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「僕」と「おれ」  作者: パラノア
1/1

1. 「僕」

ユウくーん、血圧測る時間だよ」


窓から差し込む夕日が真っ白な病室をオレンジに照らす。いつもその少年を担当している中年に看護師は、一般的な四人部屋の左奥、患者と患者を仕切るカーテンをサッと開いた。だが、そこに居るはずの少年はいない。看護師は予想外のことに声すらもでなかった。そこには備え付けのテレビを除いて全てがなかったからだ。翌日、謎の怪奇事件は朝刊の表紙を飾った。


@


少年は生まれつき身体が弱かった。出産時には鳴き声すら上げず、すぐさま緊急の保育器に直行して何とか一命を取りとめた。それ以降も幼少時から幾度となく身体の調子を崩し、入退院を繰り返す日々。無論満足に学校に通うことも出来ず、友達を作る機会すら殆ど巡って来なかった。


彼は陽の光が好きだった。その暖かさが弱い自分に生きるエネルギーを与えてくれているように感じられて。

少年の病室はいつも窓際。彼がそこを好むからだ。その日の天気は雲一つない晴天。春が近づき陽が長くなり、気温も少しずつ上がっていく。でも、病室での温度はいつもと変わらない。少し寂しくなりながらも、窓のカーテンを前回にして視界の端に傾いていく夕日の陽を浴びる。

それはどこまでも優しかった。まるで今は亡き母の抱擁のように。


知らぬ間に寝ていたのか、不意に彼は目を覚ます。

部屋は真っ暗になっていた。もう夜か。眠気まなこに少年は思う。

しかし、すぐに異変に気付く。普通なら、夕飯の時間、厳密にはその直前に血圧検査で看護師の真田さんに起こされるはずである。

それに不気味な肌寒さ。あまりにも真っ暗なその空間。カーテンの見当たらない視界は、そこがいつもの病室ではないと判断するには十分だった。


少年は戸惑う。自分はベットに寝たままだ。感触からしてそれは病院のモノで間違いない。部屋はとても暗かったが、完全な暗闇とも言えなかった。どこかに薄明るい光源があるのだ。少年はゆったりと身体を起こす。いつも来る立ちくらみの様な目眩はなかった。今日は幾分身体も調子が良いらしい。

ゆっくりとした動作で身体を横へ捻る。光源はおそらく下、床からだ。少年は目をパチクリさせた。長い睫毛が揺れる。

見たこともない赤色の文字だ。円を描くように彫り込まれたそれらの文字列は、鈍く血のような輝きを絶えず放っている。蛍光ペンよりもハッキリした光だが、眩しいということは一切ない。

問題は、それが全く見覚えのない文字だという事だった。アルファベットも似ていない。


少年がそれに不思議な恐怖を感じたところで、不意に正面から今度はしっかりとした光が差し込んできた。

どうやら前方にはドアがあったらしい。瞼を薄く開けて、彼はその方向を見つめる。


@


少年の肌は白い。外に出ることが少ないということもあるが、彼は生まれつき肌が雪の様に白かった。遺伝子的に色素が薄いのか、地毛もナチュラルなライトブラウン。彫りの深い顔ではないものの、比較的整ってる顔立ちと相まって、初対面では白人とのハーフと間違えられることもあった。

彼を召喚した魔術師団の筆頭魔術師、老師カイゼン・ダインは思った。なんてひ弱な少年か、と。


彼を先頭に続々と魔術師、軍の兵士が召喚の間に入っていく。彼らは警戒の色を崩さぬまま、静寂を保ってベットで身を起こす少年を取り囲んだ。

薄暗い部屋、召喚の間は、少年が思ったよりも倍近く奥行きがある円形の部屋だった。20人近い人間がそれぞれの配置についた時、最後に一際ガッシリとした体格の男性が扉を潜る。彼は少年を落ち着いた瞳で見つめながら、兵士らの後方に立つカイゼンの隣に並んだ。


