬ距離では見えないのではないか。


燃えることに対して、苦しそうな良秀、嬉しそうな大殿様。


猿秀が飛び込んだあと、良秀の様子が変わる。

この瞬間、彼は変わってしまった。


猿秀が娘と共に死んだことで、何かの境地に至ったのか、

トラウマを上書きされて、本格的に壊れてしまったのか、

何にしても、それは大殿様の望んでいたシナリオではなかったのだ。


そもそも、大殿様は地獄変の絵が完成することを望んでいない。

小生意気な良秀が苦しむ姿を見たいのだ。


自分の意に沿わない娘を燃やして鬱憤を晴らし、

さらに良秀が背後の人間を振り切って、自分に襲い掛かってくれば良いと思っている。

目の前で武人に斬らせ、自分に届かぬ憤怒を抱えて良秀が死ぬ姿を見たいのだ。

それなのに、良秀は怒りも悲しみも飲み込んでしまった。


-----


<良秀の死について>

大殿様が完成させたくなかった地獄変を完成させて、良秀は死ぬ。


芸術至上主義を推してる人は、ここでまた「最高の作品ができたから死んだのだ」というが、

「一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらへるのに堪へられなかったのでございませう。」

語り部は、そう語っており、実際にそうなのであろうと私は考えている。


-----


良秀の死について、芥川龍之介の死に様と重ねて解説をされることが多々ある。

そして、そこには「芸術至上主義」と

「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である」がセットになって語られる。


良秀は、最高の作品を作ってこれ以上は作れないと思ったから死んだのだ。

その死に様は、芥川龍之介の死に様に通じる。という、半ば神格化するような意見である。


ばかばかしい。


晩年の彼が何かに悩んでいたことは間違いないだろう。

それは、自分には合わないプロレタリア文学などが流行ってきて、

時代の流れから取り残されていくことを感じたからなのか、

もっと別の何かなのかは分からない。


しかし、少なくとも地獄変を書いているときの彼に、そんな気持ちは毛頭ないはずだ。


彼は地獄変のあと、大殿様の息子を主人公として「邪宗門」という長編を書いている。

地獄変が芸術至上主義を題材としているのなら、

邪宗門は、その集大成を見せる作品となるはずだ。


しかし、この長編は未完で終わっている。


本当に芸術至上主義を題材にしているのなら、未完になってしまった段階で、

漠然とした不安どころではない「才能の枯渇」や「至高の作品をつくれない自分」に絶望して、

筆を折るか、命を絶っていないとおかしいではないか。


この後、彼は何年も生きているし、別の作品を発表している。

その矛盾に芸術至上主義を標榜する人たちは触れようとしない。


<おわりに>

死にゆく娘を見て変わってしまう良秀については、

そんな難しい理念など含まれていないと私は考えている。


芥川龍之介の母親は、彼の姉が突然死んだことにより精神に異常をきたしたと言われている。

家族の死によって壊れてしまった人間を見ている彼にとって、

絵仏師良秀の話は受け入れがたかっただろう。


家庭環境などからくる、こうあって欲しいという芥川龍之介の願望が書かせたのだ。


地獄変とは、

古典と古典の舞台となる時代の日本史のことが大好きな男が、

好きをこじらせて作った二次創作作品である。


そして、母親の影を追った、少し悲しい二次創作作品である。
















<以下講義中にチラ見するためのメモ書き>


娘は父を人質にとられ

父は娘を人質にとられる

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群盲の象を撫でる、目の見えない人たちが一部分を触っただけで象というものを語る様

栄耀栄華エイヨウエイガ 今を盛りとときめくこと 非常に贅沢なこと

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二条大宮の百鬼夜行

大鏡 右大臣師輔伝 あははの辻に出てくる

藤原道長の爺ちゃん、モロスケの話 二条大宮の百鬼夜行

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河原院の融の左大臣

源融がモデルと思われる

元々皇族で野に下った、イケメンだったらしい、それなりに仕事もできた

光源氏の元ネタの一人と言われている


それなりに仕事はできたが、大殿様のモデルと思われる堀川大臣がバリバリに仕事ができすぎて

あんまり功績は残せていない

自分は左大臣、堀川大臣が右大臣で位が下なのに、いい役目をふられたので、

すねて一時自宅に引きこもりになる

で、仕事の鬱憤を趣味ではらしたのか河原院という大層豪奢な家を作っている


天皇が死んだときに、自分も皇族なんだから候補に入れてくれと言ったが

堀川大臣に、野に下ったヤツが天皇になった前例ないしダメでしょーと言われれて

断念せざるをえなくなったとか何とか


この人の幽霊を追い返す話が今昔物語などにある

そのとき河原院は融さんの息子が宇多天皇にあげていて、天皇が住んでいました

僕の家だから出て行ってくださいという幽霊に

もしかして融さんですか?でもこの家は息子さんがくれたんで、ごめんね!

と言われて、すーっと消えていったのでした

ちなみに宇多天皇は、一度野に下ったが堀川大臣の推挙によって天皇になっている、、、

融さん可哀想

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宇多天皇さんは、天皇の書いた日記として現存する最古のものを残している

寛平御記かんぴょうぎょぎ

断片的にしか現存していないが「うちの黒猫」について語られた話が秀逸

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なお、今昔物語には他の話にも河原院がでてくる


東国から上京した夫婦が荒れ果てた河原院の軒先を一夜の宿に借りようとしました

旦那さんが馬を繋いでいると、河原院から手がでてきて奥さんを屋敷に引っ張り込んでしまいました

慌てて旦那が戸をあけようとしますが、、あきません

戸をぶち破って屋敷に入ると、

そこには血を吸い尽くされた奥さんの死体が吊さがっていましたとさ

、、、救いのない話ですね!

融さんとは明言されてないので別の幽霊かもしれません

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華佗、関羽の腕を治した外科医、曹操に脳の手術しようよといって投獄されて死んだ人

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