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世知辛くとも血生臭くとも  作者: 四条 廉也
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序章Ⅰ


 ゲームでは、よく死体を目にする。

 最初からオブジェクトとして転がされているものもあれば、時に自分で生者を殺め死体へと変えることもある。

 人によってはゲームという仮想世界の中であっても、腕が千切れ飛ぶことを嫌う人というのも珍しくはない。

 しかしそう言った演出が平気だという人でも、実際に身体の一部が欠損したり派手に血飛沫を散らして絶命する様を見て、果たして平穏無事な様子を保っていられるだろうか。

 少なくとも、俺こと氷安ひやす 貫路たかみちには無理だ。

 欠損の無い死体を一つ、至近距離で直視することも躊躇うのだから、血やら脂やらで化粧された死体は近付くこともままならない。

 俺は、何故このような目に遭っているのだろう。

 手にしたシャベルを柔らかな腐葉土に突き立て、大空を覆う程に枝葉を伸ばした木々の向こう側に視線を遣った。

 緋色の長い髪をアップに纏め、口元を厚目の布で覆い合羽のような少しゆとりのある外套を纏った少女が、黙々と腐葉土を掘り返し続けている。

 その傍らには、人間の男性が横たわっている。

 否、人間であったもの、死体だ。

 死体は安らかな表情を浮かべてはいるものの、右腕の肘より下は欠損し左脇腹には風穴が空いている。

 着衣である白色のシャツと麻のズボンの大半は赤黒く染まり、まるで凶悪で猟奇的な殺人鬼に玩ばれたかのように無惨と言う他ない。

「ちょっとぉ、見てる暇と余裕があるなら手伝ってよ~」

 半ば呆然と、吸い寄せられるようにして立ち尽くしていたところ、作業する手を止めた少女にやんわりと怒られてしまう。

 俺はすっかりと気力を失い、肯定とも否定とも取れる曖昧な挙動に出た。

「頷くのは肯定、目を逸らすのは否定、つまりどっちなのよ」

 暮れなずむ夕陽に没入する体で現実逃避をする俺を、無理矢理に引き戻すように少女からの叱責は止まらない。

「というか私に一宿一飯一葬の恩があるって分かっているなら利子分ぐらい返してよね、全く」

「……そんな契約は交わしてないし、文書もないんだから客観的に見ても無効だろ……うぶっ」

 風向きからして俺の立っている場所は風下で、生々しい死の薫りが鼻腔を満たし胃袋が引っ繰り返りそうになるのを何とか抑えるのに必死になり、意図せず地に伏せるような体勢となる。