「幼い、な」


彼、エイデン連合王国騎士団長、ドルザークは小さく呟く。長身は彼の無骨なスキンヘッドには、一本の大きな傷跡が痛々しく走っていた。


「……誰、ですか?」


少年が恐る恐る、といった様子で問いかける。それは小さく、また恐怖と緊張で僅かに震えていた。


「あの様子で暴れることはないかの。ふむ、儂が話す」


カイゼンは豊かに蓄えた髭を撫でながら一歩前へと踏み出す。すると、予め決められていたかのように少年を囲んでいた兵士たちは老魔術師の前方にスペースを空けた。



@



少年は8人に周りを取り囲まれ、幅の広い王城の廊下を歩いていた。歩く、という動作をするのもいつ振りだろう。少なくとも3年近くはトイレなど必要最低限以外で歩いた記憶はない。それほど少年の身体は弱り切っていたのだ。老魔術師カイゼンの説明を聞き、彼は自分が異世界に召喚されたのだと理解した。信じる、信じないの話ではない。なぜか、しっくりきた。あの老人曰く、それが勇者召喚陣の持つ「仕様」なのだという。そして、今彼が自力で歩けているのも。


悲しいのはそれに喜ぶ間も無く、こうしてこの世界唯一の人間残存勢力、エイデン連合王国の国王前に連行されていることか。周りを囲む兵士らのピリピリした雰囲気が少年を否応なく緊張させる。ただ、隣を歩く大男、騎士団長ドルザークには何故か意味もなく安心感を覚えていた。見た目はイカツイ親父そのものだが、彼の瞳は優しかったからだ。少年は人の目に宿る感情を読むことは得意だった。


号令が鳴る。重そうな両開きのドアが鈍く開き、少年は謁見の間に通された。世界史の資料集で見たヨーロッパの絵画に出てくるような内装だ。学校に行けない間、病院でいつも少年は教科書、特に世界史の資料集か数学の問題集などを眺めていた。決して行けないであろう異国の情緒に夢を馳せるのが好きだった。


「私に合わせなさい」


ドルザークが小さく呟く。低く落ち着いた声に、少年は小さく頷く。実際、隣に居てくれる彼の存在が有り難かった。

タイミングは分からない。しかし、あるタイミングでその場にいた全ての者が膝まづいた。玉座に座るこの国の王者に。いや、生き残った人間勢力の偉大なる指導者に。

少年も慌てて周りに合わせる。慣れない緊張で、手のひらは汗ばんでいた。


「面を上げよ」


声はそこまで低くはなかった。だが、皆それに従い姿勢を正す。少年も素直に周囲に習った。

国王ヘンリー3世は見た目50代前半の男だった。中肉中背、特にこちらを威圧するような武威もカリスマもない。悪く言えば、会社の中間管理職を任されていそうなタイプである。少年が緊張しているのは、ひとえにこの突然の展開に心が付いていかないのと、周囲の人間のピリピリとした雰囲気が原因だった。


「よくぞ来てくれた、勇者よ。名は?」


「さ、佐藤…優、です」


「ユウ、殿か。私はこのエイデン連合王国の…いや、この世界の人間族の王、ヘンリーである。まずは、突然の召喚について謝罪を行いたい。申し訳ない」


ヘンリーが玉座の上からではあるが頭を下げる。そこで何か声が上がるでもなく、気付けば謁見の間にいる全ての人間が次は少年に向かって膝間付いていた。無論、そんな予想外の展開に上手い対応をできる少年ではない。結局、なんの返事も返せないままあたふたしていると、スクと頭を上げた国王は彼に問いかける。


「…許して、頂けるだろうか?」


有無を言わさぬ口調だった。これまでに人生をほぼ自宅と病室で過ごしてきた少年にとって、国王のそれは恐怖しか与えなかった。


「は、はい」


間を置くことも出来ずに、承諾の意を示す少年。それを聞いた国王が小さく笑顔を浮かべると、彼は気付いた。自分は、恐怖から逃れたかっただけなのだと。


@


「彼に今代の勇者が務まるでしょうか」


ドルザークは正直に胸の内を語った。

場所は王の執務室。王城の外は既に夜の帳が落ちていた。火の魔法ランプがボンヤリと照らす室内には、彼を入れて3人。王ヘンリー、魔術師団筆頭カイゼン、騎士団長ドルザークである。


