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橙色の少女はチェーンソーを振り回す

 転生局について説明を受け、異世界でスライムに襲われた日から、数日が経った。

 この部屋にやってくる転生希望者は日によってバラバラだ。多いときは一日に二十人以上いて、今日みたいに少ないときは五人に満たない。

 僕は読み終えた料理本を机の上に置く。生前に読んだことのある料理本はこれで改めて読破した。将来のことを考えて、本を読んでいいのは一日十冊と決めているので、今日はもう本を読めない。

 何故読んだことのある本を読み返すのかというと、僕が本を読まないと禁断症状で手が震えてしまうから。生前にとある事情で三日ほど本が読めなかったときは、本に囲まれている幻覚すら見た。本が僕にとって本は愛煙家のタバコと同じ。心の平穏のためには必要不可欠なものだ。

 仕事はないし、お腹は空いてないし、本は読めない。

 暇を持て余した僕はグリムに話しかける。


「なあ、グリム」

「はい、なんですか?」

「現世のボードゲームに興味はないか? もしよかったらルールを教えるから、一緒にプレイしてほしい」

「いいですね。どんなゲームをするのですか?」

「オセロ」

 

 僕は手を叩いて、机の上にオセロ盤を創り出した。

 初めて僕が両親におねだりして買ってもらったのが、このオセロ盤である。思い出にあるものを再現したので、オセロ盤のマス目の塗装が少し剥げていた。多少傷ついていても、プレイするうえでは問題はないだろう。

 僕はオセロのルールについて実演を交えながら説明する。子どもっぽい見た目と精神の割に、グリムの頭の出来は相当いい。僕の拙い説明から基本のルールはもちろん、隅を取られない方がいいこと、序盤はあまり多く相手の石をひっくり返さない方がいいことなどの教えていない、ちょっとしたコツまで把握できたようだ。

 

 最初は僕の圧勝だった。それは当然。しかし、問題は二回目から。グリムのレベルが格段に上がったのである。例えるならオセロのパソコンゲームのCPUのレベルが三段階ぐらい上がった感じ。

 いずれいい勝負ができるようになるとは思っていたけど、さすがにここまで速いとは予想していなかった。

 三回目のときにはもう完全に互角の勝負。いや、むしろ押されていた。グリムの置いた黒い石が僕の白い石をじわじわと侵食してくる。白の石の生きる道はもうほとんど残されていない。

 ゲームの勝ち負けにこだわりつもりはなかった。でも、オセロの存在自体を知らなかった相手にたった三回で負けたくないという小さなプライドはある。何とか逆転の手を思い付きたい。


「ずいぶん長考していますね」

 

 グリムは呑気にポテトチップスコンソメ味をむしゃむしゃ食べている。もちろん僕がゲーム中に創ったものだ。


「そう言うグリムは余裕って感じだな」

「これはゲームなんですから、楽しむのが一番ってことに気づいたんです」

 

 今は冷静な態度のグリムだけど、最初と二回目のゲームで僕に負けたとき、フグのように頬を膨らませて、机の下で拳を握りしめていた。勝てなくて当たり前のゲームに負けて、ここまで悔しがっているのだから、彼女は筋金入りの負けず嫌いだろう。


「そりゃあよかったな、と」

 

 苦し紛れの一石を投じる。悪くはない手。しかし、いい手でもない。戦局に変化を与えることはできそうになかった。


「グリムは現世のことあまり知らないんだな? オセロのことも知らなかったし、それにスパゲッティも。ポテトチップのことは知っていたみたいだけど」

 

 僕は唇を覆って思案するグリムに、なんでもない話を振った。単に暇つぶしと、あわよくば集中を削げると思って。


「回収業務のグリム・リーパーは何度も足を運ぶので、現世のことについて多少詳しいです。私は知っての通り窓口業務なので、現世に行く機会がほとんどありませんし、どうしても現世の知識については疎くなってしまいます」

「へえ、じゃあ現世の娯楽をほとんど知っていないなら、僕がいなかったときはどうやって暇つぶしてたの? グリム・リーパー独特の娯楽があるなら話は別だけど」

「たまにゲートを創って現世を覗いたことはありました。ただ普段は仕事で忙しいので、暇つぶしの必要はほとんどありませんでしたが」

「仕事が忙しくて暇つぶしの必要がなかった、ねえ……」

 