 少女はその情けない様子から戦力外と見做したのだろうか、俺に何も声を掛けずにシャベルが再び地面を掘り返す音だけが矢鱈と響く。

 彼女の傍らに転がる遺体は、不幸な事故によって生じたものだ。

 俺の居た地球の日本という国では有り得なかった事態が、半ば常識として定着しそんなこともあると諦められてしまう世界。

 元居た世界とは全く以てどうしようもない一線を画したこの異世界は、俺の想像していたそれとはある意味では同じで全く異なるものだった。

 その想像とは、出自はどうであれども俺には特別な能力や才能があり、紆余曲折を経て可愛い女の子と仲良くなったりしつつ世界を救うというもの。

 ところがどうだ、こちらに来てからと言うもののとにかく歩いては穴を掘り、飯を食って糞して寝るという大変規則正しい生活を送っている。

 魔物も、魔法だって存在していることは聞き及んでいるが、それを駆使すべき場面には全く直面しない。

 とにかく異臭に塗れて地面を掘り返す作業を繰り返す。

 戦いと言えば、こんな生活から逃げ出したいという己の内部の葛藤のみ。

 そんな俺の今の肩書は、『国家一級埋葬士見習い』。

 宗教的、道徳的観念からこの世界では遺体の扱い方には厳然たる決まりがあり、例え家族や権力者であっても勝手に埋葬することは許されない。

 故に、国の元首たる国王が認定した資格所持者が契約と言う形で埋葬を請け負う。

 一部では既得権益の保護だという手厳しい意見もあるが、現実として俺たちは毎日忙しく歩き回って埋葬しているので、今更指導者も改革のメスの入れようがないのだろう。

「よし、取り敢えず今日はこんなもんね。村に戻って報酬を貰ったらさっさと町を出るわ」

 俺が気分を休めていると、シャベルを担いだ少女が傍にやって来て、口元の布を取り払いつつそう言った。

 木漏れ日の色が薄っすらとした橙色であることから、日が暮れるまでにそれほど時間は残っていないだろうことが窺える。

 俺は特に疲労した足元に手を添えて立ち上がると、先導する少女の後を凡そ三メートルの間隔を保ちつつ歩き始めた。

 この距離感も最近ではすっかりと体に馴染み、考えずともこの間合いで行動することが増えた。

 三メートルの理由はそう込み合ったものではない。

 近過ぎれば仕事で染み付いた独特の臭いがこちらの鼻を曲げ、遠ければ仕事場が森の奥深い埋葬場であれば逸れて迷子になる危険性があるからだ。

 一度、嘘のように視界の利かない森の中で埋葬を行ったことがあるが、あの時は仕事中であっても片時も少女から離れられないで居た。

 恥ずかしい話ではあるが、後々に考えてみれば全く有り得ない妄想に取り憑かれ冷静さが欠落していたこともあって、時折話のネタにされるのは少し頭が痛い。

 彼女との間に必要以上の会話を持たないのは、そういう背景があることも一因である。

 では主成分は何であるのか、と言えば肩書にもあるように俺の身分は駆け出しひよっこ半人前を意味する『見習い』だ。

 そして彼女は国王の認定した正式な埋葬士であり、つまるところ俺の師匠或いは上司という立ち位置に該当する。

 上司との会話、と言うのはその殆どの場合に於いて苦痛でしかない。

 交わされる内容も大別してしまえば、その日のスケジュールと食事の内容に、仕事上必要最低限の遣り取りと至って事務的で、ラブコメ要素なんぞ皆無だ。

 せっかくの異世界ライフを、そんな肉体労働系社畜として浪費してしまって良いのかと自問自答することもある。

 だがしかし、やはり人間が余計なことを考えるにはある程度の環境が整っていなければならない。

 即ち、衣食住だ。

 衣食足りて礼節を知る、という言葉があるように生活基盤が無ければ、まずはそれを満たすために形振りを構うことはない。

 異世界に来たばかりの俺がそのある程度の環境を手に入れるためには、どう足掻いても貨幣経済のシステムがある以上はその貨幣を得るために仕事をせねばならない。

 日本にはハローワークという無料の職業安定所があり、いつでも好きなときに求人を見ることが出来た。

 が、この世界では求人を探すのにも一苦労、やっと有り付けたかと思えば日雇い労働で紹介料を取られることもザラで、悪質なものになると人身売買の契約書に署名させられるのだとか。

 俺はたまたまこの少女と出会い、口利きで見習いという余分な部分は引っ付いて来るものの職を得ることに成功した。

 正直、薄給だと思うが今のところこれ以上の条件で暮らし向きの良くなりそうな仕事は、皆目見当もつかない。

 手先が器用ならば、どの世界でも通用するであろう大工や料理人になって食い扶持を稼ぐ方法もあったかもしれないが、所詮たらればの話だ。

「ねぇ、タカミチ」

 ずんずんと村落へと歩いていく少女は振り向きもせずに俺に呼び掛けた。

 彼女は決して無言の間が苦手ではないので、何か質問したいことでも浮かんだのだろうか。

「どうした」

「今朝って豆のスープで、昼は豆パンだったでしょ?じゃあ夜は何だと思う?豆のステーキかな?」

 今日の依頼の村は豆が特産品だと言うことで、今朝村に到着するなり振る舞われたのが豆のスープ。

 沸騰したお湯に軽く水洗いした豆を放り込んで茹でただけの代物で、僅かに青臭いスープは朝から食欲を減衰させる役割を果たしており、ダイエットには持ってこいだとう感想を抱いた。