「務まる、務まらんの問題ではなかろうよ。やってもらわなばならんじゃろ。無理なら、儂等が終わるだけじゃ」


最年長カイゼンの言葉に、王ヘンリーは頷くこともない。ドルザークとて内心理解している。貴重な魔鉱石、優秀な魔術師100人分の魔力、そして、……村3つ分の生贄を代償にこの世に誕生する勇者。現状、2度目はない。


「……最悪、ヤツの封印を解く」


「ッ!?……王よ、本気かの?」


数分の沈黙の後、重い口を開いた国王の言葉にドルザークの身体は硬直した。カイゼンの真剣な瞳が若き王を射抜く。


漆黒の災害。


破滅の帝王。


蹂躙の悪魔。


その二つ名どれを取っても「最悪」が想像される伝説の怪物。王はそんな存在の封印を解くと言っているのだ。

前代の……勇者の封印を。


「あくまで最悪の手段だ。無論、あの少年に勇者の責任を果たしてもらうことに変わりはない。何、あれは扱いやすい。完全な子供だ。それも従順なな。ドルザーク、どうやらお前に懐いている感もあるしな」


ドルザークは思考をあの少年へと切り替える。少女の様に、いや、それ以上に華奢な身体。無垢で、穢れのない瞳。透き通るような白い肌に整った顔立ちは天使のようで、彼がこれから凶悪な魔族に面と向かって戦う姿など想像できない。歳は確か18と言っていたか。普通の男児ならそれなりに身体も出来上がってくる年齢だ。それが、あの子の見た目はまるで15か悪くてそれ以下。元々病弱だったという話だが、それにしても未発達すぎる。


「……彼は、魔術師として育てては如何でしょうか」


ドルザークに出来ることは、そう提案する程度であった。あの少年に接近戦・肉弾戦は非現実過ぎる。遠距離からの砲台としての適正があれば、まだ可能性もある。


「まぁ、お前の意見も理解出来る。カイゼン、やれるか?」


「…適正次第ですがな。全力は尽くしましょうぞ」


「2週間。2週間だ。それであの少年、ユウ殿を勇者としてモノにしろ。方向性の修正や訓練内容はお前らに任せる。2週間後、準備が整い次第で、ことらから仕掛ける」


王の言葉。そこに逆らう者はいなかった。ドルザークとて理解している。それ以上勇者育成に時間を割けば、それでは召喚の元を取れなくなるということも。



@



グヘッ、と血反吐を吐いて転がる少年。ライトブラウンの髪は泥と血に塗れ、綺麗だった身体・顔には無数の裂傷・打撲が目立つ。

少年の右目は大きく腫れている。意識とは関係なく流れてくる涙を拭って、少年は右手を「敵」の方へと翳した。

瞬間、その掌の延長線上の空間が歪む。数秒後、そこには「炎の道」があった。

敵は瞬時にそれを見切り、最小限の動きで炎を回避すると少年へと迫る。パンッと空気を裂く音と共に振り下ろされる音速の剣戟。少年は身体を「1メートル後方に移す」ことで辛うじてそれをいなし、そのまま右足で地面を踏み付ける。

突然現れた巨大な落とし穴に敵は動じなかった。落下しながらも、ソレは手に持った片手半剣を投射する。予想外の攻撃に一瞬判断の遅れる少年。剣は無情にも彼の腹部を貫通し、そのまま臓器の大半を激しく傷付けて後方の壁にめり込んだ。


「ガフッ…あぐ……」


血に海に沈みながら、少年は両手を必死に穴の開いた腹部に翳す。その空間が歪み、ゆったりと彼の損傷した臓器が逆再生するかのように回復していく。完全に怪我が完治する頃には、少年の顔は出血多量で青白くなっていた。


