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 数日後、蒼汰の姿は菊山高校の二年E組の教壇の上にあった。

 開けられた窓から、まだ冷たさの残る春のそよ風が教室に吹き込む。外に目を向ければ、下は中庭になっていた。植木で囲われた芝生には十字に通路が走っており、小さな池やベンチも設けられている。蒼汰は教壇の上からそれをボンヤリと眺めて、あそこでいつか昼食を取ってみよう、とのんきなことを考えた。

 傍らでは女性の教師が、どこの街から引っ越してきたか、ということや、親の仕事の都合でこの街にやって来たなど蒼汰がこのクラスに転入してきた経緯を説明している。

 彼女はこのクラスの担任教員である仲間美弥子。

 小柄でどこか頼りないところもあるが、その振る舞いからは彼女の生真面目で頑固な性格が見て取れる。なにせ普通なら掻い摘んで十秒ほどで済ませるであろう転入の経緯の説明も、彼女は誤解を生まないよう慎重に言葉を選びながら進め、そのあまり現在三分以上延々一人で話を続けているのだ。

 教壇に立たされての自己紹介といえば、いわば転校生の通過儀礼ともいうべきイベントのはずだが、もはや美佐子の独壇場である。

 話は終わりが見えず、しびれを切らしたとある生徒が声を上げた。

「もう分かったって、ミヤちゃん」

「あと少しだから!少しだから!」

 それに続くように、今度は女子生徒が。

「先生、ホームルーム終わっちゃうよ~」

「待ってね、待ってね!」

 中にはこんな声も。

「転校生くんは座らせてあげれば?」

「あぁ、ごめんね瀬戸くん」

 ガヤに一々反応しながらも、美弥子はへこたれることなく説明を続け、やっと終わる頃には彼女はヘロヘロになっていた。

「じゃあ、瀬戸くん、最後に自己紹介お願い」

 美弥子に促されて蒼汰は一歩前に出る。

「瀬戸蒼汰です。よろしくお願いします」

 パチパチと拍手が起こって、その後、ようやく席に案内される。蒼汰が通された席は窓側の最後列。六かける六の四角形に並んだ席の集まりに、濁点を打つように加えられた席である。一方の美弥子はもう精も根も尽き果てたのだろう、蒼汰が席につくとホームルームを切り上げて退室した。

 ぱたん、とドアが閉じられる。同時に、前の席の男子生徒がくるりと振り返った。

「よう、おつかれ」

 つんつんに立てられた髪と切れ長の目が印象的だった。大きな体に制服を崩して着用していることもあって風貌にはどこか鋭さがあり、一見取っ付きにくそうにも見えたが、突き抜けるような声には彼の友好的な一面が表れている。

「俺は神田龍之介。授業中デカくて邪魔だったら言ってくれよ、寝るからさ」

 龍之介という生徒はおどけた様子で、百九十センチ以上はあろうかという長身を丸めてみせた。

 蒼汰はつられて笑う。

「大丈夫、ギリギリ見える」

「そっちも結構身長あるもんな。いくつよ?」

「確か、百七十七」

「あー、なるほど。それならラグビー部には気を付けろよ。あいつら体格がいい奴を強引に入れようとするんだ。俺なんか一年のときに先輩たちに無理やり部活見学に連れていかれたと思ったら、それだけで入部扱いにされたからな」

「ホントに?」

「マジ、マジ。今は退部したけど、それでも定期的に襲ってくるし」

「……ラグビー部って山賊か何かなの?」

 蒼汰が真剣な顔で返すと、龍之介は顔を背けてブッと吹き出した。

「やるね。なんだ、もっと落ち着いたやつかと思ったら結構いける口じゃん」

 龍之介は満足そうに蒼汰の肩をバンバンと叩く。彼は身体が大きいため衝撃は中々大きかったが、とりあえず新しいクラスでも何とかやっていけそうな気がして蒼汰は密かに胸をなでおろしていた。

 と、そんな男同士の会話の中に鈴のような声が飛び込んでくる。

「ねぇ、何話してるの?」

 ふと見上げれば、とある女子生徒が――もっと正確に言うならば、転入生という珍しい生き物に惹かれてきたであろう女子生徒とその友達のグループが二人の席を囲むように並んでいた。

先頭に立つのはショートカットの女子生徒だ。彼女がグループのリーダーか切り込み隊長なのだろう。瞳は大きく活動的で、身体こそ龍之介の方を向いていながらも、好奇心を豊富に含んだ視線がチラチラと蒼汰に投げられている。不意に視線が合うと、待ってましたと言わんばかりに彼女は蒼汰の方に向き直った。