 その勢いのまま、仕事先で食べなさいと持たされた豆パンは硬さ以外については俺の中でも好評だ。

 ただし午後からはそれを胃袋から戻さないよう堪えるのが少し辛かったが。

「どうせ塩も無いようなら、肉が出てきてもガッカリするだけだろうな」

「塩なんて都市部や地方ならお金持ちしか使えないんだもの、仕方ないじゃない。素材の味だって大事なのよ」

 粗食、と呼ぶのは簡単だがそれ以外に無いのだから仕方がない。

 彼女の言う通り、自分を納得させなければ腹を満たすことは出来ない。

 少なくとも俺の味覚では全く満足のいく食事を摂った覚えはなく、最近では冷えた水の喉越しが一番の鉱物となりつつある。

 厳密には水そのものも飲めるかどうか怪しいことも多いが。

「なんだって食事までご丁寧に未発達なんだよ……」

「ニホン?とかいう国は食べ物も美味しいの?」

「そうだな……例えば主食のコメは品種改良の甲斐もあってただ炊くだけでも旨いぞ。発酵食品の味噌を湯に溶いた味噌汁もあれば尚旨いだろうな」

 人間は無いものねだりをする。

 俺は散々粗食だと馬鹿にしていた白飯と味噌汁という組み合わせを、こうも愛しく思える日が来るとは思わなかった。

 今なら味噌そのものを頬張ってあの塩辛さを堪能したいぐらいだ。

「コメ……ミソ……聞き馴染みのない単語ね。食品名?」

「あぁ、この世界の水準じゃ存在したとしても味には期待出来ないが……」

「妙に突っかかる言い方するのね。上級民の食事を口にすれば腰抜かしちゃうわよ?」

「食ったことあるかよ?」

 少女は歩く速度を緩め、ゆるりと振り返ると小さく勝ち誇ったような笑顔を浮かべる。

「一度だけね。こう、とても繊細な味付けの肉の塊とか、たくさんの色の葉っぱの入ったサラダとか、塩の入ったスープとかすごかったわよ」

 所謂ところのフレンチのようなものだろうか。

 自慢の色の入った声音で語る少女はこちらの相槌すら必要とせず、聞いても居ないようなことをペラペラと喋り続けている。

 ただ、その味の感想はとても抽象的で、大別すると旨い・美味しい・すごいの三つに集約される。

「全く味が伝わってこない」

「なんでよ!見習いなら分かりなさいよ!」

 何故この語彙力の貧弱な少女が一丁前に仕事に有り付き、普通以上の稼ぎをしているのだろうか。

 職業柄、人と話すことはあまりないためトークスキルは必要ないのだが、それにしても日常会話以上の表現が欠落しているのは想像以上にやりにくい。

 話が合わない、と言うよりもこれがこの世界における一般的な教養水準なのだろう。

 お頭よりも手に職、頭脳労働は一部の限られた上位階層の仕事であり他の一般市民以下は殆どが職人や肉体労働者で構成されている。

 俺がこの世界で僅かながらに過ごした期間で得た情報との整合を取った結論がそれだ。

 つまり彼女はその一般市民以下の部における「稼いでいる方」の部類であり、特殊な資格を持った業者であり個人事業主のようなものだ。

 相対的に見て、俺は肉体労働よりも頭脳労働の方が得意だ。

「あー……転職したい」

「命の恩人に何て言い草してんのよ。大体、あんたみたいな素性の分からない不審者が身一つで転職しても、いつかは騙されて人買いに売られちゃうのがオチよ」

「はいはい、身分身分」

 このことについては予想通りと言うべきか、この世界には覆しがたい身分制度が存在する。

 国王、貴族と生まれながらの勝ち組は言わずもがな。

 一般市民であっても家業があれば食うに困ることはそうないが、家を継ぐ存在ではない次男坊や犯罪者などが綯い交ぜになって日雇い肉体労働者の層を構成している。

 では俺の身分はどの位置になるのか。

 都市部ではいざ知らず、地方には戸籍という概念は無い。

 公の身分証明書類も無い以上、重視されるのは経歴に来歴、あとはコネクションだ。

 この世界の観点で言えば、俺は親兄弟の名前も生まれ故郷も職歴も無くしかしそれなりに学がある、という不可解な点山盛りの不審人物。

 言われたことに大人しく従って、汗を流せる日雇い労働以外に俺が就ける仕事は無い。

「何度でも言ってあげるけど、私が通りがかりで埋葬しなければ本当に行倒れていたわよ」

「生き埋めってあんな気分なんだな……」

「そういう訳で、もう一回埋められたくなければきりきり働いて私を楽させなさいな」

 木々の向こう側に揺れる篝火が見えた。

 村落に無事、辿り着けたようだ。

「今日のところはゆっくり休んでおきなさい。明日の仕事は、もっとキッツイわよ」

 ある程度慣れたとは言え、鼻腔の奥にこびり付いた独特の死の臭いは吐き気を催し意識が朦朧としてくる。

 憂鬱さは明日の仕事に対してだけではなく、今日の晩餐の献立を予想してのものに向けられているのだと言うのがまた悲しかった。




 この世界に来る前、つまり日本に居た頃の記憶と言うのは実は曖昧だ。

 極々普通の一般家庭に生まれて学校に行き、普通の青春を過ごして来たように思う。