「何故落とし穴の下に何のトラップも具象していないんだ?なぜあの規模の魔法しか行使しない?それにまだ敵が接近してきた時に魔法具現速度が遅くなる癖が改善されていないな」


敵、ドルザークは1度のジャンプで深さ10メートル以上の落とし穴から抜け出すと、未だ血の海で転がっている少年へと近づく。その表情に一切の優しさ、甘さは存在しない。

少年は血の不足で朦朧とする意識の中、自分を見下す大柄な男の瞳を見つめる。

そこに、彼はハッキリと哀れみ・悲しみの色を見つけた。


「いいか、戦場で敵から真っ先に狙われるのは勇者だ。そして、次に狙われるのはユウのような長距離砲台型の魔術師だ。分かるか?その二つの役割を担うお前のところには絶えず魔族が殺到する。どれ程前衛の奴等がお前を守ろうとも、一人や二人の撃ち漏らしが出てくることは当たり前」


ドルザークの目の前には今にも虫の息に少年が転がっていた。身体はボロボロで、傷のない部分などほぼ皆無。意識もあるかどうか微妙なところだ。しかし、彼は言わねばならなかった。少年が勇者としてに責任を果たせるように。戦場で無残に死なぬように。戦場では、こんな状態になっても立ち上がらねばならないのだから。


「何度も言わせるな。甘さを捨てろ。向かって来るモノは全て殺せ。考えるな。……でなければ、死ぬのはお前だ」


「……さ……で……ぁら」


「?」


掠れた声、もはや空耳かと疑うほどの微かな声がドルザークに届く。


「………ドルザークさ…んに……けがしてほしく…な…いから」


幾千もの修羅場をくぐり抜けた歴戦の騎士は、それに返す言葉を見つけることが出来なかった。



@



「ドルザークさんもエグいことするよなぁ。いや、あんま気にせんでエエと思うで、ユウ様」


明るく柔らかい関西弁が鼓膜を揺らす。ベットに横たわったままの少年は、タライと濡れタオル、水差しを持って自部屋を訪れた若い騎士に目を向けた。

サラサラの金髪に細い目、キツネのような顔立ちをした彼は少年のお付きに任命された騎士、レオンである。

どんな場面でも飄々とした態度を崩さず、それでいて丁寧に少年の対応をするレオンに、彼は出会って1週間と少しという短期間ながら、確かに信頼を置いていた。


「あんな超人相手の訓練で生き残ってるんが奇跡なんやから。魔族六天魔の一角と素手で互角に渡り合えるオッサンやねんから。あんなんキチガイやで、キ・チ・ガ・イ」


いつも彼はこうして自分を励ましてくれる。少年はそれだけで少し元気を取り戻せた。しかし、胸の奥にシコリとして残った想いまではそれでも消えてくれない。

少年は戦いたくなかった。怖いのだ。殺すのも、殺されるのも。

知らぬ間にこんなことになってしまった。いや、どこかで気付いていたのかもしれない。でも、それに向き合うことすら怖かったのだ。この誰も知らない異世界で。周りに流されている方が、圧倒的に楽だった。


「ありがとう、レオンさん。…でも、僕は勇者だから……もっと強くならないと…」


心にも思っていないことを言う。

自分がここまで外面が良い人間だということも知らなかった。知る環境がなかった。


「ははは!まぁその気持ちは大事やしな!ワイも勇者さんがそういって頑張ってくれとったらヤル気になるわ!実際の戦場ではワイらが命かけてユウ様を護るからな。ユウ様は安心して強力な魔法ぶっ放してくれとったらエエ!ははは!」


「……うん。ありがとう、頑張るよ」


掛け布団の下、少年は不安に震える右手を左手で握り締めた。

不意に彼の脳裏にある少年の姿が浮かぶ。唯一の友達で、幼馴染み。物心ついた時から一緒にいて、病気がちで外に行けない自分にいつも付き合ってくれた。自分は外で遊ぶのが大好きなのに、外に行けない少年へ「ジェンガしようぜっ!ジェンガっ!」といつも明るく笑ってくれるのだ。