 はっきり言わせてもらうと、僕が転生局で記録係として働き始めてから、忙しいと思ったことは一度もない。これで働いていることになるのか、と思ってしまうくらい自由に使える時間があった。今、こうして何度もオセロをプレイできているのが、暇を持て余していることをなによりも証明している。


「私が嘘を言っているとでも思ってそうな顔ですね」

「そう思ってもおかしくないでしょ」

「嘘なんかついていません。働き始めの仁見さんに配慮して、この部屋に訪れる転生希望者を減らしてもらっているんです」

「え? そうなの?」

 

 意外な事実だった。


「そのうち忙しくなりますよ。こんなことしてられないくらいに」

「それはそれで嫌だなあ」

「わがままですね、仁見さんは、と」

「あっ」

 

 グリムの放った一石が、僕の最終防衛ラインを黒く塗り変えてしまった。的確な一撃に僕が取れる手段は一つしかない。

 両手を挙げて降参という意思を伝えると、


「ふへへへへへ」

 

 グリムは不気味な笑い声を上げた。顔がだらしなくにやけている。オセロに買ったぐらいでよくそこまで喜べるものだ。


「私、このオセロっていうゲーム好きです」

「勝てたらなんでも楽しいだろ」

「それだけではないです。オセロ自体が好きなんです。白かったものが誰かの手によって黒く染まったかと思ったら、白く染まり直す。その繰り返しが気に入りました」

「……そうですか」

 

 ものすごく変わった感性をしているな、と思った。人間の常識を超えた存在なのだから、変わっていて当然だろうけど。

 僕はオセロ盤をそっと撫でて、箱に入れて棚に仕舞うようなイメージで消した。


「今日はとりあえずおしまいな」

「そんな。私が勝ち越すまでするつもりだったのですが……」

 

 そう言いだすと思ったから、さっさとオセロ盤を消すことにしたのだ。遊ぼうと思ったらいつでも遊べるし。

 それにしても、訪問者が来ないな。ゲームをしていたら、一人ぐらい来ると思ったのだけど、当てが外れたようだ。

 仕方なく、僕は睡眠で時間をつぶすことにする。


「僕は今から寝る。人が来たら起こしてくれ」

「分かりました。私は本を読んでいますね」

 

 僕の創った本を手に取って言う、グリム。

 いや、仕事をしろよ、とは残念ながら言えない。さっきまで一緒にオセロをして遊んでいたし、僕も休もうとしているし。

 どうでもいいか。

 僕は、部屋の隅に生み出した安楽椅子に深く身体を沈める。心地よいまどろみに落ちかけていたときだ。


 耳をつんざく音が部屋中に響き渡った。


 何事かと思って、椅子から勢いよく跳ね起きる。この喧しい音の出どころを探していると、チェーンソーの刃が壁を切り刻んでいるのが見えた。

 目をこすって、もう一度確認する。

 見間違いではなかった。

 でも、見間違いであってほしかった。


「何あれ?」

 

 僕の問いに、グリムは何でもないように答える。


「ああ、気にしないでください。どうせ初対面相手に目立ちたくて登場を派手にしようとしているだけですから」

「登場を派手に? 意味がよく分からないんだけど」

「すぐわかります」

 

 音が止んだ。

 目を離した間に、チェーンソーは壁を人ひとり通れるぐらいの大きさの長方形に切り裂いている。


「まさか……」

「そのまさかです」

 

 ヒールの靴に蹴られて、切り抜かれた壁が倒れる。埃は立たない。この部屋に、と言うかこの世界に存在しないから。

 強引に作り出した入り口にいたのは、橙色の髪の女だった。

 目つきは野生の獣のように鋭く、口には不敵な笑みを浮かべている。身長は僕と同じくらい。僕はそれほど背が高いわけではないけど、女性にしては高い方だろう。彼女が着ている服は何故か紺のブレザーで、しかもスカートが短すぎるせいで惜しげもなく太ももがさらされていて、ますます僕の頭を当惑させた。

 カツカツ、と小気味いいヒールの音を鳴らすたびに、背中まで垂れた、艶やかな橙色をしたポニーテールが揺れる。まるで自分の存在をアピールするために手を振っているかのように。


