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 一枚の紙切れが足元で舞った。

 よくよく見れば、それはプリクラの小さな写真だった。友達なのだろう、二人の女子がふざけ合って楽しそうに写っている。どこから飛んできたのかは分からない。被写体の二人の顔も蒼汰の記憶には無かった。

 写真は再び風に吹かれ、カラカラと転がり、細い足にぶつかる。

 そして、ぐしゃりと踏みつけられた。

 少女のくすんだ黒でふちどられた両目が蒼汰に向けられる。息遣いは荒く、じりじりと後ずさる足はガクガクと震えていた。何か彼女にしか感じられないものを見ているかのようだった。

 蒼汰は右手を伸ばす。

 彼女は「あっ」と声を上げ、足取りを速めた。

 その足は止まらない。一歩、二歩、三歩と動き、二階の連絡通路の手すりに背中をぶつける。

 直後。

 彼女は姿を消した。続いて、校舎の一階から男女入り混じった悲鳴が響く。




 駅から線路沿いに歩いた先に、『ライブ喫茶 ろっく』はある。

 建物はこの小綺麗でモダンな街の中で飛び抜けて古い。二階造りの店舗は背後の高架橋に支えられるかのように立ち、壁面はくすんだ茶色、そして入口の上部に設けられた半円状の軒先テントは劣化と汚れでボロボロになっている。

 蒼汰が扉を開くと、錆びた蝶番がぎぃと鈍い音を立てた。

「こんにちは」

 店内に人はいなかった。

 蒼汰はしばらく入口で待ってみるも、一向に人が出てくる気配もなく、店員を探して一歩、二歩と店内に踏み込んでいく。ホールのテーブル群の奥には小さなステージがあり、壁は七十年代八十年代に活躍したであろうスターたちのポスターや数々のサインで彩られている。まるで時代の流れから切り離されているかのような空間だった。

「すみません、誰かいませんか?」

 再び呼びかけると、天井から床板の軋む音が漏れてきて、直後、ステージの横のドアが開く。

 現れたのは小柄な老婆。彼女は蒼汰の存在に気づき、不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら蒼汰を睨み付けた。

「来たのか」

「今日からお世話になります、大叔母さん」

 彼女の名前は瀬戸嘉子。店のオーナーであり、この春から菊山高校に転入する蒼汰の保護者にもなる人物だ。

 嘉子は挨拶もそこそこに「着いて来い」と顎をしゃくって示すと、再びドアの奥へと姿を消す。蒼汰も続けば、そこには二階に通じる階段とそれを登る嘉子の背中があった。蒼汰は彼女のペースに合わせて階段をゆっくりと登っていく。

 途中、嘉子はぶしつけに言った。

「不満はあるのかい?」

「えっ」

「不満だよ。社会へでも、親や学校へでも、自分自身へでもいい。青春の青臭い叫び。私はね、そういう夢中に生きてるガキのロックンロールが聞きたくてアンタを引き受けたんだよ」

「……ごめんなさい。あまり思いつかないです」

「ふん、まぁ最近の温室育ちはそんなもんだろうねぇ」

 階段を登りきると、二階は住居スペースとなる。まっすぐ伸びた廊下から左右に三つずつのドアが配置され、突き当たりの窓からは根元を桜に彩られた駅前の雑居ビル群が見えた。

「ここはね、元々は遠くから演奏に来たバンドを泊めてやるための場所だったんだ。アンタもここに住む以上、私が鍛え直してやるから、覚悟するんだね」

 嘉子は吐き捨てるように言って、鍵の束が付いたリングを蒼汰に投げた。「ほら、段ボールが積んである所がアンタの部屋だ」

「あの、どの鍵を使えばいいんですか?」

「さぁね、勝手に探しな」

 嘉子はそう言い残して、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。

 仕方がなく、蒼汰は部屋に向かって歩きながら鍵の束を観察してみる。鍵の数は十個ほど。それぞれの鍵に番号は彫られているが、肝心の部屋の方に番号がないため判別のしようがない。