小学校に入って入退院の周期が短くなり、ほとんど学校に行かなくなっても、彼だけはいつも病室に遊びに来てくれた。オセロ、カードゲーム、学校で流行ってること。彼が全部教えてくれた。

中学に入り、少年はさらに入退の期間が長くなる。その頃から友人も何やら怪我をすることが増えた。と言っても、擦り傷や軽い打撲、といった程度のものだったが。

それでも、彼の笑顔は変わらなかった。真っ直ぐで、嘘のない、綺麗な笑顔。

幼い時から時々乱暴なところもあったが、それでも少年にはいつも優しかった。何より、対等に扱ってくれた。


しかし、彼は突然消えてしまった。

放火、だったらしい。彼は母と二人でアパートに住んでいた。

夜中、近所の住人が気付いた時には既に彼の部屋は全焼状態で、焼け跡から見つけ出されたものは真っ黒な塊だけだった。死体鑑定すら不可能。

しかし、その他の状況から彼と彼の母親の死亡が警察から発表された。

犯人は不明らしい。


当時の少年はそれこそ死にほどに泣いた。ポッカリと空いた穴は大きすぎて、埋まることはなかった。

その頃から、彼は自力で立つことも難しくなった。



親友なら、今の僕になんて言うだろう。こんな自分の意思もなく、誰の為でもなく戦いを強要される今の僕を。

逆らうことを怖がって、何も出来ない流されるままの僕を。



少年は思う。



『あいつ、お前のことユーレイって言ったんだぜ?もうあったまきてさ、ブッ飛ばしてやったよ!ユウ、お前はおれの親友だ。早くビョーキ治してジェンガしようぜ!』



こんな言葉をかけてくれた親友だったら、どうするだろうか、と。



@



今日の訓練は比較的マシだった。と言うのも、今日の訓練内容はひたすら高速で遠距離・中距離・近距離の各種魔法を行使し続け、また、時折隙を見て放たれる魔術師筆頭カイゼンの魔法を対処する、という魔術師としての総合テストのようなものだったからだ。

少年が異世界に勇者として召喚されてから、既に丁度2週間が経過していた。

秘密裏に王ヘンリーが言い渡した期限当日である。

いくらマシとは言っても、それは精神的なものであって、肉体的にはこれまで同様ボロボロである。というのも、彼にとって接近戦のあるなしが精神摩耗の大部分を占めているからだ。

その点、今日のような魔法一点集中戦ならば、彼も半ばゲームのような感覚で集中することができる。人の死を意識しなくて済むからだ。

その実、彼は未だに「戦うことの実」に向き合うことが出来ていなかった。


「未だ行使速度、精度にムラや課題点は数多あるが、訓練開始から2週間を考慮すれば及第点」という辛くも合格、という評価をカイゼンより言い渡された少年は、言うなればなんとか赤点を阻止した学生の気分で自室へと戻っていた。無論、その表現で言えば、ドルザークからの評価は赤点である。