 学校での成績も普通、身体能力も特筆すべき点はない。

 そして、立ち上ってくる異臭によって意識が覚醒したその時、尋常ではない光景を目にした。

 異世界で初めて目にした光景が、バラバラに積み重ねられた人間の死体だったのは紛れもなく不幸だ。

 腕、脚、頭と余すところなく見下ろす内に顔の一つの目が俺の方を真直ぐにしかし虚ろに見詰めていることに気付いた。

 今にも呪詛の言葉を吐き掛けてくるのではないかと言わんばかりに苦悶の表情に凝り固まり、俺の背筋に悪寒が走る。

 逃れようと身体を起こそうとするも、違和感を覚えた。

 腹部に圧迫感があり、脚を動かせば何か壁のようなものに蹴り当たる。

 胸元に目線を落とせば石を積み上げた壁だと言うことが分かった。

 どうやら俺は腹部を中心にくの字に身体が折り曲がった状態にあるらしい。

 妙に冷静に状況を受け入れられるのは、どこか夢見心地で心の底では現実だと認識し切れていないためだろう。

 とは言えど、凄まじい形相の死体と見詰め合える程神経は太くないため一先ず視線だめでも横を向き、上体を起き上がらせようと腕に力を込める。

 弾みをつけて上体を持ち上げ地面に降り立つと、またしても俺は見慣れない情景に言葉を失った。

 赤の色彩とはこれ程鮮やかで種類が多いのかと感心する一方で、沸き立つような怒りと驚愕の感情の原因はどこに在るのか。

 赤の正体は炎。

 炎は周囲一帯を取り囲むように燃え盛り、その猛威は手当たり次第に及んでいる。

 その対象は木、家、家畜、そして人間。

 一切の分け隔てなく灰へと変えて行くその狂宴は、終わりを迎えつつあった。

 屋根が焼け落ち姿を保てなくなった家屋の下敷きとなった、黒焦げの腕が覗くところを見るにもうこれ以上の燃料足り得るものは見当たらない。

 この惨状は終焉を迎え、やがては風化するのだろう。

 ふと、どうして俺はここまで落ち着いていられるのかが不思議でならなかった。

 再認識する。

 俺は眼球を通して映るその光景の情報を、出来る限り穏やかかつ抑えられたものとして処理され受け入れているに過ぎないのだ、と。

 ありのままの生々しい地獄を全く曲解し、己の器に溢れ切らないよう切り落とし漸く寸でのところで感情を蓋しているのだ。

 水を入れた鍋に蓋をし、熱し続けていけばどうなるかは明白だ。

 いつか沸騰し、吹き零れる。

 手先が震え、歯がガチガチと鳴り出す。

 混乱の津波がすぐそこまで押し寄せ、その前兆とも言うべき耳鳴りが俺を襲う。

 一つ強烈な悪寒が背骨を逆撫でする様に走ったかと思うと、意識が遠退く。

 現実という炎が、俺の限界という鍋の中で煮立つ感情の水を沸騰させ、どうしようもなく溢れ出させたせいだ。

 その際になって、初めて俺は炎の熱を、産毛が焼かれる感覚とともに知覚出来た。




「で、あんたは結局なんであの日のあの村の井戸の横っちょで倒れてたわけ?実は記憶がないだけで、あの村の中の生き残りなんじゃないの?」

 その台詞は、俺と彼女の間で最も高い頻度で交わされる話題だ。

 そしてその答えまで全てがテンプレート化されている。

「だから、俺も前世の記憶があって、こっちでは気付けば井戸に引っ掛かっていてだな」

「うん、まぁ魔物の襲撃を受けて生まれ育った村を焼き尽くされて、関わった人たちが喰い散らかされる光景を見て正気を保っていられる人も居ないと思うけど」

「つまり、記憶を失っているだけだ、と?」

 彼女は一つ頷くと、朝食の豆のスープを一口啜った。

 相変わらず豆の緑色が少しばかり浮かんだ熱湯と、数個の豆が浮かぶ朝食は見るだけで食欲がみるみる減衰していく。

 それでも、胃袋には入れておかなくては栄養不足に陥りかねないのだから恐ろしい。

 物流の線が細い地方の地方、辺境ではいくら貨幣を持っていてもその使い道は限られている。

 贅沢をしようにもその贅沢そのものが存在しないのだから仕様がない。

「だから、記憶戻らないかなーと思ってあの村周辺の依頼ばっかり受けているんだけど、一向に戻る気がしないわねぇ」

「無いものは戻らないだろ」

「頑なねー。いっそ、お腹をぺこぺこにした魔物の前に置いて来れば、嫌でも記憶が戻るんじゃないかしら」

 抗議の意味合いを持って、俺は少女の顔を睨みつけた。

 魔物とは読んで字の如く、魔の領域を発祥とする獰猛な野生動物だ。

 好物は人間、習性は目に付いたものを破壊するという、どう足掻いても人間とは相容れない存在。

 辺境の村々は絶えずその脅威に怯え、暗澹とした日常を送っている。

 俺の見たあの日の惨劇の演出者はその魔物共で、その村は再建の目処も立っていないどころか生き残りも居ない。

 余所者である俺を除いて。

「ま、何にせよ生きて行く上で必要なのはそんなことじゃなくて、健全な肉体と最低限のお頭だけ。あんたが何処の誰かなんて関係ないし、戻らなくて良いって言うなら今度から仕事の場所も変えようかな、なんて」