「あたしに迎えに来させるなんて、大した大物ぶりじゃねえか。仁見由とやら」


 橙色の髪の女は男のような言葉づかいで、僕の名前を呼んだ。

 チェンソー女に気圧されて恐る恐る尋ねる。


「……どなたですか?」

「あたしは、転生局の回収業務を担当している、ザクロだ。それから、どなたですか? じゃねえよ。これから臨時とはいえ、一緒に仕事する相手に敬語なんか使うな」

「一緒に仕事って……」

 

 心当たりはあった。

 数日前、支部長が言っていたことを思い出す。

 彼は僕に他の仕事も経験してもらおうと考えている、と言っていた。


「もしかして支部長から僕と一緒に回収業務をしてこいって言われましたか?」

「してこいじゃねえ。してきてほしい、頼む、この通り、なんでもするから、って泣きつかれたんだ」

「そうっすか……」

 

 僕の中の威厳ある支部長のイメージが音を立てて崩れていく。支部長ってあんまり偉くないのかな。


「ほら、行くぞ」

 

 今ので、説明が終わったと思ったのか、ザクロさんは僕の襟元を掴んだ。このまま引きずって現世に連れて行くつもりだろうか。


「ちょっと待って、ザクロさん。もう少し説明と準備する時間を」

「ザクロさんじゃねえ。ザクロでいい。説明なら現世に行きながらする。準備は必要ねえ。他に何か問題あるか?」

「……ないです」

 

 反抗する意思は元々なく、その必要もない。今は首根っこを掴まれた猫のように大人しくしていたほうがいい、と判断した。

 このザクロという女は、言うことを聞かせるためだったら、暴力と言う手段に訴えることもいとわないだろうから。


「相変わらず強引ですね、ザクロ」

 

 さっきまで僕とザクロのやり取りを静観していたグリムが口を挟む。

 いいぞ、もっと言ってやれ、と心の中でグリムを応援する。


「当たり前だろ、あたしなんだから」

「それもそうでした」

 

 ザクロが何を言っているのかさっぱりだけど、互いに笑みをこぼした。ぱっと見た限り仲が良さそうに見える。

 助け舟を出してくれることを期待した僕が愚かだった。


「仁見さん、ザクロ。なるべく早く帰ってきてくださいね。私の仕事が大変なので」

「よく言うぜ。ずっと一人で問題なかったくせに」

「今は、一人だと辛いんです」

「はん。そうかい」

 

 ザクロは興味なさそうに鼻で笑った。

 まあ、確かに僕がいないと辛いよな。おいしいチーズケーキを創ってあげるやつがいなくなるもんな。

 グリムに初めてチーズケーキを創ってあげた日からほぼ毎日、僕は彼女からチーズケーキをねだられている。よっぽど気に入ってくれたのはうれしいけど、際限なく甘やかすのもよくない。考えた結果、二日に一回のみ、チーズケーキを創ってあげることにした。彼女には伝えていない、自分ルール。


「じゃあ、行ってくるぜ」

「いってらっしゃい。ザクロ、仁見さん」

 

 チェーンソーを持った手を挙げて応じるザクロ。もう片方の手は僕の襟元を掴んだまま。軽く首を絞められている状態で、息が苦しくて声が出ない。現世に行く前にまた死んじゃうって。

 ものすごい力でずるずると僕を引きずっていき、自分でぶっ壊した壁の穴の前で足を止めた。首絞め状態からも解放される。

 穴の外にはただ暗闇だけがあった。

 この部屋の外がどうなっているのか知らないけど、ザクロがここから来たとは考えづらい。何かのタイミングで、この穴の先を現世に通じるゲートへと作り変えたのだろう。

 ということは、今までの経験とザクロの破天荒な性格から次の展開は大体読める。


「それじゃあ、先に行ってこい」

「うお」

 

 予想通り、ザクロは壁の外に僕を押し出した。

 不思議と頭は落ち着いている。

 落下が怖くないわけではないけど、尻で着地しなければ問題はない、と思えるほどにはメンタルが鍛えられていた。

 転生局に来てから、全く嬉しくない成長ばかりをしているな。

 どこまで続くか分からない落下の中で、僕は顔を上げる。深く濃い暗闇の中で、先ほどまで僕がいた白い立方体の部屋が眩しく輝いていた。



これで一章終わりです。予定では四章か五章になる予定です。

12/3加筆修正

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