 ――全部試せばいいか。

 そんなことを考えながら、蒼汰はとりあえず適当に一つの鍵を手に取った。偶然それには番号が無かったが、特に気にすることなく鍵穴に差し込む。

 鍵を回すと、ガチャリとの音。

 そして、蒼汰は落ちた。

 何が起こったのか、蒼汰自身も理解出来ていない。落ちたような感覚が全身を貫いた後も、蒼汰は変わらず立っているし、意識もある、目も開いている、体も動く。しかし、目の前に広がる景色は先ほどまでと打って変わっていた。

 辺りは一面の虚空――光りも音もない漆黒が覆っていた。

 蒼汰はおもむろに手で周囲の様子を探ってみるが、一瞬前までそこにあった壁やドアの感触はない。歩を進め、場所を変えても同じだ。

 とにかく明かりを、と思い、蒼汰はポケットからスマートフォンを取り出した。

 だが、どうしたことか、スマートフォンはホームボタンやスリープ解除ボタンを押しても機能しない。本体にもバッテリー残量にも問題はないはずなのだが、いくら試してもスマートフォンは応答することはなかった。

 ざわざわと言いようのない感情が蒼汰の胸に湧き上がる。

 停電ということはありえない。廊下は窓からの採光があったし、停電でドアや壁が消える道理はない。また、床板に穴が空き本当に落ちた、ということもなさそうだった。もしそうならば身体は動かないはずだ。そして夢にしてはあまりに唐突すぎる。

 意味不明な事体への理由を脳が欲していたものの、いくら考えても合点の行く答えが出ることはない。

 ――何が起きた?ここはどこだ?自分はどうなったんだ?

 様々な疑念が、妄想が、恐怖が蒼汰の全身を氷のような冷たさを持って駆け巡る。

 そんな時、何者かの存在を発見する。

 それは人のようであった。

 黒の中に浮かび、輪郭がぼやけているためハッキリとした正体は掴めない。蒼汰も一瞬それが自分の恐怖が生み出した幻かと考えた。だが、何度見なおしてもその揺らめきは確かに存在しており、こちらに来いと手招きしているようにさえ見えた。

 不安を抱きながらも、きっと大叔母さんだと信じ、蒼汰は吸い寄せられるようにそれの元へと進む。

 右手を伸ばすと、黒の輪郭がグニャリと蠢いてその手を包み込んだ。

 直後、声が響く。

「教えてあげる」

 その存在が発したのは、男性のものとも女性のものともつかない微かな声。

 蒼汰は驚き、身を引こうとするが、足は動かない。いや、それだけではなかった。いつの間にか首も、手も、指も、足も、全ての器官がコントロールを失っていた。

 逃げることも声を発することも出来ず、ただただ立ち尽くす。

 右手に視線を向ければ、纏わりつく靄のような黒の中から蒼汰のものではない細い指が僅かに覗いた。形こそ紛れもない人間のそれだったが、まるで生気は感じられない。

「あなたが知りたいこと――」

 それは再び声を発した。

 そして氷のように冷たい指先は右手から腕を伝い、蒼汰の胸に置かれる。

「あなたは善人?それとも悪人?」

 そう言って、彼もしくは彼女は微笑んだ――気がした。

 次の瞬間、スパリと夢から覚めるように無の空間が消える。

 そして、目の前には鍵が刺さったままの古びたドアと板張りの壁が戻った。今いるのは、紛れもなく先ほど嘉子に案内された『ライブ喫茶 ろっく』の二階である。

 ――今のは何だったんだ?

 事態が飲み込めないまま、呆然とたたずむ。

 ふと手に持ったスマートフォンに目を向けると、煌々と光るディスプレイはメッセージングアプリが新着メッセージを受信したことを告げていた。


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