 大きな不都合はない。

 しかし、俺の中ではむくむくと野望のような欲望が渦巻いている。

 今でも可能性は捨てた訳ではない。

 特別な能力や才能が備わっており、それを以てして世界を救ったりするものだと。

 世界は魔物の脅威に脅かされている。

 そして、聞くところによれば本国ではその対応に四苦八苦している。

 現在の王国の軍事力では、主要拠点の防衛が限界と言われているがそこは定かではない。

「取り敢えず、今日は隣の村ね。さっさと移動して、お昼食べて夕暮れまでに終わらせて夜はゆっくりするわよ」

 スープを飲み切った少女は、勢いよく立ち上がると寝癖も残る髪を跳ねさせながら支度に取り掛かった。

 俺はため息と共に冷めかけのスープに口を着けた。

 やはり青臭く、豆のふやけた食感は到底受け入れられるものではなかった。



 この仕事柄、訪れる町々では全くと言っていいほど笑顔を見ない。

 時に理不尽な言動を受けることもある、と少女は苦笑いしながら教えてくれた。

 そして、今日の仕事の取り掛かりの前にも邪魔が入った。

 村外れの畑に仕事へ出掛けた男性が、不幸にも周辺をうろついていた魔物に襲われ死亡。

 そのまま死体を引き摺って村に近づいてきたところを、有志の自警団が討伐した。

 何とか助からないものかとあれこれ手を尽くしたが、治療は打ち切られ埋葬士に依頼を出す運びとなった。

 故に足を運んだのだが、その男性の遺児だという幼い女の子が墓地への道を塞いでいた。

「おとーさんを、連れてかないで」

 大きな瞳いっぱいに涙を湛え、声を震わせながら訴えかけるその姿に対し、俺は先導する少女にどうするかと無言で問い掛けた。

 白色の布で覆い隠された死体は、村で借りた荷台に載せられている。

 例え、もし万が一に俺たちが退いたところで、この女の子が何かを出来るわけではない。

 それでも、彼女からすると俺たちは自分のお父さんを奪い去っていく悪い人たちに映っていることだろう。

「退きなさい」

 俺は下唇を噛んだ。

 嫌な役回りを、口元まですっかり黒布で覆い仕事着を着込んだ少女にやらせてばかりだからだ。

 こういう時、どういう対応をすれば良いのか教わっているはずなのに、だ。

「や、やだ!どかない!」

 女の子の声に一層悲愴さが加わり、大きくなった。

「見習い、行くわよ」

「……」

 俺は、仕事着の黒衣のフードを目深に被り直し台車を牽く腕に力を込める。

 視界に女の子が映り込まないように、視線を横に逸らしながら一歩目を踏み出す。

「やだ連れてかないで!連れてっちゃやだぁあああ」

 女の子が、少女に組み付く音が聞こえた。

 そして程なくして、短い悲鳴と軽いながらも鈍い衝撃音が続いた。

 振り返ることなく俺は台車を牽き続ける。

 後方からは女の子の泣き喚く声と、それを宥める母親らしい女性の声、そして少女の地面を踏み締める足音が耳に届いた。

「あんな大人になっちゃダメよ」

 ズン、と俺の心に突き刺さったその言葉を、少女は何度聞かされて来たのだろうか。

 文句なら、殺した魔物にでも言って欲しい。

 俺たちは一切振り返らずに墓地まで辿り着くなり、ため息を吐き出す。

 仕事前に一度手頃な岩に腰を落として休憩を取る姿は、疲労困憊だ。

 勿論俺は肉体的にも多少の疲れはあるが、精神的な疲弊が大きい。

「恨まれ役も、この仕事の一部とは言え辛いな」

「ぶつけ所の無い怒りで村の中の雰囲気がもっと悪くなるぐらいなら、って言うおまけかな。共通の敵が居ればみんな団結するじゃない?」