少年は今後のことを未だに詳しく聞かされていなかった。

それは少年に無駄なプレッシャーをかけまい、とするドルザーク・カイゼンの方針なのだが、彼とて今後いずれ実戦ーー魔族との戦争に駆り出されることは理解していた。


少年は現在城に住んでいる。

そこは人間族勢力の最後の拠点であり、最も現在の戦況など情報が集まる場所だ。

だから、それは嫌でも少年の耳に入ってきた。


何処其処の村が皆殺しにあった。

何処其処の最前線拠点が落とされた。

何処其処の戦場で大敗を喫した。


もたらされる情報の7割近くは人間の劣勢を示すもの。

2割は互角、拮抗。上手くことが進んだ、など1割以下である。


少年が「現在」安全な場所で訓練をしている間にも、魔族つまり魔王軍は圧倒的な勢力で人間の勢力範囲を飲み込み続けている。

自分が戦わなければ、いずれこの城の城下町も魔族の大群に囲まれ、そして人間は滅亡するだろう。その時、少年も同じ末路を辿るのは明白。


戦う以外に選択肢などないのだ。この世界に呼び出された時点で、己の運命は半分以上決まったようなものである。

それがどれほど絶望的なものであっても、やはり、少年は怖かった。

すぐにでも逃げ出したかった。


部屋から飛び出し、城の中庭へと出る。

完治しきっていない身体中の傷が痛かった。

石のベンチに腰掛け、整えられた花壇を眺める。


「あぁ…何やってるんだろ、僕」


自然と、そんな自問の言葉が口を突いて出ていた。




「だいじょうぶ?」



「え?」



幼い声が、聞こえた。



俯いていた顔を上げる。

紅色の髪に、同色の瞳。

白いワンピースを着た少女が、そこにいた。


「だいじょうぶ?ゆうしゃさま」


見た目は13歳かそこらか。それにしても、言動が幼い。少年は、まるで5歳ぐらいの少女と話しているような錯覚に襲われた。


「大丈夫だよ。ありがとう」


とりあえず、そう答える。

しかし、この子は誰だろう?少年は2週間もうここに住んでいるが、未だに城内でこんな少女に出会ったことはなかった。

王女だろうか?いや、それはない。王ヘンリーの娘、王女アレシアは立派に成人した女性だった。そして、他の王族は皆既に亡くなったらしい。

では、この子は?


「うそ。うそはだめだよ、ゆうしゃさま」


少女は困ったように顔を歪め、チッチッチ、と人差し指を小さく揺らす。

そのあまりに無邪気で、可愛らしい仕草に思わず笑みが溢れた。


「嘘じゃないよ。でも、ありがとう。君のおかげで元気でたよ」


少し元気が出たのは本当だ。そんなことを思いながら優しく言葉を返す。

少女は一瞬嬉しそうな表情を浮かべ、そしてすぐに悲しそうな顔になった。コロコロと表情の変わる、まるで本当に幼い子供だ。少年は自分のことを棚に上げて微笑んだ。


「ゆうしゃさま……こわいの?」


不意に少女の放った言葉に、少年は固まった。

今まで、少年は誰にもそのことを漏らしてなかったからだ。カイゼンにも、ドルザークにも、そしてお付き騎士のレオンにさえも。


少年は目の前の少女に恐怖を感じた。人間は未知なるモノを怖がる。それは自然な反応。

なんで、なんで分かるんだ?

彼は怖かった。彼がそう思っていることが、巡り巡って周囲の耳に入ることが。


訓練終わり、時たま感じるのだ。周囲の不安げな視線を。

ドルザーク、カイゼン相手にボロクソにやられ、本当にこの勇者は自分たちを救ってくれるのか、という不安げな視線を。

その視線を思い出した時、そして、また恐怖の震えが右手を襲った時、


ふと、暖かい柔らかさが右手を包んだ。


「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。ゆうしゃさま、あなたはだいじょうぶ。あなたはつよい、やさしいひとだから」