「ごめんね、いきなり押しかけちゃって。私たちも瀬戸くんと話していいかな?」

「なんだ、英子か。帰れよ。今こっちで話してるんだから」

 龍之介がスパリと言い放つ。

 英子と呼ばれた女子生徒はムっと顔をしかめた。

「アンタに聞いてないんだけど。ね、瀬戸くん」

「えっ、あぁ、うん」

「バカ、こいつに甘い顔見せるなって。後ろ見てみろ。ちょっと許したらあいつらも入ってきてアホみたいに騒ぐからな」

「ちょっと、そんな言い方ないんじゃないの」

「ほら、離れろ離れろ。なぁ、瀬戸、今のうちにBINE交換しておこうぜ」

 そう言って龍之介は女子生徒たちを遠のけ、ポケットをまさぐる。

 英子たちに悪い気もするものの、確かに獲物を見つけた虎の如く爛々と色めきだつ女子グループの中に自ら身を投じるほどの勇気は蒼汰になかった。蒼汰は気を逆立て無いようそっと英子から視線と外すと、スマートフォンを机の上に置く。

 ただ一つ問題もあった。メッセージングアプリ『BINE』は蒼汰のスマートフォンにもインストールされているとはいえ、先日スマートフォンを手に入れたばかりということで使い方をイマイチ理解しておらず、IDの交換の方法など知らなかったのだ。

「ごめん、交換ってどうやればいいの?」

「じゃあちょっと貸してくれ」

 BINEを起動してスマートフォンを差し出す。龍之介はそれを受け取り画面をチラリと見て、直後、「えっ」と声を上げて固まった。

 不思議に思い、蒼汰も改めて画面を確認する。

 ディスプレイに映るのは、空白のメッセージの列。

 どうやら前回開いていたチャット画面がそのまま再表示されてしまったようなのだが、そこには差出人の名前も、内容も、意志も感情も全く察することが出来ないメッセージが延々と連なっていたのだ。

「これ、ちょっと前から続いてて。イタズラかな?」

 蒼汰は龍之介の動揺に気づき、弁明するように言った。数日前より、この名無しのユーザーから無言のメッセージが数通届くようになっていたのである。偶然か、その始まりは『ライブ喫茶 ろっく』での謎の体験に届いたメッセージだった。

 まだ傍にいた英子も「ちょっと見せて」と言って画面を覗き込む。

 すると、一瞬の驚きの後、ポツリとこぼした。

「もしかしてハーヴィー様じゃない?」

「ハーヴィー?」

 蒼汰の問いは、英子に届かない。

 英子はまるで足元から熱が上がってきたように興奮し始め、怖がっているとも喜んでいるともとれる声を上げた。

「これ絶対そうだよ。やだ、ヤバい!」

 熱は周りにも伝染し、他の女子もディスプレイを見てはキャアキャアと飛び跳ねる。すっかり興味の対象が移り変わったようで、蒼汰はポツンと取り残された。

「神田君、ハーヴィーってなに?」

「都市伝説だよ。ハーヴィートークとかって。無言のメッセージに返信すると何でも答えてくれるんだってさ」

 龍之介は呆れたように肩をすくめた。

 しかし、盛り上がりはさらに拡大する。窓から吹き込む風も彼女たちの興奮を醒ますには至らない。彼女たちの嬌声は他の生徒たちの関心をも惹きつけ、ハーヴィートークなる噂を目当てに、もしくは転校生に近づく口実を見つけた人々がポツポツと集まって来くる。

「すご。ねぇ、これいつごろから始まったの?」「実際にやってみようよ」「えー、ただのイタズラじゃないの?」「元いた学校でもハーヴィーの噂あった?」そんな言葉が切れ切れに蒼汰の耳に届いた。

 だが、その熱狂は突如静まることになる。

 興奮がピークに達した頃、バンッと強く何かを叩きつける音が響いた。そして、金属が弾けるような叫びが教室中に突き刺さる。

「やめて!」

 その声に、一瞬、世界が動きを止めたかのように教室の中が静まり返った。

 声の主は、廊下側の席の女子生徒である。

 教室の壁が落とす影の中に彼女の姿はあった。長い黒髪が横顔を覆い隠していて、その表情は分からない。しかし、彼女の線の細い身体は恐怖に震えているように見えた。

 衆目が集まる。

 彼女は机に手を置いて立ち上がった姿勢のまま、動かない。

 やがて、教室は音を取り戻し、ざわざわ、とそこかしこで騒めきが生まれ、徐々にボリュームが上がっていく。その中で彼女が何度か色の薄い唇をパクパクと動かしているのを蒼汰は見た。だが、その言葉は喧騒に掻き消され、聞き取れない。

「――――っ」

 押し寄せる声や視線に耐えられなくなってしまったのか、彼女はついに教室から飛び出してしまう。

 勢いよく走り出した彼女に弾かれた椅子がガタンと倒れた。 

「……何、私たちなんか変なこと言っちゃった?」

 呆気にとられていた英子やその友達グループも彼女の存在が教室から無くなったことで、ヒソヒソと何やら心配とも自己正当化ともとれる会話を始める。

 蒼汰は立ち上がった。

「探してくる」


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