「だからって……」

「一応、王国に尽くす身だからね。私なりの貢献ってことで」

 俺は背中がむず痒くなった。

 必要以上のことを背負って務める彼女の姿勢に、有り得ない、と理解を拒んだからだ。

 そうすることで、給料が上がるわけでもない。

 それは善意、サービスと呼ばれる代物だ。

「……俺の居た国じゃそれは美徳だが、大多数の奴はそんなもん進んでやりたがるもんじゃないな」

「でしょうね。流石に石を投げられた時は、宿で泣いちゃった」

 表情の全ては窺えないが、彼女の目には悲しみの色が見え隠れしている。

 やはり辛い仕事だ。

「後何だっけか。嵐の翌日河が氾濫し渡河に数日遅れた時は、既に依頼の遺体が腐食し始めていて、依頼主に殴られかかったこともあるんだったか」

「うん、まぁあれは不幸だったわね。うん、不幸な事故だった」

「あーあ、俺はそんな風になりたくねぇなぁ。世界救って英雄になって、一生崇められて生きていきてぇ」

「……っく、ふふふ。いきなり何を言い出すのよ、馬鹿も休み休み言ってよね」

 声を上げて笑う様子は、俺が下らない冗談を言っていると本気で思っているのだろう。

「実際に、魔物を討伐してこの王国に平和を齎そうって奴は、居ないのか?」

「へ?ん、まー、居ない訳ではなかったみたいだけど。どうして?」

「どうしてって……そうすれば国が救われるだろ?んで国王に感謝されて、沢山金も貰えて好きに暮らせるだろ?」

 簡潔に俺の思い描くサクセスストーリーを打ち明けてみたが、その反応は芳しくない。

「それはちょっと都合が良すぎないかな?」

「そうか?みんな幸せだろ?」

「仮にあんたが一人で魔物の脅威を打倒した場合、次なる世界の脅威はあんたになるかもしれないのよ?」

 その可能性は、考えなかった訳ではない。

「それでもだな」

「あんた、どうせ楽な方向に転がるように考えてるんでしょ」

「いや、まぁでもみんな幸せになるじゃん?」

「はいはい、じゃあ取り敢えず穴掘って頂戴な」

 腰を上げた少女は砂埃を手で払うと、荷台の遺体の検分を始めた。

 時折、死体には犯罪の隠匿のために証拠品などが紛れ込まされていることがある。

 そのため不自然な所持品などがないか、埋葬前に簡単にではあるが検査をする義務が増えたのだとか。

 その間に俺は少しでも早く引き上げるためにシャベルを掴むと、墓地の端に埋葬された別の墓の少し横辺りに狙いを定め、その切っ先を土に突き立てた。

 一メートルも掘った辺りから、地面の手応えが一気に硬くなる。

 吐息と共に声を漏らしつつ地面との格闘に勤しんでいると、台車に寄りかかってこちらを観察少女と目が遭った。

「……ふぅ。もうちょい掛かりそうだ」

「いいわよ、ちょっと休憩してるから。それに、観客も居るみたいね」

 彼女の視線の先には、継ぎ接ぎが数か所された乳白色のワンピースを着た小さな女の子がこちらの様子を窺っている。

 本人的には上手く隠れているつもりなのかもしれないが、木から顔が半分以上もはみ出ているため寧ろ分かりやすい。

 邪魔をしに来たのかと思いきや、小さな女の子は一切動かずただただこちらを見ているだけだ。

「どうする」

 一息着くフリをしながら判断を仰ぐと、彼女は目を閉じた。

 何かを考えている、と言うよりは決まりきっていることを口に出すことを面倒くさがっているようにも見える。

「私が追い払って来るから、作業を続けなさい」

 言うや早い、首をコキコキと鳴らしつつ歩いて行くその後ろ姿を横目に再びシャベルを握る。