いつの間にか、少女が両膝を地面について少年の右手を両手で包み込んでいた。


突然のことに、少女の柔らかさに、初めての経験に、少年の頬が俄かに赤くなる。


「ゆうしゃさま、あなたはだいじょうぶ」


だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、と繰り返す少女。

たったそれだけのことが、少年から震えを取り去っていた。

心に何か暖かなものが広がる。じんわりと、確実に。

それはいつか、親友の彼がくれたものに似ていた。


「キミは……一体…」


少年はそう言うことしかできなかった。


「わたし、ハル。ゆうしゃさまのおなまえは?」


「僕は、ユウ。ハル、キミはどうしてーー」


少年の質問は、少女、ハルが不意に立ち上がったことで中断される。


「ごめんね、ユウさま。わたし、いかないといけない。でも、さいごにおまじない、してあげる」


チュっ、と少年の額に落とされる少女の口付け。

今度こそ、彼の顔はリンゴのごとく真っ赤に染まった。

対してハルは、恥ずかし気もない満面の笑みである。


「またね!」


パタパタと庭園の奥に駆けていく少女。彼はただその小さな背中を見送ることしかできなかった。

不安や恐怖は、スッキリとどこかに消えていた。



@



湿った空気が、細いライトブラウンの髪をねっとりと舐めた。

少年の出で立ちはいつもと異なる。

少年用に作られた特注の鎧。軽く、動きやすく、それでいて十分な強度と魔法耐性を誇るソレは、秘宝の一つ金剛魔石を鋼に溶かして作られた勇者専用の全身甲冑。

身長の低さと線の細さは誤魔化せないが、それでもまだ少年を戦士に見立てることは成功していた。


「覚悟はいいか?」


いつも通りの低く、落ち着いた声。

訓練の時は心にヒヤリと冷水を差すそれは、味方であるとここまで心を落ち着ける。

初陣となるこの戦い。少年の心は、不思議な高揚感に満たされていた。

不安がない、といえば嘘になる。覚悟を決めた、という程しっかりした意識もない。

今回の自分の役目が遠距離攻撃一本だからそうなのかもしれない。死を近くで見ずに済むから。

しかし、とにかく彼は落ち着いていた。


隣に佇むドルザークは、そんな少年の様子を一瞥し、後方の魔術師団ーーカイゼンの元へ合図を送る。

瞬間、視界から「透明の膜」が消えた。



突如として現れた人間族の大軍に、前方の巨大な砦ーー先日奪われた最前線防衛拠点からカンカンと敵襲来を知らせる警鐘が鳴り響く。


そう、これは奇襲。


勇者、サトウ・ユウの初陣にして、人間最後の抵抗勢力、エイデン連合王国の反撃の狼煙。


連合王国魔術師団筆頭、賢者カイゼンによる大魔法【天楼の幻影】によって隠された総勢3万の人間軍が、いまや魔族の王国進行最善基地へと変貌したトリス山脈砦を射程圏内に収めていた。



「ユウ、頼む。ぶちかませ」


ドルザークに号令に、少年はコクリと頷く。



瞬間、大地より立ち昇る計12本の巨大な火柱により、砦はその機能の6割近くを消失した。

距離があるためか、敵の悲鳴もこちらには届かない。

それはカイゼンの大魔法をも凌ぐ規模の攻性魔法。人間族の魔法にはない、魔族が扱うような圧倒的殲滅力を誇る対軍魔法。


火柱が消える。数秒後、砦の側からお返しとばかりに数多もの魔力弾が放たれる。

これが魔族の扱う単純かつ高威力の魔法弾。先頭に特化した魔法を多く所有する魔族特有の力押し。


本来ならば魔術師団総出で唱える軍隊防御陣で対処するそれも、今日は異なる。


「防御します」


少年が頭上に両手を翳す。と同時に、3万の兵隊上空全域を覆う範囲で空間が歪んだ。


「【城壁】展開」


そして、夜が来た。

それは堅牢な城壁だった。空中に浮かぶ要塞のように、そこにあるのが当然とでもいうように、分厚い巨石と鉄骨で組み上げられた大質量の壁が突如として軍の上空に現れる。

そこにあるはずのない事象を実現する。この世に存在しない虚数解。それが存在していたらという「可能性」。それを世界の果て隅々から掻き集めて一時的に具現するチカラが、少年の勇者としての力であった。

高密度の魔力の雨は、果たして頑丈な傘を貫くことなど出来はしない。

雨と傘が衝突する数分間の轟音が済んだ後、ふと太陽が戻ってきた。城壁は既に、その存在を消していた。



「さぁ!先手は取った!今こそ、我ら人間族の力を示す時よ!魔族どものチンケな魔術など、勇者様が完封してくれる!貴様ら、俺に続けぃッ!!奴等を血祭りに上げるッ!!!」



普段からは想像もできない、ドルザークの轟音のような叫び。

初めて勇者の圧倒的な魔法行使力を目の当たりにし、その凄まじさに士気を高揚させた兵士たちも地鳴りの如き雄叫びで応える。


魔族が侵攻開始後初めてと言っていいほどの明確な大敗を喫したのは、その数時間後であった。






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