 硬い地面に何度も何度もシャベルを突き立て、何とか埋めるに足り得そうな深さに達しようかと言う頃になって怒号が耳を衝いた。

「この、バケモノ!!」

 あらん限りの金切り声に思わずその方向に首を向ければ、案の定と言うべきか女の子が涙を流しながら少女に悪態を突いていた。

 何と声を掛けたのかは分からないが、女の子の意に沿うものではなかったことは事実だろう。

「あなた、名前は!?」

「ミーシェよ」

 突然に名を尋ねた女の子は、満足そうに一つ頷くと村の方へと走り出す。

 やっと解放されたかと思うと、突然女の子が立ち止まり振り返った。

「おかーさんと、こくおー様に言い付けちゃうからねっ!」

 勝ち誇ったように宣言すると、また女の子は走り出し今度こそ姿を消した。

「こくおーって、国の王様の国王のことか?」

 無表情で戻ってきたミーシェに尋ねると、うんざりと言った具合に肩を竦めた。

「この国のお決まりの脅し文句と言うか何と言うか……まぁそういうことよ」

「どの世界でもこういう手合いが居るんだな……。っと、あとは頼む」

 死体を目にしないよう、少しその場から離れ地面に腰を下ろすと腰に括り付けていた木製の水筒の蓋を開ける。

 村で給水する機会を逸してしまったため、その残量は心許ない。

 一口だけ喉を通すと再び元の位置に戻す。

 空を見上げれば、白雲が風にながされて行く様に目を奪われた。

 娯楽らしい娯楽の存在しないこの生活で格段に増えた趣味、或いは時間潰し。

 それが空の観察。

 最初は、ただ空の青さをボーっと見詰めていただけだが、少しずつ天候の変化の前兆のようなものが分かり始めた。

 このことをミーシェに自慢してみたが、彼女は慈愛に満ちた顔でただ一言、この世界で生きるのに必要なことよね、とだけ答えた。

 つまり大体の人間にとっては常識なのだ。

 きっと彼女からは俺がとても微笑ましく映ったことだろう。

 死にたくなってきた。

「……ん?」

 最初、それは雨雲かと思った。

 しかしそれにしては雲の高度が低いことに気付くと、到底人間のものとは思えない咆哮が劈く。

 反射的に身構え、その方向に目を向けると薄暗い林の中を、真直ぐにこちらに突き進んでくる巨体が二つ視界に捉えた。

 熊に似たシルエットのそれは、俺が立ち上がるのと同時にもう一度咆哮を上げて猛然と加速する。

「魔物だ!」

 ミーシェに対して警告と共に接敵を告げると、すぐ脇を黒い影が走り抜けて行った。

 シャベルを背負ったミーシェだ。

 陽光に曝された魔物は、真っ黒な毛並みと所々を光沢のある装甲のようなものに覆われた獣そのものだった。

 圧倒的な威圧感を放つ巨体は四つの足で地面を蹴り疾駆する。

 その速度は俺の全力疾走なんて目じゃない。

 何もされずとも、ただその突進を正面から受け止めるだけで身体のあらゆる場所がへし折れ、十中八九死ぬだろう。

 それに敢然と突っ込んでいくミーシェの行動は、俺にとって奇想天外以外の何者でもない。

 思えば、俺はまだ魔物との戦闘方法を知らない。

 死体では無い、動く魔物を見たのは初めてだった。

 濁り切った本能に支配されたその眼は、俺を捉えて離さない。

「下がってて!」

 ミーシェの初めての指示に、俺は一歩後退ると振り返って走り出した。

 逃げるためではない。

 唯一、武器となるシャベルがそこにあるからだ。

 がっしりと両手で柄を掴むと、地面から引っこ抜き魔物迫る方向に向き直る。

「ミーシェすぐ行くぞ!」

 半ば自分に言い聞かせるようにして、先に死地に身を投じた彼女に声を掛けた。

「馬鹿、来るな!」

 強い言葉で制止を命じられてしまうと、何とか内側で支えていた闘志のようなものが萎え切ってしまった。

 足が竦み、立っていることすら困難な状態に陥ってしまう。

 二つの巨魁が少女と交差する。

 一人で二体の魔物を相手にするのだから、余程の腕なのだろう。

 辺境の地を動き回る仕事柄なのだ、護身術など戦闘の手解きぐらいは受けているはずだ。

 彼女が全力を振るうのに、俺が傍に居ては邪魔になるということなのだ、きっとそうなのだ。

 ミーシェがシャベルを振る。

 しかしそれは虚しく空を切り、牽制以上の効果はない。

 側面に廻り込んだ魔物の右前脚がミーシェを襲った。

 瞬間、俺は見てしまった。

 絶望に染まったミーシェのその眼を。

 直撃の瞬間に身を縮こめ、衝撃に備えた彼女は次の瞬間には視界から消えていた。

 探す。

 視界の端に何か黒っぽいものが飛び散っているのを認識したと同時に、耳に鈍い打撲音が届いた。

 瞬き。

 黒っぽい飛散物の行方を追う。

 宙に浮かぶ黒衣の身体。

 重力に従って地面にどう、と叩き付けられたその身体は一度バウンドして動かなくなる。

 一拍の間を置いて、黒衣から液体が染み出した。

 雑草を赤黒く染めていく。

 起き上がらない。

 気絶してしまったのだろうか。

 なら、起こさないと。

 そうだ、起こして彼女には立ってもらわなくては。

 まだ俺は見習いだ。

 一人前になるまで、面倒を見てやると約束してくれたのだ。

 約束は果たしてもらわなくては。

「ミーシェ!」

 駆け出す。

 一歩目で既に心臓は早鐘のように煩く、頭の中は真っ白だ。

 思い返す。

 何故自ら死地へと飛び込んでいるのか。

 だが、ミーシェに頼る他ない身の上である以上、これが最善なのだと信じるしかない。

 足を進める。

 その直線上に、魔物が立ちはだかった。

 同時に、脚が止まる。

 目の前の奴とは別に、心の中にも恐怖という魔物がたちまち醸成され身体の自由を奪う。

 逃れようと無理矢理身体を動かそうとした結果、尻もちを着いてしまう。

 ジリジリと距離を詰めてくる魔物の威嚇めいた低い唸り声が、耳朶を通して脳内に不快な響きとなって流れ込んでくる。

 剝き出た牙は元々白色だったのだろう。

 それが今や様々な色が混ざり、殊更に赤の色彩が強い。

 風に乗って、背筋が凍るような悍ましい臭いが鼻腔に充満し、間髪置かず胃液が食道を駆け上り勢いそのままに吐き出す。

 魔物の重量感のある足音が直ぐ傍で鳴ったため、ゲロを吐きつつ顔を上げる。

 紅く鋭い光が眼前に在った。

 同時に、あの悍ましい臭気がより一層濃くなった。

「あ……」

 魔物がすぐ目の前に居て、顔と顔を突き合わせている状況だと気付くと、涙が頬を伝う。

 死。

 予感と実感とが同居し、震えが止まらず意味を成さない悲鳴のような呻き声が絶えず漏れ続ける。

 牙が上下に分かれて行き、ぬめぬめと艶めかしく光沢を放つ涎が糸を引き口内が露出する。

 化け物の口内が迫ると、改めて食われるのだ、という実感が心に落ち着く、

 どこか安心感を覚える温かさが上半身を包んだろと思うと、殆ど同時に身体の下半身との感覚が途切れた。

 不思議な感覚だが、間違いなく魔物に上半身を飲まれたことを自覚せざるを得なかった。

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